横山光輝とブリューゲルと宮崎駿

京都の模型メーカー・(有)キャストの生嶋代表から本が送られてきた。
横山光輝 生誕80周年記念 MY Forevermore』
没後10年。横山御大の関係者一同が諸々の原稿を寄せた大判。
もう10年になるのか… と、ページをめくる。

昭和56年のインタビュー記事に眼がとまる。
御大は『バビル2世』に触れ、ブリューゲルの絵に触発されたとある。
連載開始時には塔を細やかに描き込んでたけど、だんだん描かなくなったのは、複数の連載の締め切りに追われて塔を描写する時間がなくって、ま〜、それで砂嵐で誤魔化す… と回想していて面白い。巻末の年譜をみると、当時、途方もない量の仕事をこなしてるのが判る。
(しかし没後10年というのに未だに横山光輝全集が刊行されないのはキッカイだ)
いや、しかし良いタイミングに贈ってくれたもんだ。生嶋氏に感謝。御本人の記事は、えっと、おっ、アルフィーの高見沢氏のページからちょっとめくったトコロに有るアル。しかし、アルフィー… そっか、ステージに鉄人28号が出たりするのか。ぅぅぅ、洗練とは云いがたいなぁ。


ま、アルフィーは放っておいて、なにが良いタイミングかというと、実にたまたまブリューゲル関連の本に眼をとおしていた矢先だったという、まっ、それだけのことだけど、小さな連鎖が起きたようでチョット面白がれた。
贈られた本の、作家の年譜を眺めてつい思ってしまうのだけど、横山光輝宮崎駿も膨大な量の絵を描いてるから「すげ〜〜」となるけど、ブリューゲルも1枚の中の骨密度が「すげ〜」ことはいうまでもない。
いったい何人の人で埋まってるのかと数えるのもアホらしいくらい、な勢い。

だから当然、ブリューゲル作品は縮小された図版でしかない画集なんぞでは、情報不足がはなはだしい。
情報という単語が近頃ボクはミョ〜に嫌いになりつつあるけど、ま〜、しかたない。
縮小されて細部がつぶれてしまって、伝わるべきが伝わってこない。


たとえば、『雪中の狩人』はボクが中学の時の教科書に載っていて、他の画家の絵に較べて着目度数が違ってた。眺めて飽きがこなかった。
他の絵は概ねで時計が止まっているのにブリューゲルだけは何やら時計が廻ってる感があった。
たくさんの物語が画中全域で進行していると判るから、そこにさらに妄想をくわえ、いわばその静止画をアニメーション的動画ととらえて、まこと勝手に、次のシーンを考えたり出来たのが、好きだった。
けども教科書の図版はとにかく小さい。たまさかボクは上記のようなアンバイで空想を挟みいれて愉しんだけど、実は絵の奥の方、画面のほぼ真ん中あたりで、下写真のような物語が進行していようとは思ってもいなかった。これを知ったのははるか後年だ。

「わ〜っ!」
と、それでビックラしつつ、かつての教科書が入門書にも至らないツマランもんだったのだなと… あらためて認識したもんだった。
だから、ブリューゲルを見るには、やはりその本物を直かに見なくちゃ〜、"見たぞ"と云いきれない。


それゆえに、宮崎駿がたしか『天空の城ラピュタ』を創る前だかに、わざわざ、本物の『バベルの塔』を見学にウィーンの美術史美術館に出向いたという事を最近になって知って、いささかの羨望とかなりの賞賛を禁じ得なかった。

1563年に描かれた実物のそれは高さが1mを少し越え、幅が2mに近い巨大なものだから、画集が幾ら大判になっても追いつかない。ボクの手元にあるその1つはやや大判に属してるけども見開いても左右あわせて40センチほど。模型に例えるなら本物のおよそ5分の1というワケで、やはり縮小に伴ってディティールの克明は失われる。完全再現じゃ〜ないワケだ。
細部に重要なものが多々あるブリューゲル作品に本気で接するには、やはり宮崎式に出向いていくしかない。
まさか、バベルの塔に街中と変わらない光景があるとは… 画集じゃ判らない細部の克明が山とある。

わざにブリューゲル作品を見にヨーロッパへ出向いた宮崎駿の映画を解くには、ブリューゲルの中にある味付けを思わなきゃいけない。
1つの要は好きに解釈してくれ〜、なのだ。
もう1つの要は、画家あるいはアニメーション映画の監督は、細部において、どこまで自作で愉しめるか、あるいは愉しんでいるのか、なのだ。
バベルの塔』を描いてるさなかのブリューゲルは、おそらく相当に良い時間を過ごしてる。描き出す醍醐味にもう愉しくって夜も眠られない、お布団の中で両足バタバタさせちゃうな感じだったんじゃなかろうか。
布団の中、食事のさなか、たえず部分の構想が涌いて、その積み上げとしての巨大な絵画の中の細部、細部の集合としての『バベルの塔』をいつまででも描き続けていたかったんじゃなかろうか。
ともあれブリューゲルはそのパッチワーク作業に成功し、宮崎はちょっと『ポニョ…』の辺りじゃしくじったりもしてる気配なれど、共々、自身の空想の断片を1つのフレームに収めようとしてるのは一致だ。だからストーリーはあるんだけども一方でそれは曖昧なものでもあって、眺める側としては、そのストーリーを追っかけるのではなくって、部分を面白がればイイわけだ。
と、書いてしまうとあまりに太平楽過ぎじゃあるし、ちょっとしくじったの記述もそれはこっちの解釈であって、当の宮崎監督にしてみりゃ、それしかございませんの組み立てであったろうから、解読の面白さはいつまでも継続するんだ。
いや、そもそも、解読というのがおかしいのかも知れない。
宮崎駿作品はシーンの1つ1つを愉しみ、ストーリーにはこだわず、型にはめなきゃ、眼を固定しなきゃ、イイのだ。ま〜もっとも、ボクらは映画をどうしてもストーリーで"見たがる"んで、いきおいシーンを愉しみましょうといってもなかなか難しいのじゃあるけど、少なくとも『ポニョ…』や『ハウルの動く城』は、ブリューゲル作品を観るように見りゃばいいのだ。こちらの空想なり妄想を加え見てもイイわけなのだ。


今、ボクがブリューゲル作品で1番に惹かれるのは、『怠け者の天国』だ。
右手に寝そべる腕枕の人物が気になってしかたない。
眼が開いてるでしょ。
空を眺めてるでしょ。
虚無が襲来して、
「俺、このままでイイんだろか?」
な、放蕩の限りを尽くした後の嗚呼無情って感もあるし、いっそ逆に、
「まだまだ俺、淫蕩三昧に徹してね〜な〜」
とも、とれそうだ。
服装と体形、小脇のノートだか本から、この人がそれなりの身分と教養と収入とある種の権利と権威をもって他者とはほんの少し違う人とは判るけど、そのご身分をどこか今その瞬間には放棄して、ただ静かに息づいてらっしゃるのが、どうも気になってしかたない。
この人物は醒めている。いや、自身を哀しんでいる。いや、天空を眺めて虚無なはかなさにヒッソリ哲学してる… と、どのようにも解釈出来るのを、なんとか自己流で1つの心象として彼の眼を解釈したくってたまらなくって、なので1番なのだ。


そばにある卵らしきが日本の平安期の頃の百鬼夜行みたいに妖怪変化し、左のパン(北欧の国の結婚のパーティなどででてくるブライというものらしい。タルトのようなもんか?)の屋根といい。右側背後の包丁が刺さるブタといい、既にそこは冥界のようでもあるし、そうするとこの絵はタイトルの通り、天国を描いたのか、あるいはその逆で実はそうやって寝倒れていなきゃならないタイプの煉獄なのか… など、どのようにも想像出来てしまうから… 困ったまま眺める時間がながくなって… 結局は愉しい時間を過ごせてるって〜ことになるんだ。

なのでボクはその愉しみの延長として、宮崎駿ブリューゲルの伝記みたいな映画を、文字通り型にはめないカタチで、「どこが伝記や?」と思ってしまうくらいなのを創ってもらえたらイイなぁと、引退宣言を無視してまたぞろ勝手に思ったりしてるんだ、この頃は。
フェルメール同様にブリューゲルという作家は謎多き存在で、生涯の半ばでネーデルランド(ベルギー界隈)からイタリアにただ1度っきり旅行したというコトしか判ってないようだから、だから余計に魅惑の濃度が濃いから、そこをブリューゲル的着想の末裔かもしれない宮崎駿監督の眼を通しての"旅の光景"を見せてもらいたいと、そう思うんだ。

鴨図

先日。「ネギしょって来い」との仰せ。割りと早い夕の6時にお邪魔ムシ。マ〜ちゃん宅で靴をぬぐ。
鴨鍋。
湯気に心躍って箸がはしゃぐ。
何度かベランダに出てシガレットをくゆらせ、そのたびに遭遇の、岡山駅にユルユルと入ってくる16輌編成の新幹線を眺める。ついでちょっと夜空を見遣って、鴨だか雁だかでも飛んでりゃ絵になるな〜と北叟笑む。むろん、そんなものは飛んでない。
こういう愉しく美味しい時間は高速で進む。アッという間に日付けが変わってる。


掛け軸には鴨を題材にしたのがけっこう、有るな。
別段どって〜こともない、シゲシゲ眺めて眼を細める程もなく、いささか退屈な趣きが拭えないけど、ま〜、それゆえ床の間の一等地にぶら下がって部屋をいっそう静めにの効能があるんだろう。
水面に浮くし、空も飛ぶし、雀よりは絵になりやすい。

室町の時代に、比較的大掛かりな庭池を所有する身分な者が池に鴨を放していたのも、頷ける。
6代目将軍の足利義教(よしのり)は敵対する赤松家の屋敷内で暗殺されたけど、赤松満祐に「庭の泉水で鴨が子を産み、それが並んで泳いでるんでカワイイから見に来てね」と申し出られて、つい気を弛め、
「うふ、かわいいのね。それ、みたいな〜」
ノコノコ出かけていって殺された、というようなカモになった話もある。
もちろん一方じゃ鴨は食料だったワケで、大坂城築城で束の間落ち着いた時期、秀吉は鴨の飼育を推奨したともいうし、鴨肉の消臭効果としてネギやらセリやらはアンガイ古い時代から相性良きものとして知られていたようだ。
「芹の上 鴨昼寝して うなされる」
と、江戸時代の川柳にもある。(誹風柳多留)
これが転じて、「鴨がネギ背負って…」というシュールなことわざになったのか、それとも逆であったかは今となっちゃ〜、もう判らない。
けども、それっくらいにカモと、セリだかネギだかが相性のいいカップルとして広く認知されてたというコトにはなる。
新撰組の芹沢が"芸名"を芹沢鴨としたのも、ま〜、そういう流れの駄洒落だけど、短絡でセンスが良いとはいいがたいのは… この人物の履歴を紐解くまでもない。
ともあれ龍馬が軍鶏(しゃも)ならコッチは鴨と… 京の都のあちゃこちゃで鍋が煮えたことには違いない。予想外に熱い豆腐にいずれもが舌を焼かれて、ハフハフ… となったに違いない。



鴨を"食材"として最初に描いた画家は明治の高橋由一だろうけど、妙なところに眼をつけたもんだ。
泳いだり飛んだりの鴨ではなくって、すでにシメられてグッタリ状態で板にのせられた場面なんだから、これはま〜、明治で初めて導入の油絵技法と相まって、革新だ。
この人の作品では、『鮭』があまりに有名だけど、それとて"食材"としての鮭を描いてるんだから、やはり妙な視線を持った人だったんだろうと思う。

しかもこの『鮭』はでっかくて、たしか複数描かれた内の1枚は120センチくらいの背丈だったような…。
なぜそんなに大きいのだろう? 紐で吊られた鮭から脂分が抜けていく様子を油でペイントするというところに密かにユーモアを感じたろうか? 
あるいは"オイル・オン・キャンバス"の二重奏を革新として意識し、そこを見せるにはよりデッカクに… だったのだろうか?



さてと残念ながらボクは『鴨図』の実物を見たことがない。オイルを意識したかも知れない『鮭図』と違い、こちらは実に淡々と、いかにも静物画っぽい構図じゃあるるけれど、鴨の周辺を仔細に見るとどうやら、やはり諸々な、いかにもお鍋向きの食材が描かれ配置されても、いるよう思える。
『鴨図』は山口県立美術館にある。
機会あらば直かに見て、曲がった鴨の首の右手に描かれている植物らしきが芹なのかどうかを確認したい…。でもって、食欲そそられ、またぞろ、
「鴨鍋しよ〜よ〜!」
と、なるかどうかもチェックだな、この場合。
まだ全身に毛がついた鳥にストレートに食欲をもよおす… ということは何だか希有な感触とも思えるし、でも例えば、NHKでかつてやってた『シャーロック・ホームズ』では、盗んだダイヤを七面鳥に呑み込ませてる事件があって、そこで描かれた生きた七面鳥とグッタリの七面鳥にはいささか"美味しい"ものを感じたりもしたから、どの瞬間で"生き物"から"食い物"に自分の中で変化が起きるのかも… 要チェックというわけだ。