なぜアポロなのか

源義経は軍事の天才だったらしい。けれど、彼の脳裏には戦車はない。火器もない。そんなモノは存在しなかったワケだし、概念とてないんだからあたりまえだ。第二次大戦の末期、連合軍はドイツのV2ロケットに驚いた。少なくとも、それは時代を20〜30年ほど先取りしたシロモノであったからオドロイタ。そこで、その開発者を躍起になって探し、なんとか彼と彼のチームを米国に連れてった・・ 後のアポロ計画につながるフォン・ブラウン博士とそのチームの引き抜きだ。
そのアポロがとうとう月に到達するのは1969年の7月のことだ。その頃、ボクは高校生。
昨今、昭和20〜24年生まれの、いわゆる団塊の世代の方々が、まるでアリがたかるように楽器屋へ出向き、彼らが青春時代の頃に流行ってたエレキギターを買い求めたり、バンドを結成したり〜〜のして、妙に楽しくやってるらしき事を知って、さもありなん・・ と思ってもみる。ボクも結局は、高校時代の、濃いインパクトを、何かのカタチでもって再現復元復刻しようとしてるのじゃないかと感じ入る。ボクの場合は、それがたまたまにアポロだった。
とある時代を生きた人間は、その時代からは逃れられないのだと思う。その時代を形成した事象の中でしか生きられない・・。
たまに、時代を突き抜ける天才が出る。アインシュタインフォン・ブラウンが、たぶん、そうなんだろ、ネ。彼らの仕事が時代の針を一つか二つ動かす事になる。アポロ計画に若いボクが見たのは、おそらく、その時代のワンステップだ。そこに魅かれるまま、この年齢になった。
だから、ボクが懸命に今の若い人にアポロがええよ〜と申しても、彼らにゃ、それは判らんのだ。
「お気持ちは判りますが、もうそれって40年くらい前の話じゃござんせんか・・」
となっちまう。
実に残念なコトなれど、こりゃ仕方ない。
世代で人の生を語る気は毛頭ないけれど、時代の作用というコトだけは拭えぬ事実だぞ〜、とは申しておきたい。
んな〜ワケで、ボクはちょめちょめと、この年になって、アポロのペーパーモデルを作ってるんだ。意外や、ペーパーモデルというのはデジタルとアナログの融和だったりもする。ボクはマッキントッシュを使っているワケだけど、これはデジタルだね。で、それをプリンターで出力させて、ハサミでチョキチョキを始めるワケだ。プリンターがアナログとデジタルを結ぶトンネルだ。そこいらもオモチロイ、ね。