船乗りシンドバッドの冒険

県営グラウンドの一画に置かれた明治の建物内での打ち合わせからチョイと経過し、その家屋から道路を挟んだ向かいのカルチャーホテルで、依頼された模型の納品と懇談。



ミュージアムがらみは別として、地元岡山で発生する模型仕事というのはあんまりないから、いささか新鮮、いささか面倒でもあった。
とあるプロジェクトのための構想概念をカタチにするというワークながら、企画はまだ立ち上がったばかり… 提示した模型の評価が定まらない。
そのもどかしさが、ま〜、面倒の患部なのじゃあるけど、しばしこの後もお付き合いして2段め3段目めの模型も作るコトになる。カタチにしてあげよ〜じゃん、な野蛮もわいてくる。
けども、別な模型にトライしているさなかでもあったので、同時進行はキツイナ〜の感じ悪さを節々に感じて、甚九郎稲荷の夏祭りにも出向かず、終日部屋にたれこめての作業の連打… これもまたナンギなことなのであったけど、ここでは語らない。
ともあれ、この数週続いた24時間模型モケ〜作業から束の間チョットだけ解放されて、ホッ。



一息いれて、DVDで映画。
船乗りシンドバッドの冒険』。
ボクは生まれてもいない1946年の米国作品。
撮影や編集は1945年… 米国は、ムロン我が国も戦争中だ。
でも、このようなカラーのファンタジーを平然と作って供給しているんだから… 国力のデカサというか、フトコロの深さを思い知らされる。
1億火の玉・鬼畜欧米粉
と、そこらのお寺の鐘やお墓の入場口の金属なんぞも総ざらえに供給させて戦争を遂行し、娯楽なんて〜ものを考えてるヤツは非国民って〜なアンバイの貧相とは比較にもならないのだった。



シンドバッドの映画といえば60年代のレイ・ハリーハウゼンの連作があまりに高名で、日本ではこの1946年作品は見向きもされず、いっそ存在すら知られていないけど、な〜かなか、たいしたものなのだった。
当然に特撮なんて〜のは今の眼にははるかに劣るし、主役のダグラス・フェアバンクス・ジュニアの、無声映画時代を引きずった大仰な演技は噴飯モノだけども、それらはあくまで"今の眼"で見るからであって、当時としてはやはり、それはそれでたいしたワザありな作品なのだった。



ペルシャ的丸屋根の城郭の塔で1人の兵士がコーラン的祈りをやってるシーンがあって、カメラはその人物からゆっくり引いて全体が映り、やがて、街中で大勢の人が伏して祈ってるシーンへとワンショットでつながってる場面などは、ちょっと… 今の眼でも撮影方法がわかんない。
このシーンは間違いなくはるか後年にスピルバーグが『インディアナ・ジョーンズ 魔宮の伝説』で真似たとボクは確信したけど、それくらいインパクトがあって鮮烈だった。



帆船が幾度も登場し、いかにも模型なのじゃあるけれど、帆や旗のはためきを見るに、実にリアルに風をはらむ。
お手持ちのハンカチなんぞをヒラヒラさせてみなさい。
旗にみたてる程にハンカチは風を表現してくれない。
と〜ころが、この映画の模型船の旗は、実に真実っぽくはためいている。
ということは、この模型は、要は、でかいのだ。
船の模型がでかいというコトは、それを浮かせたプールもまたでっかいというコトだ。
当然にその背景となるペルシャ的街並のマット画も、でっかいに決まってる。
手前の帆船、後景、両者を際立たせるには多量の照明もまた必要だったろう。
一体、どんだけの規模よ… と、思わず感歎した。
だいぶんと後年、60年代の米国TVシリーズ原子力潜水艦シービュー号』でも、その最大の撮影用模型は全長が4〜5メートル越えであったらしいけど、おそらく、この『船乗りシンドバッドの冒険』では、もっと、でっかい模型だったろう。
この帆船が見せる風のビジュアルは、60年代の『ベンハー』のガレー船(多数の奴隷が船を漕ぐ)の描写をはるかにしのいで秀逸。



と、ま〜、そのようなところでボクは奇妙な反応を起こして炯々としちゃってるワケだけど… 何より、この映画は、ヒロインのモーリン・オハラが素晴らしかった。
彼女は数年前だか、100歳近くで亡くなったようだけど、40〜50年代の米国映画の1つの顔だったのだな〜ぁ、と、つくづく感じいった。
日本ではほとんど知られない女優ながら、とにかくも素晴らしい。
免疫学の多田富雄氏は、自著の中、
「女は存在だが、男は現象にすぎない」
とあられもなく喝破要約したけども、あ〜あ〜あ〜、まさにそのようで、主役のダグラス・フェアバンクス・ジュニアがただの動くイモムシにしか見えない。




この映画では某国の悪い王子にアンソニー・クィーンが扮していて、後年のフェリーニの『道』で見せてくれた荒くれと純朴の人とは合致しないようなイケメンっぷりに、しばし、
「えっ? ホントにアンソニー・クィーンなの?」
と、訝しめるのも、また愉しい。



1940年代の米国映画の他文化の理解度を今になって計ってみてもシカタないけども、この映画でのイスラム社会(主たるは祈りのシーン)の描き方はやはり稚拙で、今となっては眼もあてられない。
イスラム社会の人の眼でみれば、
「なんじゃコレは…」
なのだろうと思うけど、70年代の、従軍医師たち(朝鮮戦争での米国人)を描いて秀逸な映画『M★A★S★H』でさえ日本の描き方(室内中央に仏像が置かれたり)がイビツなのだから… しゃ〜ないことだ。
でも… ま〜、そういう認識で自分らを見てるんかよ〜、な不満は、やはり次第に募ってくるものだろう。


ま〜、そのあたりのニュアンスで申せば、我々だって大差ない。
原作たる『千夜一夜物語』のシンドバッドの英語表記はSINBAD。
けっしてSINDBADではない。
なので、米国映画は60年代のハウゼンの連作を含め、シンドバッドものの主役名はシンバッドなのだった。
"ド"の発音はまったくない。
なぜ我が国ではシンバッドじゃなくシンドバッドなのか…? ハリーハウゼン作品も、邦題はわざわざ原題を変えて"シンドバッド"だ…。
なぜに勝手にシンドバッド、なのか?
さほどたいした理由はなく、最初に『アランビアン・ナイト』を翻訳した人が記した名を以後も踏襲し続けているだけなんだろか…。
また逆にいえば、なぜ日本では"ド"に固執するのだろうか…。
こ〜いう、ド〜でもいいことにボクはヘンに興をひかれる。



ちなみに… カルチャーホテル内クラブ・ヴィアージのランチ。
ヴァイキング式で毎月のテーマがあるようだ。
今月はビーフ
税込み1500円のリーズナブル。
チョコレートの噴水(?)を初めてみた。串刺したパンや何かフワフワしたの(名を忘れた)をそれに寄せるとパンはたちまちチョコでコーティング…。
な〜かなかヨロシかったんで、また、行こう。