がんじすがわのまさごより

山形は天童市に友人がいる。
もう5〜6年、直接に会ってはいないけど、大事な友達の1人だ。嗜好が似通っていて打てば響くようなところもあり、ときおり送られるメールで近況を知らされると、何やら安心と元気を同時に頂戴するような感じがある。
その彼が仕事で出張していてこたびの地震に遭遇をした。
あの茶褐色な土砂が一挙に流れ込む衝撃的映像でもって眼をはらされた仙台空港の近くでだ。
立っていられない程の揺さぶりに次ぎ、近場の川の水量が増したと同時に、そこに車までが流れてくる…。
道路も寸断。地震と同時に電気も絶えて信号はまばたきしない。
這々の体で避難した。
避難場所は体育館。
大勢の見知らぬ方々と1夜を過ごすことになる。
車で出張していたようである。
なので彼は車の中で1夜を過ごした。
電気のない真っ暗。
夜中に、ふとウインドウから上空を見たら、満天に星があったという。
それで彼は、
「すごい! 降るような星だ」
と、つぶやいたそうな…。
むろん、この原典はかのクラークの「2001年宇宙の旅」のラストだ。
たぶん、それほどに空に星があったのだろう。
いや、実際… 地震があろうがなかろうが、空にはたえず"降るような星々"があって、ボクを含め、いまは、その降るような星を見られない環境に住まっているに過ぎないんだ。
日本の、とりわけ都会でもって、その"降るような"のが見えたのは、大戦中の灯火管制が敷かれた時だった。
空爆から逃れる術としての真っ暗闇。
いかんせん、敵さんは、そこに灯があろうがなかろうが、位置の掌握がチャンと出来ているから… 真っ暗けな町に向けて的確精緻に爆弾を投下した。
たちまちに、紙くず細工のような家々は煌々メラメラと燃え上がって周辺は明るい暗鬱にくるまれたけど、それまでの爆撃されるまでの時間は、濃い闇だった。
日本の都会に現出した、最後の闇だ。
その闇の中では、金星の光ですらが、地表に薄い影を落としていたそうである。
これは当時を回想した高名な作家の記述中にある。
本が読めるような月の輝きではないにしろ、ともあれど金星の光が影をもたらすコトに作家は鮮烈をおぼえたのだった。
そして、その金星と共に数多の星々が宝石めくぎっしりと詰まった夜空の輝きに、作家はまもなく訪れるであろう凶猛な災禍のことを忘れるのだった…。
我が友が体育館のそばの車中から眺めた星々もまた、そんな強い光輝を放っていたろうと想像をする。
ずっとずっと昔から、そこにあるものが… いまはボクらには見えないというのが、はがゆい。
星の輝きもまたたきも意味あるものではなくなって既に久しいから、当然に、そういった自然への畏怖もないのだろうと思われる。
真の闇、というのを体感したことがない人の方が圧倒的に多いだろうとも思う。
一度、それは体感した方がいい。
どこか、地方の、山の中へでも出向けば、かろうじてそんな暗闇がまだあると思う。
1度だけ、岡山県のほぼ中央の山の中で、そんな闇をボクは味わったことがある。
月も星もない暗夜には、自分さえも見えないのだ。
足下はおろか、自分の手すらも見えないのだよ。白いシャツを着けていようが、それも見えない。
存在そのものが消されたような感触を否応もなく味わわさせられるから、だから、すごく恐い。
畏怖、という単語はそこにピタリと当て嵌まって不動なものとなる。
_____________________________
幸いかな、我が友は翌日だか翌々日に天童市に戻れたようである。
何年も何年も経っても、たぶん、彼の中では、避難場所で見た星粒の集積は、うまく言葉としてまとめられない性質をもった永遠の輝きとして残光すると思う。
それが無情なるものか、あるいは願い星としてか、希望としてか、そのあたりは苛烈を経験したものでしか云えないものだけども。
ともあれ、星はそこにあった。
高名な作家の本のタイトルをもじっていえば、
「がんじすがわのまさごよりあまたおはする星の群れ」
というあんばいだ。