表現のかゆみ

自分という人間をどのように人様にアピールするかというのは… なんだかとても難しい。
なが〜い間、模型というカタチでもって何事かを表現をし続けているのだけども、近年になって地域性を強く帯びた仕事もするようになって、さてそうなると、ただ模型を作って提出しちゃえばオシマイというだけじゃ済まなくなって… 時に、模型ともども自分自身も登壇して、なんぞしゃべったり、作品イコール僕でございますな、かつて考えたコトもなかった切り離せないその関係を白昼に晒すみたいなコトに… なってきて、模型だけではなく、自分を外気に触れさせるというコトになっちまって… それで困ってるというか、
「あれれっ」
てな困惑をおぼえてるような、ここ数年なのだった。


ボクのような人間の中にも、ガサツさとセンサイさはあって、自分で云うと何だけど、双方を計ってみると、たぶんセンサイの分量の方が多い。
数日前にOJF(ジャズフェス)のささやかな打ち上げパーティをやって、そこで自分は毎年、役回りとしての狂言廻し的ピエロをやるワケだけども、終わって皆んなと別れた途端に、暗い鬱屈に襲われて、溜息をつく。
アホ〜を演じている自分と、本当にアホ〜な部分との噛み合わせの悪さを、これは反省としてじゃなくって、うまくヤレてないじゃん… と、ガックリな自己採点をしてしまうんだ。
わけても、自分自身を語るという部分において、これはもう明らかに及第点をあげられない。
パーティの最終盤にフイにパーティ主催元締めたるOH君に、"自身の事を告げて"と引導を渡されたものの、咄嗟に言葉が… ない。
センサイ、と書いてしまうのもおこがましい次第ながら、こと自分のコトとなると、言葉も態度も、まったく、うまく出てこない。
ヘタすれば、エエカッコ〜なコトになっちまう。
途端、臆病が前面に出る。


以上を経過させてパーティ会場の外に出ると、哀切をおびた悲憤めくな感じにくるまれて、グッタリする。
参加した方々に握手したりハグハグしたり、そうしつつ、その場に来れなかった人や迂闊にも声をかけなかった人を思ったりと、諸々な気分を錯綜しつつも、気分の終点は結局、自分に向けられる。
ゲキテツを起こしてヒキガネをひいたが弾が発射されないような、
「あれれ?」
に尽きる。
なので、そこを緩和させるべく… 1人モードの2次会でさらにアルコールを充塡させるというコトになる。
ユルユル自転車で彷徨う。


でも、1人モードといったって、見知らぬバーに飛び込むワケもない。
やはり、馴染みきった店のドアを開けるというコトになる。
そうすると、そこに偶然、旧知の大先輩で敬愛してやまぬ人が久々にやって来たりして、途端、自身の中に湧いてしまった鬱屈を忘れて、
「キャハハハ」
甲高く笑ってオチャケ美味しいね〜〜、な酔いの海の豊穣に身を浮かべることになる。



1人は、すでに80を越えた石の彫刻家。
1人は、80にゃまだ遠いけども古くからこの岡山での演劇活動の中心にいた人。
両者ともに、だから"表現者"。
彫刻家の作品は市内の随所、公共施設や橋の飾りなどなどなど、ちょっと驚くホドに多々、ある。
メディアコムの外周グルリに置かれたもの、あるいは後楽園外周のランプが入った数々の石… 柳川、西川、石山公園… どこにもかしこにもこの人、寺田武弘の作品だらけな岡山だ。
一方の演劇者は、これはカタチが残らない一期一会の芝居の中に活きている。
その場、その会場でしか味わえない大気を呼吸する人。
こたび、文化庁の文化功労賞を授与されて、数日後には東京で表彰されちゃう古市福子。永遠の美人!


が、この両者はそういう次第のアートな次元に身を置きつつも、試しに、
「あなたはアーチストだから」
とでもモノ申せば、2人ともにカッと怒り出す。
「オレは自分をそう思ったことはない」
「やめてよ、そんなイイ方は!」
きまって火のような反応が返ってくる。
だからオモシロガッて、ボクは時に、いっそう油を注いで、
「よっ! 芸術家!」
てなコトを口にして、したたかに後頭部をぶたれるというアンバイ過去数度という身の上なんだけども… 真顔で考えると、きっとこのお2方も、"表現"としての作品はともあれ、身の置き所としての自身のコトを語るのは、きっと苦手なんだろうと、ボクは密かに勝手にそう思ってる。
だから、偶然にバーで席同じくして、たまらないくらいな嬉しさをおぼえてしまうのだ。
ご両者に、
「どうしたらイイのでしょう?」
とは、聞かない。
ボクは私小説的情感が嫌いなんだし、出来るならいつまでも乾いた世界に住まいたい…。
などと、書いてるコト自体が私小説的感性のまっただ中じゃあるんだけど、もっと、アホ〜にならなきゃイカンなと思い噛み締めている、ここ数日。
ああ、お酒がうまい(笑)。



敬愛する2人に、手をカウンターに置いてもらって撮った貴重な1枚。
寺田氏の指はもはや常人のそれじゃない。20代から始めた石との格闘を如実に物語る、本人認めるところの"職人"の屈強を極めた指だ。
近年、部分が痛むらしい…。
老いを、痛烈に意識もしてらっしゃるようだ。
が、されど、この2人の手。
表現し続けた手、指を、ボクは好む。
口で語らずとも、これに真実あり。
力づけられる。
背のあたりに温もりをおぼえ、チョビッとかゆくなる。