沢田としきの絵から音が鳴る

4/24からはじまりこの6/11で終了した『沢田としき展』。
自分の忙しい時期とピッタリ重なってしまったもんだから、準備も初日もわずかなヘルプ、売れた大型の版画をチョイと配達、最終の撤収も大幅に遅れての参加と、さほどお役に立てずで恐縮… だったけども、印象に残る展だった。
なにより、故沢田としきの夫人・節子さんのカタチがよく、会うたび、話すたび、彼女の中の悠々とした時間感覚に溶けてくような心地良さをおぼえさせられた。
個展に限らず、展とつくイベントは終わったら片付けがまっている。
会場となった場所は白紙に戻され、それゆえに終わった途端の淋しさが、唄にあるあの"祭りの後の…"に連なるわけだけども、今回の岡山での個展では、そうじゃなかった。
最終日の翌日、模様替えされた店内には沢田作品が複数残され、あるいは、あらたに追加がされ、だから"祭りの後の”の空虚さが微塵もない。

片付け終え、スタッフ一同、打ち上げ会場の「ごう原」へ。
ここで食事するのは数年ぶりだけども、乾杯。

奥座敷を用意されたから、ごう原マスターのあの半身を前屈みにさせての厨房内のテキパキたくみな動きを見ることが出来なかったけど、続々に卓に運ばれる料理はやはり素晴らしい。
あくまでおまかせ。
なので、コチのお刺身が出、アワビの何とか(名を忘れた)が出た頃に、
「あとでステーキもあればな〜」
冗談をいったら、「和牛の網焼き」があとに出て来たんで驚きが旨味に加わった。
柔らかな、実に柔らかな噛み応えにタレの絶妙。
満足感急伸。

2次会として、新たに絵が飾られた店に戻って、今度は赤ワインの一升瓶。
こんなのもアルのね。
MARSの意味するところをボクは知らないけど、火星を勝手に想像しつつな赤味もまた良し。
手前の黄色いのはビワ。
気がつくと、もう一升瓶が空っぽい。



数多のレコードジャケットやコンサート・ポスターも良いけれど、沢田としきの絵でかなり好きなのは、1988年作の小品だ。
青森の六カ所村のある集会に沢田夫妻が参加したさいに描いたものらしい。
青森の光景が描かれているでなく、描かれたのはアフリカンな像とイスと布地の一部らしきもの。
そこに小さく、NO NUKES とある。
88年当時の六カ所村界隈の住民にとって、原子力関連施設建造は地域の"明るい未来"であって、だから、東京界隈から若者たちが大勢やってきて、何やら反対集会を開くというコトに強い違和の眼が浴びせられた… と、これは打ち上げ時、節子夫人から聞いた。
その1988年からもう25年が経つわけだけど、変わるもの、変わらないもの… どうだろう?
オリジナルはクレヨンか太い色鉛筆で描かれたんだろうと思うけど、素朴なアフリカンな3つの物品を六カ所村で描いた作家の気分の有りようを思いつつ、しばし眺めていると、ほんのかすかに、哀しみな音色がボクには聞こえる。
彼の絵には、それはめずらしい音色だ。
むろん、これはボクの観念からの音だけども、絵から受ける"感念"として、いつも、どの絵からも、沢田作品からは音が鳴っている。
複雑な音のコンビーネーションじゃなく、シンプルに研いだ、でも手が切れるようなものじゃなくって、暖色な感のあるリズムのような波動。
それゆえ、この1枚から生じる音色の中の哀しみめく衝動を、ボクは好きなのだ。
この1枚は、いま、絵ハガキになってる。


下のリンクは沖縄でほぼ同時開催された『沢田としき展』。
沖縄は宜野湾市のパン屋さん『宗像堂』のブログ

個展中ただの1度も遭遇しなかったけど、OJF(おかやまジャズフェス)のOH氏は、1枚、オリジナルの版画を購入したようだ。おそらくピアノ系の絵であろう。