60年代のオモチャたち ~ペネロープ号~


ミニカー、「キャラクター編」の続き。
60年代→英国→映画→車。あえて、こういう流れでのミニカーの話。当然に数は絞られる。
最近トヨタがクラウンをピンクにペイントして見せ物にしてるけど… 元祖ピンクはレベルが違う。
サンダーバード』のペネロープ号。"正式"にはロールスロイス FAB1。

60年代中盤という時代にあって、TVドラマの中の特装車とはいえこの桃色加減の妙は、たぶんに革新的。
カーナビー・ストリートに尖った若者たちが集い、ファッションと音楽が2重螺旋を描きつつ生活スタイルへと浸透していって、その前列にいたのがローリング・ストーンズでありビートルズでありスモールフェイスであり、マリー・クアントであり、ツィッギーの細身と力のある眼の動きだったワケだけど、よどんだ停滞から脱して何か新たな胎動が、それも若者の手で始まりつつあるという当時の英国のうねりが… このピンクには存分に反映していると思う。
製作総指揮のジェリー・アンダーソンやミニチュア特殊撮影のデレク・メディングス達は当時30歳前半の若さ。
ロールスロイス社はこのデレクの車輛デザインにゴーサインを出して許諾しているから、ただ古くって伝統のみ重んじる企業ではなかったコトの証しにもなる。例えTVの人形劇用とはいえ、ピンクカラーにロールスロイスの冠をあたえているワケなのだから、すごく勇気のいる、これは決定だ。

シルヴィア・アンダーソンの自伝によれば、承認にあたって同社は、劇中では車の名を略称(ロールスとか)で呼ばず、ロールスロイスのフルネームを使うことを望んだ、そうな。
いわば、これは、このピンクにロールスロイス社が誉れを持った証拠だろう。
6つのホィール、未来感覚あふれる透明なルーフに、古式なフロントとリアの形。ドライバー席は車輛中央と、ペネロープ号は今見ても極めて"新しい"。
レトロフューチャーの一語では括れない魅力がある。
この"新しさ"をピンクでカバーしたセンスと、最近の国産のあれとには… 大きな差があるな。塗り変えりゃイイというもんではない。

ペネロープ号の最初のミニカーは英国のディンキー(DINKY TOYS)が造った。
英国国内、リバプールでの製造。
当時の時代のうねりに乗じて、凝った造り。
後部からヤリのような武器の発射、前部中央では『サンダーバード』劇中では機関銃っぽい武装として描かれたものをあえてミサイルに変更して、これをワンプッシュで発射出来るというギミックが入って、これが後の数多のギミック入りミニカーの先陣となる。
透明なルーフがいささか背が低すぎるけれど、秀逸な造りだった。なにより塗装が厚い。それでピンクがより冴えたと思える。
子供のオモチャとして販売を想定したのだろうけども、大人の中の童心を充分に刺激する出来具合だった。
実際、当時のロンドンでの若者文化(そんな言葉すらなかったけど)をちょっと紹介している雑誌の写真で、ブティックの中のオシャレな洋服の横にこのミニカーが置かれているのをボクは見た事がある。尖って先鋭なカーナビー・ストリート周辺のファッション人にとって、この車は1つのアイコンでもあったろう。
この場合、車と、それに乗っている人物2名だ。
執事パーカーのHを発音しない(出来ない)生粋のロンドン訛り(広義な意味でのコックニー・レベル)と貴族階級のペネロープの話し言葉のギャップ。

「オ〜ム・ミ・レイディ〜?」
「…… ホーム・パーカー」
ペネロープ号のシーンでよく登場した、この、
「しきかえしましょうか、お嬢さま」
「ひきかえしましょう… パーカー」
いささか日本語にするには不向きなニュアンスだけど、かつての江戸っ子が「火消し」を「しけし」と、いったアンバイと思えばいい。
コックニー訛りを意識的に番組で使ったのは、この『サンダーバード』が初めてなのかもしれない。
子供用テレビ番組の範疇を超えて、当時のロンドンっ子、オシャレ人間をくすぐって笑わせる格好の、当時の流行りで云えば、これは"モッズ・モード"なやりとりだった。
貴族階級への反撥と同時に、拭いようのない濃い憧れ…。そして、馴染みあって愛すべきロンドン地域の発音。毎回、衣装を愉しませてくれるオシャレなペネロープ。そのオートクチュール感にあふれた衣装に、当時の新進のファッション・デザイナーは刺激を受けたに違いない。そのデザインに憧れたのではなく、そういった衣装を創り出す事業を自分たちの手ではじめているのだという自負の部分での刺激。
そうした次第あってのこれは、オモチャが、オモチャ屋なり模型屋なりから離れた違うフィールドで扱われ出した先例だと思う。ジャンルの垣根が溶けて溶融し出したのが、この60年代半ば頃。
あまりこの事に言及されないのがボクには不思議だけど… 1966年公開の『サンダーバード・劇場版』では、クリフ・リチャードとシャドウズが人形となって登場し、彼ら自身が唄って演奏するという、メディアミックスなジャンル越えを有り有りと見せてくれる。後のMTVに連なる音楽と映像の組み合わせの面白さの、これも先陣じゃなかろうか。


ちなみに、ディンキートーイはリバプールで1931年に創業というから古い。コーギー(Corgi)と並ぶ英国のミニカーメーカーの老舗。

ちなみついでに…、ジョン・レノンは勲章をもらいにバッキンガムに出向いた時の自分のロールスロイス・ファントムを、1967年に、オランダの若手のアート集団THE FOOLに預けてボディをサイケデリックペイントしちゃった。
モッズ・モードからサイケデリックなモードへのうねりのさなか、権威的なものへの反感なり反体制的な意志表示としてのこれはファッションとしてのアートだったワケで、そのあたりでも、クラウンをピンクにしてみましたとは趣きが違ってる60年代だけど、ペネロープ号のピンクがジョンとTHE FOOLに影響をあたえたようじゃある。

当時、ジョン・レノンは幼い息子を抱えているから自宅で『サンダーバード』を観ていた確立は非常に高い。後の、といっても68年だけど、「ヘイ・ジュード」で唄われるあのジュリアン君と一緒にだ。
ジョンはもう1台、ファントムを買っていて、これは白いボディ。こうしてみると、でっかい車だな〜。ペネロープ号はこのカタチをうまく"発展"させたカタチだというコトが判る、ね。

もひとつ… ロールスロイスというのは所有者が運転する車ではないんだね。ペネロープがパーカーに運転させていたように、さすがのジョンもファントムを購入と同時に運転手を雇ってる。自身で運転していたのはフォルクスワーゲンとミニだ。
ミック・ジャガーは自車をピンクにはしなかったけど後の1978年に、シルヴィア・アンダーソンと面会。『サンダーバード』の撮影当時のコトを身を乗り出して聞きいり、続々と彼女に質問をくり出して… 隠れフアンというコトがバレたりもした。


※ ジョンのロールスロイスは今はカナダのロイヤル・ブリティッシュ・コロンビア博物館に展示されてるそうだ。


どういうワケだか、ボクには、このピンクのミニカーに接するたび、
『山蟻のあからさまなり白牡丹』
蕪村の句がくっついてくる。
20代の後半か30代になって知った、白い牡丹の花びらにアリが這っているだけの情景ながら、これを読んださいミニカーが、ペネロープ号が眼前にあったんだろうか… 常にセットになって、「何でだろ〜?」ボクを愉しく悩ませてくれる。


パッケージも秀逸だった。
箱そのものは案外と小さいのだけど、中箱があって、そこに本体と、たたまれた"背景"がおさまる。
だから取り出すと、上の写真のように背景がツイタテとなって、「何だか大きな買い物をしちゃった」てな裕福感がくる。
逆に、ハナッから大きな箱に入ったのもある。前々回に記した、ライバルメーカーのコーギーのチキチキバンバン号がそれだ。
ともあれ、1つの輪が転がりだし、スキッフルからロックへと刻まれるビート・クロック数が変わるのと一緒に、やがて、幾つ幾重の輪っかが同じ方向に向かって回転し始めたようなアンバイをおぼえるのが60年代だ。
TV人形劇『サンダーバード』はもうちょっとで放映50周年を迎えるけど、そろそろ、"文化史的"な諸事情を含めた俯瞰としての見方・描かれ方があって良いと思う。