シャーロック・ホームズ

おととい、ベッドに寝っ転がって澁澤龍彦の「東西不思議物語」を開いた途端、『妖術使い』という単語が飛び込んできた。
「おや? コレ、最近、何かで接してるよな…」
と思った途端、思い出そうとしてナンギした。
本かDVD。どちらかで、この『妖術使い』が頻繁に出てくるストーリーに接したはずなのだ。
でも、それが何だったか思い出せない。
思い出そうとして澁澤本を閉じ、眼をつむった途端に眠り込んだ。
で。
昨日。ベッドでまた、その澁澤本を開く。
同じところ。
『妖術使い』。
「何だったかしらね〜?」
とまた考える。
記憶のアチコチをまさぐったり揉んだりしてみる。
でも、該当する本もDVDも浮いてこない。
何やらノド元辺りにまで記憶の"記"の字なり"憶"の字なりが、昇っては来ているのだけど、そっから先、トンと思い出せない。
こういうもどかしい経験は皆さんにもお有りでしょう。
思い出せないからといって別に生死に関わるワケでなく、実際、この二夜めも、思い起こそうとして眼を閉じちゃったら、ス〜ヤスヤだったから、どってコトのない問題なのだ。
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でも二夜連続だったから、単語としての『妖術使い』が気になりだした。
そも、妖術使いと魔術師の区別がボクには判らない。
試しにと薄っぺらな辞書をめくると、
「妖術師:人を惑わすあやしい術を用いる人。幻術使い」
「魔術師:人の心を惑わす不思議な術を用いる人。魔法使い」
と出てくる。
なんだ〜?
違いは、"妖しい"か"不思議"だけなの〜?
そこで英語で引いてみると、どちらも同じの「magician」じゃん。
これでは何やらサッパリなので、ウィキペディアで調べてみると、妖術は、「魔術の呼び方の一つ」とあった。
また、妖術そのものはwitchcraftというのだそうな。
「ウイッチクラフトか… ペーパークラフトみたいじゃん」
と思いつつ、もうそれ以上は調べない。
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この前。東京出張から帰った晩に、DVDで「シャーロック・ホームズ」を観た。
例の最新のホームズ映画。「アイアンマン」のロバート・ダウニーがホームズで、ワトソンは「スカイキャプテン」のジュード・ロウ
誰かにだまされ、この映画では2人ともタバコを用いないと聞いて、
「煙草を吸わないホームズはホームズじゃないや」
と映画館に行かなかったのだけど、こりゃ嘘だった。
チャ〜ンとパイプを燻らす。
だから、ホッとした。
劇中には建造中のロンドン橋が巧みなCGで描かれていて、ちょっと眼を瞠らされるけども、この主役二人の共通項として、ジュードは「スカイキャプテン」で、ロバートは「アイアンマン」で、グゥイネス・バルトロウを恋人役として共演してるから、なんだか"同じ穴のムジナ"みたいな親近を濃くおぼえさせられる。
この「シャーロック・ホームズ」での悪い奴が、妖術というか魔術を使うヤツだ…。
もちろん、えせ魔術。
ニセモノな魔術たるをホームズらが次第に暴いていくところが、この映画の味噌。
その昔にスティルバーグも「ヤング・シャーロック」で同様なえせ魔術団体を描いてたよね。
ホームズものには何だか良く似合うシチュエーションだ。19世紀末という時代がそれを似合わせているんだろう。
21世紀の今は、そうはいかない…。
魔術も妖術も煙草も住みにくい時代になっちまった。
仮りにホームズにGPSの存在を教えてあげたなら、彼は素晴らしいじゃないかと感歎しつつも、職業としての探偵の魅力が大幅にそがれるような気分を味わうのじゃないかしら。
思えば、GPSなんて〜いうのは、昔の人の眼には魔法であり妖術のようなもんだろ。
原子が90億回振動する速度を1秒と定め、それを割っていって、16ケタ、1000ナノ秒以下の数字をひきだす原子時計
これなくしてGPSはあり得ず、またこれを搭載の衛星がなければ、やはりGPSはあり得ない。
あなたの車のカーナビも、ボクのiPhoneも、ひとたびスイッチを入れれば、4つの衛星からの信号を送受して、今いった16ケタの数字の差でもって位置情報を得る。3つの衛星からの信号で緯度と経度と標高が見いだされ、それにもう一つの衛星信号が加わることで、そこに生じる16ケタの数字の微細な差で移動のアンバイも判る… これはもう、昔の人には妖術だろ?
ナノというレベルでの演算そのものが既に魔法だ…。個々人がそれと意識せず宇宙空間上の衛星と結びついてるなんて〜のが驚愕だ。
ナノというのは1960年に編まれた数字ゆえ、当然に1959年まではそれはない。マーキュリーで米国人が宇宙空間に出た頃にゃ、ナノは実用のものではなく理論としての数値だった。
それがどうよ…。

20世紀半ばにしてボクらは、"自身の感覚として関知しえない世界に突入"し、21世紀の今、もはやそれを平然と実用化しちゃってるんだから、ここはもう… 昔の人の眼には"魔法界"みたいなもんだ。
たぶん、この調子で科学が闊達に進んでけば、ナノという単位よりさらに精度が出るピコという単位世界に入っていって、ボクがこうして部屋に垂れ込めつつ右手をチョイとあげたことすらも、遠く離れたブラジルのサンパウロに住まう友人にライブで判っちゃうようなコトになるんだろう、きっと。
人間の五感を越えた諸々によって人間生活を営むコトがはたして良いのやら悪いのやら、なんとも言いようがないけれど、ネット上にしか社会のつながりがない、いわば無縁な人が増えているといったコトは、少なくともホームズの時代頃まではなかったと思える。
人と人との接触すらも"情報"というカタチに圧縮されつつあって、生(なま)な感触から人はどんどん遠のいてく。それを埋めるためにナマではないけど代理な何かナマっぽい感じなものを売ったり買ったりをする。人よりも人形に興味を濃く抱く人形愛は昔からあったようだけども、昨今はそれが広く蔓延してナマなホンモノの方がミイラ化してるようなアンバイ。その結果としてかどうかは知らんが、2030年頃には、独身者が人口の40%以上を占めるという統計があるそうな。
どこへ進んでくんだろ、人類は? 科学なり化学なりの網の目が細かくなればなるだけ、逆に人間はそのネット上のただの一点となってくような収束感をボクはおぼえる…。
バーで語らっていても、フッと会話から遠のいて携帯電話で眼の前のフードを写真に撮り、それを送るべく懸命にツィッターしちゃってる人を目の当たりにすると、彼は線でつながっているように濃く思ってるのだろうけども、傍らのボクには大がかりな幻想の中に彼はいるよう思え、奇異な色味しか感じない。
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ともあれ… 今夜もまた澁澤龍彦の「東西不思議物語」を開くことになる。
いきなり『妖術使い』に引っかかったもんだから、実は… 全然読めていないんだ。