火星行きの始発

月へは行った。
次は火星だ。
というコトになって、いざ出向かんとするさい、スタート地点は月だそうである。
各種の火星探査機は地球から出向いているので、人を乗せた宇宙船の打ち上げも可能だろう。にも関らず、月からのスタートというコトになりつつある。
行くに1年かかり、帰るに1年という膨大な彼方への旅だ。
地球からより月からの、むろん、そこに大掛かりな基地を要するコトが前提なれど、が選ばれつつあるというのは、その方が経費と時間の削減でもあるんだろう・・。
でも、心理としてはあまり面白くない。
旅立ちの感動がいささか薄く感じられる。
映像として、おそらく旅立つ様子は見られるにせよ、何か違和感がある。まだまだ月が地球のように馴染みでなく、どっか他所からの出発という感じがあって、親しめないからボクには面白くないのだろうか。
A.C.クラークの「幼年期の終り」に、はるか宇宙空間で恒星間ドライブに入るカレレン達の宇宙船の様子が地表からそれを臨む人の視線として描かれていて、その旅立ちのシーンを一種のもどかしさをおぼえつつも空想せざるを得なかったが・・ なにか同様なもどかしさを、月から火星への飛行に感じる。
一つには、音がないからだろう。はるか星の海の中での光のスパークとその光跡を眺めつつ、ただただ想いをそこに寄せる以外に手だてがない、というコトをクラークも書いている。
アポロの発射は、それはものすごい音だった。それは見ようと思えば出向け、眼で耳で感じ、身体で感じるコトが出来た。
直接にボクは見たワケではないけれど、それが人類が作り出した最大ボリュームの音だというコトだけは知っている(原爆のそれは蔑視)。10Km以上離れた場所で見学した人でさえその轟音に圧倒され、音波による風圧を濃く感じ、重低音に胸が共振したという。
ボクはその昔、70年代に大阪でサンタナだか誰かの野外ライブにおいて、たまさか席が悪く、積み上げられたスピーカーの前という悪運に見舞われたが、演奏中ずっと、その重低音はボクの胸を共振させて演奏者はほとんど見られないけどサウンドだけは文字通りにしっかりと体験したというコトがあって、耳のそれではなく音が胸をこだます、その感触は好きなのだ。好きになったのだ。
自分という個を上廻る大きなモノに突っ捕まって強行に覆われ、揺さぶられ、凌駕される・・ 理性などそんな脆弱なもん関係ないってな・・ その共振でもって同化する感触は、自分の中のケモノを刺激されて実に痛快なのである。
だから、近隣でもってアポロ・サターンの発射時の咆哮を体感したいというのが、ボクの夢の一つでもあるんだけど、いかんせん、アポロ・サターンを上廻る大型ロケットは作られる気配がない。
人類を月に再び送るという新たなNASAのプラン「コンステレーション」は、飛行船と着陸船を別々のロケットで打ち上げるというコトになってしまい、これまたいささかガッカリなのである。
ま。
それはともかくも、いや、それゆえに、追憶としてのアポロの発射にボクは眼をトロンとしちゃうのだ。そこいらの夏の花火大会においてさえ、たかが一発の火輪が発するド〜ンという音波に胸が鳴るんだから、その何万倍の推力を持つアポロ発射のド〜ンは、凄いに違いない。
アポロの発射振動はカナダの地震計でも計測され、17号の夜間打ち上げのさいは遠くメキシコでも上昇する火球が目撃されたという。
音もまた凄かったろうとボクは夢想する。体感すれば、おそらくはそれはただの音じゃなく、熱い質であって澄明な量であって、詩であり、唄であった筈と・・ 思える。
というワケで人類が作り上げたその最大音にボクは月への飛行という遠方への飛翔を痛いホドに感じたのだが、月に音はない。
無音だ。
これが、たぶん、イカンのだ。発射の賑やかさがないのがダメだ。
船であれ飛行機であれ電車であれ、それ自体に装置としての発射音がなくとも、周辺でアレコレとスタートに伴う必需としてのサウンドがあるから、
「いってらっしゃ〜〜い」
あるいは、
「いってきますで〜」
な感じがしっかり固化されるのだけど、何も音がない月では、そこの点で感動が薄いのだ。
月面基地の中で発射前のベルやらサイレン音があったとしても、空気の感触として無音が感動を阻害する。
アポロ17号の着陸船が月から離れるさいの映像を見ると、プラズマ化した噴射の感じなど科学としての興は尽きないけれど、直球の感動かというとそうではない。見慣れぬ光景ゆえ現実味が薄いのを、人には無理強いに感動でコーティングしようとする癖があるから、管制官と飛行士達の音声で補完し、なんとなく昂揚した気分になってるんだけど、ホントのトコロはあの映像には"客観的事実"はあれども、空気と重力の中に生きてる人間を悦ばす資質がないんだ。逆を考えると、それがないのが人間だというコトになろうかしら。数多のSF映画の宇宙は音に満ちてるけれど、現実はそうでない。そこのトコロをキチリと描いたのは「2001年宇宙の旅」以外にない。それとても、あの壮大な音楽が背景に流れていて初めて映画として屹立してるのだから、タイヘンだ。
・・てなワケで、この先、いまからどれくらい先か判らんが、月から火星に向けての人が乗る船のスタート時に、どういったカタチで感動が伝播するのか・・ いささかボクには興味ありなのだ。いや、興味というより、まったく余計なコトながら・・ 心配なのであった。
火星に向けての旅というとんでもなく感動的な事業を眼の前にしつつ、そこに音がないというコトで感動が薄まるような・・ 損した気分を味わっている次第なのだ。