後楽館高校の文化祭

昨日、後楽館高校に模型を引き取りにいった。
天神山の後楽館高校は来年に移転する。
なので、この場所での最後の文化祭というコトで、デジタルミュージアムに展示した模型達を貸し出してたのだ。
熱意ある良い先生がいて、天神山の昔から今に至る変遷をテーマにしての展示を図ってらっしゃったのだ。
たまたまに我が模型はそれに符号するものであったから、喜んで提供した。
とはいえ、当初は高校の文化祭という括りに何かくすぐったいような感触がないワケではなかった…。
何だか自分の背丈が縮むような妙な不穏をおぼえはした。
でも、それは杞憂だ。
終わって、展示についてのアンケートを高校から渡されて、気分がかわった。
およそ50通。
多いじゃないか。
一通一通に眼を通すと、生徒ではなく一般の方々が多いのに驚いた。
30代がいて、40代がいて、50代が割合として多い。
父兄が来たな… とも思うけれど、どれも、それも、
「驚いた!」
「昔、この場所がこうだったとは知らなかった」
「昔の建物カッコいい〜!」
といった感じで、一様に鮮烈をおぼえてくれたようなのだった。
この反応が、やはり嬉しい。
大正時代の天神山を模型として復元してみるというプロジェクトに深く関わり、その過程でもってボク自身が濃くに感じ入った鮮烈とビックリな感触を、多くの方が感じたと思うと… 後楽館高校・文化祭への貸し出しの意義とグレードがなんだかボクの中でキュ〜ンとアップするのだった。
当然に来年だかに後楽館高校は場所が変わる。
その後には、何かが入居する。
だから、また… この場所・天神山の空気が変わるワケだ。
カタチが変わるワケだ。
うつろっていくカタチ。
残る記憶と残らない記憶…。
人の、集合体としての営みの面白さがきっとココにあるんだろう。
たぶん、100年先には、
「えっ! あそこに高校があったのっ!?」
てな言葉が平然と発せられているハズだ。
そういう次第を思うと、90年前の天神山のカタチを模型に置き換えているボクらの企てにまたチョット深みが増すな〜、とこっそり喜んだりする。
今という、この瞬間は膨大多々な過去の堆積で出来ているのだな、とあらためて、感じたりする。
実は、まだ… 天神山界隈の90年前をボクは掌握できていないんだ。
判らない部分、判らない建物のカタチ、判らない判らない… の方が多いんだ。
たった90年前がピシャっとワカンナイのだ。
それが不思議だから、ボクは抱えたこのプロジェクトに傾注してるワケだわさ。