ここ数年で急速に、ガーデニングの植物として認知されつつあるパッションフルーツ。
南洋産ゆえ、岡山では冬は室内に移動させなきゃ越冬しないけど、夏場の半年は庭でよくおごる。
けどもまだまだ、その食物としての実態は知られちゃいない。
そこで、この実が食物となる過程を、ホンの少し、ここに披露しておく。
写真の通り、けっこう大きな実となる。
けども食べられる部分はとてもとても少ない。
上写真のように大きくなるまで1ヶ月以上、かかる。
そしてある日、これがごく自然にポテッと地面に落ちる。
あんがい表皮は硬い。なので落ちて傷つくことはない。
それに、でかさの割りに随分と軽い。
その軽量さに、初めて接すると、
「えっ?」
と、なる筈。
でも、それがパッションフルーツだ。
人間は、ただ、これを拾えばいい。
で、落ちて1日経つと、このように色がついてくる。
この早い変化も、やや驚きだ。
でも、それがパッションフルーツだ。
2日めにはさらに濃くなる。
まだ食べてはいけない…。
放っておく。
さてそうすると、色素沈着がいっそう進み、さらには表面にシワが寄ってきはじめる。
写真のような変化が4〜5日で生じる。
何か、干からびていくようで、いささか忍びないが… 食べる部分の熟成が進んでいると… ここはご承知いただきたい。
籠にでも入れ、ジッと我慢の子たれ… というワケだ。
そこで閑話休題。
籠に入れた様子を写真に撮る。
この写真… この構図…
「どこかで観たなっ」
そう感じたアナタは素晴らしい。
そう、これはダリの高名な絵画『パン籠』を模したもの。
なので、広義には、これはパクりである。
ダリはパン籠をモチーフに2枚の絵を、1枚は1926年に、1枚は1945年に描いた。
19年の時間を端境に同一な絵を彼は描き、この2枚を終生、身辺に置いて売る事をしなかった。
だから、画家ダリにとってこの2枚は特別な意味ある作品だった… のだろう。
その1945年のとても不思議な空間のあるパン籠の絵を、こたびボクは模している。
ダリの絵の、左側上端のその暗い空間の置きようは、カメラの眼ではない。
もし、カメラでパン籠を撮ろうとすると、人は、このような構図ではゼッタイに撮らない。
パン籠をより中央に持っていく筈で、ベチャリといえば、これは構図として安定しない。
けども、ダリはそのスーパーリアリズムの先駆けとなる描写力のまま、あえてアンバランスともとれる配置でパン籠を描き見せた。広義な意味でそこに彼のデザインがあり、狭義にはこの絵の魅惑の核がある。
それを… ここで真似た。
なのでこれは、著作権のいささかの侵害であると捉えるコトも可能だろう。
ま〜、そこが難しい。
こたびのこの写真は、ダリの絵を想定してパチリiPhoneのシャッターを押している。
だから、ダンコ、模倣だ。
いささか照明の具合がダリのそれを再現出来ちゃいないから、良い模倣とはいいがたいし、空間の切り取りも不足している。
そも、模して撮ってるんだから、良いも悪いもない。
ダリは意識して左上端に大きな暗い空間のある絵を創った。
その暗い空間に、パンと籠以上の何かを顕そうとしたけど、ボクのは暗い空間に意味がない… 真似は真似でしかなく何もこえられない。
このあたりの"意識の配り"が、いわゆるデザインの世界では難しい。
今、例のオリンピックのロゴが問題になっているけれど、グラフィック・デザインというのは実に気の毒な"表現手段"と、ボクは思わないではいられない。
似ているといわれたら、それは必ずや何かに似てくるものだ。
とはいえ、こたびのデザイナー氏のは… ボクの眼でみれば、彼の他作品同様、うさんくさい。
その上で、
「こりゃダメでしょう」
のハンコが方々で押されたに関わらず、それを採用した決定権ある方々が、使うと主張し続けようとする…、いわば"やめるコトが出来ない"日本的感性とあわせ、とどのつまりは、かの映画『日本でいちばん長い日』でおそらくテーマとされた、戦争をやめられなくなる体質と同じ分泌液で構成された何かが、ここでもまた開陳されていると、いえなくもない。
さてと。
落下から概ね、7日か10日。
パッションフルーツはシワが増した。末期の赤色矮星という感じで赤みもダークな茶色に変じつつある。
そろそろ、頃合いだ。
いよいよ包丁を持ち出す時が、来た。
カットすると、ご覧の通り。
中央で、まるで柔らかな毛布で守られるようにして、種とその樹液がある。
例えは悪いが、見ためは、子供のアオバナみたい…。
それが、小さじ2杯か3杯の量。
食せる部分はこれだけなのだから、ガッカリしなくもない…。
典型的な南洋の、あの風味に加え、かなり強い酸味。
量にガッカリするけど、風味は南洋の一語。トロピカルだ。
種ごと、食べる。
パリポリ噛み砕くトロピカル。
この前テレビでたまたま観てしまったのだけど、とある島に"探検"に出向いた椎名誠は、その小さな島で売っていたパッションフルーツを1ダースほど買い、半分に割り、食べられる部分を指でかきだし、グラスの焼酎にのっけ、やはり指でグルグルグルかき回して、
「うまい!」
一声して、笑みていた。
なるほど、これは極めて正しい食し方… と、ボクは御大に尊敬の念をもった。
それで… コピーした。
真似て… といって指でグルグルはせず、あくまで品よく銀のサジ(うそ)でクルクルと、ゆるやかに混ぜて、麦焼酎の「むぎのこ」を割ってみた。
結果は同じである。
「うまい!」
の、一声あるのみ。
お酒のくせに、チョイと噛むというのも愉しめる。(なんせ種だらけだから)