梅花点々

 

 客人に食事を出し、食べてもらい、その食後にテーブルクロスに汁の飛沫や食べるさいに散ったクズ小片など、それら点々とした様相を、かつて昔々の中国では、

『梅花点々』

 といって、顔をほころばせた。

 メイファ~ディエンテン、とでも発音したらいいか。

 ビジュアルとして、けっして綺麗な状態ではない。

 けども、盛大に食事してくれて、その結果、お汁の飛沫が飛び、食べ物の小片がテーブル上に落っこちてるのを、かつて昔の中国では「喜ばしい」ことと解してた。

 客人が夢中になって食べてくれたと解釈しているワケだ。

 当然に逆のことも云えるだろう。

 客は客として、おいしくいただきましたを証すために、あえてテーブルを汚す……

 いささか今の常識では考えにくいけども、かつてそういう風にテーブルを汚すことがいけない事でない時代もあったワケだ。

 

 過日の大阪での20カ国・地域首脳会議(G20サミット)をニュースで知る範囲では、議長国の日本は極めて盛大にふるまって、アレやコレもソレもと、歓待これ1色というアンバイだったようで、事実、それも大きめなニュースになっていた。

 いわゆる「おもてなし」。

 豪奢な具材を入れたタコヤキが不評だった……、というようなくだらないコトが報じられたりもした。

「おもてなし」のさいたるが贈り物。

 首相が各国関係者に手土産として配ったのは、大阪の「天満切子」のペアのロックグラス(2つで5万円前後か?)

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 さらに来日の報道関係者も含む登録された出席者全員に、福井特産の箸と輪島塗りの高級ボールペン三越オンライン・ストアで見るに安くて6480円。高いのだと5万4000円)が贈られたそうな。

 さらにさらに昭恵夫人名義の贈り物内閣官房機密費から支出されたのかな?)が各国首脳宛にあって、茶道具セットが配られた(価格不明)

 さらには、開催地大阪市や関西財界は、錫製の豪奢な茶壺(税込み4万6千円)。首脳の配偶者には京漆器の宝石箱(税込み9万7200円)などを贈ったそうだ。

 

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 今回のG20はメンバー国に加えて8カ国の首脳夫婦、国連機関の代表など計37カ国のオエライさん夫妻とその随行員多数が大阪に来た。

 あれこれの場で当たり外れなし均等に上記はプレゼントされてるハズだから、物量作戦……、としか言いようがない。

 総員は何人で、費やした総額は幾らだろ?

 おまけに、関係者(報道関係者も含む)が利用できるビュッフェは朝昼晩いっさい無料で、日替わりで常時150種の日本酒やらワイン、国産ウィスキーが飲み放題。先に書いたタコヤキはこのビュッフエのものらしい。

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           首脳の配偶者に贈られた宝石箱。配偶者の方が高額……。

 

 歓待は大いに結構じゃあるけれど、プレゼントし過ぎな感じもなくはないし、それだけじゃ~いけないでしょう……、とチョットわだかまる。

 要は国際会議なんだ。

 社交じゃ~なく、外交だ。

 たぶん、そこのところが、かのペリー提督の来航の頃から……、ずっとズレてるというか、勘違いな混同をやらかしているよう思えてしかたない。

 社交は外交に付随する大事な交わりポイントだけど、社交イコール外交でないのは、他国の方々の振る舞いを眺めてみりゃ、どことなく判る。

 

 ペリー提督2度めの来航で、「日米和親条約」会談をねじ込まれたさい、日本側は急ごしらえで横浜村応接所を造り、饗応の料理をふるまった。

 幕府御用達の日本橋浮世小路の料亭「百川(ももかわ)」がこの食事を2000(2億円くらいか?)で請け負い(請け負わされ)、来航の米国将兵300人分と日本側接待役200人の計500食を造って出した。

 伝統的かつ本格な本膳料理で、日本としては最高の儀礼を込めたものであったコトは間違いない。内なる心情は忌避であっても、会談の方向については「よろしくお願いします~」の念を込め。

 

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      ※ 「横浜応接場秘図」高川文筌/画 江戸時代末期 - 長野市真田宝物館 蔵

 

「百川」は、お膳の1つに豚の煮物を入れている。「百川」としては精一杯の西洋人への対応であったろうから、気が効いている。

 けども、お膳はほぼ全て醤油味付けの薄味。個々の料理もカタチ重視で量も少ない。土産として各人に紅白のカマボコと鯛の塩焼き丸ごと1匹がついていたけど、正直、米国人には、ありがたくもない。

 小さな膳が次々に出てくる華麗さは判るけども、ペリー他誰も、メイン料理の刺身に手をつけられない。生魚なんだからね。

 

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  ※ 日本側が記録したメニュー表から再現した当日の饗応膳。「日本食文化の醤油を知る」より転載

 

 のちにペリーが書いた『遠征記』には、「琉球(沖縄)王国で出された饗応料理より劣ったもの」と記される。琉球ではブタ肉をふんだんに使った宮廷料理だったからか? 

 長い船旅で、脂肪分たっぷりの肉食に飢えている将兵にとって、和食は悲しいほどに貧相に見えてしまったのだろう。

 さらに接待役の林大学頭(林復斎)の、

「粗末なものでございますがどうぞお召し上がりください」

 という日本人なら誰でも判る気持ちのアリヨウが、オランダ語経由と中国語経由の同時通訳じゃ伝わらない。

「粗末なものを出すのか?」

 誤解も産んだ。

 けど一方でペリー達は、その和食味付の基底に大豆があるのを見抜いて、米国にはない大豆として2種類ほどの大豆を持ち帰り、帰国後に米国農業委員会にそれをソイソースの元になってると、チャ~ンと報告までしているから抜け目ない。周到に観察し、日本研究をおこなっているわけだ。

 

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             ※ ペリーの『遠征記』 

 

 一方、数日後(1854.3/27)、条約案が概ねでまとまっていよいよ31日には調印という時、ペリーは林復斎たち日本側の役人らを招待して、返礼の饗応を催す。

 上陸した300人に向けて数億円かけて豪奢な料理を出した日本の「社交」に対して、その返礼としての「外交」は、旗艦ボーハタン号への日本側役人70名ほどの招待に過ぎない。

 船という性質上、招く人員に限りがあるとしても、1/4の規模でしかない。

 もっともペリーは儀礼はわきまえている。フランス人コックを連れてきている。フランス式フルコースを出しての饗宴を目論んでいた。

 この宴席主催のためにペリーは艦に、去勢牛、羊、ニワトリなどを生かしたまま乗せていた。(『歴史の影に美食あり』黒岩比佐子著による)

 けどもフタを開けると、フルコースも何もあったもんじゃ~ない。

 ペリー達が初めての和食に接したのと同様、こちらも初めての食事に眼を丸くし、西洋式マナーなど知るすべもないまま、物珍しいと盛大に食べ、皿の中の品を懐紙に包んで懐に入れちゃったりもする。(食事の持ち帰りは江戸期の文化的性質でもあるから一概に責められないけど)

 禁じられた獣肉ビーフかな?)を貪り、酢漬けの品にテーブルに置かれたソースやらジャムを入れて食べるなど、滑稽を絵に描いたようなアンバイになった。

 シャンペンでの乾杯で始まった饗宴にはブランデーやらワインやら各種のリキュールもあり、これを次々に出されるままに飲み干すもんだから、度数の違うアルコールのチャンポン。たちまちベロベロン。踊り出す者もあれば、酔ってペリーに抱きついた者もいる。(交渉係だった儒学者・松崎満太郎)

 ペリーは「日米和親条約」の調印を目前にしているから、このハチャメチャを許し、その『遠征記』にも、無作法を悪くは書いていない。なんせ条約は米国有利に結ばれようとしているのだし、その饗宴での振る舞いをそこで非礼として誹ることはしないが、世界の外交史の中では特筆に値いするベロンベロ泥酔いな、外交とはいいがたい無礼講だったとは思える。

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     蒸気外輪フリゲート艦ボーハタン。食材などは補給艦である3隻の帆走船に積んでいる。

 もちろん現在はそんなベロンベロン交際は無いとは思うけど、「社交」と「外交」のバランスは、さて、どうだろ?

 大手の新聞もなんだか「おもてなし」ばかりに注視しているようでもあって、外交ベタは政府のみならずの問題のような感がしないではない……

 ロン・ヤスと呼び合う仲になったと錯覚した中曽根某や、ロシアや米国のトップと友達関係になってると盲信してる現在の首相ご同様に、「社交と外交」の取り違えが、気がかり。

 

 大阪G20サミットの全体会合の席上、首相は「令和」の意味を『美しい調和』だと彼独特の曲解節でいい、「本サミットでも美しい調和を実現したい」とモノ申されたそうだけど、この美辞麗句と行動は一致しなかった。

 隣国の大統領とは会談もせず、そりゃ確かに腹立たしい思いにさせられてはいるものの、サミットが終わって大統領が帰国するや「嫌がらせ制裁」そのものの禁輸措置を発表だなんて……、一国のトップがせっかくの機会をスネた顔して過ごして話もせずでは、何がための経済会議たるサミットだか? それでいてプレゼントの品々は隣国にもキッチリ渡しているんだから、ア~ンバランス。

 禁輸措置は我が国のモノを売れないということでもあって、結局は誰もが判るブーメラン、被害は国内に及ぶ。短期的な金銭損益だけでなく、長い眼で見る両国好感の感度に決定的な瑕疵を刻むとも思え、おもてなし転じてロクデナシとならぬかと、ハラハラさせられる。

 

 食卓を囲んでの『梅花点々』には、食べつつの歓談と論争が意味されるような感も、ある。

 盛大にしゃべりあうがゆえにテーブル上にアレコレこぼれちゃったみたいなニュアンスが含まれている。

 その話がまとまったかどうかはいざ知らず、そういったテーブルが設けられ、双方が開襟して議論をたたかわせ、結果『梅花点々』なアンバイになったという次第が、たぶんに好ましいのだけどね。

 

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「百川」(百川楼とも)は、徳川家治が第10代の将軍だった頃17641772に店ができ、以後100年を超えて幕末期日本の文化を支えた名店であったにも関わらず、なぜか明治初年1868に閉店。高級料亭としての歴史を自ら閉じている。

 その潔さの背景に何があったのだろう? 

 一説では、幕府倒壊でペリーらの歓待費が入金されなかったともいうが、倒壊は14年後だから、ちょっと信じがたい……。幕府御用達という格ゆえに、あえて徳川家の命運に殉じたか? 

 落語の「百川」はここが舞台。シャキシャキの江戸っ子弁が地方出の男の方言と異種接近遭遇、「四神剣(シジンケン)」と「主人家(シュジンケ)」との言葉のイントネーション取り違えから次々連鎖、江戸っ子が大いに振り廻される痛快ドタバタな噺。六代めの圓生が笑わせてくれた。

 この噺の成立時期は不明だけど、拡大解釈して聴くと、幕末時の西洋人とのコミュニケーションの難しさと滑稽をお笑いにしているような感じがしないでもない。

 

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          江戸末期と明治の初めの料理事情を知る本2冊。

「医」の字

 完全ではないにしろ腰の痛みが消えつつあり、日常の生活が戻ってきた。

 嬉しいね。

 どうかしたハズミでズッキ~ンとくるし、同じ姿勢のままだと痺れてもくるから、まだ通院は継続中。擦られたり温められたり……。

 当然に腰を屈める庭作業などもってのホカじゃあるけれど、庭池では腰痛など知らんプリで睡蓮に花1つ。

 夜明けと共に花びらが開き、昼前10時頃には閉じて明日にそなえてる。開きっぱなしの花に較べ、この水中花は運動量が大きい。

 

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 睡蓮はずいぶん大昔からある植物のようだけど、それで、フッと古代を思ったりもするのだった。腰痛がらみで、「医」の字が生まれた過程を考えるんだった。

 どれっくらいの古代なんだか漠然ながら、まだ文字が文字として確定的には存在せず、呪術が活きてた頃だな……

 

 場所は中国大陸。国家という形がまだ生まれない頃。稲作とかはまだなくって狩猟採集でもって日々をおくってる地域というか集落ごとに、巫師やら呪術師みたいなのがいて、ま~、これが医者でもあるわけだ。

 あたりはずれが、当然にあったと思える。良い呪術師とさほどでない呪術師だね。

 良くない呪術師はブツクサ吠えて叫び声をあげるなり、何かを火にくべて祈祷する程度。

 良い呪術師は奇声めいた祈祷を唱えるけども、同時に、ながい経験から積んだ知見でもって、どこぞで摘んだハッパの汁を患部に塗ったりする。

 それでひどくかぶれちゃう事もあろうし、かえって悪化させたという事もあろうけど「塗り薬」だか「湿布作用あるもの」がそこに登場のワケだから、場合により回復が早かったろう。当然に施した呪術師は腕の良いヒトということになってく。

 だから、そういう人物がいる部族というか集落と、そうでなく口角泡を飛ばし、吠たえるだけの呪術師がいる集落では自ずと『幸福度』も違ってたろう……地域格差みたいなものが呪術師の腕でだいぶんと違ってたろうねぇ。

 ま~、いまだって、「アソコの医院はいいよ」とか、「あの病院だけはやめとけ」とか、風の便りみたいな評価が存在してるから、上記もあながち空想の産物でしかないとは言いきれないでしょ。

 

 馴染みな「医」の字は、「醫」を簡略にしたものだけど、現在わたし達が使ってる「医」は、なんで「矢」が囲われているのか?

 これを象形から漢字に変わっていく過程を図示すると、こうなる。

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 白川静の字源辞典『字統』と、氏の考察たっぷりの別書数冊を参考にさせていただきつつ、「」の字を腑分けし、解体してみよう。

 

 太古の中国では、祈祷呪術のさいに 矢 を射たり投げたりした。

 ヒトのチカラでは及ばない強靭な道具としての矢は、当初から道具の最前衛であると同時に祭事に必需なモノでもあったようで、矢という存在そのものが獲物の収奪のみでなく、「魔」や「邪」な事象に対抗出来うるアイテム、そしてそのことを象徴するアイコンとして重宝されたようだ。

「破邪」するという意味合いが込められ、ここから「邪魔をする」が転用されていく。

 だから当初では「邪魔をするな」と云えば、”邪悪を封じようとしているのを妨げるな”という意味で使った。

 今はそこが逆転してますなぁ、「邪魔」という単語そのものに邪気含みの厄介ゴトという風に意味合いが変わってらぁ。

「魔」には当然に「病魔」も含まれる。というより「病魔」は恐るべきものの筆頭にあったといっていい。矢はそれに対抗する霊的神聖を持つモノの筆頭にあった。

 その弓矢のカタチが象形されていき、意味ある文字となってったわけだ。

 中国に入った仏教はこの矢を有効に活用し、やがてそれが日本に入るや、「破魔矢」となって今に伝わり神社もお寺も概ね共通の魔除けグッズとして定着していく。鬼門の方角を封じ「魔」の侵入をさまたげる小道具として定着する。

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 「」。シュともツエボコとも読む。

 基本は投げ槍や杖矛(ジョウボウ武具にもなる杖)のイメージというが、白川静はその形に直接には似ていなく、むしろ、そのカタチに付加された呪飾、すなわち、「ノロウ)に通じる、呪術をおこなう者を指している可能性ありという風にとらえてらっしゃるようだ。

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 「」は、酒器や酒壺を意味する。トリとかミノルと読む。

 「氵」(サンズイ)をくわえるとオチャケになる。

 さんずいは、液体、水の滴りが意味され、「海」だの「波」だの「沖」だのに使われたのと同様、しずくとしてのイメージ。

 これが「酉」にくっついて、やがて「酒」という字が定着する。

 酒は呪術を含む祭事で使われるとても大事な構成要素。矢が「魔」を封じ、時に困難を克服し切り開くものの象徴であるなら、酒はその魂の慰撫を司るものであったろう。

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 図の通り、矢と酒は囲われている。

 「」はホウ(ハウ)と読まれ、ハコとも読まれる。

 「匿」(トク)という同型の字はカクマウとも読む。これは場所が暗示される。呪術もまた「秘匿な場所」にて、祈祷なり巫舞が行われる。

 右側が空いているのは、巫術師以外の者をそこに入れることを意味する。「医」の場合、患者を入れるというコトであろう。囲ってはいても閉じきってはいないんだね。この囲いの中で病魔と対峙し、退散させるワケだ。

 と、以上を踏まえたら、この字の出生の秘密を知ったようで、どことはなく愛情がわく。

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 で、その上で、白川先生の字源探求にさらに加えて云うなら、「醫」は、特定の場所、医療行為を行う場所を指す漢字なのであって、医療行為そのものよりも、まずはその場所としての位置づけを表わしているというコトがわかる。

 なるほどね。なので、垣根で囲った場所を指す「院」と組み合わせた「醫院」は実によく考えられた2文字単語というコトになりますな。「院」によって「醫」を強化し、

さらには酒屋じゃないぜココは、と主張幅も厚くしてるのだった。

 ただ、山本醫院と書いても、これがヤブなのか名医なのかは判らない。山本が治療行為をやってる場所があるというコトを告げているだけなのだからね。ま~、そこが「醫」の字の小さな弱点でもありましょうや。

 けども、太古の時代は部族や集落ごとにヒトは拘束されていたろうし、その集団に属していないととてものこと生きていけなかったであろうから、呪術師なり巫師を自ら選ぶということは、まず出来なかったろう。

 だから、出生場所によって当たり外れがあったろうと、推測できるんだ。

 その点、今は醫師をこちらの意思で選択出来るんだから、この1点はわりと進歩してるね~。

 こたびの突然の腰痛は、そうやって選ぶよりは、今一刻でも早く診てチョ~という切羽詰まったものだったから、1番近場の病院に出向いた次第ですが……、ま~、ヤブ先生でなかったことは幸いでごんした、な。

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 と、以上を考えてさらにもう1つ積み上げるなら、カコイとヤとサケの組み合わせで「医」の原型が出来たということは、組み合わせる以前、すでにカコイとヤとサケを示す象形が流通し、認知されてなきゃ~いけないわけだ。そうでないとまったく意味がわかんないもの。

 組み合わさって、いわゆる字画が増えていくには相当な時間がかかってるんだろうな……

 そう思うと、漢字の11つに時間がたっぷり染み込んでるような気がしてきて、な~かなかおろそかに出来ないなぁ、でもって、

 酒はいつ外されたんだろう? 

 とか、妙に感心させられるのだった。

 でもって、昔においては「醫」の字1つで事足りた”医療”だったけど、今はこれではまったく舌足らずで、「外科」だの「内科」だの「歯科」だの「耳鼻科」だの、内容を知らせる”補完語”が必需なんだねぇ。

「あんた病気です、治しましょうね」

 じゃ~済まないワケで、「醫」が「医」と簡略になった反面、「外科」1つとっても、消化器外科、呼吸器外科、心臓血管外科、甲状腺外科、小児外科……、などと細分化されてって、

「窓口、違いますよ~」

 時代が進むというコトはややこしくなるというコトでもあるんですな。

 めんどくさいですね〜。

 呪術1つで治してもらえる方が、気持ちラクなような……。

 

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            参照させていただいた白川先生の著作

 

 

腰痛騒動

 日々の暮らしの中、誰にだって、諸々な優先順位ってのがあるでしょ。

 アレしてコレしてと、欠かさずやらなきゃいけないコトがアンガイいっぱいある。

 けどもそういうのを粉砕してくれるのが、突然のアクシデントというやつ、ね。

 先週の月曜から、整形外科に通ってる

 腰痛だ。それもかなりひどいヤツ。

 ちょいとした動作でズッキ~ン、激痛だ。

 この数週、パッションフルーツの移動やら庭池の水替えなど、順位高きな作業を繰り返し、穴を掘ったりバケツさげたりのその負担が腰にかかったようなのだ。

 水たっぷりなポリバケツ2つを前屈のまま持ち上げたさい、ビビビッと腰に痛みがはしったのだけど、よもや、こうもひどい事になるとは思ってもいなかった。

 さてそうなると、優先順位だの日課だのは脆くも崩れちまう……。寝返りがうてず、前屈も出来なくなり……、這うように整形外科に出向いて、「痛みとってチョ~」と手をすりあわせるしかない。 

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 といって即座速攻で疼痛が消えるワケもない。

 背中の患部に注射をうってもらったものの、それとて数時間の緩和でしかなく、痛みの根本解消には至らない。

 背骨の腰椎部が変形(これは今回急にそうなったというワケでなくながい生活慣習上の姿勢の悪さで変形だ)ということで、コルセットを着けさせられ、以後、通院。

 徒歩500m弱のところに病院があるのは幸いといえば幸いだけど、その後の庭池の管理も何もあったもんじゃ~ない。不意にやって来た腰痛の、その退治が一気に優先順位のトップに出てしまった。

 なんせ座っていてもジワジワ痛むものだから、本を開く気力すらわかないし、座った姿勢から立ち上がるには歯を食いしばらなきゃ立てね~、というワケで、全生活のいっさいが「痛くないように振る舞う」の1点に集中されちまって、さっぱり面白くない。

 

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レイ・ハリーハウゼンの『シンドバッド虎の目大冒険』(1977)に登場のモンスター達。いずれも腰に重心が置かれてますな~。こんな敏捷っぽい姿勢いっさい、とれません

 

 それにしても、激痛というのは、どういう痛みをゲキツウというのだろう?

 果物は糖度が計測され、その度数でもって甘みの高低差が知れるけど、激痛にも度数があるのじゃないかしら? 激痛の2文字では表現しきれない幅があるはずだ……。激痛度2とか5とか、段階表現があってもイイのでないか? 

 疼痛もその激痛度数に加えてイイ。

 だいたいトウツウといっても、ズキッもあればズキズキッもあって、これまた一語でくくれない。こたびの場合は単音的なズキッ!の発生だけど、ま~、とにかく痛いのなんの。

 にも加え、腰というのは身体の中央であって、諸動作モロモロに影響する。

 ソックスを履こうとする、その動作が容易でない。容易でないというか、出来ない。

 屈めば腰がキャイ~ン、足をあげようとするとグギッ、手をさげればグリリッと刺さるよう。

 総じて一言に書けばズキ~~ンという痛みなのだけど、身体動かすたびのズッキ~ンズ。動作が進まず、いつまでもソックスが履けない。

 しかもまだズボンも履かなくちゃ~いけね。

 情けなくって笑いだすと、それが腰にズッキ~ニ。

 これは、ま・い・っ・た。

 いけね~、はけね~、なさけね~。進退窮まったワケだ。

 そんな次第ゆえやむなく、とある会合とそのアトの懇談飲み会を欠席。その翌日に予定していた狛犬研究女史との初ランデブーもキャンセルさせてもらい、さらにその夜の某所でのライブも欠席通知と……、かなりションボリandガックシ。

 

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          狛犬女史の特集記事が載る雑誌。お会いできずでまったく残念無念

 

 ま~、それでもお腰につけた吉備団子……、ユルユルとは治癒しているというか、変化しているようでもあり、なんとかソックスを自分で履けるようになった。姿勢を工夫し、片手を肩よりやや上ぎみな所にある何かにつかまって支え、ジワジワ片足上げつつジワジワ片手をそこに持ってって接近遭遇、すばやく網をすくうようにしてソックスを足にひっかける……

 ソックスが履けたことで大喜びというのも何だけど、これは体験してもらわないと喜びの厚さと甘味はわかるまいが、痛みがなくなったというのではない。痛みをどう扱うかという所作のハナシであって、痛みとの交際という副次的な面でのハナシながら、なんだかしら、小さな1歩を獲得したような気分もチラリンコ。

 チャンピオンベルトみたいなコルセットも不思議なもんで、1週間も着けてると慣れちゃって、外すと逆に不安でしょ~がなくなる。

 ただ、外す直後の腹部の圧迫が消失する感覚はタイヘン面白い。開放感という3文字がまことにピッタシ。キュ~っと絞られ締まってたのが、外すや、プック~ン。腹芸的フリ~・フィーリングの爽快がたまらない。

 以上のような悶々モードに入って既に10日ほど。どういうワケか、

井戸のまわりでお茶碗欠いたのだぁれ

 という歌のフレーズが出てくる。それで以前に書いた「茶壺道中」のことを書いた記事を読み直しつつ、ちょい束の間痛みから離れ、甘みふくよかな茶をすすっておりまする今日この頃。

 

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庭池異変

 庭池が不調。

 コメット2匹が昇天した。朝の6時に1匹おちているのを見つけ、ついで10時頃に睡蓮の葉陰でまた1匹。

 降雨があった翌日でやや水が汚れていたものの、それが原因に思えない。

 他の連中を眺めるに、いささか覇気がない。動きが緩慢に思える。

 長い尾が半分ほどになってるよう見えるのもいるが、確証はもてない。

 その尾を根拠にするなら、細菌系の病気が池に発生していると思うしかない。

 10年ほど前にも1度あった。

 次々に落命した。

 

 金魚には、カラムナリス病とか、水かび病とか、尾ぐされ病、白点病、とかとかな病気があり、水温低下でもって水中の菌に犯されるというコトがある。

 そうそう滅多に発生しないけども、感染症なので1匹やられると他にうつる。院内感染というか、あってはイケナイ池内感染だ。

 しかし、10年前と同じく、こたびも病気の特定に至らない。

 至らないけど、異変が進行形であるのは確かなようだから、しゃ~ない。イケナイ感染に向け、10年前と同じ処置をやってみた。

 

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 ポリバケツに水をはり、カルキを抜き、塩およそ30グラムと、メチレンブルーという薬剤を混ぜる。

 そこに生き残っているコメット達を入れる。

 濃いブルーに染まった水はそれはそれで綺麗だけども、生き物を入れるというコトになると、いささか抵抗があって良い感じじゃないけど、しかたない。

 薬浴だ。

 その環境で1週間ほどを過ごさせる。

 メチレンブルーはオキシドールイソジンの部類に属し、活性酸素を発生させ、殺菌消毒の効果が高い。魚体に付いた菌を滅ぼす。

 効力が高いので水草のような水性植物は枯らしてしまうから要注意、あくまでバケツにコメット達を入れての治療。強制の隔離入院だね。

 魚体への影響としては、体色が青になる。なんせ浸透性のあるブルー。全身がいささか汚い感じの色に染まってしまう。ま~、これは薬浴後の1週間ほどで元に戻るから、さほど案じるより団子汁、片目閉じて見てみぬフリ。魚眼からみる世界は青色1つの単色だから気持ちイイはずもないだろうけど。

 

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 塩は金魚の浮力を助け、弱った身体をいわば楽な状態に置く効果がある。金魚自身の塩分濃度と水のそれを出来るだけ合致させ、水の浸透圧を軽減させるワケだ。塩を入れることで水そのものを介護ベッドに変えるようなもんかな。

 お江戸の時代、金魚飼育が大ブームになって、時に素晴らしくカタチが良く状態もいい1匹が家1軒の価格で売買されるというバブルになって幕府が規制に乗り出したコトがあったようだけど、そのブームのさなか、金魚の病気の塩浴は秘伝として扱われていたようでもある。

 どれくらいの量を入れるか、どのような塩が良いか、やはり赤穂の塩か……、というようなコトが経験で裏打ちされた処方箋としてあったようだ。その秘伝書が密かにコピーされ、ちょっと記述を変えただけのパチモン本も出たりしてテンヤワンヤだったようでもあるけど、金魚と美女が描かれた浮世絵が当時多数刷られているのが、金魚がトレンドであったことを示してる。

 

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             歌川国芳の『歩く金魚』 ベルギー王立美術館蔵 

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              三代目歌川豊国の『二十四好今様美人金魚好

 

 で、一方、池の水は全量を排出。せっせと掻い出し、石を洗い、睡蓮の鉢をタワシでこすって洗いと、刷新清掃にこれ務めた。

 おかげで汗だく。

 腰ギシギシ。(このコトは次回に。実は腰を痛めたのデス)

 清掃後、あらたに水をはり、金魚を戻すまでの数日、放置する。

 魚影のない透明な水面はちょっと奇妙な感、無きにしもあらず。睡蓮などあって、いかにも魚がいそうに見せて実は不在という、そのシーンとしたヘンテコな感覚を多分「不気味」というのだろう。

 

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 しかし思えば、最初に虐められて弱体化していた1匹は、狭いとはいえエアレーションされた水槽の中でもって悠々とし、病いとは隔絶されてエサを頬張ってる。

 他者に疎んじられたがゆえに逆に結果として、難儀をまぬがれたワケで、こういうのを運命というのか? 虐めていた側の2匹はあえなくも昇天で……、これは宿命というのか? 

 この隔離されたコメットが事態を知れば、

「ま~、そんなもんさ」

 ヴォネガットみたいにさら~っと云ってのけてニヤッと苦笑するのかもしれない。

 

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             隔離されていてアオ漬けにされなかったヤツ

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                  アオ漬け中のコメットたち

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             アオ漬けの4日め。青というより黒

 とかなんとか云ってるうち、もう6日が過ぎた。

 青くなったコメット達を退院させ、庭池に戻してみた。

 結果がどうなるかは、まだ判らない。しばし様子見という次第。

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           なんかきたない感じのヤツら……

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          色は1週間ほどで元に戻る……、はず

 

 ◯  え~、ちなみに……、魚を診察する病院というのは、日本にどれくらいあるのでしょう。

 ◯ 答え

 全国15797軒ある動物病院のうち27軒が、魚も診ます。

 岡山にはないですね。広島や山口には1軒あるみたい。1番多いのは東京で、9軒あるみたいっすよ。

 いずれもフィッシュ専門じゃなくワンちゃんやネコちゃんを診る次いでというか、動物病院という括りの中で一応は診てくれるって~コトかしら? 営業の看板に掲げてるだけかもしれませんが実態不明。

 こと魚に関しては江戸時代同様に個々人の”秘伝”めいた処方が今も……、というコトかもしれませんなぁ。

 

 

パッションフルーツ移動2019

 毎年毎度の行事となったパッションフルーツの、INからOUTへの移動。

 この作業はちょうど1年の真ん中にあたるゆえ、

「ぁ、早いね、もう6月かぁ」

 とか、

「あと6ヶ月でまた餅喰うのかぁ〜ん」

 とか、世界情勢なんぞま〜るで関係ない、私的1年の折返しポイントに立ったのを意識する。 

 

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 株分けで4鉢あるけど今回外に出すのは大きい2鉢。

 穴を堀りネットを張り、鉢ごとそっくり地面に埋めてやる。

 たいした作業じゃないけどそれなりに汗をかく。

 

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 こういう作業は午前中にやっちまい、終えて午後の早いうち、缶ビールをグビ~~ッが大変よろしい。

 かたや環境大変化でパッションフルーツはこれからしばし、元気を失う。

 環境に順応するまでチョットしんどい思いをするであろうコトは、毎年眺めてるんで概ねわかってる。

 半年以上浴びたコトのない直射光に晒され、風に揺すられ、アリがチョコマカと幹を登ってくるくすぐったさ。そういったアウトドア環境に慣れるまでは、葉もうなだれる。

 気の毒な感もチビリとあるけど、しかたない。慣れるまでのシンボ~だ。

 

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 園芸の本やネット情報を眺めるに、庭の草木の水やりに関して、アレコレな見解がのっている。

 あるヒトは、毎日定時にたっぷりお水をあげて下さい、という。

 あるヒトは、出来るだけあたえず放置した方が丈夫な栽培法、という。

 近頃の医療で、たとえば、

糖質制限の食事を心がけましょう」

 強く主張される一方で、

糖質制限の食事は逆効果、失うものが多い」

 正反対の見解が旗をひらめかし、ド素人の病者はどっちを選択していいかわっから~ん……、肩をすくめるようなところがある。

 場合によって、どうとでもいえるといった、選択はあなた次第というていたらくを投げつけられるだけのような気がしないでもないけど、水やりに関しては、ほぼ毎日、夕刻にホースを繰り出している。

 

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 なるほど確かに、新幹線高架下の空き地なんぞでは、誰もお水を与えはしないけどもアレコレな草木が大いに茂って、植物の旺盛な活力を見ないではないけど、一転、庭に眼を向けるや……、放ったらかしにするというのは気がすすまない。逆に、気がかりになってしかたない。

 この「気になってしかたね~」が草木への過保護をうむ要因だろうとも思うけど、水を与えぬより、水をまいたさいのニンゲン様満足の方を、ここは優先だ……

 水やり後に缶ビールをあけてグッパ~~な、のどこしがたまらん。草木同様にこちらも水分補強のつもりでいるワケだ。

 そうやって夏場はビール摂取が増え、熱中症対策おこたりなし……、なワケでもないけど、ビール消費と庭の水やりは絶妙に関連してるコトはまちがいない。

 

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 かつてジュール・ヴェルヌは『地底旅行』で、リーデンブロック教授たち3人の旅人が地底の深くへと降りていくに連れ、水筒の水はとっくに空っぽ、ジンを飲んで喉の乾きを何日も癒やすというような描写をしていたけども、さて? はたしてそれは正しい科学か?

 ジンの携行は了解するにしても、ジンはウォーターでなくアルコール。

 ジンのみでしのぐというのはいささか妙なアンバイ。盛大に酔っ払って探検どころじゃ~あるまい。

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              ドイツのシュヴァルツヴァルト蒸留所製のジン

 

 ハイキング なくっちゃこまる~ 缶ビール あってもなくても ス~昆布

 みたいな行楽じゃない。

 もちろんヴェルヌは、そこはしっかりわきまえてた。

 水筒空っぽ、やがてジンも空っぽの飢餓状況を克明に描き、主人公アクセルが発狂寸前に追い込まれるところをクライマックスの1つに置いて、たっぷりハラハラ、地底の閉塞感をみっちりズキズキ凝縮させた上で、ほとばしる地底の激流を登場させてくれるんだ。

 ただ、さすがはヴェルヌ、すぐに飲ませてくれない。

 熱湯だ。100度の奔流、温泉の源流だ……

 で、そこからピョ~ンとユーモアな記述となって、

「熱湯? な~に、冷えるさ」

「このお湯、鉄分が含まれてますね」

「胃に効くぞ。おっ、ミネラルも豊富じゃな」

 岩波文庫の朝比奈弘治訳をよりくだけた感じで書くとこうなって、暗澹は一転にして安堵と爽快にくるまれる。

 たぶんに数多の読者は、真面目一辺倒の主人公のつまらなさとリーデンブロックの飄々とした姿をみて、笑いを響かせたと思う。

 その辺りの緩急をたっぷり味わわされた後に、いよいよあのでっかいキノコの森が出てくる。

 地底深くの巨大な大植物園……

 大昔、中学生の頃だかに挿絵を初めてみたさいは、しばし見惚れてしまったなぁ。

 

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              エドゥアール・リウーの装画

 庭池にお水をまいてるさなか、チョクチョクと、そのキノコの森を想いだす。小庭に冒険はないけども、まき水に時に小さな虹が現出するのを眺めつつ、ヴェルヌの恩恵をクチャクチャ噛んでいる。

 ジェームス・メイスン主演の『地底探検』(1959)は原作の味をよく咀嚼した上でオリジナル脚本に仕上げた秀作で、大好きな1本じゃ~あるけど、そろそろリメーク版が出たっていい頃だと思うけどねぇ。

 原作には登場しないグラマラスな大人の女ムンムンな夫人(アーレン・ダール)を旅の一行に加えた事で、まさに大人の映画に仕上がってたし……、だけど今はメイスンを越える役者さんがいないような気もするし、さて、強いて起用するなら誰がよろしいかしら? 

 楽しく妄想しつつお水まく。とりわけパッションフルーツにたっぷり。

 

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                   映画『地底探検』より

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                      ジェームス・メイスンとアーレン・ダール。

 アーレンさんは2019年現在も健在のようだ♡ 90歳半ばじゃないかな? しっかり水分補給でこの夏も乗り切っていただきたいですなぁ。

ウィルソン氏の驚異の陳列室

 博物館とか美術館とか、ミュージアムを割合と好む方じゃあるけど、出向くと期待よりガッカリの方が少し多いような気が……、しなくもない。

 自分が求めているものと実際とに少し隙間があるワケだ。

 それは実に絶妙で、展示物のアレやソレとかも大事だけど、ただもう展示方法であるとか、館内混み具合とかで、隙間が伸び縮みする。

 出向いた日の天候を含め、自分の意思と関係ない諸々が重なって、展示されたモノと自分との狭間にベールめいた障害物が置かれるような、それで失望の感触が濃くなっていくといったアンバイ。

 上手でない展示も散見する。展示物をあまりに神々しく見せようとする妙なエネルギーが働き過ぎてると思える展示も、多い。

 展示物とそれが置かれる空間の、空気のアリヨウというか、これは実に感覚的なことでうまくは書き記せないけど、いっそ遊園地の片隅にあったりする小スペースながら何やかやを展示して見せてるものに妙に魅了されたりもする。

 学術的体系に基づかず、ただもう時計やら電話機やら品数のみ集めてみましたみたいな、その混沌と混乱がかえって、好ましく博物館的であったりもする。

 ま~、たぶんに自分がそういう混沌めいた雰囲気を好むヘキがあるんで、自ずと好感が増量されてしまうのだろうけど。

 

 出向いてガッカリな要因にはその場所バショでの館員の対応もある。過剰に警戒してる館員がもっとも腹立たしい。

 高梁の某ミュージアムを見学中、たまたま携帯電話にメールが入り、その場で見ようと操作してたら、女性の学芸員だか館員だかがスッ飛んできて、

「撮影禁止ですっ」

 そう申したもんだ。あえて反論するのもそのヒトに気の毒と思い黙ってやり過ごしたけど、この女性はさらに当方に眼をつけでもしたか、距離は置いているもののコチラの動きについてきて、たえず視線をそよがせ、いかにも監視してます~って空気をつくって、これには煮やされた。

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 豊島にある豊島美術館でも似た経験をした。あの広いドーム空間内に入った直後、同行者と顔を見合わせてヒトコトフタコト小声をこぼした途端、館員がすっ飛んできて、

「静かにしてください」

 ときた。

 同行者がたまたま某ミュージアム学芸員だったのは暗いジョークのようなもんだった。

 決して大声あげたワケでもないのに、その空間では2度も警告を受けた。

 早々に退出。同行者もさすがにプッチン、

「管理、行き過ぎですね~」

 と、頬プリン。

 たちまちに不愉快空間となって、二度と行かない烙印をおした。

 そういう人的被害も含め、展示物に見合う空気がそこにあるか、ないか、も常に問題だ。

 

 そういう次第もあって、なんだか近頃は積極的に足を運ぶというコトから遠のいて、久しい。

 いっそ空想の中でミュージアムを構想しちゃう方が愉しかったりもする。

 

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『ウィルソン氏の驚異の陳列室』という本がある。みすず書房刊)

 とにかくヤッカイな本で、全記述を通してウソかマコトか、その境界が曖昧で霧を喰むようなところがある。

 いささか高尚なハナシっぷりも気がかりだし、かなりの図版をいれているのに、肝心のその展示室の写真はなく、イラストのみで紹介される。

 読み進めているうち、はは~ん、これは実在しないな、イメージとしての博物館を描こうとしてるな……、そう思ったりもする。

 しかし、そうでない。

 同書に出てくる「The Musuem of Jurassic Technology」は実在するし、館長のデヴィッド・ウィルソン氏も健在だ。ジュラシックたって恐竜とは関係ない。ネットで調べりゃ、ここを訪ねた訪問記がいくらでもみつかる。

 暗く狭く小さな館の中にはいささか不思議なモノモノが詰まってる。本当なのか本物なのかも判らない陳列品の数々。幾つかのガラス棚に収まった展示物の前には受話器があって、そこから音声解説を聴けるが、時にそれは非常に長いトークであったり、専門的用語が凝縮して素人にはチンプンカンプンなものだったりもする。ディオラマの手前に設置された覗き窓から見るとディオラマ上に橋がかかるというような展示もあって、その橋の由来詳細がそばに書かれていたりもする。

 お手軽に何かを学ぼうと訪ね寄ったヒトは足をすくわれ、自身の中の知恵と常識が覆る音を聞く……。

 見終えて一巡し、屋上に出ると、館長がお茶とクッキーで歓待してくれるというのが本に出てくるけど、実際、その通りのようでもある。

 いわば、博物館って何? との問いが掲げられているようなもんで、日本のアーチスト篠田太郎とウィルソン氏の対談が、この小さなミュージアムの巨大な価値を示唆してる。

 

 真実と噂、迷信と科学とがない交ぜになったような展示作品は、現代社会がこれまでに捨て去ってきた森羅万象の捉え方を思い出させてくれます。それは、「人間のこれからの行動を考え直すことに繋がっていくのではないだろうか」、とウィルソン館長はいいます。「何が正解か、ということよりも、このように多種多様な価値観を人々が議論していくことが大事なのです」。

    上記引用はコチラのサイトより

 

 ウソかマコトの見極めじゃなく、いっそ展示されたものへの「驚き」こそが要めと、ウィルソン氏は云う。

 その感覚的見解は正論だ。書籍『ウィルソン氏の驚異の陳列室』もそこが主題だ。

 ヒトは何故にセッセとアートなり珍しいモノなりを収集し、またそれを見たがるか?

 そこには大なり小なりの『驚き』、『驚きたい』が含有してる……。 

 エジプトから古代のアレコレをセッセとパリに運んでルーヴルの礎を築いたナポレオンの念頭には、立派な美術館・博物館を造るという以前に、まずは自分が感じたビックリをパリ市民にもお裾分けしたかったというのが、実情だろう。

 だから、その驚きを声にした途端に2度にわたって、「静かに」と警告してくるような展示管理じゃダメ、なんだ。ましてやそれが現代アートならなおさらに、驚きの声こそが作品への評価たりえるのに、それを殺せというならば、映画館で映画観て笑っちゃイケナイ泣いちゃ困ります……、と規制するに等しい。

 

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 この国に博物館なりミュージアムの名がついた施設が幾つあるのか知らないけど、その内の数パーセントは既に潰れたり閉館したり、してる。

 博物館というのは見方によってはモノの最終の置き場とも思えるけど、博物館とて永劫のものじゃない。

 そういう時、コレクションはどうなったろう? と、気になる。せっかく収集したモノが散逸するのは何とも口惜しい……

 ここに1冊、目録めいた大判の本がある。

 

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 どういう経緯で書棚に収まってるのか忘れた。「サンダーバード」がらみでバンダイ・ビジュアルさんと懇意だった頃、何かの折に何かと一緒に頂戴したもののように思うけど、記憶さだかでない。

 かつてこの国にも、今の中国のように、お金を稼ぎに稼いでモノも買い集めるという時期があったでしょ。

 そのバブル期にゼネコンのフジタがコーンウォール(英国の南西部の町)にあった「マリオン・ミニチュア模型博物館」をそっくり買いあげた。

 収蔵物はいっさいロンドンに移送、新たなミュージアムとしてフジタ財団が運営しはじめた。企業メセナとしての文化貢献を掲げてだ。

 でもバブルな時代はすぐに終わる。

 フジタはひっくり返り、会社再建の出直しだ。「おもちゃ博物館」も処分することになる。

 それでバンダイが、財布のヒモをゆるめた。バンダイはその頃、『ガンダム』の第1期プラモデルの大ブーム。バブル破綻はまったく関係なしの覇者で、売れに売れる勢いにのった抱き合わせ商法が国会で問題視されて警告を受けるほどに活気づいていた。

 で、バンダイさんはフジタの収蔵品1万点のうちの7割を買い取ってあげた。

 でもって、それを日本に持って来ちゃった。買い取られなかった3割がその後どうなったかは知らない……

 

 ともあれそうして7千点の玩具(16世紀~20世紀のもの)が日本に入り、「軽井沢ワールドトイミュージアム」という名でバンダイは博物館をオープンしたのだった。

 

 英国人が玩具たちの国外持ち出しを悲しんだであろうことは想像するまでもない。

 そういうコトもあってか、こたび英国政府は、注釈が書き込まれた1冊の『チャタレー夫人の恋人』の輸出を禁じる措置をとった。(5/14付けのCNNのニュース)

f:id:yoshibey0219:20190608183928j:plain               Express/Hulton Archive/Getty Images

1960年に同書が猥褻かどうかで裁判になったさい、裁判官とその妻が裁判のために読み込んで、アンダーラインを引いたり書き込みを入れたりした1冊で、これがオークションに出たワケだ。

 英国政府はそれが国内に留まるならヨシとし、国外に売られるなら「文化遺産をなくし国益に反する」との見解で国外持ち出しを禁じたという次第。なるほどな~、と合点した。明治になって大量の浮世絵や日本美術が国外に売り飛ばされたのと同様な哀しいことは今も継続中なわけだ。

 

 で、「軽井沢ワールドトイミュージアム」だけど、これは2007年に閉館。英国の玩具たちは以後は栃木に出来た「おもちゃのまちバンダイミュージアム」に移動して現在に至ってる。

「軽井沢ワールドトイミュージアム」の跡地は今はアウトレットの店になってるそうだけど……、本来は英国にあるべきな品々が日本に運ばれ、日本で転々としている様子は必ずしも嬉しいコトでないけど、コトここに至ってはバンダイさんの奮闘を願うしかない。所有した膨大な模型たちの維持管理と個々の模型の歴史的探求にはげんでもらいたい。

 

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 この本は、玩具たちがまだロンドンにあった頃にまとめれらたもの。

 どこか急ごしらえの感じがあって、模型の撮影も今ひとつ、レイアウトも大判本の体裁にそぐわず……、必ずしも良い編集というワケでもないにしろ、かつて英国人が英国人のために収集し展示してきたであろう姿を想い起こすような気分は味わえる。

 フジタのそれではなく、今はないコーンウォールの博物館をこの図録を頼りに闊歩するワケだ。そこでは、模型写真の模型たちがどんな展示ケースに入っていたか、どのような照明だったか、床は煉瓦かウッドか、廊下はどのような構造だったか……、などなどな、その夢想が実はアンガイに面白く愉しい。行かない(行けない)ことで逆に館と展示物とが光沢を帯びてくることもあるんだ。

 

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 夢想ということでは、『今昔物語』巻十五に智光・頼光の話があるけど、何かそれを想起させられないワケでもない。

 どういうハナシかと云いますと、元興寺という寺に学僧がいて、それが智光と頼光。

 智光はアチャラコチャラのお寺を訪ねて経文を読んだりと勉学に励んでる人。

 一方の頼光は、僧房でゴロゴロ、テッテ的に怠け者。

 やがて智光はえらい坊さんになるが、頼光はあいかわらずで老境に至ってもゴロゴロ。

 で、その頼光が死んださい、智光はどれほどの報いが友達であった頼光にふりかかったか知りたいと思ったら、仏のチカラで願いがかなった。

 夢の中、頼光は極楽浄土に住まって幸せな顔をしてゴロゴロ寝てる。背景には柔らかな楽の音。

 智光はビックリした。

 今までたくさん勉強し、極楽浄土のイメージを漠然とは持っていたけど、頼光のいる夢の中の極楽浄土ほどクッキリハッキリのカタチは知らなかった。

 それで頼光に、ボクもここに来たいといったら、

「汝は法文を学び、その義理を悟って知恵あきらかなれども、心散乱して、まだ浄土に生まれる資格なし」 

 冷たく云い返された。

 智光は泣き出した。彼はアチャコチャで見聞を広めたものの、それらを自身のものとして消化しきってはいなかった。

 一方の頼光は終生ゴロゴロ寝転がってはいたが、いつも極楽を夢想し、夢想したいがゆえにゴロゴロを繰り返し、その理想像を頭の中で確固なものにしてた……。

 頼光はちょっと気の毒に思って、阿弥陀如来の元に智光を連れていき、どうしたもんかと尋ねてみた。

 すると阿弥陀さんは、

「それは簡単。この夢の光景を全部おぼえておけばいい」

 と、申される。

「全部なんておぼえられません」 

 智光はいっそう泣く。

 それで阿弥陀さんは智光に極楽浄土のミニチュアを見せ示した。

 夢から醒めた智光は直ぐに絵師を読んで、そのミニチュアを絵に描かせた。

 当然に智光が見たミニチュアが100パーセント描けているワケで、ない。

 以後、彼はもうアチャコチャ訪ねたりもせず、その絵を眺め続け、細部にいたるまでを懸命に思い返したりを繰り返し、やがて往生し、その絵のままの極楽にめでたくも行くことになった。

 おしまい。

 

桂そうば岡山落語会

 過日の午後、『桂そうば岡山落語会』。

 自分にとって年1度の落語を直に”見る”日。

 落語は頻繁に聴いている。かなりの量をCDからiTunesに置き換え、概ね2日に1度くらい、どこかの時間で、1席か2席、誰かの何かを聴くというアンバイ。

 ローテーションとしては五代目志ん生が1番多く、次いで圓生、枝雀と続く。

 気品ある話っぷりとして三代目の桂三木助の『芝浜』か『へっつい幽霊』、ガガガっと迫って来るようなのを聴きたきゃ三笑亭可楽の『妾馬』、すっとぼけたのなら春風亭柳好の『牛ほめ』か『かぼちゃ屋』、枯れた味わいなら彦六と、その時々の気分でコロリン変わる。

 

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 そういう次第でボクにとって落語は耳で聴くものという感が濃く、直に眺めて愉しむというのは2の次になっている。

 けれども、年にただの1度、桂そうばのナマを味わうというのだけは繰り返しているワケだ。

 だからこれのみ、頭の中に舞台上の落語家の姿カタチを空想しなくていい。

 イメージを喚起するのじゃなくありのままのライブを味わうという点で、これはボクにとっては特異点、いやもちろん、ナマのライブこそが落語の醍醐味じゃあるのだけど、そこがいささか倒錯している。

 実は……、フタをあけるまで演目が判らないというのは好きでない。ま~、これは絶妙な感じなので声を大にして好きじゃ~ないというコトを云いたいワケでもなく、場の空気の中に溶け込むまでの自分の体内感覚の問題だ。

 自室で演者と演目を選び、スピーカーから届く声と自分とは擬似的ながらも1対1の関係だけど、ナマの落語会では自分の前や隣りに大勢がいて、方々の頭の動きとか咳払いとかがあって、けっして1対1じゃないところが、でもって聴くべき演目が直前まで不明というのが感じとして絶妙なのだ。

 独占したいとかではなくって、落語ライブにはそれなりの「構え」を要するという次第で、それを含めての年に1度のオモシロ体験。

 

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 さてと、場内はいつも通りの満席。

 こたびは桂そうばと、桂竹千代の2人。いわば関西と関東の味合戦。

 竹千代の講談調まじりの『古事記』は悪くなかったね~、いいねぇ。間の取り方が実にいい。緩急の速度もいい。

 

 桂そうばは枝雀のような天才じゃなく、積み上げの努力でもって芸幅を広げている噺家だと思ってるけど、1年ごとにその伸びが大きくなっているのも、頼もしい。

 彼の、身体というか骨格がでかいのも好感だ。

 落語と体躯はあまり関係ないとは思うけども、このヒトの場合は、その体躯自体が演目をヨイショするようなところもある。なので、もっと太った方がよいのじゃないかしら? とも大きなお世話ながら思ったりもし……。利口すぎて馬鹿になりきれない部分を身体のデカサがそこを補う……、という感じかしら。

 今回初めて人情噺としての『子はかすがい』を演ったけど、人情談は若い噺家じゃカタチにならないのが相場。そういう意味でそうばはもう人情噺が出来る年齢になったんじゃなぁ……、ともシミジミ思う。

 おこがましいけども、応援しているということは、ま~、そういうコトも含む視線をおくるというコトなのだ。といって、後援会に入ろうとかな応援じゃない。あくまで年1度の逢瀬のた・の・し・み、として。

 ま~、願わくば、そうばと竹千代、このカップルをもう1度、あ・じ・わ・い・た・い、な。

 今回はそうばが2席、竹千代が1席ながら、え~~っと……、竹千代に座布団2枚。

 

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 庭池続報。

 アルビノがかった目立つ体色のコメットが庭池から出てくや、おかしいホドに池は静かになった。 

 残った6匹は、1匹の白いのがいなくなった途端、憑依した何かが抜けたようにおとなしい。アルビノを追いかけ廻した凶猛さは消えて、水辺にこちらが近づけば、ゆるやかに群泳しつつ媚びたように寄ってくる。

 1匹を隔離したことによって様相がガラリンと変わったワケだけど、個と集団、共生共存……、むずかしい問題が水の中にもあると思うと、なにやら、

「ハッピ~じゃ~ん♡」

 とは云い難い。

 集団とは和をもってなすけど、和は輪でもあって、輪内に嫌うものは入れずという閉じたカタチでもあって、そこがもどかしい。

 ともあれ、

「わーっ!」

 ってな狂騒で1匹をいたぶり、時に死に至らしめる「落ち」は要らない。

 

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