天狗の正体 〜アイソン彗星〜

少し間を置いたけど、『サンダーバード展』は大阪での"冬休み"のみのスペシャル展示ですよ〜ん。
12月27日より阪神百貨・梅田本店にて開催

でも、今回はそれとは関係なしで… 天狗の話。
(^_^;


子供の頃の自分の写真の中に、天狗のお面をつけているのがあって、それは… 実に気恥ずかしい。
いまどき… 天狗なんて一笑ものだし、そもそも子供のときに天狗に興味があったとは云いがたい。
むしろ、どん臭い、ダサイ感じ、を抱いていたと記憶する。
何なのよ、あの猥雑な鼻は… ってな具合ゆえ、そのダサイのを自らのヘッドに着けて写真に映ってるのは、どういう次第なんだろかと訝しむけど、ま〜、それっくらい、その程度な、ものだったワケなのだ。


この写真。自分とは思えないけど… 自分なのだ。
場所は津山は鶴山(かくざん)公園で、おそらく季節は春に近い冬明けの頃だろう。
丈の短い上着やズボンが貧しげで、と〜ても愛おしいけど、あらま悲しや、お面は天狗だ…。


けれどこの写真から時間が経ち、随分と後年になって、鼻が伸びちゃってるソレとか、口元がクチバシ状で翼を持ってるとか、翼じゃなくって蓑の笠めいたアレとか、天狗にも種類があることを知ったボクちゃんは… さて、そうなると、何かに似てるな〜、などとヒッソリ思ったりもし始めた。

例えば石ノ森章太郎の『サイボーグ009』の傑作「地下帝国ヨミ」篇に登場のヤツとか、例えばオリエント美術館(岡山市)所有の「有翼鷲頭聖霊レリーフ」とかに、天狗の面影を見いだして、
「おや?」
な〜んて、クエスチョンを念頭に浮かせて、それでヒョットして、古代アッシリアとかの文化圏の影響が日本の天狗の"姿"にはあるんじゃないかしら… と、アタマの良い人みたいな考えを起こしたりした。

それでいつだったっか、『天狗考』(知切光蔵著・濤書房)を入手して、めくってみるに… そういう考証も記述も… まったくないのだった。
「ありゃま…」


なので、これはボクの誤りというか解釈に問題アリということになって、アタマ良くないじゃん、なんだけども、イメージとしての天狗の"姿"には依然としてオリエンタルな香りがあるような気が、今も… 払拭できない。
もちろん、これはネクタイとスネークが似ている程度な、かの山伏スタイルから来る形状類似だけを根拠にした連想に過ぎないから、もし知切氏が存命ならば大笑されて、
「何をアホ〜なことを」
てなアンバイかも知れないんだけど。

然るに、その天狗なるモノが日本に"導入"された頃、天狗とは何かといえば、な〜んと、ホウキ星なのだった。
天狗研究の第一人者だった知切先生は、そうお書きになっておられる。
「へっ?」
てなもんだね。



『天狗考』によれば、最初に文献として登場するのは『日本書記』で、今からおよそ1400年ほど前の舒明天皇の時代。

治世6年秋8月 長キ星 南ノ方ニ見ユ、時ノ人帚星ト曰フ。

にはじまって、以後数年、このホウキ星が見えていた事が記述され、

治世9年の2月 僧旻(そうびん)曰ク。流星ニ非ズ。是レ天狗(あまきつね)ナリ。其ノ吠ユル声、雷ニ似レルノミ。

で結ばれる。
流星に非ずと、流れ星を否定しつつも大音声を伴うみたいなコトも書いてるから、ボクらが知覚する帚星(ホウキ星)すなわち彗星(すいせい)とはチョット違うような感じもあるけど、ともあれ、その尾をひいた姿に不吉の前兆としての天の狗(キツネ)、を見たらしい。
尾の部分をキツネのシッポのように解釈しているんだろうね。


僧旻は中国で24年間も学んだバリバリはえぬきの学僧で科学技術庁長官みたいなポジションにいるから、こういう人が発言すると、ホントの事という次第だったワケだ。
僧旻の発言の根拠となるのは、中国の『史記』や『漢書』で、これらに、

天狗ノ状ハ大奔星(だいほんせい)ノ如ク、声アリ下リテ地ニ止マレバ狗ニ類ス。

とか、

西北ニ3大星アリ、日ノ状ノ如シ、名ヅケテ天狗ト曰ウ。天狗出ヅレバ則チ人、相喰ム。

などとあって、アマキツネ(天狗)の出現は、よろしくない事の予兆と示唆されたようなのだ。


思えば1400年ほど昔の日本で数年にわたってホウキ星が1つ天空にあって、「書記」はその目撃談として綴られているんだから、ビジュアルとしてはなかなかにファンタジーめくな光景。
電灯はないんだから地上は圧倒的に暗くて、星は今の幾数倍見え、それもクッキリ。その中に尾を引くコメットが登場するというのは、如何にも、意味ありげであったろうね。
そうでなくとも夜は深閑なのだから、怖さが今とはまったく違う。とても、吉兆とは思えない…。
そんな次第で、天狗とは、意外やコメット、彗星なのだった。


ちょうど今、夜明け前の東空低くに出現のアイソン彗星を、ボクは直かに見ちゃいないけど、もしも1400年を経て、ホウキ星=天狗=厄いの前兆、が今も信仰的に伝承されてたなら… なので、大騒ぎしてガタガタ身震いしてなくちゃイケナイのだった。
不穏を払拭すべく何事か用心しなきゃイケナイのだった。
幸い、時代と共に天狗も変わって最後にゃ鞍馬山界隈で白馬にまたがって悪しきを罰するみたいなコトになっちまったから… 凶報の予兆でもな〜んでもないんだけど。

でも、昨今はかなり厄介な感触の諸々がまかり通り出したりしつつも、ま〜、いいかァ… てな按配にドンドン流されているようで、それを思うと、アイソン彗星にボクは当初の天狗(あまきつね)を連座させて… ホントはちょっと、世の"流れ"に怖じ気づいてみたいんだけどね。


※ 最下段イラストはたむらしげる氏のイラストの1部(リブロポート刊)