10月下旬の秋の空

 過日。

 自宅にてRSK山陽放送さんから取材を受ける。大型カメラが入り、胸にピンマイクをつけさせられ、およそ1時間、問いに答える。

 過日。

 RSK山陽放送さん新社屋と甚九郎稲荷にて、VTRカメラを前に若干の解説。

 演出として拝殿で手をあわせるというポーズを取ったけど、拝殿そばの金木犀によく花がつき、いい香りをばらまいてる。こっそりそれを愉しんだ。

 放送は11月18日の水曜。

 夜8時からの「メッセージ」というドキュメンタリー1時間番組。

 プチこけら落としの講演をやった能楽堂では、野村萬斎の公演があり(ウィルス騒動中ゆえ同局関係者だけ)、さらに市民会館の新建造という「文化的流れ」をくんで、カルチャー・ゾーンとしての岡山市という括りで番組は構成されるらしい。

(タイトルはまだ仮題とかでこれから決まるようだ)

 こちらは明治時代の亜公園というカルチャー施設の先駆け話……、1時間という番組の中、メインとなるのは当然に現在の話だから、岡山という地方都市での演劇の最前線にいるアートファーム・大森氏やら市長へのインタビューというシーンもあるようで……、こちらはあくまで昔話、たぶん5分ほどの登場か?

 

f:id:yoshibey0219:20201019151845j:plain

 明治から昭和初期にかけて県庁坂といわれた通りから新社屋南端の塔を見上げる。

 かつて亜公園があった頃、やはり多くの人がこうやって同園の塔・集成閣を見上げていたろう。似通う高さと位置だから……、感慨深い。

 やや乱れ気味ないわし雲と、無粋な電柱と電線も印象的。

 

 過日。

 雨天。

 傘さして、またまたRSK山陽放送へ。

 

f:id:yoshibey0219:20201022150419j:plain
 

 取材されるワケでなく、今度は1聴講者として能楽堂の客席に、おすわり。

 2人の先生が順次に登壇し、明治の時代の藤田傳三朗のことを話す。 

 聴きたかったのは山陽鉄道の工事のこと。亜公園の片山儀太郎ともエンがある。

 といって、藤田と片山が直接に会ったという次第は、ない。

 けども山陽鉄道の開設事業という大枠で、「Who’s who」 としては結ばれる。

 ま~、そのあたりが興味の中心だったのだけど、残念、鉄道の話は出ず。

 

f:id:yoshibey0219:20201022134247j:plain

 

 自分が講演したさいはまったく気づいていなかったけど、講演といった催事では、能舞台の柱の1本を取り外すんだね。多目的用途を考慮して設計してあるわけだ。

 最前列の端っこで拝聴しつつ、その辺りの空間設計の妙味もしばし味わった。

 

 聴講後、かなり降ってる雨の中、県庁前に出向いて倉敷ぎょうざを買う。

 この餃子にはまって早や6~7年。ビールとの相性ダントツ。まったく飽きない。

 

f:id:yoshibey0219:20201022173920j:plain

 

 日本での餃子の普及は、敗戦で中国大陸から戻って来た日本兵がアチャラの味を懐かしみ、それで宇都宮で再現したのがスタートという説があるけど、ま~、そんなもんかなぁ。

 明治の人は水餃子であれ焼餃子であれ、接する機会は少なかったろう。生涯その存在を知らずという人もイッパイいたろうね。

 けど一部地域、たとえば長崎は、江戸時代、鎖国中とはいえ中国とオランダの窓口だったから、いわゆる唐人も住んで、蒸した餃子や水餃子には馴染みがあったはず。

 ギョウザという名でなくジャオスとかチャオズと呼ばれていたんだろうけど、この岡山では味わえない食の光景があったはず。

 岡山で餃子を出す店の第一号は、いつだろう、どこだろう?

 餃子があったかどうかは判らないけど、大正14年頃に、今の銀ビル近くに「廣珍軒」(現在は表町3丁目で営業)が営業をはじめ、もう1軒、栄町界隈に「百万元」という中華そばの店があったというから、その辺りがスタートなんだろう。

 ま~、それはどうでもヨロシイ。

 月に一度くらいの頻度で倉敷ぎょうざを買い、おうちで焼いてビールだか発泡酒と一緒に、

「うっま~」

 てな喜悦を沸かせられる、”今そこにあるプチ・ハッピ~”がポイント。外気が冷たくなるに連れ、逆に焼餃子は美味くなる。

 倉敷ぎょうざは別売のタレもいい。味の秘訣の大きな要素がこのタレ。量たっぷりでたいがい半分以上残っちゃうけど、残っちゃう事で何か得したような気も増量するのがいい。

 

f:id:yoshibey0219:20201023203305j:plain

     おいしそうに見えない写真……。白く泡立って見えるのは薄々の皮部分ざ〜ます