ファラオの食卓

 愛すべき親類から、らっきょう漬けが届く。

 畑で栽培し、収穫し、自ら漬け込んで3年が経過したもの。チョイと大量。

 過日に会ったさい、

「らっきょう、ない?」

 期待もせずに問うてみるに、

「あるあるある」

 の三拍子。毎年作るゆえ消費が追いつかないとの事で、それでチョイ大量。

 

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 フタをあけるや、いかにもな、らっきょうの匂い。唐芥子を浮かせた甘酢に浸けて3年。いささか濃厚な匂いに一瞬たじろぐ。

 市販のらっきょう漬けはここまでは匂わない。

 味も濃い。唐芥子が味を後押しする。ピリ辛という次第でなく、らっきょうの特性としての風味を後ろから突っ張ってプッシュしてる感じ。

 市販品なら12粒食べてもまだ食べられる……、というアンバイだけど、この手作り3年は、6粒食べればもうたっぷりな濃ゆい感触。

 しかし、らっきょう魔力というか、魅惑というか、数日食べるうち、その昔にゴダイゴが歌った「モンキー・マジック」を替え歌にしちゃったような、

「ラッキョ・マ~ジック ♪」

 どんどん舌がこの濃密に慣れてくるのは不思議。

 1415歳の少年だった頃の自分が、今のこのらっきょうに淫してるような姿を見たなら、

「うっそ~~!」

 さぞやたまげて自己嫌悪しちゃうのじゃなかろうか……

 変化変貌とは、ま~、そんなもんだ。

 

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                         猫はらっきょう食べるとは思わないけど……

 

 吉村作治の『ファラオの食卓 -古代エジプトの食物語小学館では、ニラ、タマネギ、ニンニクが登場する。

 およそ5000年前の古王国時代(盛んにピラミッドが造られていた頃)からエジプトでは馴染みの野菜たち。栽培されたタマネギとニンニクは、労働者に配給されてもいたようだ。神殿の新造工事で石はこびや日干し煉瓦を積み上げたりした後、何個かづつ支給されたりしたんだろう。

 既に貴金属による貨幣は存在するが、一方で物々交換の「流通」も大きく、数ヶ月の保存が可能なタマネギは、むろん食材として最終的には誰かが食べているわけだけど、その「流通」の1つの柱となる存在、”食べられる通貨”でもあった。

 

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 タマネギは中央アジアが原産だから、はるか古代、何らかの方法でエジプトにもたらされて定着したと思われる。

 パンにビール、刻んだタマネギやトマトやキュウリに酢やらライムを搾ってかけるサラダというのが定番だ。

 つぶした鶏肉にモロヘイヤとニンニクのみじん切りが入ったチキンスープなんぞは、ちょっとしたご馳走だ。

 

 ちなみに、まったく意外なことにタマネギが日本に入ってきたのは江戸時代で、それも鑑賞用用途でしかなかった。食用となったのはな~んと明治4年(1878)に札幌で栽培され出してからというから、古代エジプトに遅れるコトはなはだしい。メチャンコに歴史が浅いんだね~。だから坂本龍馬はシャモは喰ってもタマネギは知らないまま他界したコトになるね。残念ですなぁ。

 だから、日本では圧倒的に、らっきょうの方が歴史が古い。

 

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石碑。ネフェルティアベト王女の食事(テーブルの上に並んでいるのは菓子パン) ギザ墓地出土。

ヒョウ柄のスパッツ風衣装が大阪のオバサンっぽくパンチがきいてるけど、紀元前2500年頃の王女。

 

 その古代エジプトでは、重要な食料であると同時にタマネギは強力な魔力がある野菜という認識でもあった。

 ラムセス4世のミイラではタマネギは眼のくぼみに詰め込まれ、包帯の間や脇の下の辺りに置かれたりして、この野菜が死者に活力をあたえるものであると信じられていた。

 人々の日常生活においても、たとえば何かの誓いをたてるさいには、タマネギとニラを捧げ、ラムセス3世はナイルの神に対して1万2712篭ものタマネギを捧げたと碑文に残る。

 けれど一方で、神官の一部ではタマネギやニラなどの匂いの強い植物を忌避する傾向が高かった。詳細は省くけどセト神にまつわる伝えともいう。(セトは悪神であり、性欲を司る神でもあるそうな)

 吉村作治は「タマネギには2面性があった」と書いている。統治者のファラオが推奨しようとも神官の一部は密かに断固にタマネギを拒絶していたのだろう。

 同様にニラも神官たちは嫌った。ニラもまた日常的に生産されていながら、宗教上の理由でもって避けるヒトは避けてたようだ。

 

 やがてファラオの時代が過ぎ、エジプトもイスラム化していく。

 ムハンマドの教えでは、祈りの前にニンニクやタマネギを食べるのは禁じられている。

 それがかつての神官たちの頑なさと合致し、匂いの強いこれら食料が遠のけられていく。

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 15世紀のワラキア公国(現在のルーマニアに実在したヴラド3世は、オスマン帝国と対立し、攻め寄せたオスマン(トルコ兵)を串刺しにして晒しちゃったりしたから、串刺し公の異名をつけられ、やがてブラム・ストーカーの『ドラキュラ』のモデルになるけど、ドラキュラがニンニクを嫌うのは、イスラム教のオスマンがニンニクを嫌っていたからに過ぎない。

 ヴラド3世はオスマンと対峙している頃はイスラム教徒、後年にキリスト教徒になる。その辺りの消息が投影されたということだろう。

 

 仏教も匂いの強いタマネギ・ニラ・ラッキョウ・ニンニク・ネギ、この5品を嫌って禁葷食(きんくんしょく)といってたけど、なんだか同じだね~。

 だいたい同じニュアンスな感じ。匂いが強かったり風味が強いものは、すなわち「淫するもの」に結びつけられていたんだね、かつては……

 植物たちにとっては、不幸としかいいようがない。

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 古代エジプトでのセト神は好物がレタス(エジプトが原産)だったそうで、茎から出る白い液体が精液の素になるといわれ、信じられ、真面目な神官以外の一般ピープル男性は媚薬や勢力増強剤として大いに食べていたというから、これまた何やら、おかしくもある。苦笑せざるをえないけども、ま~、信じちゃえば、そういうコトになるんだねぇ。1トン食べたって、茶柱さえ立たないんですけどねぇレタスじゃぁ。

 これも意外だけど、今はニンニクといえばある種の強壮効果有りということになってるワケですが~ぁ、古代のエジプトじゃそんな効果は誰も期待しない、思ったコトもない。

 ニンニクはノドに効いて声が良くなるとして蜂蜜なんかと一緒に食べていたんだってさ。

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 したがってかつての古王国時代の宮廷音楽家(女性が多かったそうです)にボーカル担当がいるなら、きっとニンニク臭かっただろう。けども、それは嫌な匂いとはとらえられず、音楽家の匂いとして好感的に嗅がれたかもしれない。糸をひく納豆のあの風味が一部のヒトにはウッエ~~な臭気だけども、一部のヒトには蕩けるほどに美味い匂いと感じられるみたいに。

 らっきょうも、そんな位置づけかしら?

 

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 ちなみに、みなもと太郎描くところの、ややらっきょう顔の小早川秀秋の絵が大好きだったりします。右上のハナたれね。ナス顔というヒトもあるようだけどキャラクターとしての秀秋はらっきょうがふさわしいよう思えます。小粒で、いくら皮をむいても実はないぞよ、というところも。

 しかし、そういう存在に成り下がったとはいえ北政所(ネネ)には生涯忘れられないかわいい甥だったのでしょうよ。そうでなくば、高台寺・圓徳院の床の間に秀吉の画像と共に幼少時の秀秋像をかけて、晩年、いつも眺めていたりはしなかったでしょうし。

 

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              絹本着色小早川秀秋像 高台寺所蔵 重要文化財

 

 彼女が秀秋の幼年時代の面影を投影させた絵を描かせたために、後年、秀秋の画像としてはこれしかないから、ボンヤリ顔イメージが定着してしまったとも思えるし、この辺りの痛し痒しの沁みっぷりにも興を抱く。ま~、らっきょうに直接に関係ないけど。

 数多にとっては関ヶ原の裏切り者であり、30を前にしてのアルコール依存による狂死のような哀れな青年であっても、ネネのみは違う感想を持っていたであろうことに、ちょっとボクはらっきょうを重ねたいのだ。