浅草にて


ちょい数日前の事だけど、浅草寺ほおずき市のさいちゅうだった。
昼のヒナカはお台場なので、ほおずきの紅い色に染まった賑わいそのものを体験出来なかったけども、翌朝の6時前くらいに境内を散策すると、もう準備に大わらわってな感じでクロネコヤマトのテントブースに、大勢のスタッフが配達用の箱を運び入れてたりした。
ザッと数えるまでもなく30人くらいはいるようだから、白昼は相当に忙しくなるんだろうな。
ほおずきの鉢を買い、手持ちじゃなくってクロネコで送ってもらうワケだね。
シャッターがまだ降りて朝のまどろみにくるまれた仲見世筋を散歩して戻ってくると、クロネコスタッフは朝礼のさいちゅうでリーダーとおぼしき方がスピーチし、2度3度、ドッと一座から笑いがおきている。
人数が多いから笑い声も大きく響く。
早朝の笑い声は、何やら明るい職場を感じさせられて気持ちよかった。


今度のお宿は浅草。
浅草寺のすぐ横という立地。
部屋の窓からスカイツリーも見える。
夜11時まではライトアップされてるし、それ以後も幾つか明るいランプがついてるんで、ランドマークとして土地勘のない身の上に、これは役に立つ。ただし現状では塔の足元まで近寄ったことがない。

それよりもホントは気になる東京タワー。
今の先っちょがズングリした形を昔のそれに戻して欲しいなぁ。でもって、期間限定でよろしいから… リアル造形なゴム風船だかでモスラ幼虫をば造ってタワーに取り付けてライトアップ… てなアートなイベントがあれば非常によろしいな。


ホテルから徒歩で20数秒の位置にアミューズミュージアムがあって、"ぼろ"を展示してる。
黒澤明の『夢』の一番おわりのエピソードは、その"ぼろ"をフォークロア的かつ美的に役者達に着せていたではないか… これはさすがに観にゃいかん… と思って某日、時間をやりくって見学。

ボクが子供の頃から、"ぼろ"は日常の言葉としてあり、それはもうただひたすらに、チープな、ツギハギな、まさに文字通りなボロ、「ボロを着ても心は錦ぃ〜」な、貧乏満載な、わびしい1つの姿の定冠詞として活用していたワケだけども、漢字で書くと、襤褸と記す。


布地はかつては稀少かつ貴重なものだったゆえ、代を越え、ほころびりゃツギをあて、貼り合わせ、工夫を重ねて布を使い続けたワケで… 今や「クズ屋さんにボロを出す」んだけど、その昔は決してクズ屋に売られるコトのなかった布地たち。
少量でしか衣類を所有出来ない困難ともったいない精神とが核となっての創意工夫には、自ずと美が付加されてもいて…、逆説としてではなく、いっそ、むしろ、今の物質豊穣な時代よりも、精神性において昔の方が豊かではなかったのか… と、これはこのミュージアム展示室の壁のパネルに書かれていた文言だけども、豊かさというのは何か… を再考する良い案内が、このBORO(ぼろ)と思えた。

考えるまでもなく、ジーンズのスタートは米国西部の金鉱堀りの方々に必需な履物として、幌馬車の幌を活用しての頑丈なズボンだったワケだし、アロハシャツの創成は日本から大量に入ってきたボロとしての着物を解体加工したシャツだったハズ。
布地の流用と転用と継続は世界共通の認識でもあったろう。面白いね。

襤褸という綺麗な漢字がいつの間にかひらがなやカタカナのボロになり下がって、転じて、貧寒な代名詞となった経緯には、自ずと貧しさからの脱却を願う心があったとはいえ… 何ぞあれば後始末も出来ないアトミック発電をさらに押し進め、かつ他国にまで売っていこうという、この貧乏な根性こそ、ホントは今、改心すべきなのだとボクは思う。
結局、豊かさとは何? を過去から問われてるのが現在なのだと感じるんだ…。
物資が豊富になる連れて、今度は心が貧しく、すごく貧しくなってるんじゃないかと… "ぼろ"を眺めつつ思わさせられた。
何をもって"幸福"とするか、"幸せと思う"か… だ。



一段落つけ、東京在住のデザイナー氏と神楽坂で呑む。
行き当たりバッタリで入った、はじめての店だけど、串揚げ、うまかった。
幸福度ちょっとアップ。
メニューにはなかったけども、「たくさん野菜を食べたい」とここのママさまに申し出てみるに、やれ嬉しや、ボールいっぱいのサラダを出してくれた。


深夜の2時頃。
浅草寺本堂に出向いてというか、ほんのりと灯りがついてるもんだから… お宿へ戻るさい立ち寄ってみたら、そんな時間に関わらず、人がいる。
深夜の2時にだよ… 拝んでる。願掛けてらっしゃるんだ。
車で乗り付け、サッと拝んでススッと帰る人もみる。
「ふ〜ん」
と、あらためて腕時計の時間を確認したりして、酔っぱらいは感心し、ならばと… 真似てみる。
浅草界隈の住民になったつもりで階段をあがって、ポッケから10円玉。
チャリンと投げて柏手2拍。