狂気とアート ジュヴァルの理想宮と二笑亭

ちょっと前のことだけど、ネットのニュースを眺めてたら中国の某所、26階建ての高層マンション屋上に巨大な"構造物"が出来て、マンション住民一同総ブーイング。訴えらえて当局から撤去命令が出たとのことだった。
最上階に住んでる人物がこれを勝手にコツコツ造ったようだ。
詳細は不明だけど、写真でみる限り、強いインパクト有り。

なるほど記事によれば確かに迷惑千万な話ながらも、一方で眼に飛び込んでくる強烈さという点で、これは無類無比な珍妙な花といった存在で… じゃないと、ニュースにならないでしょうしね。
他者にとって、わけても同マンションにお住まいの方々には激烈に不快フユカイながら、創作者本人には必然あっての建造なのだから、ややこしい。
その必然の背景には、尋常でない熱狂が感じられて、こういうのと遭遇すると、たとえば、この夏、『瀬戸内国際芸術祭』とかいって複数の島のアチャコチャにアートなオブジェを置いてたけど、それがチャチな遊戯に思えてくる。

いうまでもなく、このマンション屋上の要塞めいた構造物はアートじゃない。建造にあたってある種の美的感覚が働いてはいたろうけど、アートたる確固な意志はない。
けども無自覚な、増殖衝動に裏打たれた"遂行と決意"だけはあって、そうでなくばここまでの規模の"異様"を作り出せはしない。
この"遂行と決意"は、"狂気"という語に置き換えていいでしょな…。
その1点で瀬戸内のアートは全て負けちゃって、みるかげもない。おしなべて、常識の範疇でおとなしくしている"飼い馴らされた"造形に過ぎなくなる。
周辺の空気に振動をあたえるような作品は、そうそう… ない。
中国マンション屋上のこれは、あからさまに振動してる。建造者以外は総じて不快をおぼえているという点においても、これは熱を持った振動といっていいでしょな。

いったい、この内部はどうなっているのだろうか? と、ボクは興を抱く。
まず、マチガイなく、これは… かつて東京にあった異様異質な家屋『二笑亭』と同じ性質のものだろう。
深川の大地主であった渡辺金藏が関東大震災後に、莫大なお金を費やして造り続けた怪異な家。
どうやって入っていいのか判らない入り口。尺貫無視の建材の使い方。鋼鉄のバラックのようでもあり、異形な神殿のようでもある家屋。数寄の極限めく茶室。宙にかかるハシゴ。壁面に穿たれた覗き穴。洗い場のない2種の風呂けん煮炊きの場。
深川一帯では「お化け屋敷」と気味悪がられ、家族からも見放され、建造から10数年後に金藏は精神分裂症者として病院に収容される…。
ちくま文庫に『二笑亭奇譚』という良書あり)


上の写真の中央が『二笑亭』。中庭のある奇妙奇天烈な建物空間がこの中に拡がってた…。

中国のもそうだろう。外部同様の奇っ怪が内部にも繰り広げられているよう思える。
建造者は、どうやら高級官吏の部類に属した人物のようだ。
お金がなくちゃ、この規模は造れない。
そして、この人もまた… 社会の規範から乖離してしまった病いの人であろう。
そう確信する。

よって、"狂"に支配されての建造物はいずれ破綻する。
瀬戸内の自然の中に置かれた、それも期間限定で置かれたアートは、良くも悪くも破綻はしない。
なぜならば、それはすでに"出来上がった"、"完了"したモノであって、進行しないんだし、異形たれども"管理の範疇"を出なくって、おとなしい。

二笑亭』も中国マンション屋上も、完了形じゃない。
深川の金藏は病院に収容されて建造がストップ、中国のは取り壊し命令でストップ急停止というワケで、完成したワケじゃない。
そして、おそらくこれも自明ながら、この両者に完成完了はないのだ。
病気の進行と共に建造物も変容していたハズなのだし、そして、それはいよいよ奇怪なカタチなものになったであろうと… 思う。
彼らの頭の中の想念は社会規範という視点からみれば妄念でもあって、たぶんにこれは整合性なき方向へ向かうであろうと思える。分裂と不調和と混乱が計測出来ないまでに膨れあがるであろうと思える。
作者は何事かを幻視し続けるが、傍からみれば理解は出来ない方向へ。

が、ともあれ… 痛ましい"カッコ〜の巣"ではあるけれどこの中国マンション1つでもって、瀬戸内の幾つものアートが、存在の重さという点においてなぎ倒され、負けて消え失せる… と、ボクは解して、そこを面白がっている。


『ジュヴァルの理想宮』、というのがフランスにあるよね。
19世紀末、郵便配達夫のジュヴァルが黙々と33年にわたって手造りした石の宮殿。
石はすべて配達中にみつけたもの。これをば毎日手押し車に乗せて運び入れ、時に彫ったりの加工をし、積み上げてった。
これもまた1歩たがえば狂気の側に堕ちちゃってるワケで、皆、"郵便配達夫"という色眼鏡で彼を"ランク付け"るから… 芸術家とも建築家とも、そういう肩書きを与えないままに彼を"見下す"から余計に周囲は白い眼だったワケだ。
でも…、中国マンション屋上は取り壊し命令が出たけど、ジュヴァルのは、今やフランスのオフィシャルな重要文化財なんだから、この違いは劇的に大きいね〜。


※ 重要建造物指定はジュヴァル没後45年が経った1969年9月。アポロ11号が月に降り立った3ヶ月後。以後1980年まで国家予算でもって大規模な補修が行われ、一般公開にいたる。

違いはどこにあるんかしらと云えば、周囲が比較的温かく彼の行為を見守っていたというコトに尽きる。
"温かく"というのは、前提として彼を狂人とみなしているというコトでもあるのだけど、そこに"無害で哀れな"という前置形容詞も置かれてた。
なので人は笑いつつも、彼の宮殿造りを見守った。
とはいえ基本は冷眼であり嘲笑だったに違いなく、それがいっそうに彼をして孤独に石に向かわせるという循環があったようだ。
彼が残したノートには、嘲笑に苦しんだ旨が書かれ、常に孤独で、日々使っていた手押し車を"友人"として書き記してもいる。
加えて彼は二笑亭主人のようにお金があるわけじゃなかった。
郵便配達は薄給で、その乏しいお金でもって石をつなぐセメントを少しづづ買った。

二笑亭や中国マンションとの相違は…、ジュヴァルの行動と徐々に建ち上がるそのカタチの、2つの奇怪さを全国紙たる「ル・マタン」他幾つもの新聞や雑誌が"好意的"に取り上げたことだ。
それで、「何だか変なものがおっ建ちつつあるぜ」ということで、見物人が詰めかけるようにもなった。
ここで普通な"狂"の場合は、そういう見学者を追い払うという事になるんだろうけど、ジュヴァルは入場料をとって、自ら案内をした。
記録によると1905年の夏期には平均で700人の人が日々訪れていたというから… すごい。

1907年には複数の女中を雇って彼女たちを案内係にして、自分はまたセッセと手押し車で石を拾いにいっちゃ、組み上げる。
この女中たちの雇用費捻出のために、彼は絵ハガキを造って販売した。『理想宮』の文字が添えられた写真絵ハガキ
彼の作品たる理想宮には、二笑亭や中国マンションと同じ"際限ない増殖"が見られ、その1点においてどこか"狂"を孕んでいると感じられるけど、上記の通り、彼の場合は、周囲の人との整合性がなんとか保たれた。
彼のノート(子供用学習帳面)には、自身の夢想が"病的"であることも記されているというから、精神が内に向けて閉じなかったワケだ。
そしてとても大きい違いは、ジュヴァルは建造を"完了"させたこと。
「これでよし」
と、文章のピリオドとして丸を打ったこと。(その時にはもう80歳を過ぎてた)
ちょっとした違いなんだけど… そこが決定的に違っていてオモシロイ。
ながくなった次いでに申し添えると、フランスではジュヴァルの肖像は切手になっているそうな。(1984年発行の記念切手)

とどのつまり、ボクはこれら創作物と創作者たちに実は随分に心惹かれているワケだ。
これらはアートじゃない。いっそゲテモノの側に添うものだ。
けど、アートよりはるかに強い"何か"を放っていて、そこに魅了される。
それを総じてどう呼ぶか、わからない。
自分の中の常識や基本がいっさい通じない、いわばこちらが赤裸にされるような… アートを越えたモノとしか云いようもない『作品たち』と、暫定として括っておこうか。
ジュヴァルの理想宮も重要な文化物の認定にあたっては、喧々愕々(ケンケンガクガク)あったらしいし、いまもってこれをどう評価して決定づけるか… 誰もわかんないらしい。自身とその家族のための"壮大な墓"としてジュヴァルは造りはじめた気配も濃厚にある…。

なので、この"素晴らしい"創作者たちには、日常に会って一緒にお茶出来るような人物たちでは、きっと、ないとも判ってるけど、ボクは強く魅力を感じてるワケだ。
それに… ちょっと詳細を調べるに、二笑亭の金藏とフランスのジュヴァルには共通項があって、それは何かといえば、実は奧さんだ。
二笑亭主人は家族から見放されたと最初に書いてるけど、実のところは、別居したけども彼には充分なお金が仕送られ、かつ定期で洗濯等の世話を奥方がこなしているコトだ。
ジュヴァルの場合もそうで、奥方は世間の眼を気にせず、動ぜずで、柔らかに夫の行為を見守っていたというコトだ。
中国マンション屋上は、残念ながら、表層なニュースのみゆえ、そこのところは判らない。
でも、この特異な官吏にも、伴侶がいる… ような気がする。ま〜、もっとも、高層マンションの屋上という場所がよくなかったな。良き夫人あっても、空中庭園は、そこじゃ紡がれない。
でも、だよ… 面白いじゃないですか… 伴侶、という存在が。
男の影に女あり… な次第が。
「1匹狼」だなんていう男の表現があるけど、それはちょっと嘘なんじゃね〜のかと… 近頃、思うようになった。
どのように遊び呆けようが、荒くれようが、何ぞ造ろうが、
「はいはい。あ〜たは1匹狼よ。イイのん出来たね〜」
そう、くるまれてるだけじゃないかと。
より強きなものが我ら男性の上に… あるような…。

※ フェルディナン・ジュヴァルに関しては『郵便配達夫ジュブァルの理想宮』・岡谷公二著・作品社が詳しい。好著。