アップル・ウォッチ


1986年のMacintosh Plusの時代からずっとアップル製品の愛用者だしフアンであり続けているけど、ではアップル・ウォッチを買うかといえば… そうでない。
綺麗でオシャレでまた1つアップルは頂きに立ったとも思うけども、デザインの秀逸とは裏腹、何だかとても新規なものに感じられず、装うとしても高すぎる。
職人手作りの機械式ならまだしも、量産で今や、100均で100円で売ってたりもするデジタル時計。
高機能なアップル・ウォッチをただ価格のみで100均製品と一緒にしちゃ〜いけないけども、なんだか飛びつく気になれないのは、やはり、まだ何かが足りてないような気がするからだろう。iPhoneの延長上のモノでしかないからiPhoneがあれば事足りるし… いまや誰もがiPhoneを手にしてることもあって、なんだか就職面接にやってきたリクルートスーツのつまらなさと同様、制服化してるようでもあり、一向にオモシロクもない。
何万円もの商品じゃなく、いっそ4980円均一ならまた気分も違うだろうけど、現状では飛びつけない。
でもやはりニュースやらやらで何かと露出も多いから気にならないワケもない。
なので近頃、外出時には、あえて『古いアップル・ウォッチ』を腕につけて、いささかの反撥をカタチとして自身の中に涌かせていたりする。


iPhoneと連動しないし心拍数もモニターしてくれない。ましてや腕に向かっておしゃべりするコトも出来ない… ただ針が動くだけの時計。けども"純正な鼓動"がするかつてのアップル商品。

かたや1990年代のアップル・ウォッチ。
もう片方のオレンジは半透明のiMac時代。なので200年か2001年の頃のもの。


"自己管理ツール"だなんてとても云えないトコロが良い。
そも、働きアリではないんだから、腕時計ごときに管理されたくはない。
その昔のアップル製品には人の何かを解放する方向をめざし、例えそれが幻想であっても、かのリドリー・スコットがアップルCMとして創った『1984』に見られる反骨とそのエレガンスを内蔵したかのような製品ばかりだったよう思うけど、今頃は人を管理する製品作りに向かっていて、健康管理だのタスク管理だの、それが時代というもんだろうけど、我が身にはシックリ来ない。
今になってやっと、60年代のカーク船長やスポックやモロボシ・ダンやアンヌ隊員の腕時計に近寄ったという程度で、やはり新規なワクワクがなくって、いっそアップル・ウォッチでなくアップル帽子とかアップル・ランドセルなら、
「えっ! そうきたかぁ」
となったかも知れないけど、なワケなので、ボクは、"クラしっくり〜な・エレガンスかも"っぽい『古いアップル・ウォッチ』をあえて取りだし使用中。