29日付けの山陽新聞夕刊で亜公園を取り上げてくれている。
夕刊をとってる方は少ないだろうが、それでも3万部近い数が出てるようだから、ローカル情報を伝える媒体として、あ・り・が・た・い。
(山陽新聞夕刊は11月末をもって休刊となる。惜しいけど仕方ないか……)
画像データを送ってくれたsunaちゃんに感謝
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さてと、11月直前。
いよいよ秋深まってアッという間に冬がやってくるわけだけど、この9月から10月半ば、今期は数回、松茸を味わえた。
やや異例。
買ったわけじゃない……。親戚のお山で採れるんだ。
この数年は不作が続いてさっぱりだったけども、今期はよく採れたようで、あ・り・が・た・い。
お裾分けしてもらっては、ニッコリ笑顔で遠慮もなくいただくのだった。
不思議な植物だ。
噛んで美味いかといえば、美味くはない。いっそ無味に近い。
なんちゅ~てもダントツは香り。
品なきカタチに、その香り。
嗅覚と味覚の端境を行き来する不思議食べ物……。
『日本書記』には香木(沈香・じんこう)の「香」を重宝する描写があって、既にそんな大昔から香りへの感心があるのは判るけど、松茸はそんな嗜好に近い。むしろ食べられるという点では香木より“愉しみ範囲”がでかい。
「松茸? わたし、嫌いです」
という人に会ったことがない。
気づくに、マツタケと発音することは少ない。
マッタケ、といってる。
「まっ、高けぇ~」
が連想されるけど、マツタケというよりマッタケという方がいいやすい。
しかしあらたまって、マツタケといい直してみると、高雅にきこえる。
たたずまいが凜とし、背筋がシャキンとする。
難儀な植物だ。
山であれば育つというわけにいかない。松茸は山を選ぶ。
かといって、荒れ放題の山では採れず、手入れし過ぎた山でも採れない。
ニンゲン同様、虫の類いもその香りに惹かれる。
頃合いをみてニンゲンはそれを採るけど、虫も旨味のマックスを狙ってる。
夜明け頃に採取に出るニンゲンは、
「もう一晩置いておくか……」
採りたいのを我慢して翌朝へ期待を繫ぐ(一夜で大きくなる)けど、虫たちも同じだ。
やはり味わいのマックスを狙い、ニンゲンより一足早く、囓っていたりするコト多々。
採るタイミングがやたら難しい。
毎年毎年のお山での採取経験がないと良好なのは採れない。我が良き親戚は基本の生活ベースは都心なのじゃあるけれど、生まれ育った山里を放置せず、定期で戻って来ては山を管理し、秋の収穫をみる。
ま~、こちとら、味わうだけなのでその辺りの苦労はないけど……、ともあれ、ありがたいに変わりなし。
すき焼き、吸い物、焼いたやつ……、堪能の芯メラメラなのだった。
しかし欧米人には、この松茸の香りは不快な部類に入るモノらしい。
その感覚差も、ふ・し・ぎ。
聞くところによれば、猪は松茸をとらないそうだ。何でもかんでも貪るように掘って喰い、山里のニンゲンを困らせているヤツなのに、意外や、匂いが苦手なのだろう。あるいは、猪の嗅覚では美味いものと知覚しないんだろう。
ならば山里での農作物の畑に、擬似的に松茸の匂いをスプレー出来たら良くないか?
けど近年は、猪に加えて猿も出没するようで……、アジャパ~。モンキーズはまだ松茸の美味を知らないようじゃあるけど、いざや知っちまうと、さぁさぁ~、いよいよニンゲンは困るわなぁ。
今シーズンも終わり、来年は、さて?
実のところ松茸は、この7月、国際自然保護連合(IUCN)が絶滅のおそれがある植物の1つとして指定したばかりだ。
それで採ってはいけないというコトにはなってはいないけども、日本を含めて近年、大幅に減少しつつはあるようだ。
先に書いた通り、虫にひと囓りされる前にと焦り、傘が開いていないのを採ることも多いから菌が飛ばず、次の松茸が生える機会が減ってもいる。
10年20年先となると、さてさてさて。