10ヶ月ぶり秋本節

 

 馴染んだ店で馴染んだミュージシャンのライブ。

 10ヶ月ぶりの秋本節(たかし)のギターと歌。

 同じ店、同じ場所で昨年末に堪能したDATE SOLOライブ以後、ナマの演奏を聴いていなかった。

 ま~、そんなもんだ。

 DATE氏のライブでは清涼な湖に身を浸して活力を頂戴するような充足と満足があったけど、こたびもまた、乾いた皮膚に潤いがもたらされ、

「ふふふっ」

 当方ひそかに、喜色を浮かせ彼の数多のバラードに耳をかたむける。

 1月はなぁ~にもナマで聴いていないけど、年末時とこたびと、まことに美味しい馳走を連続で味わえた至福にひたるんだった。

 当然にご両者のキャラクターは違うけど、その違いが旨味というか、味わいの芯。そのヒトの姿カタチに萌える。

 比較としてではなく、好感寄せているミュージシャンの演奏をナマで聴けるその幸に、身体もココロも悦んでいるんだった。

   

 終演後は階下に下りての打ち上げとなるけど、そのさいはいつも、演奏をおえたばかりのミュージシャンと、どのような距離感をからませて喋るべきか……、考える。

 ステージから降りたばかりできっとくたびれているハズだし、チャプチャプチャプとこちらの思いを告げて自己満足って~のはイカンだろう。そう常に警戒というか戒めというか、意識的に距離をあけておこうとしている自分がいる。

 エネルギーを放出したミュージシャンと、エネルギーをもらったオーディエンスとの区別を、その場ではキチリ仕分けておかなきゃ~ミュージシャンに申し訳ないと思っている。

 ま~、その頃合いがいまだよく判らんのだけど、ともあれ、楽器を鳴らし歌声を披露するヒトに向けての憧れがボクには強い。

 羨ましい……、のだね。真似できない高みにミュージシャンはいるワケで。

 さらに加えて申せば、たとえばこの秋本は29年前の1月17日、住まう神戸で激震に見舞われ、かろうじて家から脱出し、眼の前の凄惨な光景に息を吞んだけども、その悲痛を越えた、あるいは越えるべく意識を内から外に向けた辺りから彼の曲は変化し、平易なラブソングではなくなって、より浸透性の深い愛の唄に変化しているようだ……、と当方ひそかに勝手に考察なんぞしちゃったりして、そんな風に考えさせてくれるシンガーという存在に興を惹かれてもいる。

 

 ま~、そんな理屈はどうでもイイか。ハッハッハ。

 ともあれ数時間、好んでいるミュージシャンとすごせる至福は何事にも代えがたい。打ち上げ時の差し入れ、M.Wakameちゃんのポテトサラダとキモ煮もメチャな御馳走でござんした。

   

 ロシアのナワリヌイ氏の不可解な”突然死”や、ミャンマーの非合法政権による徴兵制発動での若者洗脳化、などなど、いまだ人類が中世だの戦国時代だのの暗澹真っ暗な中にあるコトを証しているようで、ニュースが耳にはいるたび、いよいよこの浮世が嫌になっちゃうのだけども、音楽は、嫌になっちゃう時代の中でほぼ唯一の光明のような気がして、いけない。

 政治的空気の中の小汚い戦慄の、その真反対な美しき旋律のみが、今のところは唯一のヒトをヒトたらしめる奏であり、砦なんだろう。

 と、ま~、そんな思いに駆られもしつつ、身近にいてくれるミュージシャンズに濃い有り難みを感じている今日この頃。

2001年宇宙の旅:Orion Ⅲ

 

 ご近所のラブリ〜・タケちゃんがくれたチョコをありがたく囓りつつ、さて本題。

1月末頃だったか、眠ろうとして眠れない晩があり、羊をかぞえるのも何だしと弱ってたら、アタマの中に「美しく青きドナウ」の旋律が駆けた。

 綺麗な曲だわいねぇ。

 しばしはメロディを追ったが、この曲、「美しく青き」だったかな? 「青く美しき」だったかな?

 どっちだドナウ?

 と、気になりだした。そうすると眠ちゃお~という努力は揮発してしまう。

 ベッドから起き出し服をつけ、階下に下りて、暖房をつけ、iMacたちあげてウィキペディアで文字を拾った。

 あ、そうか。やはり「美しく青き」が“正しい”のだね、と納得。

 興がノッたので書棚から『2001年宇宙の旅』のBlu-rayを取り出し、モニターではなく久しぶりにスクリーンを下ろし、プロジェクター投影で観た。

 とはいえもう何10回も観た作品。早送りし、かの曲を背景に、宇宙ステーションにパンナムオリオン号が向かうシーンを観る。

 何度観ても、優雅かつ美しいシーン。

 ヨハン・シュトラウス2世とスタンリー・キューブリックの最高の組み合わせ。というよりも、「美しき青きドナウ」を宇宙空間に運んだキューブリックの着想に乾杯だなぁと感慨しつつ、ふと思いだし、amazonでオリオン号を検索。

 たしか去年の5月頃だかに、大きなサイズのプラスチック・モデルが出る予告があったよな。あれはどうなったんかしら……、何気なく探してみるんだったが、

「あらっ」

 驚いた。

 もう既に販売され、少量生産か、第1期輸入品は完売し、2期目が少々在庫というコトのようだったけど、なんか~、値段があがってら。

 確か2万円弱くらいとおぼえてたけど、3万を越えてるじゃんか……。

 円安ゆえ? 少量品ゆえの時価

 このままだとプレミア価格となってバッカみたいな値段になるかもしれない。

 悪しき予感がし、さて、そうなると、今のうちに……、というヘンテコ気分が急速に湧くんだった。

 

 去年暮れに海洋堂の「太陽の塔」を使ってディオラマ化したさい、

「もうこれでプラスチックの模型は造るコトはあるまいよ」

 と、確信的に思ったもんだったが、確信は、お豆腐の上に建ったビルディング……。

 もろいなぁ~。

 くわえて、この模型を製造販売の米国メビウスモデルズ社のことを兼々に好意的にとっている。 

 60年代頃のマニアックなSF系のモノや同時代の車などに軸足を置いて模型展開している極度に趣味性の高いメーカーで、ここが作ったモノなら信用していいという気も高い。

 

 という次第で2月になって大きなが届いてしまった。

 届いたら、すぐに開けてみるのが礼儀って~もんだ。

 手にし、軽度な仮組み。

 なるほど、1/72スケール。確かに大きい

 オリオン号の模型は複数持ってはいるけど、いずれもスモール。これは比較にならないサイズとディティール。

メビウスモデルズは1/350などスケール違いで幾つかオリオン号を販売してる)

 コクピットや客室部分もある。映画でのあのカタチを踏襲し、巧妙に再現している。

「いいじゃないか」

 ニッコリする。

 とはいえ、この宇宙船(米国ではオリオン号というよりスペース・クリッパーの名で通ってる。クリッパーとは帆船だ - スペースシャトル的客船だ)の窓は小さいから、そこに顔を寄せて覗きこんだって、そ~そ~内部は見えないであろうコトも、一目瞭然。

 どのように造りこんでも、船体を組み上げてしまえば、内部はほぼ見えなくなる。

 が~、それでも、いざ作業をはじめると、造り込んでしまうのがサガって~もんだ。模型ならはでの悲劇か喜劇か判らないけど、要は工作の満足度合いのバロメーターじゃね。チョイと加工したり塗装するコトで、

「あのカタチをこの手にしたぞ~」

 って~な、納得と得心をえるワケだね。

 模型全長は76センチほど。パーツを合わせつつ工作をどう進めるか、LED発光で航空灯などのギミックも仕込めるな……。クリアで綺麗だけど付属台座は使わないな……。早や検討している私っ。開封してまだ15分と経っていないのに。

 しかし、あんのじょうというか、パンナムのロゴがないんだ。デカール入ってないんだ。

 パンナムパンアメリカン航空)は、60~70年代は世界最大の航空会社、航空界のハナガタ企業だったけど1991年に倒産している。でも商標権は今もいきていて、現在の管財会社は容易に使用許可を出さないんだね。

 ナンギじゃねぇ。

 なので昨日、イラストレーターで作図を試みた。

 模型の該当部分のサイズを測り、径31mmどんぴしゃサイズのデカールを造る下ごしらえ。

 パンナムのロゴはネットで調べりゃ容易に見いだせるけど、ここで注意すべきは、そのデザインがいつのモノかということだな。

 

 実は2つ、あるんだ。

 もっとも知られているのが1970年頃にジョセフ・モンゴメリーがデザインしたロゴ。

 で、もう1つが1957年にパンナム社のデザイン・コンサルトだった建築家のエドワード・ララビー・バーンズが造ったロゴ。

 とてもよく似ているけど、絶妙に2つは違うのだ。PAN AMERICANのフルロゴも右方向にヒゲが伸びた独特なもの。

 映画『2001年宇宙の旅』はパンナムから使用権を得て60年代に製作されているワケで、当然に機体に描かれているのは、1957年にバーンズ氏がデザインしたロゴなのだ。

 

 というワケで版下造り完了――。

 まだ手元にデカール用紙はないし、電飾用LEDもないから、工作は後日だな。来月になるかな?

 あの夜、素直に眠れていたら、こんなコトになるハズはなく、3万円越えの出費もなかったろうとヤヤ後悔めいた感じもなくはないけど、これも宿縁か? あるいは宿怨か?

 ぬかるんだ模型の道をヨタヨタまた歩みつつ、クツクツっと笑う今日この頃。

 

 ゼッタイに見えなくなるコクピット部分パーツと、見えなくとも創ってしまったコクピット・パネルのイラストレーターによるディスプレー部分。実寸横幅22mmの極小。

 

 ちなみに上は、1982年にバーンズ氏が設計したニューヨークのIBM本社外観。ポストモダニズム建築の代表例。

 岡山市北区柳川交差点そばのグレースタワーⅢは、このテーストをチビッと模したようなカタチじゃないかしら。3階だか4階テラス部分に「たま大明神」があるのが愛嬌。グリーンで覆われたテラスは誰でも入れるけどアピール不足か?

 見せようとしてないのかな?

 1F部分にはライブ・スペースもあって、下写真は2019年4月19日撮影。小雨で肌寒かったよう記憶するが、馴染んだ方々のたのしい演奏で気づくと寒さはどっかへ飛んでってた、な。

 

2月茫洋

 

 3日節分の日に大勢の参拝者にまぎれて最上稲荷へ知人も参じ、運良くゲットした開運福豆を1つくれたのだった。

「へぇ、こんな袋に入ってるんだねぇ」

 とか云いつつ、ありがたや。労ぜすして運を開いてもらい、開封してポリポリかじるんだった。

 意外と美味しい。

 

 2月の岡山市は、昼と夜の寒暖差はあれども、陽射しがある白昼はホンマに2月なの? と訝しむような感触もあって、事実そんな日の午後、近所のスーパーにはTシャツ1枚に短パンという、粋がってるんだか、威勢がいいのか、耐寒能力が高いのか、そこは不明だけどもそんなイデタチの若いのが野菜を物色していたりする。

 過日、関東方面が大雪に見舞われた日も、こちらは雨がチョメチョメ降るだけで白いのが舞うことがなく、日中気温も5~6度あって、肌寒いことは肌寒いけど、およそ……、厳寒の砌(みぎり)に遠い。

 そのせいで、陽射しがあると庭池の金魚も浮上し、水面近くで、コタツにあたっているようなアンバイでジ~ッとしてる。

 過去、2月にこんなシーンを見たおぼえがない。

 3月下旬頃まで金魚は水底に沈み、仮眠というか休眠状態で、動かない。

 なので2月に金魚の姿など見たことがなかったんだけど、今年は早や、起き出してる。

 寒くなれば休眠という代謝リズムの中に金魚はあるワケだけど、この2月は気温がひどく下がらず、陽射しがあれば水温もあがるから、それで休眠を解かれている……。

 トンネルを抜けると雪国だった、という鮮烈は知っているけれど、鮮烈もない茫洋だけの季節のない2月という感じが拭えない。

 金魚も、「何で?」と思ってやしないか。

 去年、水温が10度を下廻った頃に、鉢植えにして室内に入れた4株ほどの布袋草は、息をつぎ、緑の葉も残っている。

 一方で庭池に取り残したのは、とっくに死滅した。

 なんだか、明暗別れて噫無情……。ま~、しかたない。

 

 昔々、なが~く続いた旧石器時代から縄文時代弥生時代は、自然サイクルに人間も従った時代といってよい。

 縦穴住宅内で火をくべて暖をとり、秋に貯め込んだ栗やら何やら日持ち良い食品食べつつ越冬し、春を待つ。さほど金魚と変わらない。

 たまに、陽射しが温かいようなら、家から出て、雪景色の中で、乾いた木切れを手にして、切り株の端っこ辺りを無心で叩いたりして、原初の太鼓がもたらす音に昂揚したかも知れない。

 弦楽器の最古のモノは意外や日本にあり、2012年に八戸市の是川中居遺跡から出土した木製品がそれで、およそ3000年前の縄文時代の終わり頃の品だという。

 機織りの道具という説もあって楽器と確定されたワケではないが、構造上、弦をはって弾く楽器的なモノだった可能性が高いらしいが、ここで書いてるのは縄文の終わりでなく、もっと前の旧石器時代か縄文初期頃の、打楽器的モノの想像話。

 

 誰かさんが切り株を叩いてるその音を聴いて隣家の家族も出てきて、その中にいる子供が真似て同じように音を出したかも知れない。

 どうやったら心地良く響くか、どうすれば2つの音に違和感がなくなるか……、小さな集落初のリズム教室のスタートだ。

 メロディはまだ登場せず、ひたすら周期的な音に興が集中し、単調ながらもそれを刻み続ける醍醐味に演奏者は炯々と瞳をはったろう。周りを囲ったヒト達も、なんだかイイ気持ちを味わい、

「何で心地良いんかしら?」

 不思議にくるまれたであろうコトはまちがいない。

 リズムは数式でもあり、時計の秒針同様「時間の均等分割」という高度なワザでもあって、そこは意識されないまま奏者は夢中になり、トン・トン・トン・トンとうまく叩いてる内たまに、トトンとか入ったりすると、よりグレードアップな醍醐味もおぼえて熱くなる。ますます叩くのを止められなくなる。

 日本の音楽史のスタートは、ま~、そんなもんだろうと想像する。誰に教わったでもなく叩き出したヒトは元祖ストリート系ドラマーだったといってヨイ。

     

 で、なにかのおり、一山向こうの集落のヒト達との会合だかで切り株叩いて披露したら、その集落にも似たようなヤツがいて、なんと自分用の小さい丸太を持っていて、それを叩く。

 もちろんそのヒトはまだ楽器という概念も持ち合わせてはいなかったろうけど、ともあれこうなると、どちらが元祖だか判らなくなりもするが、先陣争いなく2人が叩き合い、日本初のセッションがここに実現してシ~ンは大きく前進するのだった……、というようなコトを想像した今日の昼間。

 

 問題は、やがて野火のように広まったリズム叩きという行為に、誰がどうやってメロディを乗っけていったかだなぁ。難しいぜぇコレは。

 声だか何らかの道具で高低やら強弱をつけた連続音を出すという至難。

 しかし乗っかった途端、革命というよりもビッグバンに相応の炸裂が起き、リズムとメロデイによるグルーヴィー、ミュージックというカタチが誕生したわけだから凄いのだ……。

 

 と、そんな想像してたら、なぜか当方のアタマの右から左へとシンディ・ローパーの顔がよぎったのは、変だった。

 で、現実に戻り、ぁあ、彼女ももう70歳越えてるんかぁ。ま~、そんなもんだねぇ。などと感慨しつつ、「タイム・アフター・タイム」を聴きたくなった。文章の流れから云えばキャンディーズの「もうすぐハ~ルですんねぇ~♪ 恋をしてみませんか♪」あたりが都合いいのだけど、そうはいかずで、でも……、春を待つこと変わりなし。

 

     

 

ジョジョ・ラビット

   

 映画『ジョジョ・ラビット』は、いささか珍しいタイプの破壊力ある傑作だった。

 巻頭での、ナチス政権がもたらしてくれるであろう明るい未来を信じて熱狂するドイツ国民の記録映像とビートルズのドイツ語版『抱きしめたい』の取り合わせにめんくらい、けどもオモシロイ試みだな、なるほど、ヒットラーに向けての愛とて、かつて本当にあったワケで、そこにラブ・ソングを介在させておかしくないや……、次の展開はいかにと期待したものの、冗長なギャグめいたシーンの連打にヤヤ退屈をおぼえ、途中まで観て、そのまま放置していたのだけど、去年10月だったかプチパインのY子さんが、

「観たか?」

 問うてきて、こちらが全部観ていないと判ると、ふくよかモナリザ的な謎の笑みを浮かべて口を閉じたので、

「おやっ?!」

 と思った次第。彼女が微笑のさいは要注意だ。

 帰宅して、あらためて全編とおし観た。

 微笑の謎が解けた。当方も喜色した。

 で、以後、再見するコト複数回。

   

 この映画、スカーレット・ヨハンソン演じる母親の不幸あたりから味が染み出しはじめる。

 鍋が煮えだすんだ。冷めて硬い素材たちが、ニンジン、ポテト、オニオンたちが自身の味を発揮しつつ、合唱をはじめるんだ。

 法外な黒雲のようなユーモアと激痛めいた真面目が2つの車輪となって駆け続け、周辺の影響でヒットラーを教祖的に仰ぐ10歳の少年と、少年宅の屋根裏に隠れ住む16歳くらいの少女とが、1つのお鍋の中で煮たって……、驚くべきな結末部分へと至る。

 

 ごく個人的にはナチス将校役のサム・ロックウェルと身長2mのゲジュタポ役のS・マーチャントの、辛辣と滑稽スットボケ共存の面白さにも眼を奪われたが、主題を際立たせる重要な役回り。

 

 最終シーン、リルケ詩編が英文で出て、その背後でかのシンガーのかの象徴的な曲がドイツ語で流れる。

 日本語字幕は、リルケを訳して出てくるけど、背景曲の日本語訳は出てこない。

 

 Let everything happen to you

Beauty and terror

Just keep going

No feeling is final.

      -Rainer Maria Rilke

すべてを体験せよ

美しさも怖さも

活き続けよ

絶望が最後じゃない

        -リルケ 

 

 この4行はリルケの3部構成の大作『時禱書』、「Go to the Limits of Your Longing(直訳すれば「憧れの限界へ)」の後半部の引用だとおもう。

 岩波文庫リルケ詩集』で翻訳を探したが、全13行(英語版では)と短い作品ながら本書では割愛されているようだ。残念。

       

 映画での詩の活用は……、リルケが悪いわけはないけども、実は、この一点が激烈に惜しい、とボクはおもうんだ。

 おそらくは、映画化にさいして原作者との取り決め、ないしは原作者の要望として映画のラストをその文字で括れという次第があったように思えるがこと字幕に関しては、むしろ、いっそ、流れる曲、ドイツ語で唄われるその歌詞を訳して見せるべきだったと、強く思う。

 

 それを日本語として書けば、こうなる。

僕が王になり 

君は女王になる

誰もそいつらを追い出せないけど

そいつらを打ち負かせる 1日だけなら

僕たちはヒーローになれる 1日だけなら

 

僕は思い出せる

壁際に立つ

頭の上で銃声が鳴り響く

何事もなかったように僕たちはキスする

恥ずべきはそいつらだ

僕たちは永遠に打ち負かせる

僕たちはヒーローになれる 1日だけなら

 

 ほぼまちがいなく、監督を務めヒットラー役も演じたダイカ・ワイティティは、クリスティーン・ルーネンスの原作「Caging Skies」(翻訳本は出ていない)を映像として膨らませたさい、リルケ詩編のそれではなく、かの歌の意味するところと歴史的背景を中心に置いて映画を組み立てたに違いない。

 あの歌、ありき。

 いっさい、そこに持っていくがための展開だったよう、思える。

 彼は原作をうまく捏ねて団子にし、ブラックペパーじゃなくブラックユーモアとスラップスティックな辛みをたっぷりまぶしたストーリーに組み立てなおし、そのうえであの結末に持ってった。

 映画化の根底には、1987年の、ベルリンの壁の前でのあの時のライブが監督の脳裏にあったろう……、思える。いや、確実にそうだろう。

(やたらと、“あの”と書いてるのはネタバレとなるのを警戒してのコトだよ)

 圧巻のラストといっていい。

 街頭に出た少年と少女がゆっくりゆっくり身体を揺らせ、リズムとなり、やがて表情が緩んだ途端、画面は暗転し、かの曲が大きなボリュームで流れる。 

 この演出にギャフ~ン。一気に涙腺を破壊された。

 子供を中心に据えた反戦映画程度に思って見始めたのが、大きなマチガイ。

 何より主役の少年と少女がダントツに良く、まるでこの2人はこの映画のために生まれてきたんじゃないか? と訝しむホド素晴らしい。

 その起用の上での話の流れ。ラストのドイツ少年とユダヤ少女2人のみのセッションの凝縮。

 少年の中の転換と溶解、少女の中の困惑と怒りと次に来る許しの姿勢の萌芽。

 それを2人の身体の揺らぎで見せた演出の超絶な冴え……

 で、あの曲のガツ~ン!

 構えていたこちらのミットにまったく予期しなかった剛速球が飛んできた、その驚愕と狼狽。

 こういう手法もあったかぁ! かろうじてミットに収めると同時に嬉々させられ、一気に感涙。涙でベベチャになった頬っぺを拭うんだった。

 ま~、何度観ても、このラストであったかい涙がこぼれちまって、それはそれで困ったもんだけども、受け入れるということの大事をこの映画でも諭され、過日に買ったまま未封切りのBlu-rayベルリン・天使の詩』をそろそろ観なくてはとも思ったりしつつも、主役の2人のラストシーンでの笑顔に永遠の乾杯だ。

 

 未翻訳の原作はおよそコメディには遠いシリアスな内容で、結末もまったく違って暗く閉じられるようで……、なので、映画はあくまでもインスパイアされての成果ということになろうけど、これはこれで翻訳版がでれば読んではみたい。

 ぁ、いや、たぶん、映画とは異なると思えば、手にしても……、読まないような気がしないでもないが。

      

 

 

1月のおわり

 

 元旦初日からのひどいグラグラでなくなった方の冥福を祈りつつも、この1月が終わる。

 2日には羽田での瀬戸際脱出劇。

 数分遅れたら、えらい惨状となったのはマチガイなく、必然として「奇跡的」という語が生じたのも、ま~判らないではない。

 思えば、「ハドソン川の奇跡」もそうだった。

 実際の事件は2009年の1月15日だ。羽田同様、同じ1月だった。

 不時着水ゆえ火の恐怖でなく、こちらは水没の恐怖。真冬の水温氷点下ではヒトは長くは持たないんだけど、機長の巧みな着水とその後の誘導、近隣の船の駆けつけが功を奏した。(機体は着水して1時間弱で完全水没)

 ハドソン川の件は後に映画化されたけど、こたびの羽田もやがて映画だかになるのか? いや少なくとも日本映画は造られないな。もう一方の震災地に飛ぼうとした飛行機があまりに気の毒。

 ギリギリ瀬戸際でセーフだったという意味では、派閥パーティによる集団ネコババ行為での起訴をまぬがれた自民党醜悪議員諸氏の、「やれやれ、ほっ」といったズ~ズ~しいのもそうなんだろう。

 もちろん、祝福に価いしない。

 労せずして秘密収入を得て、ばれても尚、ナンだカンだと言いつくろってる連中が政治の中枢を担っているブザマをマノアタリにすれば、フランスや英国や米国なら国会取り巻いた大規模デモやら暴動が起きてあたりまえだけども、ニッポンはそうならないのが不思議。

 どこか……、我々は犠牲の儀の字に似た「蟻」と書く、集団でありつつ黙々しきった生き物っぽい。

 皆なで一押しすれば腐敗連中など容易に退場させられるとも思えるけど、近頃の日本共産党がごとく身内批判にエネルギー費やして昨日までの友を糾弾排除といった、小さく内向きに集団化してしまっちゃ~、グラグラした大地同様に不安定。お伽噺の門とて開かない。

 

 年末から新年にかけて、amazon primeが「ハリー・ポッター」シリーズ全8話を一挙配信したので、順おって観たんだけど、だんだん退屈になってったのは、こちらの感性が劣化しているゆえかしら? 

 3話までは映画館で観たけど、以後の作品は接していなかった。

 成長物語。3人の主役たちも子供から大人へ声変わりし、容貌も変化してと、そこはそれなりにヨロシイのだけども、同時に、コドモ→オトナへの移行が哀しく眼に映えたのも事実。

 大昔に読んだ「鉄腕アトム」第1話の天馬博士の悲哀を思いだしもした。

 天馬博士は亡くなった子供の代用としてアトムを創ったものの、背丈も伸びないアトムに苛立ってアトムを虐めてしまう次第ながら、グローイングアップの、受け入れ、あるいは拒絶、というようなコトが映画を観つつ常に明滅し、それが余計にハリー・ポッターの御伽に没頭できない足枷になったような気がしないでもなかった1月。

 

 過日にイトメン本社で買った「キャベツラーメン」が、珍しさも加わって、美味しかった。

 キャベツをメインにもってきた英断がキララっと光って秀逸。さらにキャベツ切って増量させ、ムキエビなど入れて、はんなりとした塩味を愉しんだ。

 次に出向いたさいにまた買うつもりながら、やはり「チャンポンめん」の旨味にまでは昇っていなくって、そこらあたりがイトメン社の課題だな……、小生意気な評論家みたいなコトを云いつつも、アイ・ラブ・イトメンに変わりなし。

 

 1月半ばに届いた、1970年当時の万国博覧会グッズ

 純然たる置き物で会場内で売られていたらしい。例によってオークションでの競り落とし。

 経年で外周金属フレームのメッキが剥離しかけていて、応急処置でビニール被せて保護したけど、中身は大丈夫。丸い青色の透明プラスチックが中のオブジェを浮き立たせてヨイ効果を出している。

 金ピカの大阪城と金銀にメッキされた太陽の塔が、安っぽいながらも大阪スーベニアンなテーストを醸し、1970年当時、お財布からお金出して、ついコレを買ってしまった方はきっと関西圏のヒトじゃなかったろうとヒッソリ想い、さらに54年後の今、私のところにやってきたゴエンを思ったり。

 会場でこれを買ったのが当時40代か50代くらいの人物と思えば、その方が亡くなって家財道具が親族の手で処分され……、それで古道具屋経由でオークションに出品されていたのかもと空想するワケだ。

 モノはモノを云わないけどモノガタリを秘める。

 

 秋に葉を落としたカリンが、すでに芽吹いている。

 寒い日もあれど長続きしない。やはり温暖化ゆえか?

 新芽が出るのは一見は喜ばしいけども、早く芽吹くと、生理障害を起こして病気になりがちだそうな……。2月はどんな気温となりますやら?

 

 それにしても能登半島壊滅的打撃……。

 観光資源も漁業も生活もメチャになってしまった深刻度合いの深さに衝撃されたまま、かの高名な一語「地の塩」ではないけども、近所のスーパーの応援セールで北陸方面のモノを買ったりするしかなかった1月ながら、続々更新される諸々なニュースの量に押されて、現在進行形の苦痛であるハズなのに、亡くなった方の四十九日もまだ済んでいないというのに、早や風化が進行しているようにも思えたり。

 

 ヴィム・ベンダースの『PERFECT DAYS』をシネマクレールで見終え、たかちゃんの店で吞みつつ夕食をとってるうちに、やたら『ベルリン・天使の詩』を観たくなる。

 “受け入れる”という一語とその行為がたえず明滅し、起承転結の物語ではなく、静かな力強さみたいなものを心が欲しがっている。

 たしかDVDがあったはずと帰宅後に書棚を探したけど見つからない。

 探すのをやめたら出てくるかもと一夜置いてみたけど、出てこない。

 なので翌々日にBlu-ray買ったけど、チャチャッと観るような映画じゃないんで、こちらの気分とピタリ符合した頃合いを待つことに、する。

 その代わりと云っちゃ~なんだけど、『PERFECT DAYS』で石川さゆりの横でギター伴奏していたあがた森魚のアルバムを連続で聴き、引いて満ち、満ちては退く、彼の海の波間に漂う。

 あがたは昨年11月末頃に「海洋憧憬映画週間」(仮題)という新アルバムのリリースを予定し、ご本人と当方のやりとりの中、その内の一曲をサンプルとして頂戴してもおり、期待を濃くしていたけれど、別アルバムに差し替えられ、1月になって販売を開始している。

 そのあたりの彼の心境の変化変遷をたどる必要はないけども、いみじくも結果としては、日本海側と太平洋側の相異はあれど、寒々として荒れた海洋光景のジャケットが、能登半島津波を含む震災とかぶさって……、この1月というヒトツキの流れをいっそう印象づけてくれた。

 

 

天下の御意見番

 

 昨日24日より30円も値上がって480円になっちまったビッグマックを頬ばり、ビール(発泡酒ですが)で流しこみながら、昔の東映映画を眺めるんだった。

 30代の頃からマクドナルドに行けば、ビッグマック2つを買う。

 いまだにこれが揺るがない。

 ご飯の類いは、ときに茶碗1つ分も食べられないホドに食が細っているけど、ビッグマックのみ、2ケ平らげられる。元気なのかそうでないのかよく判らんが、いいのだ、気にしない。

 気にすべきは、値上げだな……。毎日食べるワケもなく、せ~ぜ~2週に1回程度ながら、2022年10月に390円から410円になり、さらに450円になり、こたび480円。

 こんなトントン拍子、好かんなぁ〜。

 この値上げ連打の中でパッケージも去年10月に変更になってるけど、下写真の以前のもの方がよかったような気がしないではない。以前の方がビッグマックらしい迫力があったよう思え、なぜに文字を小さくしちゃったのかと訝しむ。

 

 で、東映映画。

 1962年作の『天下の御意見番』。

 日本映画の黄金期時代の作品。豪華にして絢爛。充実して活き活きとし、こういうのを眺めつつビッグマックを頬ばると、うまさまでが増量されるようで、30円値上げされた分を映像が取り戻してくれるような感もなくはない。

 ぁ、2ケだから60円だな。2022年のネダンで較べると180円分だな……。

 

    

 

 Blu-rayでなくDVDどまりの画質が残念ながら、ま~、いいのだ。

 ギドギドせず、ベタベタせず、刀は抜かれても血液らしきは描写されず、大勢のビッグ・スターが、驚くほどに贅沢に造られたセットの中で振る舞う演技を、ただもう見蕩れてりゃイイという娯楽黄金。

 馴染まない武家言葉でセリフの1/3くらいはよく判らないんだけども、そこも逆に醍醐味。

 

 いまどき造られる時代劇には、茶坊主なんぞは1人たりとも出て来ないけど、この映画ではしっかり描写され、上級武家の生態が垣間見えるんだから、たまらない。

 前々回に記した後楽園での池田家殿さんの生活でも、実は茶坊主が殿さんを支えている。

 格と身分による差別的社会であったにせよ、その格と身分をどう際立たせ、どう日常化させていたのか……、そのあたりの消息が茶坊主という「職」、役職名を「御茶道」というんだけど、チラチラ見えて、おもしろい。

          江戸城内のあちこちに灯りの蝋燭を配置する茶坊主の皆様

 

 幼い頃より茶を学び、所作を体得し、帯刀せず、剃髪ゆえに"坊主"ながらも歴とした武士階級の者たち(僧じゃない)。

 かれらが茶の湯の手配、来客接待、案内、屋敷内の蝋燭の点火と消火、手紙の届け、諸事万端なんでもこなした。

 茶事のみならず、秘書のようにふるまい、常にトップクラスの方々と接するから、禄はさほどでないけど階級は高いという、そこいらの武士を軽く凌駕する影響力ももった。

 茶坊主もピラミッド構造の組織なので位が高いのは1部のヒトね。秀吉と利休の関係がより合理的組織的に再整備されたのが江戸時代だったと思えばいい。

 

 茶坊主は、商家の次男坊らを武士階級に昇進させる裏口通用門でもあって、たとえば、赤穂浪士の討ち入りで惨死した吉良家の“被害者”の中には、吉良家出入りの茶商の次男坊で当時15歳くらいで吉良邸宅に住み込みで働いていた坊主少年もいる。

 襲撃事件なくば、彼はもう数年経てば、武家の次女とかと婚姻し、晴れて武士階級の“家柄”となってメデタシメデタシだったのだろうが、そうは問屋が卸してくれなくってアジャパ~、実に気の毒なのだった。

 

 以上は2017年、7年ほど前にも書いていて、自身読み返すに、『天下の御意見番』にも触れてるなぁ。なのでこたび、7年ぶりに、この映画を観たワケじゃね。

 ま~、何年ぶりでもいい。繰り返し観られるだけの絢爛でこの映画は塗られ、鮮度を保っている。いや、鮮度を増している。

 もうこんな大がかりなセットや多数の出演者を使った潤沢な映画は造れないからね。なんぼCGを駆使しようが、62年前のこの醍醐味はリメークしようがない。

 上写真は月形竜之介演じる大久保彦左衛門が朝に顔を洗うシーン。それだけのためにこのビッグなセット……、ビッグマック2つの経費でないのは顕らかで、こんな何でもないシーンで彦左衛門というヒトのカタチをチラリと見せる演出が結局は映画の厚みとなってるんだから、無駄に経費を費やしているわけじゃない。チャンと朝靄もかかってる。

 

 木村功演じる大久保彦左衛門の次男が花魁と遊ぶシーンでは、花魁太夫を中心に振袖新造(15歳くらいの遊女見習い・太夫の助手の役割)多数、さらには禿(かむろ・オカッパ頭で雑用係の10歳前後の子供)が5〜6名ほどチャ~ンと配置され、さらに槍手(やりて・マネージャー的役割)女性も描かれていて、かつての絢爛っぷり、かつての遊郭での上下関係やらが、偲ばれもする。

 

 脚本は黒澤映画でお馴染みの小国秀雄。徳川家光の時代に徳川幕府が“安定”した史実や、大久保彦左衛門がタライに乗って登城した講談話などからストーリーを着想したと思える。

 物語は寛永5年の新年1月2日、三代将軍家光の元へ賀正の挨拶に来た旗本の行列と外様大名の行列のぶつかりに始まり、彦左衛門を中心に置いて、格式と階級の狭間での武家プライドが描かれる。

 今のメダマでみりゃ、実に馬鹿馬鹿しい内紛劇じゃ~あるけど、当事者ら全員にとって馬鹿馬鹿しくはない事態ではあって、それで右往左往のドタバタがはじまるという、まことに馬鹿馬鹿しい次第が、映画的におもしろい。

 

 町民の一心太助が出てきたりと史実には遠い映画だけども、旗本VS外様大名の格差解消に家光が遂に強権をふるい、

「祖父家康や父秀忠は外様諸侯を客分としてもてなしたが、自分は生まれながらの将軍の身。よって外様大名諸氏も我が臣下に過ぎない。次の正月よりはこちらから祝儀をお配りすることも廃する。また諸侯全て1年ごとに江戸に住まうこと。参勤の費用は自分で出せ。文句あるなら我が旗本のチカラでねじ伏す」

 といった意味の宣誓をして、一強独裁の道を確固とした結末部分は、今の北朝鮮や中国を見るがごとしで必ずしも面白く楽しいワケもないんだけども、娯楽作品として眺めきれば、最近の映画では表現されない諸々が映され、そこがま~、価値ありという次第。

 

 デビューしたての北大路欣也が驚くほどに美しい将軍・徳川家光を演じ、茶をたて、市川右太衛門扮する水戸頼房にふるまうが、かすかに、けども明らかに、右太衛門はぞんざい粗略に茶を受ける。

 ほんの束の間、通り過ぎるだけのシーンながら、初の親子共演。照れもあったかも知れないけど、眺めていて微笑ましい。

 一方で、一心太助を演じた新人の松方弘樹が出てくるシーンがことごとく、硬い演技を隠そうと空元気だしてるのが痛々しくヨロシクなかったりもするけど、ま~、しゃ~ない。

 

 上は、大久保彦左衛門宅での家来やら中間やら足軽やら、御台所仕事の飯炊きや縫い子たち全員登場のシーン。当時、主人と家来の会食はありえないけど、いささか上級クラスの武士1人の体面がためにこれっくらいのヒトが関わっているという次第を証す場面。

 けどもナンだねぇ……、ナンギだなぁ、身分社会は。

 このシーンでは一同平服のみで彦左衛門に言葉を発しない、というか話せないんではねぇ。天下の御意見番を自称の大久保彦左衛門もとどのつまりは階級制度に疑問を持って意見するワケでもないというのが、ま〜、おかしかったねぇ。

たつの経由で姫路の もう1つの城へ

 

 たつの市に向かい、イトメン本社の直売所に入る。訪ねるのは2回目。

 岡山市内では売っていない同社のインスタント・ラーメンを買う。

 

 

 イトメンの「チャンポンめん」に初めて接したのは高校生の頃で、以後50年ほど、ず~っと交際している。

 ず~っと、といっても大阪で学生だった頃は交際が切れてた。

 阿倍野界隈、近鉄南大阪線界隈では売っていなかったよう記憶する。

 入手しやすかったのはハウスの「シャンメンたまごめん」だったな……。たしか40円以下とダントツに安くって、ビンボ~学生には救世主的インスタント。少年マガジンに連載中だった松本零士男おいどん」を読みつつ下宿の小さな部屋ですすり、主人公のトホホっぷりと当方のトホホっぽさを苦々しく重ねつつ、毎度お汁まで全部平らげたもんだ。

 でも帰岡して「チャンポンめん」に再会し、以後はず~っとね、大きな浮気なし。

 

 

 だからこたびも複数の違うインスタントを買ったけど、たぶん、「チャンポンめん」を越えるモノではないだろう。

 舌は強情な保守主義に徹してる。でも、当方が久しく好感寄せるイトメン社の、その他製品を買うことを反対したりはしない。舌先三寸のところで黙ってる。

 ま~、近頃はさほどインスタントラーメンを食べなくって、2週に1ケ食べる程度なので、複数買ったけど消費はいつになるのやら判らんけどね……、キッチンにインスタントの在庫がないと落ち着かないんで、同じ置いておくならイトメン製品がイイなぁという次第で、わざわざ本社に買いだしだ~。

 

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 小雨の中、龍野城のすぐ近く、たつの市街を一望できる場所にある聚遠亭(しゅうえんてい)に行く。

 龍野藩の藩主・脇坂家のかつての上屋敷

「御涼所(おすずみしょ)」を中心に、「浮堂」や「楽庵」といった茶室が配置され、冬場ではなく紅葉の秋に訪ねたら、さぞや良かアンバイな景観を愉しめるだろうとも思ったけど、御涼所の三十畳敷きの広い部屋での盛大な茶会などを空想し、江戸時代のここの殿さんが、自慢の茶器を招待客に見せてエツにいってる様子をアタマに浮かべたり、した。

 

 脇坂家は徳川家綱の時代、寛文12年(1701)に龍野に入り、以後明治に至るまで延々に代を継いできたから、小藩とはいえ、たぶん、そこそこの茶器も集積させていたろうと思え、

「この器はな、ひい爺さんの先々代が江戸城ナンとかの間で将軍様よりもろ〜たもんやでぇ、ウフフ」

 ってな風に自慢顔でホッペを緩ませているのを想像し、広言したって、お咎めなしの昨今がヤヤ嬉しい。

 

  

        質素ながら風雅な聚遠亭の静かな佇まい。浮堂が良い感じで見蕩れた……

 

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 相生方向に引き返し、道の駅「あいおい白龍城」に入る。

 白龍はペーロンと読む。

 海辺にあって、何度も立ち寄ってるけど食事したコトはなかった。

 えきそばで高名なまねき食品が運営しているレストランがここにあって、えきそばの上に相生産のカキをのっけたのがある。オマケでカキ飯もついている。

 海ぎわの席に座り、それを頂戴す。

  

 夏には味わえないシーズンもの。暖冬ぎみでこの冬はカキの身が小ぶりらしいが、プリップリッとし、えきそばの味と上手く合体していた。

 

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 食後、姫路に向けて駆け、太陽公園に行く。

 かねてより、チビッと興味があって、どんなアンバイかしらん? とは思ってたので、このさいだ……

 こたびは男3人のミニ旅ゆえ、メルヘンぽ~い場所は如何なもんかという気もなくはなかったけど、訪ねたことがない施設ゆえに、まずは見てみなくっちゃ~何ぁ~にもいえないワケで。

 

 

 で、入場料1500円でモノレールみたいなので山頂へ上がってくんだけど、

「あいや~~」

 近づくに連れてドンドン大きく見えてくるのでチョット畏怖した。

 

  

  

 ノイシュバンシュタイン城を模し、1/3程度にまとめた白鳥城は、1/3規模とはいえひたすらデッカイ。

 

 中は7階の層があって、まずは4階にあがり、5、6、7階を見学後に3階におりて、そこから四方を城壁で囲んだ中庭見学、さらに下におりて別の庭見学という順になっていて、トリックアートを含め、アレやコレやソレやらの展示室多数。

 とはいえ、驚くような展示物はなし。トリックアートでチョイっと遊ぶ程度。

 

 

 城を出て、モノレールで下山し、「石のエリア」へ。

 石をテーマとしてはいるのだけど、感じとしてはゴッチャ煮のチャンコ鍋、それも常軌いっしたデッカイ鍋。

 凱旋門をくぐるや、モアイ像多数が並び、被さるようにインカやアステカといった方面の石のアレコレが大量ボリュームで配置される。ボリビア太陽の門をくぐれば遠方に紫禁城やら中国山西省の双塔寺1/1レプリカが見える。

 

「なんじゃぁ、ココは……

 男3人、絶句し、苦笑し、呆れかえり、

「ケケケっ」

 不明な哄笑を漏らす。

       天安門的な広場を歩いて向こうの紫禁城へ行くのは、雨ゆえ、ヤヤつらい

        広大過ぎの上に雨天。双塔寺のかなり手前で足を止め、その先は見学断念

 

 眺めみれば、すべてが「場違い」の匂いをたてているような感じが、なくはない。

 映画のセットは時にチープなものがあるけれど、「映画」という主語があるから意味をしっかり持っているが、ここには主語らしきがみあたらない。

 個々はしっかり造り込まれてはいるけれど、得られる感触の中に、

「なんだか、やたらに虚しいぜ」

 って~な空疎が混ざってくる。

 

 

 宏大な地所を埋め尽くす膨大な石のアレコレに、莫大なお金が注がれているのは一目瞭然でその物量大作戦には感嘆あるのみながら、出てくる気分は、

「けっきょく、何なの?」

 灰色のモヤモヤ。

 モノはモノの背景となるヒストリーがあって初めて「モノガタレ」る存在となるが、ここではそれが欠落している。大量に設置されながら、逆になぁ~にもない……、という奇妙感。

 

 が、いささか感じいったのもある。

 兵馬俑1/1スケール展開の巨大なイミテーション……。この規模には感嘆させられた。

 ここではイミテーションが徹底され、徹底したがゆえに、中国の本物リアルがヴァーチャル的に浮き上がりつつあるような気迫と気配があって、

「まいった……」

 降参せざるをえなかった。照明はいっさいなしで自然光のみというのもイイ。

 

  

            1/1原寸による巨大模型。3人共々、感嘆あるのみ……

 

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 腕がもげちゃった巨大埴輪にいささかの哀愁をおぼえつつ、そこからテクテク園内をおよそ1Km歩いて引き返し、退出……。

 総じて顧みると、感覚が無くなって量とて推し量れない虚無を味わえたし、一方で兵馬俑の原寸再現に、「あっ」とも驚かされ、雨に濡れ、広大過ぎて足は棒になるしと……、気分はさがったりあがったりと賑やかだった。

 愉快体験としか云いようがない。つい拍手したくなるほどの異界っぷりが、お・も・し・ろ・く、もあった。

    

 

 経営母体は社会福祉法人で、パークに沿って、というか、パークと大きな老人ホームや介護施設をうまく共存させている。

(パーク来訪の我々は万里の長城を模した全長2キロメートルに及ぶ石の道を歩き、介護施設関連への家族やらスタッフやらとは一定の距離を保つ仕掛けになっている)

 おそらく施設には、かなりの方が入所されているんだろう。身体不自由して毎日眺めるこのパークの光景はどう映えているのだろう? 

 尋ね聴くワケにもいかないけど、イチゲンさんの当方には異界でも、入所している方にとっては、桃源郷めいたカタチなんだろか? そこのところ……、不明。

 得体のない空虚もおぼえたけど、スタッフはいずれの方も親切で丁寧で気持ちがいい。雨天でない時にもう1度くらいは再訪してもイイかとも、ちょびっとおもったけど、車に戻るや、

「さぁ、晩ごはんはどこで何を食べようか?」

 早や気分は移ろっているんだった。