赤穂線に乗って

28日の金曜。
雨。
久しぶりに赤穂線に乗る。
飲まねばならないコトになるやもとのコトゆえ、車ではなく電車で出向く。
正午過ぎに岡山駅から乗り、西片上という駅まで運ばれる。
雨天の中、徒歩トホ歩いて数分、「WHITE NOISE 林三從ミュージアム」に着く。
從、は読めないと思う。
林三從、と書いて、はやしみより、と読む。
林三從(はやし・みより)。
1933年に備前市に生まれ、2000年の12月28日に没する。
前衛芸術家。
オノ・ヨーコさんや赤瀬川原平さんといったアーチストと深く交流があったようである。寺山修司の「天井桟敷」にも出ていらっしゃる。1987年より「備前アートイヴェント」のオーガーナイザー役を務める。
没後に、彼女が拠点とした場所に、「WHITE NOISE 林三從ミュージアム」が開館。以後、数々のアートパフォーマンスがそこで行なわれたようだ。
そこへ出向くのも初めてだし、林三從の名も、ボクは知らなかった。
こたび、出かけるコトになったイベントは、
『みよりとことば 古市福子×林三從×岡本悦子』
というタイトル。
生前に彼女林三從さんが書き残した膨大な言葉を、岡山演劇界の古参・古市福子さんが朗読し、就実女子大の人文科学部文化学科教授の岡本悦子さんがダンスパフォーマンスにて"見せる"という企て。
後援に備前市教育委員会山陽新聞
即興を主体としたイベントだった。
会場となったWHITE NOISEはコンクリで四方を囲まれただけの飾りのない、いわば箱。
その四方の壁面間際に椅子が一列に並べられ、そこに来客者は座る。
広くない。30人くらい入ると、もう身動きがつかない。
その30人ホドの前で、2人が、読んで、踊る。
ウディ・アレンの映画に出てくるような、N.Y.の"文化サロン"めいた雰囲気にいささかシンナリしちゃうけれど、それでも、眼と鼻の先に見るパフォーマンスに触発されたか、小さく茫漠と一ヶのイメージをボクは念頭に浮かせて、片耳で朗読を聴きつつ片目で目前のダンスを眺めつつも、こっそりとそのイメージの中に自身を浮べて彷徨った。
一本のタコ糸に東西南北の四方にピタリと合わせたマイクロホンを4本くくりつけ、これを上空300メートル辺りに浮かせ、閉じたコンクリの、今まさにイベントが行なわれているこの会場には四方にスピーカーが置かれていて、300メートル上空の風音を立体音として聴くという・・ ただそれだけのイメージなのだけども、それがその時には妙に面白く思えて、
「それをどうプロデュースすればいいだろう?」
などと、ちょっと夢想に沈潜した。このイメージのオリジナルは朗読中にあった林三從さんの残したコトバの中にあって、それを風船のように膨らませて、こっそり遊んだ次第。
が、途中でボクの横に女性が一人座るコトとなる。
開演後に遅れて来ちゃったのだ。
チラリ見ると、なかなかにかわいらしい女性であったので、ニヤリと北叟笑んだけど、すぐに異変に気づいた。
このコはダース・ヴェーダーのように、
「ゼ〜、ゼ〜、ゼ〜」
喘いでいるのだ。
「あれ?」
と、思う間もなく、今度は、ゴホゴホゴホッ・・ 咳き込むんだ。
その咳の様子、喘ぎの様相、どちらもが、これは重症の風邪と即効で判るアンバイで、途端、
『やばい、うつるぞ』
恐怖が駈けた。
なんせ密閉容器みたいなコンクリートの狭い空間なのだ。
おまけにすぐお隣、我が肩に肩触れ合わせての、
「ゼ〜ゼ〜ゼ〜・・」
「ゲホ、ゴホゴホゴホ・・」
なのだ。
彼女とて懸命に堪えようとはしているらしいのだが、堪えようとすればするホドに、
「ゼ〜ゼ〜ゼ〜・・」
がひどくなる。
「ゲホ、ゴホゴホゴホ・・」
がひどくなる。
そんなアンバイなのにマスクすらしてくれてないのだから、イカンじゃないか。
知らず、こちらは息を秘め、なるたけ彼女の吐き出す空気と自身を遮断させようと懸命になって・・ 眼の前のパフォーマンスどころじゃなくなってしまったのだ。
なワケゆえ、終演し、拍手を古市さんと岡本さんに送るや、うちあげ参加を辞退し即座に会場から脱走した。
一段と雨足は強くなっている。
とはいえ、いきおい駅に向かっても仕方ない。
赤穂線は単線でローカル線ゆえ本数も多くない。
帰りの電車の時刻は調べてある。
まだ1時間近くある。
周辺を散策してみる。
西片上という場所は30年ホド前までは煉瓦の製造で賑わって、人口も多々。商店街も大賑わいであったらしいのだが、煉瓦作りの後退と共に、今はその商店街の8割が店を閉めている。
いわば黄昏に侵食されつつある町というコトになりそうだが、風邪の伝染を逃れて外に出、駅とは反対方向に数百メートル歩くと、そこに海があるのに気づいて、ちょっとした新鮮を味わった。
片上湾という実に小さな湾で、漁船が数隻、雨の中に停留している。
雨の中の小さな港。
人の影はほとんどない。
つげ義春のマンガのヒトコマといった趣き。
「なんかイイじゃん」
風邪の恐怖は遠のき、ボクは詩人をきどってタバコをくわえ、遠い眼になって海に落ちる雨をみる。
シューズもズボンも濡れてグッショリなのだけど、このイベントに来なきゃ、この片上湾を眼にするコトもなかったハズゆえ、なんだか得をしたようないい気持ちで、ボチボチと西片上駅に向けて歩く。
駅は無人駅。
夕刻の割に乗る人が多いなと顔ぶれを見ると、1時間前に同じコンクリの箱の中にいたお客たちであった・・。
その中に、
「あっ!」
ゼ〜ゼ〜ゼ〜、ゴホゴホゴホのダース・ヴェーダー嬢がいた。
やって来た車輌は2両。
ボクはなるたけ離れて電車に乗った。