西大寺観音院

お寺でゴ〜ン♫ 思いたってGO。
西大寺観音院に行く。


はるか大昔は犀戴寺といった。
新寺を造ろうと紀伊の安隆上人がやって来て資材を集めてたら、サイのツノを持った龍神が現れて、そのツノで地面を固めて本殿を建立せ〜、と告げられた。それでサイから頂戴したというコトでサイダイジという。
寺からチョンボリ離れて隣接の公園に、サイを顕彰する像がある。名のインパクトにのみ注視すれば、犀戴寺の方が何やら迫力があるような気がしないでもない。
何でサイなのかは判らない。



※ 本堂横手の吉井川の支水路。

※ 水路の橋を渡って公園にいたる。


近年は、亜公園がらみの調べ物やらやらの関係で神社に接することが多く、気分の置き場としてはお寺さんより神社の方がポイントが高い。
うちは神道ではないし、阿弥陀さんのお仏壇があって年数回は坊さまもやって来る次第ながら…、空間としてどっちを好むと迫られたら、巫女もいるから神ジャ〜、エールをおくってしまう。
でもま〜、神仏習合な国なんだからヨロシイじゃ〜ござんせんか、どちらでも…。そのあたりは一向に気にしない。じっさい、西大寺観音院にも稲荷社が同居しているし。



西大寺観音院は稲荷もあるけど、基本は真言宗のお寺さん。
安隆という人物が紀伊から来たというのは、高野山を指す。空海真言宗だね。
だけど、2月の裸祭(会陽)があまりに有名過ぎて、逆説的に、それがお寺本来の魅力を減じているような気がしないではない。1241年も前からある寺という感じが…、薄い。
会陽の裸祭は室町時代がスタートらしいから、西大寺そのものの歴史として最初からあったものでない。むろんそれで、同寺は奇祭の寺として名だたる場所になっているけど、その得と引き換えに何かを失ったような感触がなくはない。



※ 会陽で使われる水垢離、禊ぎの場(中央に観音像があって、その足元からシャワーみたいに水が出る)から、パチリ。


禊ぎした裸の男達を受け入れ、宝木(しんぎ)の争奪を見せるための特設の席が本堂に向けて常駐しているからスタジアムっぽく、古刹に似合うべきな落ち着きが欠けている。
出向いたこの日は本堂屋根を修繕中で、余計、何やら落ち着かない。
要は古さを感ぜすで、会陽のたびにここはリセット更新されてるんじゃなかろうか…、新陳代謝の息吹の方を濃く感じてしまうのだった。



※ このブルーのプラスチックな椅子席はま〜必需なものかもしれないけど、会陽以外で何かに使うのかしら。と云いつつ…、ここで弁当をひろげてもイイカとも思ったけど。


でも、その辺りの感覚的諸事情は当のお寺さんが十分に認知されてはいるようだ。裸祭りだけの寺じゃないよと奮闘されているようだ。
じっさい、今、西大寺観音院はインターネットのファンディングを利用して寄進を呼びかけていらっしゃる。
古い絵図(それもまた裸祭がらみのものじゃあるけど)の修復がために、費用を集めていらっしゃる。古きを今後に伝えるべく、その最善を模索されているようだから、それは悪くない。


古い絵図なんぞを本格的に修復保存しようとすれば、かなりの費用がかかる。けども修復でもって曖昧だった過去の一部は浮き出てくるハズだ。
こういうのは、声援をおくりたい。
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過去というのは常に曖昧になる。
例えば今、亜公園つながりで明治の岡山駅前のコトを調べてるけど、同じ事物を記述していても資料となる書籍で皆…、違う。
なので迂闊に1冊の本のみで「史実」と思い決めて考察するとエライ目に遭う。たかが明治の昔でそ〜なんだから、1241年も前に建立されたらしき寺の過去はもっと激しく曖昧でしょう。
紀伊の安隆上人とあるけど、高徳をつんだ僧としての上人(ショウニン)か、あるいは普及ボランティアとして全国を行脚した高野聖の、しかし気高き人としての(ジョウニン)だったのか…、判らない。さらにその当時は、上人と書いてウエビトというのもあって、これは天皇のいる殿上に昇殿を許された人を指しもする。
当時はその方々を知ってるから上人と書いとけば意味するコトは判ってたろうけど…、後年になるともう記憶が薄れちゃって、その2文字だけじゃ〜人物の素性が出てこない。
だから今、それら不明を探るのは、例え経費がかかろうとヤルべきな大事だろう。



西大寺観音院のHPより。


けど、いささか残念に感じたのは、同寺のホームページでの熱意ある取り組みと、同寺に訪ね寄ってみる限りでの印象がズイブンに違うことだな。見落とした可能性もあるけど、寺の文化財保護の寄進を求めてる旨が寺の中のどこにもなく、チグハグな感触をおぼえさせられた。
集金に関しての寺という立ち位置による税の問題とも思うけど、寺を預かる方々の世代間の感覚差があるのかもしれない…。



初々しい感じいいカップルがお賽銭を100円にするか500円にするか悩んでた。


ちなみに会陽の開始を告げる「会陽太鼓」は全員が女性だそうな。彼女たちも例の観音像シャワーのところで白装束で禊ぎし、それから太鼓を叩く衣装に着替えてガンバル。これがいつからそ〜なのか知らないけど、男たちを鼓舞する女たちのドンドドドンッ、役割分担で男女とも参画しているわけで、どこかの相撲協会の硬直を思うと、”まわし”具合がダンゼンよろしいなぁ。