4代前で画像がネボケ

明治の頃の岡山の1地域をけっこう深く掘る作業をやって、幾つかインタビューとしてユカリある人、すなわち血縁者にお尋ねをして、それを講演の下敷きやら模型製作に反映したりなどしてるんだけども… 判ってきたのは、世代が4つ変わると、画像がねぼけてくる… という事実なのだった。
4代というのは概ねで100〜120年くらい前のコトになるんだけども、それが血縁者であっても、もうかなり判らなくなる。
すなわち、ねぼけてしまう…。
とくに昭和20年の空襲で丸焼けになった地域じゃ、ねぼけ具合が格段大きい。
物的証拠となる写真や品が焼けてなくなって、あるのは記憶のみ。
それもごく薄い記憶だ。
話してくれた方のお父さんのコトなら、けっこう鮮明。
そのお父さんのお父さんのコトになると、だいぶピントが悪くなる。
さらにそのお父さんのお父さんとなると、幼児の1枚のスケッチめくな、何だか判らない像しか結ばれない。
諸事のエピソードなど聴きようもなく、「だったらしい…」という風聞めいた気配がたって、かすかな点は打てても線は結ばれない。


自分のコトを考えても、きっと、そうでしょ。あなたも、そうじゃないかしら?
4代前の人を語れますか?
我が母の母は幼心におぼえちゃいるけど、その前の母は、実はほとんど何も知らないもんね。
名前すら、おぼえちゃいない。
血縁なんで墓所もあるから名は出てくるけど… 他はな〜にも、ワカンナイ。


たとえば、ポール・マッカートニーみたいな人になってくると、これは足跡が至る所、あらゆるカタチになって残るから、たぶんに彼そのものの記録と記憶は4代先でも、きっと8代先にでも伝わるだろうけどさ。
「オレの爺さんの爺さんの爺さんは、若い時に九州で、当時有名なイギリスの音楽家と相撲を見たそうな」
「うっそ〜、そんなワケね〜よ。だって相撲ってブルガリアの国技で、日本じゃ、たしか21世紀後半で廃れたハズぜ〜」
「嘘じゃないってば〜。ほれ、写真もあるでよ〜」
てな具合に、時代区分もとろけて前後も危うくなってるけど、何かは残る。


我が宅の中をまさぐってみても、彼の"カタチ"は諸々出てくる。
ま〜、わたしゃ、模型の人なのだから、文字通りの"カタチ"としてのフィギュアが多いのだけど、久しぶりに引っ張り出してみると、
「あれ? こんなの持ってたか」
懐かしいというより、自分とポール、というか、ビートルズとの距離を思ってしまうのだった。
なが〜〜い"付き合い"の中で、こうやってTOYめいたモノが貯まっていたワケだ。


さて、そうすると、このTOYたちを通じて、ボクとビートルズの"歴史"も紡がれるワケで、あくまでも"自分史"じゃあるけど、それはそれで大事じゃないかな。
次世代に継承されることもないミニな個人的ヒストリーだけど、自分にとっては、それがなきゃ、自分じゃないワケでね。



TOYじゃないんだけど、1本VTR。
2001年の11月30日の、武道館でのエリック・クラプトンのコンサート。
その違法な海賊版
この日、ジョージ・ハリスンが亡くなったんだ。(米国時間では29日)
ニュースを聞いたのは、武道館に近い、英国大使館隣りのフェアーモント・ホテルだった。
(悲しいかなこのホテルは今はもうない)
この夜のクラプトンのコンサートのために、ボクはそこに泊まってるワケだけど、そりゃショックだったよ。
でも、ハリスンの大親友クラプトンは黙々淡々とステージをこなしたんで、それはそれで驚いた。
ハリスンの曲を途中、一曲。
ごく短く、
「ジョージに…」
と、告げただけのステージ上のクラプトンにボクはプロフェッショナルを見たよ、感じたよ。
コンサートの翌々日に、早くも新宿某所で売り出された、この夜のライブ映像VTR。
ひどい映像だけど… 買ってしまったワケだ。
でもって、この時点をもって、ボクはもうビートルズの他の誰が来日しようがコンサートには出向かないと、誓ったんだい。
ポールはポールで、リンゴはリンゴじゃあるから、ジョージ・ハリスンの死去と関係はないけども、ビートルスがらみの何かに、その頃のボクは… 点を1つうって、行を変えたかったんだろう…。


だから、ポール・マッカートニーの今回のコンサートに参加出来た方々はすごく大きな体験をしたでしょうと、羨ましさじゃなくって、参加の方々個々の中の"自分史"の中に大きく刻まれたもののコトを想像して、感慨深いんだな。
かつて60年代の末に、アポロ11号が発射され、それを見た100万人の体感が、実は途方もない歴史の"目撃"であったように。



なぜこれを買ったのか判らん… シルバー製のビートルズ・メダル。
1967年の刻印がウラ面にある。なんかの音楽雑誌の通販で買ったように思うけど経緯が思い出せない。中学3年の頃とすると、シルバーを買うお金はないんだけど、1週間ばかり鉄工所にアルバイトに行ったような気もする…。 
と、自身のことすら判らないんだから、4世代前の人の記憶というのは、ね……。



ジョン・レノンのプラモデル。
これもどういうワケで、どこで入手したのかも記憶にない。米国eBayでも出回らない稀少品。
パッケージにBEATLESではなくBEATLEと記されてるのがオモシロイな〜、と思った記憶だけが今もあるけど、そう思ったのが何時だったかも、皆目わからない。
ボクが死んじゃえば、遺族には価値判らぬただのオモチャゆえ、捨てられるんだろう、これは。
あの映画『市民ケーン』の最後のシーンに登場の、捨てられて焼かれる木馬のオモチャ同様に。



これもそう。
英国製の小さなTOY。
右端のジョン・レノン。随分に傾斜してるのは、これはたぶん、プラスチック成形直後に足元部分が歪んでしまい、昨今ならば不良品扱いなんだけど、60年代のこのメーカーはそこは眼をつむって、塗装し、市場に出しちゃったみたいなアバウトさ加減がイイではないか…。
愛すべきな、時代を検証する手がかりとなる逸品だ。
これまたeBayあたりじゃ、ときどき、眼をむくようなネダンで出品されてるようだけど、その次第も価格も興味なし。
好んで、この足元が歪んだレノンを買った自分の、その時の精神に、オモシロミを感じる。
結果として、今みると、非常にこれが"個性"に見えているワケで、大量(たぶん)に作られた"製品"ではなくって、よりパーソナルな"活きた逸品"に思えてる。



91年製のアップルレコード公認の大型フィギュア。放ったらかしでしまい込んでたからホコリまみれ。
でも… そのホコリまみれが、時間の積もりと思うと、ホコリすら何か大事におもえてくる。なのであえてホコリをはらわず、今回写真をパシャリ。
3人のギターがプラスチックではなくって木製なのがイイ。必ずしも精緻じゃないけどもウッドゆえのホンモノ同様な風合いが醸されて、よく出来てら。



これも90年代。
当時、エポックさんと仕事をしていて… エポックさんがこれの輸入元で、それでもらっちゃったような記憶。
随分と大きい。

秀逸な、今も凄いと思ってる映画『イエローサブマリン』の、そのキャラクター達を3Dにしちゃえた力量に、当時、ひどく衝撃を受けたもんだ。



これも、そうかな〜?
こちらはいずれもプラモデルだ。組み立て模型が斜陽になってる盛りに出た製品で、プラモデルの活路はもはや特化した分野での模型(戦車とか)でしか成立しないと思われた頃だったから、「これは売れないぞ〜」と直感したもんだ、当時。
じっさい、ほとんど売れてないと思える。
ビートルズのライセンスも高額なんだから当然に再販もないし…。
左下のはダイキャスト・ミニカー。



これは90年代終わりの頃かな?
題材は『マジカル・ミステリー・ツアー』から。ダイキャスト製のズシリと重たいミニカーたち。


80年代半ばの、コショウと塩を入れる瀬戸物。
"物体"として、これ、とっても好き。
もちろん、かの『サージェント・ペパーズ…』のドラムがモチーフ。
サイズが気がきいてるんだ。
LPジャケット中央に鎮座するドラムとまったく同寸なのだから、これっ、オシャレじゃんか〜。

じっさい、塩やペッパーを入れて使ったことはないけど、これのみは、部屋の、眼にとまる場所にオブジェとして置いてるんだよ、今も。
眼にとまる場所に置くことで、常に何だかを… 喚起させてもらってるワケだ。
それが何かといえば、ビートルズと自分という者の"距離"なんだよ。
遠くない、という思い入れ。



ビートルズ・アンソロジー』に収録された"未発表曲"『Free As A Bird』。そのプロモーションVTRに登場した真鍮製置物。
ハエだ。
ハエの形の灰皿。
よまや同じモノが画面に登場しようとは思わなかったけど、70年代にパリのクリニャンクールの朝市で買ったアンティック。
オランダ経由の帰路、アムステルダムの空港の金属探知機にひっかかって、係官2人の前で荷物を調べられて、出て来たのがこのデッカイ金属のハエだったんで、係官2名、腹を抱えて笑うという…、どっちか1人はボクの肩をたたいて、むせぶように笑ってた… 忘れられない品。
その笑ってる顔はもう思い出せないけど、彼らの白いシャツと青いタイの記憶、そしてビートルズという、まるで関連のなかった時間と場所とがボクの中で一体となった品物。


ともあれ、ポールやビートルズは世代を超えて今後も語られようし、グッズも出てくるんだろうけど、それって、例外なんだね。
ボクらが調べてる明治の頃の岡山の人のカタチって… ほとんど伝わってね〜の。
大袈裟にいえば、人類の98パーセントぐらいの"生"は、後世には伝わらないんだ… と、そう思う。
そこがオモシロくもあるんだけど、ね。
この前、講演のさい裏方役を担ってくれたSunaharaちゃんと話してるとき、

「人の過去いっさいが明白だと、地球は過去だらけで、今を生きる活き活きさがシンドクなる」

「なのできっと、遺伝子だか何かが、せいぜい4世代くらいの記憶しか残さないように仕込んであるんじゃないかしら」

「過去は過去。それはほどほどにとどめ、今この瞬間を基点にした未来に眼をむける方に重点が置かれてるのが人間だ〜〜」

てな結論めくを得て、二人とも呵々と笑ったんだけど… おもしろい、ね。
人間の営み。
4世代先でたいがい画像がぼけるというのが、おもしろい。
1本、SF映画のシナリオが描けるような材じゃ、あるね、これは。