抹茶に連想されるまま



土曜の山陽新聞朝刊に載ってるボクの顔写真は、お爺さんのようで… いただけない。記事になるのはありがたいけど、締まりなく笑い、なんだか模型愛好の好々爺という風情。赤裸を晒して、哀しい気がしないではない。
ま〜、しゃ〜ない。
実際、お爺さんの年齢ではあるんだし、ことさら今さら、若さを主張したってシカタない。逆に… 若さからは遠いトコロにいる自分を誉めてあげよう… くらいに思って慰めにかかる。
この前の講演時の写真が届いたので、ここに数枚載せ、さほどお爺さんでないよと主張する…。





ぅぅむ。
ううむ…。
という次第で、内なるお爺さんを意識しつつ… 茶話を。


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中国4千年の歴史、だなんて云うけれど、幾たびも興亡が繰り返され、けっして連綿な正統、連続国家としての中国があるワケでない。何かのCM用に某高名なコピーライターが作った造語としての4千年に過ぎず、極めて乱雑に「中国」の2文字を4千で括ったに過ぎない。
むしろ、「中国大陸」と書いた方が判りよい。そうすると、実は伝統的に歴史が定着しない強者蛮勇にして跋扈なだけの場所じゃあるまいか? いずれまた大きくヒックリ変えるんじゃなかろうか… とも思えてくる。大地は確かに硬いけども、表層の砂塵同様に人身もまた揺らぐ土地柄な感が、する。


抹茶は、その中国大陸にはじまった。
茶葉をダンゴ状にした団茶という喫茶法からスタートし、やがて抹茶に変じ、それを栄西(ようさい)が日本に伝えた。
以後、日本は抹茶を頂点にした茶文化を成立させ定着させていく。でも大陸はそうならなかった。
多数の詩人や茶人を輩出させ独特な良い香りもたった唐(悪しき楊貴妃もこの時代だけど)から宋への興隆期を経て、栄西が帰国したチョット後、モンゴル帝國の侵略でルネッサンス的香気は途絶した。
強硬に元(げん)に姿を変えさせられ体制も変わった。拡大主義の元は日本にも侵攻したけど断念したのは承知の通り。
侵攻者はたいがい自身の文化を押しつける。ほんのこの前、中国や台湾に侵攻した日本もそうだった。あちゃこちゃに神社を建てて日の丸に拝礼をさせ、そこにあった文化を壊しにかかった。
ご同様、いやそれ以上に、宋の、生活慣習を含む文化は極めて徹底的に潰され、モンゴル流の慣習を押しつけられて、抹茶も失われた。
元の時代が過ぎて、明となって民族的復興期になったさいには、もう茶をたてるさいの茶筅(ちゃせん)のカタチすら判らないホドだったと、岡倉天心は例証をあげて自著に書いている。



かわって、この大陸に定着するのは、茶葉を粉末にするのではなく、煎じて飲む、いわばガブ飲みする喫茶法だった。
砂塵舞う乾燥した大陸風土は喉が渇く。そこにこのガブ飲みは実によく見合った。禅思想をからめた少量摂取な喫茶でなく、客人の椀にはたえずナミナミ注ぎ… 水分補給の実利を共なった今に至る飲茶手法。
だから、ある視点から見れば、中国は茶の発祥地ではあっても、抹茶による茶湯の本場とはいいがたい…。
といって、日本が本場と云いたいワケでない。
地理的な幸運条件と、国土の90パーセント以上が山で人の密集度が高かったゆえの定着と発展… であっただけかも知れないのだから。
何事かを契機に何事かが失われ、同時に何事かが生まれるという次第は、昔も今もかわらない。



しかし、「茶」というのは不思議なほどに拡がりがあって、オモシロイ。
元にあるのはチャノキ(茶の木)のみ。
そこから抹茶やら煎茶やら緑茶やら紅茶やらヤギのミルクと一緒にグツグツするのやらやら、多様に拡散しているんだから壮観。
米国を造った、英国から分離の方々はどうしてコーヒーに向かったのかしら?
さほど考えるまでもなく、インド・セイロン経由の物産は英国がしっかり押さえてるんだもん、手に入らないワケだ。なので大陸続きな南米のコーヒー豆で代用という次第が、しだいに定着し、気づいたら、それがなけりゃ朝がはじまらない… となったに過ぎない。
実際はヨーロッパ圏では紅茶よりコーヒーの時代の方がながいけど、米国はその建国の代償として紅茶を失ったというワケなのだ。



北アメリカ大陸には、方々が入植時、空が真っ黒になるほどハトがいた。
集団で移動するので、リョコウバトの名をつけた。少なく見積もっても、50億羽いたと推定される。これのお肉が柔らかで実に美味しい。
そこで獲りにとり喰いにくった。脂っぽくなった口を洗い、かつ呑み込むのに、薄いコーヒーがこれに実に見合った。
コーヒーは肉にぴったりマッチし、ここでもガブ飲み。大量消費の先陣がここにはじまった。
だけど、気づくとリョコウバトは激減。
保護にかかった時はもう手遅れだった。
悲しいかな、リョコウバトの産卵期は年に1度きりで、しかもタマゴは1ケのみという、もろい種族だった。それを喰いにくいしたワケだ…。



映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』は1885年が舞台だけど、マーティのご先祖一家(マクフライ家)の食卓シーンは野ウサギだった。その頃にはもはやリョコウバトはひどく減少し、買うにしても高額で、貧しいマクフライ家のディナーには登場しないというワケなのだ。


保護されていた最後の1羽は1914年の9月1日のお昼1時に、老衰で死んだ。
1つの種がヒトの欲望で絶滅した、記録に残る最初にして唯一の事例だ。
最後の1羽は雌でマーサと名づけられ、今は剥製となってスミソニアンに展示されている。
ま〜、コーヒーを悪者にする気はないけどね、絶滅の目撃者だったとは云えるかもしれない…。
(マーサは建国の父ジョージ・ワシントンの奧さんの名)



古代エジプトの食物誌を眺めるに、ミルク、果汁、ビール、ワインはあるけれど、休息や安穏を意味するところの"茶"に類するものはない。
文献の多さから察し、おそらくはビール(ホップは入っていなくって苦みなく、ドロッとした低アルコール、逆に度数が高いのもあったようだけど、ストローで呑む)がそれに該当していたろうとは思うけど、分別しちゃえば酒なんだから、かなりニュアンスが違う。
もしそこに茶があったなら古代エジプト文明もまた相当に変わったものになったろうとも思うけど、なかったんだから、ま〜、しゃ〜ない。
エジプト文明と中国(黄河)文明の最大の違いは、チャノキがあったかなかったか… という一点で括ってみるのもオモシロイ気がする。