この前の新聞・この次のテレビ

 

 先日火曜の山陽新聞に亜公園の記事が載って、ホッとした。

 取材はもう数ヶ月前に終わってた。

 でもコロナ禍で、市民生活に影響ありのアレやコレがあって、掲載が確定しつつも土壇場で延期というのが、2回続いていたのだった。

(明治時代の、こういう昔話的な文化情報は至急性が薄いので、どうしても後回しになりがちね)

 2回めドタキャンは先週土曜で、印刷される数時間前に紙面変更だったらしい。前日に非常事態宣言の延期が決まって、その関連記事が急遽に優先され、土曜発のこちらの記事はまたまた見合わせとなったわけなんだから、コロナめ~~。

 

 ま~、これ以上は延ばせないと判断してくれたのかしら、6月1日火曜に載ったという次第。

 やれやれ……。

 安堵しつつ、紙上のボクは冬服だぁ。

 

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     毎度ながら、写真データをSunaちゃんが送ってきてくれた。助かる〜

 

 取材から掲載までの、アッという間に過ぎた時間を思わないでもない。

 常に、何が起きるか判らないのがこの世の中……。

 亜公園のことを顧みると、その辺りの消息が知れる。

 開園して3カ月めの巨大台風(明治25年)。

 翌年、それを上廻る台風の再来。死者も多数(明治26年)。

 亜公園そのものは、旭川のすぐそばという立地ながらも高台(天神山というくらいだもんね)ゆえ難を逃れたけど、岡山平野はほぼ水没。市内はテンヤワンヤなのだったから亜公園とてノンキに営業出来たわけもない。

 

 さてと次の月曜、6月7日の午後4時50分から。

 RSK山陽放送の情報番組『チャンネルロック』に、出没予定。

 すでに録画収録済み。

 むろん、亜公園のハナシをば。

 かつて亜公園があった場所に、いま、山陽放送の新社屋。

 でもって、この6月7日から本格運用ということらしく、そのモニュメントというか、ヒストリーというか、130年ほど昔のこの場所を紹介という次第。

 記念すべきな新たな場所での放送開始日ゆえ、こちらヤヤ至急性ありという感じ、ね。

 

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 亜公園にあった7階建ての塔・集成閣の高さを味わうべく、新社屋の電波塔にも登った(収録の一環として)。

 およそ70メートル。明治時代の木造集成閣の倍の高さ。しかも天神山ゆえ周辺より小高い場所……。

 屋上のアンテナ部(金甲山に向いて電波を放射。いわゆる地上波。金甲山アンテナがこれを受信しあまねく放送をお届けという仕組み)までは急斜な金属階段があるきりで、下は丸見え。

 一般人はおろか同局の職員とて上がらないというか、上がれない電波塔。その屋上部は強風を考慮して床が金網のみの場所もあり……。

 

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 正直なハナシ、冷や汗怒濤。足竦みっぱなし。風に身体は揺れ、立ってらんないワケで~。上記写真、見上げて足が竦むわけはないけど、いざこの塔の最上部に登るとねぇ、足ガックガクに硬直。(屋上の白く抜けてる部分は金網のみ……。わたし、登ったもののアンテナ支柱(右側)にへばりついて動けず……)

 ま~、収録はたっぷり数時間が費やされたけど、番組では5分ほどかな? 

 RSK山陽放送を受信出来るエリアの方で、お時間がありますれば、ご笑覧あれ。月曜の夕刻です。