ありそうでないハレー伝

この前、マイ・マザーの部屋にいたらTVのクイズ番組で、司会のタレントが、
ニュートンといえばリンゴですが…」
そう切り出したんで、
「まだ、そんなコト云ってるんかぁ〜ン」
鼻で笑って、つい悪態をついてもみるのだった。
米国でもヨーロッパでも、もう14〜5年前から、リンゴに言及されることはないらしきだから、したがって14〜5周の周回遅れな感じをおぼえたわけなんだ。


それは後世に創られた美談的創作として認識が進んでいるようで、いまだニュートンのリンゴがテレビで語られたりするのは、どうも我が国だけのような感もなきしにあらず。
いわば真顔で、義経はモンゴルに渡ってジンギスカンになったんだぞ〜、みたいなコトを云っているに等しい。
なるほどニュートンのウールズソープの家の庭にリンゴの木はあるけれど、その落下が、決定的な何かを示唆するものではなく、関係も証拠づけられないんだから、当然にその言及はなされないというのは、まぁ自明のこと。
昨今はもっぱら、アイザック・ニュートンエドモンド・ハレーと、敵対するカタチでのロバート・フックの人間関係で語られていることの方が多いようだ。
もちろん、この関係はすこぶる面白い。誰もが知る「細胞」という単語をつくったフックも、ニュートンら同様にスーパースターながら、この関係においては悪役だ…。



※ ニュートン肖像画。荒ぶる金髪(かつら?)がおよそ250年後の英国ロックシーンの到来を物語るヘア・スタイルかどうかは知らん…。


けど一方、TV画面に文句云いつつも、ボクとて、リンゴの話に愛着がないワケでもない。
ウィリアム・テルの、息子の頭上のリンゴに向けての矢と同じく、良く出来たハナシ。内心はかなりお気に入りであったりもする。
着想が素晴らしく、この”作家”の技量に感服もする。
たぶん1番によかったのは、ミカンとかトマトではなく、リンゴを持ち出したことだろう。
リンゴの形と重さの感触は誰もが知るところで、それが重力という存在の頃合いにうまくフィットしているとも思える。スイカだとハナシが重すぎ、ココナツは硬すぎる。かといってメロンだと…、甘すぎる。
メタファーとしての「禁断の果実」とか「善悪の知識の実」とかいうのもからめたろう。カトリック教会に批判的だったニュートンのハナシゆえリンゴが1番に象徴的でもあったろう。彼は教会には批判者だけど熱烈なキリスト教徒で、イエス復活の日を数式で見極めるというような試みにも熱中したヒトだった。


けどまた逆に、リンゴに関して云うと、そのサイズと重みに重力というのが規定され拘束されちゃうようなペケなアンバイもこの逸話にはあるワケで、ま〜、そのようなことで誤解されても困ります〜〜という「公平な科学的見解」もあってアチャラの国々ではリンゴ話を止めにしたのかもしれない。



しかし、アイザック・ニュートンにしろエドモンド・ハレーにしろ意外や日本には伝記本がない。
ハレーはかの彗星で、ニュートンはリンゴで、共に誰もが名を知る有名人だけど、その業績じゃなくって人物の履歴となる伝記が翻訳されてない。変だね〜〜。
記述としてまったくないワケでもなく、彼らの業績を記した本にその付随的エピソードは紹介されるけど、単体の伝記書籍は探しにくい。



※ 竹内先生の本は判り良い。初歩の初歩を知るに最適。


※ ハレー肖像画。荒ぶらないけどニュートンより長い黒髪かつら(たぶん)がちょいとクール。


引力を受けて運動する物体はどういう軌道を描くのか?
この問題を数式で解いたニュートンに対し、ハレーは驚愕歓喜し、強く出版を進める。
英国王立協会から出版がきまる。
けど協会では前年だかに出した超豪華な「魚類誌」がさっぱり売れずで大赤字を抱え、ハレー達協会員の給料さえ出せなくなって、その本を支給することで給料とするという大赤貧だ。
そこをハレーが頑張って、ニュートンの本「プリンキピア」を協会から出させた。
ハレーが出資、自腹をきったらしい。
彼はどうやって印刷費を工面したか? 支給されていた『魚類誌』を売ったとして、どれっくらいのマネーと交換できたのか…? 彼の奥さんはそのことでエラク苦労したんじゃないのか…?
そんな下世話を知りたいんだけどねぇ。
そこを物語ってくれる伝記本が出てね〜〜の。
なんで?



※「魚類誌」は、稀に今でもオークションに出品されたりする。
最低落札額が£ 8,872.93というから…、だいたい1億2千万円以上用意しておけば、手袋なしで自室でページをめくる楽しみを味わえる。むろん、ハレーが生きてた頃は数万円くらいの、ま〜、それでも当時としてはとんでもなく高い本だったはずだけど。


※ 展示中の「魚類誌」と、欲しそうなヒト。


云うまでもなく、ハレーは彗星の発見者じゃない。
過去の古文献を丹念に調べ上げ、目撃例としてあった幾つかの彗星が実は同じものというコトをニュートンの引力の法則に基づいて計算し合致させ、軌道を導いて次の到来も示した。
嘘だと思うなら50数年先の某年某月が来るのを待ちんしゃい…、そう「予言」して世を去った。
で、その通りに彗星が現れた。ハレーの計算は立証され、そこでやっと彗星に名がつけられた…。



※ セーガン先生の良書。


台風だの大雨だのの天気図でおなじみの風向きを表す線と矢羽根記号は、実はそのハレーが発明したものだし、彼は海中に大きな瓶(かめ)を沈め、空気を送る管をそれに連結させて自身が乗り込み、3時間以上海中生活を送って、これを事業化。港湾界隈に沈んだ船の金属パーツなどを回収する仕事を成功させたりと、後のヴェルヌも驚く冒険をやってるユニークさ。
彼の伝記を読みたいじゃないか。


かつて英国王立協会にあったロバート・フックの肖像画は現存しない。
協会に復帰したニュートンが焼いちゃったというのがモッパラな噂。
やはり荒ぶる金髪…。


ハナシ次いでの余談ながら–––––––。
理科大のK先生から、本1冊、
「これオモシロイ」
とのことで借り受ける。



※ 『宇宙に命はあるのか』小野雅裕/著


ややタイトルと中身が乖離しているけど、内容良し。ジュール・ヴェルヌのことから昨今の宇宙に向けての技術者の話など開拓史的なノリで綴られ、映画『ドリーム』を観たさいと似たワクワクした知る喜びをあじわえた。
しかし、表紙はいけない。
偏狭なナショナリズムすら感じて、かえって損してるような気がしないでもない。それに、本がこっちを挑み見てるようで愉快でない。
こういうのって、ちょっと不思議。絵の人物が視線をそらしてりゃ、ここでブ〜たれるコトもないんだけどね、視線が強すぎ野望ギラギラなんだよね。
眼がいやらしいんだ、この絵は。
自分の本ならマジックでサングラス書き加えてもいいけど借り物ゆえ、ねぇ。
その点、ハレーの肖像画はいいね。こっち見てるけど穏やか。こっちに眼をやってるけどコッチに興味を示していない。
だから逆に、「先生っ、ボクいますよ〜ここに」とこちらがこの絵を注視しちゃうんだ。
アップでハレー先生をば…。チョイとモナリザっぽい蠱惑あり。