寒さ増量

「明日は全国的に5度以上気温が下がるでしょう」
なんて〜昨日の天気予報の通り、5度か4度か判らないけど確かに一気に下がって寒さ増量、一挙に冬がやって来たようで嬉しくない…。
ついこの前アサガオを取り除いたりパッションフルーツを鉢に植え替えて室内に入れたばかりで、秋をとばして夏から冬にって感じで、四季っていうより二季な感。
今日は幾つかの栽培物にビニール覆いをかけて耐寒仕様にした。

冬場に向かう大地は冷たいね。
毎年行事の中国銀行本店前広場のジャズフェスで理解が深まったけど、冷気は足元からやってくるんだ。上から降りてくるより下から上がってくる。
コンクリで覆い尽くされている場所でそうなんだから、裸の地面はいっそう冷えると思う。


縄文時代の人々の暮らしというシチュエーションでは、お馴染みのあの三角錐的な住居の中は土間になっていて、土器があり、中央に火があって、家族がその廻りでアグラをかいてるという構図が定番になっているけど、はたしてそうかしら? とも思うのだ。
土間に直かに何時間も座ってられないよ、冬場は。
幾ら中央に火があっても冷気は土から上がって来るし、座布団となる布地はまだ織れないし… 丸一日の降雨でもあればいっそう地面は湿っぽい。
だから、そこにジッと座っていられたかどうか、大いに疑わしい。土間ではあろうけど、やはり何か、お尻の下に何かを敷くことを常としていたんじゃないかと、ボクは思うんだ。
5500年ばかし前の三内丸山遺跡では栗の木の皮で編んだポシェットなんかも発掘されているから、そういう天然素材の何かで、お尻に感じる冷気や湿気を遠ざけようとしたハズだと… 想像するんだ、証拠がないハナシだけど。
21世紀のボクらより縄文時代の人の方がはるかに皮膚も強靱だったろうし、耐寒性も優れたろうとも思うけど、ただ辛抱してたとは、とても思えない。
椅子の原型みたいなものもあったんじゃないかしら… と、想像するのは、ま〜、楽しいね。

ちょいと前、まだTシャツで過ごせる頃合いに、良き仲間たちと某所に集い、夕食の栗ごはん用に栗の皮をセッセセッセと皆なでむいたけど、けっこう時間がかかるもんだ。
三内丸山を含めて縄文中期は栗が主食だと判ってるけど、切れ味よろしい包丁はなくって黒曜石の鋭い部分なんぞで、これまたセッセセッセとやってたに違いないと思うと、やはり、何か感慨深い…。足元に冷気を感じつつ、一冬を過ごすための大量の栗を家族総出でむいてる構図を思って。ボクらのように一夜のユウゲのお楽しみじゃ〜なくって、一冬ぶんをむかにゃ〜いけないんだから、きっと縄文時代の人の秋から冬にかけての毎日の大半は栗と過ごすということになるんじゃなかろうか。
きっと、当時の人の爪は栗のシブに沁み、茶色っぽかったろう、ね。