吉備中央町経由で蒜山に向かい、やまな食堂で昼食をとってから島根へ行く。
毎年このシーズンの吉備中央町のトウモロコシを買いたいがゆえ、こういう路順となる。
吉備高原ファームの直売所はオシャレでもなんでもない出荷場ながら、朝イチバンに出向いても既に県外ナンバーの車が買い付けに来ていて、ここのトウモロコシの人気具合が判るんだけど、朝採れの新鮮を買うには9時の開店と同時でなきゃ、売り切れるから、早い時間での出立はしかたない。
昨年同様、複数の品種を買い求め、ニッコリしつつ蒜山へ足を向ける。
↑ 朝採りの入荷。不安定な梅雨が影響し、吉備高原も蒜山高原のも、今期はやや小ぶりサイズ、かつ量も減少ぎみ、らしい
夏休みシーズンの蒜山はやたらにヒトが多い。やまな食堂もそれゆえ今期より予約制というカタチとなっている。
この日、この夏イチバンの暑さとなったようで、さすがの蒜山高原も陽射しが冗談みたいに、きつい。太陽に背を向けると一瞬に背中が熱気に覆われ、比較しちゃ~気の毒だけどホッカイロがいかに非力な暖房なのかを思いしらされる。
炎天。なのでビールが、うまい。のどごしの激痛めいた旨味の直撃。これもまた太陽の恵み……。
やまな食堂の空調効いた畳敷きの席で足投げだし、ビールにひるぜん焼そば。さらにかしわの野菜炒め、ホルモン野菜炒め、などなどなど。
肉の滋味を吸ったキャベツが劇的に美味い。
午後の至福きわまれり。
回転寿司がごとくに盛大に食べる
こたびも、馴染んだ6人でのミニ・ツアー。
県境のながい坂道を駆け下り、安来市にはいってドジョウすくわず飯梨川そばの足立美術館へ。
同館を訪ねるのは3度目ながら、過去2回は中に入っていない。
どちらもモタモタしてヤヤ遅い時間に着いたものだから、「あと50分で閉館しますが」みたいな感じゆえ見学断念。オシャレなお土産SHOPでお茶を濁しただけだったから、このたびはハリキッての入館だ。
額縁に見立てた窓の向こうの赤松と枯山水の拡がり photo:.H.Kosaka
同館最大の見せ場は横山大観作品をモチーフにした庭園と大観作品の数々だけど、今回、当方の目的は2020年に別館として設けられた「魯山人舘」、北大路魯山人の陶芸品だ。
かねてより興を抱き、諸々な本では接していたけど、彼の数百点の作品をマノアタリにするには、この新館を訪ねるのがベスト。
別館「魯山人舘」の入口
ろさんじんは数多の顔を持った明治生まれのヒト。彼の食に関するアレコレを読むに、美食家であり芸術家であり……、ゆえの偏屈と頑強が、当方の眼には最初にはいってきて、
「やっかいなヒトだったんだろうなぁ」
そう思わずにはいられなかった。
まぁそれゆえに大正時代、「美食倶楽部」の大成功があったのだろうけど……、断言し、そうと決めたら、ゼッタイ譲らないという姿勢は、スキヤキに関しての彼の随筆を読むとよく判るし、没後に知れるコトになるけど、風呂上がりにガチガチに冷えたビールが運ばれないというコトでひどく叱咤されたりで、辞めてったお手伝いさんが複数いたりと、周辺ではかなり困ったヒトという面が浮き上がる。
けども、
「食器は料理の着物」
と声を大にし、徹底して全国の焼き物を調べた上で、1つの土、1つの窯にこだわらず、我流の道をば歩んで、己のがアート的快楽曲線の上昇マックスめがけて創作するという姿勢に好感もして、当方、今にいたる。
岡本太郎との関係も、実に興味深い。
上下写真:足立美術館刊行の図録『北大路魯山人 美と食を極めた芸術家』より
魯山人は、自分が母親の不倫で出来た子であり、そのことで父親が割腹自殺したという重たい事実を背負った出自が彼の人物形成の骨格にあるというような評もあるけど……、ともあれ、面倒くさい一面を持ったアーチストが、自身が納得して創り上げた陶芸作品というのをマノアタリにしたかったので、今回はひそかにハリキッたワケだ。
とはいえ当方に器モノを見る眼は備わっていない。
100円SHOPの小鉢と高島屋の高額なのとの比較も、できない。
ま~、いいのだ。
要は、北大路魯山人自らが創りあげた1品1品を直に眼にする……、というだけのコト。
はるか以前に大阪の阪急だか三越で、彼の陶芸作品を見ているけど、その頃は何もピンと来なかった。ただ直に見たというだけで感じるモノが何もなかったのは、当方が若すぎたからだろう。
足立美術館の図録では料理をのせた器の写真が幾つもあった
で、こたび、多数の作品をガラスの向こうに見て、「ふ~ん」と小さく呻いたんだけど、その良さに感嘆しているワケでなく、判ったような顔して眺めてる自分の貧相っぷり……、がアンガイに痛かったような感が無きにしもあらず、なのだった。
朝に買ったトウモロコシを持ち帰ったら、レンジでチ~ンした後、我が家にあるどの食器に入れて愛でようかといった高尚なイメージが喚起されず、ただもうガツガツ喰っちまいたい気分が先行して、魯山人の作品を眼の前にしながら、スタイリッシュなアート的美意識には遠い、我が方の食の貧寒っぷりに……、淡雪みたいなはかない哀しみをおぼえたのだった。
食生活の美化を常に念頭に置いた魯山人は、きっと顔しかめるだろうなぁ。
でも、いいのだ。
ガラスで隔てられているとはいえ、眼の前に魯山人作品があり、私というヒトが眺めているというコトが、今回はいたく、う・れ・し・かっ・た。
ハリキッて見学したゆえ、やたらノドが乾いたのも可笑しく、当然に館内でビールなど売っていないんで、しゃ〜ないですなぁ、足元近くに鯉が泳ぐ豪奢な喫茶室「大観」でアイスコーヒーをばチュルルと飲んでノドに潤いをば。
こちら魯山人の器ではありませんが、我が乾きはこれで一気に解消されちゃった。