気ぜわしいのは…


いそがしいだけなら、それはタンタンとこなすだけなんで、まだヨロシイが、気ぜわしくなるのは好きでない。
アレあってコレあって、スケジュールの都合上そうなったんだからしかたないけど、気づくと続々に発芽してくる"落ち着かない感"が、好きでない。
気がせいて、身体はここにあるのに気持ちの焦点が数十センチ先にあって、それも点となるポイントが幾つかあるんで眼もウロウロ、収まらない感が、好きでない。


10月1日の某市立高校での90分講座と翌々日のジャズフェスの準備が同時進行で、さらにほぼ同時で千葉の「サンダーバード展」が終了するから模型の受け入れ作業も組み込んで(これが大変)… さらに12月の某ミュージアムの講義用告知フライヤー原案締め切りが同時。ゲストと想定している御2人のどちらかに決めなきゃいけないし、告知フライヤーの文案打ち合わせもしなきゃいけない。
でまた、このシーズン、お彼岸ラストデーの明日は、坊さんが仏壇を拝みに来る予定ありで半日費やし、夕刻からOH君のピアノ・トリオのライブのドアボーイやって、翌日にゃ、お墓に花を持ってかなきゃいけないで1日…。
1ヶ1ヶはさほどの重量じゃないし、大いに愉しめるトコロも多々だけど、重なると気ぜわしの"落ち着かない感"が台頭する。


ジャズフェスのためのバックグランド作業は、これはもう今年で14回目を迎えるというヒストリーの中で、ボクがおこなうべく作業は例年通りのアレしてコレし、その1例としては、毎度ながら、警察署に道路を占有使用する許可をとるため一式書類を書いて、届け出て、窓口の若い担当に、いかにも所轄を担うのはオレ的な圧をかけられつつ、署長の認可を得るというのを繰り返しちゃ〜いるけど、これなんぞは、いわば単なる通過儀礼
むしろ、「いつも通り」の馴れでの慢心が怖い…。毎年繰り返しているコトでの、その慣習的な自分のふるまいの"抜かり"が怖い。


こういう気ぜわしい時に限って、今まで観ることのなかった映画を、かなり強烈に観たくなるんで、そこを抑制するための妙のエネルギーも使わないといけないのもマイナス。未見のDVDが何本もあるのが、それらがここぞとばかりに「観て観てっ」と主張してる…。
むろん、気ぜわしいイコール時間がな〜い、ではないんで観る時間はあるのだけど、観たい反面、集中できるかしら? の懐疑あり。
でも、きっと、たぶん、観てしまうのだ。



それでチョイ分析してみるに、気ぜわしい感覚がどこから出てくるかといえば、ダンドリの煩わしさなんだね。
諸々ダンドリしなきゃ進まないワケで、なので例えば、某高校の講座のためには模型も持ってった方がいいだろう。「模型を通して見る歴史」といった概要なんだから、ボクの喋りよりもそっちが重要だ。で、それはどこにある? 某ミュージアムの倉庫というかそれに準じたような部屋。では、ミュージアムに連絡し、××日の××時に出向くんでヨロシク… ぁ、その日は館の都合が悪いから翌日の××時はどうでしょ? わ〜、そりゃ困ったな、その日その時間はオフクロを医院に連れてってる時間だぜベイビ〜… みたいな調整やら補正やらをしていかなきゃいけないのが… わずらわしくって、好きでないのだ。


面倒→煩わしい→面倒→煩わしい。
これがクルクル循環するので困るんだ。
電話1本で済むべきが、先方がいなかったり、逆に先方の電話をこっちが受けられずで、直ぐに済むハズが2日経っても決まらない…。
こういう小さいアレコレのダンドリ過程が、瑕疵になり、アクになり、アクとり出来ぬから、まずさになる。
ま〜、そんなコタ〜あたりまえといってしまえばハイそこま〜で〜よ〜なんだけど、ふだん日常ノホホ〜ンな人だから、いざこのようにアレ・コレ・ソレが重なると、斯様な次第で逃避な文を書きたくもなるという次第なのだ。


事実、いま、電話を1本待っている。
2時前前、
「折り返し、かけ直すね〜」
と、いわれて… いったいオリカエシは、何時間までを指すのか… 苦笑しつつもアタマをひねってしまうのだ。
なのでまたぞろ濃く、気ぜわし感が上昇する。
しかもまったく余計ごとながら、この心理をみごとに云い顕すようなのが、昔の中国の古事成句かなんかにありゃ〜しなかったかしら? と、探してみたくなったりもするんで始末が悪い。
アレはあれコレはこれと青竹をスパッと切って邁進出来るような人が、なので、羨ましい。



落語に『いらちの愛宕詣り』というのがあって、たしか昭和50年代後期ころの作品と思うが、イラチというからには上方落語
気がせわしない男がいて、朝起きたら晩ゴハンのことが気になり、なので朝1番で晩飯を食べる… じゃ〜夕刻はどうするんだ? と問えば、今日の内に明日の朝飯を食っておく… といったアンバイ。このワケわかんない男が、イラチを治そうと愛宕神社にお詣りする、そのテンヤワンヤを描いた噺。
この男は日常のサイクルそのものがもはや性に合わないといった終末的イラチ症状だから、
「まったくアホかいや」
ワッハッハッなのだけど、しかし、なんだか多少… わからないでもない。
マ〜、幸いかなこちらは一過性のもの。ここ数週をヤリクリすれば、愛宕山に行かずとも、10月の半ばにゃもう、いつものノホホ〜ンで秋空を眺めてるには違いないんだ。
と、ま〜、落語の登場人物に仮託して… こちとらのイラチ気分を軽うにしようという作戦なんですが。
ホッホッホッ、なかなかうまくいきませんわな。



待ってる間にチラチラ囓った本。
『酒の文明学』
酒は呑むもの。読むものではないけど、ま〜、時に文化史的事情をまさぐってみると、やはりオモシロイね〜。
まだ夕刻だけど… 1杯呑んじゃお。