日本のいちばん長い日

原田眞人監督の『日本のいちばん長い日』を、まだ観に行けていない。
戦後70年…。
なかなか良いタイミングで公開されたもんだ。
この監督の作品を全部観てるわけもないけど…、日本の映画監督の中でボクは彼を高位置に置いて久しい。
不評炸裂だった『魑魅の函』ですら、「悪くない」と評価する。陰陽師を大陸的拡がりの中へ連れ出し、かつそこで堤真一チャップリン的祈祷ダンスを演じさせた手腕が素晴らしい。箱庭的小さな世界でなく、より俯瞰した広角の眼がこの監督にはあると思えて久しい。
だから早く『日本の…』を観たいんだけど、なかなか昼間、時間がとれない。


原田もボクとても、戦争の時代に生まれていないから、いわば"戦争を知らない"世代の者じゃあるけど… では、今もって、なぜ… "戦後"なのだろうか? と、そこを考える。
手元に資料がないまま書いてるけど、たしか昔、経済の大復興時に、
「もはや戦後ではない」
大々的にそう云った筈じゃなかったか。
なのに、未だ"戦後○○年"と云われる。また、それに不思議をおぼえない。
いささか妙じゃ〜ないか。
「なんで〜?」
なのだ。



では、第2次大戦時の日独伊3国同盟の、お仲間であったドイツとイタリアは、どうか?
どうやら、日本とは様相が違い、両国はもはやホントに戦後ではないようなのだ。
70周年とは云われても、戦後70年とは云われないのだ。
新たなナチズムの郷愁的台頭もあって、むろんに易々ではないだろうけど、1本スジが入った状況を維持して、戦後という語彙では括れない所にまで昇ってるようなのだ。
なぜかといえば、ご両国は極めて早い時期に自身を見直すという試煉を自身にかし、極めて徹底し、自身で責任を明快にし、それを背負って、次世代にバトンを渡してったからそ〜なった。


ところがここでは… それがいまだ出来ない。ウヤムヤだ。
例えばだ。
今ことし、長崎に75歳の老婦人があって、彼女は右足が義足だ。
5歳の時、原爆が炸裂する5ヶ月前の長崎空襲で彼女は右足を奪われた。
5歳の幼女にとって、空襲(戦争)は何だ?
少なくとも彼女は戦争に加担していった国民としての意識もナ〜ニも、ない筈だ。
誰が見ても、その片足は理不尽な戦争被害そのものだ。


で、戦後… 長崎の原爆被害者には被害者としての認定があって、万全とが云いがたいけど賠償がなされた。
広島もそうだった。
原爆被害は被害として賠償(医療認定など)の対象というカタチが作られた。
では、この5歳はどうか?
賠償はされなかった。
されたのは、"生活困窮者救済"による手当てのみだった。
障害者として"認定"され、そう扱われたのみだった。
結果として、彼女の上に何が起きたか?
差別だ。
足が片っ方ないことで、ノケモノ、ジャマ扱いをする実にクール・ジャパンな社会が彼女を"受け入れ"た。


誰もが知る通り、日本中が空襲され、上記5歳の幼女と同じく身体に不自由を背負わされた人が、無数いた。
それで… 彼女を含め、当然のように各地で、国家に対して賠償と謝罪を要求する声がでた。


戦後30年(!)経った1980年(昭和55年)に、第2次大平内閣の元、自民党主導による"有識者会"が設けられ、そこで補償の線引きが画策された…。
その見解を元に、戦後処理の裁判(東京地裁-東京空襲遺族会集団訴訟)は、
『戦争被害は公法的受忍義務の範囲内』
という結論を出して訴えを退けた。
これが現在も踏襲される。


要は、"受忍"。
片足ないのは我慢しろ… 誰のせいでもない… とのことなのだ。
ついこの前のNHKで、その辺りの経緯を調査した番組があったけど、国民の空襲被害の賠償を受け入れると、国家予算が逼迫する。せっかく経済が登り調子でイイ按配になってるんで公共投資を最優先すべきで、過去の補償に予算は使えないという… いわば、「お国のため」ならばの妙な流れを打ち出した。
それを、意外やボクらは「しかたないもんな」と受け入れてしまっている。


そこがドイツやイタリアは違った。
イギリスもそうだ。
これらの国々では、日本の全体主義的「お国のためですから…」な傾向は微塵もなかった。
『国民平等主義』
と、
『内外人平等主義』
の2つが、戦後すぐに、まず柱に置かれ、
『一般市民の戦争被害の補償は、軍人と民間人を区別することなく平等に補償と待遇をあたえる』
という、いわば子供でも納得出来る、「お国は国民の幸を優先」の当然の方策をとった。
しかもこれには、人的被害と物的被害の両方が含まれる。
そのために莫大なお金もかかるけど、だ。
わけてもドイツは他国への賠償が甚大であったけど、その上でさらに自国民の救済も同時進行させた。
それで、国がビンボ〜になろうが、カッコ悪かろうが、国としての、つまりは国家に属する人の群れとしての信用を回復させた。
アメリカもそうだ。1976年(昭和51年)に、戦中に米国籍を持っていた日系人15万人を差別隔離した事を謝罪し、個人1人づつに2万5千ドルを賠償した。
支払いは1988年からで、本人が既に没していても遺族にそれが支払われた。
かつての収容所は、負の遺産として博物館的施設として保存し公開し続けて今に致る。


以上、なにやら根本が違うというか… 違い過ぎというか…。
こういう比較をボクは好まないけど、事実を見ると、自国民に対して、"受忍"でかたづけてしまう国とは何だろうな… それをあんがい容易に受け入れているボクらは何だろうな…、
「あれれ〜?」
が逆巻くのだった。
なるほど、だから70年経っても、ここ日本は戦後が継続中なのだ、実際は。


15日の終戦記念を前後にTVやマスコミや、あるいは各地の地域ミュージアムでもって、空襲時の惨状は繰り返し今も伝えられるけど、戦後、その空襲の被害者がどのように扱われたかまで掘ったようなのは、あんまりない。
結局、あの戦争をこの国では個人レベルの災禍に留め置いてしまっている…。
なので総体としての責任がわからず、引きずられるままに、
『戦後70年を迎えて』
となるワケだ。
繰り返すけど、5歳の幼女は戦争に参加しない。
けども、その失われた足、以後の差別的扱いに関しては、責任もウヤムヤで「ま〜ま〜ま〜」で、あげく『受忍しなさい』なのだ…。
この奇妙が払拭出来ない以上、戦後はこの先も続くわけだ。


原田監督の『日本のいちばん長い日』でも、そのあたりの責任所在不明の右往左往が描かれているらしいけど… まだ観ていないから感想も何もない。
先日、歴代の首相に某新聞社が"戦後70年の感想"についてアンケートを行って、それが公表されていたけど、1つ、素晴らしい… と思えるのがあった。
鳩山由紀夫をボクは好きではないけど、彼の応えは、
「戦争が出来ない珍しい国を目指してもいいのじゃないか」
だった。
この一言を例の"彼は宇宙人"的な眉唾でもってアホ〜な戯言ととるか、いやまさにと取るか… で、おそらく日本の明暗はわかれる。
その"珍しい"というところが、たぶん要めのような気がしてしかたない。
5歳の幼女の片足が2度と奪われないために、武装でなく戦争行為を放棄する非戦の意思こそがボクには要めと… 思える。


14日夕刻の70年談話は、
「価値を共有する国々と手を携えて、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献していく」
と、"積極的平和主義"なる従来の主張を結局は強調した。
はたして、自国の民の救済すらおぼつかない70年をうっちゃって… 何を積極しようというのか?
先の国会答弁の中、首相はホルムズ海峡における機雷除去を持ち出したりしているけれど、実はすでに自衛隊は別場所でその任について久しい。
世界中の海には、第2次大戦時に設置の機雷が未だ数万残っていて、ホントは実に危なっかしい。
それを縁の下でもって除去する作業を自衛隊は続けていて… 実に大いに既に貢献しているワケで… その姿は呉の潜水艦のミュージアムにいけば展示として良く判る。
現状の紛争に参加せずとも、すでに充分に貢献している筈なのだ…。



なので、同夜9時のNHKに登場した首相がキャスターからの問いに1つとしてマトモに答えなかった姿勢と併せ、この男と自民党は国民をどこに連れて行こうとしているのか… いっそう不安が昂ぶる。
それでボクは、鳩山のいう"珍しい"をこそ、世界に売っていく最高の"日本の商品あるいは貢献"と、いささかマジに思ったりもした。


※ 参考
:『戦後処理の残された課題-日本と欧米における一般市民の戦争被害』2008
:『卑怯者の弁山口瞳 日本ペンクラブ-電子文藝館
:『日本国憲法を獲る-生き残った特攻隊員81歳の遺書』松浦喜一 日本ペンクラブ-電子文藝館 2005