県北でシイタケを食べる

音楽イベントを共にしている我が友の、ながく病気療養中だったお母様が亡くなったようだ。そのことを、用あってかけた、たまたまの電話で知った。
用事は後回しでいい。
高齢の母親を看護する身の上として同情、かつ、哀悼の意を表したい。
母親というのは、男子にとってやっかいなれども… 大きな存在だ。父親は常に越えるべき存在と位置づけていいよう思うが、母親というのは違う。

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先日。
昔の電車の、とある部分の資料探しに県北へ出向いた。
欲しいのはごく部分。
それがあるコトはあったのだけど、いかんせん、錆びた上に要めとなるパーツが外されてもいてやや形骸化し過ぎ… "良い参考に遭遇"というワケにはいかなったけど、あたりには誰もいず、閑散として日差しは強く、強いけど大気は冷々。

でも次いでゆえ別車輛を見学し、物差しとしての人物とのサイズ対比を撮りつつ、昔の、木で作られた車内に今はない温かみをおぼえ、いっそ昔のそれの方に"裕福"な感を受けて、寒さが薄らいだ。


木製椅子の並びを見て同行者が「銀河鉄道の夜」を持ち出すもんだから、しばし… ジョバンニとカンパネルラのゴッコにはげみ、
「しかし、オレは死んでるんだからな。な〜、ジョバンニよ」
大きな声で笑っても、誰もいないんでとがめられない。
平日の昼時。
気持ちよろしい。
ただし、食べ物屋も開いてないんで… そこは困る。
賢治描くところの、例の鳥獲りのチョコレートのようなものすら、ない…。

移動するっきゃない。
柵原からさらに県北へ。


さすがは津山。後方の連山ほぼすべて雪化粧。
外気温は低い。
当然に温かいものを食べたいわい。
けども市街に近づくにつれて増えるノボリに記された「津山ホルモンうどん」はいかにも… なので、あえて、
「肉っけのないのを食べる」
と、宣言。
たまにはヨロシイのではなかろうか、そのようなお食事もと、我が輩は『しいたけ定食』だか『しいたけ御前』だかを。
相棒は、え〜っと定食名を忘れたけど、『釜飯』で、お肉なしでこれにも黒いしいたけ入ってる。
運ばれた膳を見て、一瞬、
「しまった」
と、後悔してる我が顔。


笑うM嬢。
けども、箸を動かすに、このしいたけが甘くて美味しかったのだ。
そぼろと錦糸卵としいたけが御飯の上にのっているのだから純粋に"肉っけなし"ではないけども、あくまで中心はしいたけであって、こやつめがジュ〜シ〜でふくよかな甘味でもって攻めてくる。
甘美さ、とはこれだろう。
この甘さを、赤カブの漬け物の塩味が抑えにかかる。巧妙に、猛々しさなど微塵もない自然さでもって柔らかにブレーキを踏む。
その結果、甘味と塩味の2本の線が上にいったり下にいったりと、オシロスコープの波形みたいにうまくカーブをえがいて、交わり放れ、放れて交じり、気がつくと舌は大悦び、御飯がうまい。
なので、この選択は実に正しかったワケで、これで1000円なのだからお値打ちアリというもんだ。


食後、箕作昡甫旧宅横の洋学資料館でとあるモノを見つけて、
「あ〜だ」
「こ〜だ」
「ブツブツ」
と、しばしガラスケースに乗っかるようにして眺めいる。
巻物状になっている江戸期の天文図なのだけど、図は判るにしても全部漢字。馴染みのない画数の多いやつ。
読めるようで読めないんで「あ〜」だの「こ〜」だのなのだ。
それに加え、こういったロール状の展示物というのは往々にして巻いたものの一部が開示されるだけで、後は巻かれて見えないんだから、口惜しや。
それで、「ブツブツ」なのだ。


数年前にここに来た時には気がつかなかったけど、この資料館所蔵の「解体新書」はコピーじゃなくって、本物だった。
これは嬉しい。
電車の資料収集はかんばしくなかったけど、違う"発見"ありで、顔がほころんだ。

ガラス越しに魅入るだけで決して触れられないし、それが本物であれ精緻なコピーであれ、ど〜せボクには鑑定出来ないにしろ、ホンモノと知って魅入るというのは、眼の中に厚いビロードの、これまた"裕福"な層が生じるようで、それで嬉しがった。
玄白さんと良沢さんがガラスケースの本から立ち上がってくるよう、思える。
とくに良沢さん。
「まだ出版には早い。まだ不足…」
と、著者として名を出さなかった彼のプライドの、そのいさぎよさに至った振幅中の明暗の起伏を、時空を越えてケース越しに接したような。
玄白は出版で高名になり、良沢は無名のまま…。
栄光に媚びず、ただ耐えて黙している前野良沢にボクは男を感じる。共振する。敬愛の情を昂ぶらせる。
こういった情感は、たぶんにコピーからは見いだせない。