年末が接近するとアチャコチャから聞こえるチャリティの声。「歳末助け合い」という呼び方は今も活きてるんかしら?
ルネスホールにて「クリスマスチャリティコンサート」。
入場収入は、チベットの口唇口蓋裂治療にあたるNPOのADRA Japan に贈られるそうな。
こういったイベントにあんまり縁がなかったけど、誘われて着座。
自分が知らない音楽シーンも経験してみるか……、といった感じにて。
で。
途中休憩だか終演後だか、
「心が洗われました」
ロビーでそんな声を幾つか聞いた。
いや、もちろん、演奏は良かったし十分に味わったんじゃあるけれど……、ひねくれな気分が湧かないわけでもなかった。
チャリティの意義に異議なしだけど、澄明な聖歌を聴いたといって……、そう簡単に心が洗えるものかしら? ともヒッソリ感じるんだった。
それで……、
「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
を思い出しもするんだった。
さぁて。
あと10日ほどでクリスマスだけど、毎度、連想するのは丸っこいケーキ。連想というより、町中至るところスーパーやらコンビニやらの店頭ポスターにチラシと否応もなく眼にはいってくるんだから、刷り込み現象に近い”クリスマス・ケーキ”。
で、そのケーキですが~、ホールケーキを切り分け、小皿に移すさい、たいがいはその形が崩れないようガンバッて小皿に立たせるのが、ボクには普通のコトであったけど、米国映画を観る限りでは、ど~もそうでない……、というのが今回の主題。
米国じゃ、ベチャ~っと横にしちゃってる。
70年代に『ゴッド・ファーザー PART2』のパーティ・シーンでそれに気づき、ちょっとした違和を覚えたもんだったけど、最近観たジョニー・ディップ主演の『トランセンデンス』でもやはり、切り分けたのは横倒しなのだった。
造られたケーキの形を維持する縦置きか、あるいは横倒しか、これはどちらが正しいのか? というようなコトは問題じゃない。
そのいずれかが普通のコトとなっている違いが、ま~、ボクにはちょっとオモシロイだけの話。
※ 『ゴッド・ファーザー PART2』より。ケーキは横たわらせるの図。
当然ながら、横たわらせる方が食べやすい。
けどカタチとしては切断面を見せることになり、上側のデコレーション部分はそれで主役の座から堕ちる。明らかに見た眼は悪い。
要は、切り分けた瞬間よりデコレーション・モードはお終い、そこから先は甘いフードとなるワケなんだかの、その合理的な分離みたいな感性の動きがオモシロイ。
ボクなんぞは縦置きを好み、ついつい、最後までそのデコレーショナルなカタチをば保ってやろうと食べつつ腐心してるワケで。
※ 『トランセンデンス』の1シーン。これも横置きです。
ひょっとして欧米では、小皿に移してしまえば、今度はその断面をば"愉しもう“という趣向なのかしら、ね。
と~~はいえ、もう近頃はケーキを欲しがる気分は薄いけど……。
子供の頃はクリスマス・ケーキって大変ハッピ~な気になっちゃっう御馳走で、惜しんで少し食べ残し明日も愉しむ……、何て~ことだったけど、衰退しましたなぁ。当時はバターケーキしかなかったですけどね。
しかし、ちょいと不思議に思うけど、キリスト生誕祝いは重々に解ったけど、お釈迦さんの生誕って……、あんがい祝われないよね。お寺さんで甘茶が出るという程度で、街頭にツリーが飾られることもないし、ましてやケーキなんぞは。
日本の仏教界はその辺りの広報が今ひとつというか、そこに重点を置いてないのかしら? クリスマスが接近するたび毎年、なんだか仏教だの神道の神社とかをボクは思っちまう。