シトロンガール

頭上高々に見た皆既月食の光景を、牛が食べたものを反芻するように思い浮かべつつ、サディスティック・ミカ・バンドを聞く。
むろん、聞くのは第一作めのアルバム。
今見ても鮮烈が薄れないアロハ柄のあれ。
松山猛の楽しい詩が頼もしい。
子供じみたファンタジーに落ちず、アホな幻想でなく、ダメダメな単語羅列でなく、さりとてまったくこの地上からは遊離した宇宙的お遊びの、煌めく連接詩。
それをブギウギ〜なサウンドにのせた加藤和彦やら小原礼やら高橋幸宏たちの若い感性が音符につむいだ豊穣…。
時にボクは、かの「黒船」よりもこちらを高く評価したりする。
先夜の月食を思い返すと、余計にこのシチュエーションではピカピカ光る。
LPで持ってるけど、もう久しくLPプレーヤーは倉庫の中ゆえ、仕方ない…。
聞いているのはiTunes のストアで買い足したサウンド
便利なiTunesではあるけれど、LPをプレーヤーにかけ、針の拾うノイズと共に聞きつつ、ジャケットをボワ〜っと眺めるという楽しみからは遠いから… それはそれで不満だったりもする。
"音楽を聴く♪"という行為の面白みが、LPからCDに、CDからiTunesにと移行する中で、なんだかジンワリと、旨味の滋養が薄れちまっな!、とも思うのだ。
ノスタルジ爺と云われても仕方ないけども、得た便利さと失われた醍醐味を天秤にかけるとどうなるかしら… と、この頃、考えたりする。
なので、LPプレーヤーを引っ張り出し、現状では置き場すら確保出来ないけども、引っ張り出してアンプにつないで、倉庫で文字通りにお蔵入りと化したLP達を再聴したいという願望が… 萌えたり燃えたりもする。
が。
ま〜、ともあれ、今はサディスティック・ミカ・バンドの第一作。
「空の果てに腰掛けて〜♪」という歌詞にはじまるB面(LPなら)の、『The Edge of Sky』中盤の、メロトロンとピアノの掛け合いの絶妙や、A面4曲目の「シトロンガール」のムーグの重低音と高中正義のギターの甘味。それに被さる加藤氏の、
「何色の夢を隠すのだろう・何色の愛を隠すのだろう」
ホンワリとした声音は、ボクには永劫の憂愁な優しみに聞こえる。
音の一滴一滴に、詩の端から端までに、ボクは宝石めく光輝をみる。
月食の次の晩。ボクは同時刻にまた月を仰いだ。
前夜がウソのように月は鯖色の鮮烈で光ってた。