梅花点々

 

 客人に食事を出し、食べてもらい、その食後にテーブルクロスに汁の飛沫や食べるさいに散ったクズ小片など、それら点々とした様相を、かつて昔々の中国では、

『梅花点々』

 といって、顔をほころばせた。

 メイファ~ディエンテン、とでも発音したらいいか。

 ビジュアルとして、けっして綺麗な状態ではない。

 けども、盛大に食事してくれて、その結果、お汁の飛沫が飛び、食べ物の小片がテーブル上に落っこちてるのを、かつて昔の中国では「喜ばしい」ことと解してた。

 客人が夢中になって食べてくれたと解釈しているワケだ。

 当然に逆のことも云えるだろう。

 客は客として、おいしくいただきましたを証すために、あえてテーブルを汚す……

 いささか今の常識では考えにくいけども、かつてそういう風にテーブルを汚すことがいけない事でない時代もあったワケだ。

 

 過日の大阪での20カ国・地域首脳会議(G20サミット)をニュースで知る範囲では、議長国の日本は極めて盛大にふるまって、アレやコレもソレもと、歓待これ1色というアンバイだったようで、事実、それも大きめなニュースになっていた。

 いわゆる「おもてなし」。

 豪奢な具材を入れたタコヤキが不評だった……、というようなくだらないコトが報じられたりもした。

「おもてなし」のさいたるが贈り物。

 首相が各国関係者に手土産として配ったのは、大阪の「天満切子」のペアのロックグラス(2つで5万円前後か?)

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 さらに来日の報道関係者も含む登録された出席者全員に、福井特産の箸と輪島塗りの高級ボールペン三越オンライン・ストアで見るに安くて6480円。高いのだと5万4000円)が贈られたそうな。

 さらにさらに昭恵夫人名義の贈り物内閣官房機密費から支出されたのかな?)が各国首脳宛にあって、茶道具セットが配られた(価格不明)

 さらには、開催地大阪市や関西財界は、錫製の豪奢な茶壺(税込み4万6千円)。首脳の配偶者には京漆器の宝石箱(税込み9万7200円)などを贈ったそうだ。

 

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 今回のG20はメンバー国に加えて8カ国の首脳夫婦、国連機関の代表など計37カ国のオエライさん夫妻とその随行員多数が大阪に来た。

 あれこれの場で当たり外れなし均等に上記はプレゼントされてるハズだから、物量作戦……、としか言いようがない。

 総員は何人で、費やした総額は幾らだろ?

 おまけに、関係者(報道関係者も含む)が利用できるビュッフェは朝昼晩いっさい無料で、日替わりで常時150種の日本酒やらワイン、国産ウィスキーが飲み放題。先に書いたタコヤキはこのビュッフエのものらしい。

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           首脳の配偶者に贈られた宝石箱。配偶者の方が高額……。

 

 歓待は大いに結構じゃあるけれど、プレゼントし過ぎな感じもなくはないし、それだけじゃ~いけないでしょう……、とチョットわだかまる。

 要は国際会議なんだ。

 社交じゃ~なく、外交だ。

 たぶん、そこのところが、かのペリー提督の来航の頃から……、ずっとズレてるというか、勘違いな混同をやらかしているよう思えてしかたない。

 社交は外交に付随する大事な交わりポイントだけど、社交イコール外交でないのは、他国の方々の振る舞いを眺めてみりゃ、どことなく判る。

 

 ペリー提督2度めの来航で、「日米和親条約」会談をねじ込まれたさい、日本側は急ごしらえで横浜村応接所を造り、饗応の料理をふるまった。

 幕府御用達の日本橋浮世小路の料亭「百川(ももかわ)」がこの食事を2000(2億円くらいか?)で請け負い(請け負わされ)、来航の米国将兵300人分と日本側接待役200人の計500食を造って出した。

 伝統的かつ本格な本膳料理で、日本としては最高の儀礼を込めたものであったコトは間違いない。内なる心情は忌避であっても、会談の方向については「よろしくお願いします~」の念を込め。

 

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      ※ 「横浜応接場秘図」高川文筌/画 江戸時代末期 - 長野市真田宝物館 蔵

 

「百川」は、お膳の1つに豚の煮物を入れている。「百川」としては精一杯の西洋人への対応であったろうから、気が効いている。

 けども、お膳はほぼ全て醤油味付けの薄味。個々の料理もカタチ重視で量も少ない。土産として各人に紅白のカマボコと鯛の塩焼き丸ごと1匹がついていたけど、正直、米国人には、ありがたくもない。

 小さな膳が次々に出てくる華麗さは判るけども、ペリー他誰も、メイン料理の刺身に手をつけられない。生魚なんだからね。

 

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  ※ 日本側が記録したメニュー表から再現した当日の饗応膳。「日本食文化の醤油を知る」より転載

 

 のちにペリーが書いた『遠征記』には、「琉球(沖縄)王国で出された饗応料理より劣ったもの」と記される。琉球ではブタ肉をふんだんに使った宮廷料理だったからか? 

 長い船旅で、脂肪分たっぷりの肉食に飢えている将兵にとって、和食は悲しいほどに貧相に見えてしまったのだろう。

 さらに接待役の林大学頭(林復斎)の、

「粗末なものでございますがどうぞお召し上がりください」

 という日本人なら誰でも判る気持ちのアリヨウが、オランダ語経由と中国語経由の同時通訳じゃ伝わらない。

「粗末なものを出すのか?」

 誤解も産んだ。

 けど一方でペリー達は、その和食味付の基底に大豆があるのを見抜いて、米国にはない大豆として2種類ほどの大豆を持ち帰り、帰国後に米国農業委員会にそれをソイソースの元になってると、チャ~ンと報告までしているから抜け目ない。周到に観察し、日本研究をおこなっているわけだ。

 

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             ※ ペリーの『遠征記』 

 

 一方、数日後(1854.3/27)、条約案が概ねでまとまっていよいよ31日には調印という時、ペリーは林復斎たち日本側の役人らを招待して、返礼の饗応を催す。

 上陸した300人に向けて数億円かけて豪奢な料理を出した日本の「社交」に対して、その返礼としての「外交」は、旗艦ボーハタン号への日本側役人70名ほどの招待に過ぎない。

 船という性質上、招く人員に限りがあるとしても、1/4の規模でしかない。

 もっともペリーは儀礼はわきまえている。フランス人コックを連れてきている。フランス式フルコースを出しての饗宴を目論んでいた。

 この宴席主催のためにペリーは艦に、去勢牛、羊、ニワトリなどを生かしたまま乗せていた。(『歴史の影に美食あり』黒岩比佐子著による)

 けどもフタを開けると、フルコースも何もあったもんじゃ~ない。

 ペリー達が初めての和食に接したのと同様、こちらも初めての食事に眼を丸くし、西洋式マナーなど知るすべもないまま、物珍しいと盛大に食べ、皿の中の品を懐紙に包んで懐に入れちゃったりもする。(食事の持ち帰りは江戸期の文化的性質でもあるから一概に責められないけど)

 禁じられた獣肉ビーフかな?)を貪り、酢漬けの品にテーブルに置かれたソースやらジャムを入れて食べるなど、滑稽を絵に描いたようなアンバイになった。

 シャンペンでの乾杯で始まった饗宴にはブランデーやらワインやら各種のリキュールもあり、これを次々に出されるままに飲み干すもんだから、度数の違うアルコールのチャンポン。たちまちベロベロン。踊り出す者もあれば、酔ってペリーに抱きついた者もいる。(交渉係だった儒学者・松崎満太郎)

 ペリーは「日米和親条約」の調印を目前にしているから、このハチャメチャを許し、その『遠征記』にも、無作法を悪くは書いていない。なんせ条約は米国有利に結ばれようとしているのだし、その饗宴での振る舞いをそこで非礼として誹ることはしないが、世界の外交史の中では特筆に値いするベロンベロ泥酔いな、外交とはいいがたい無礼講だったとは思える。

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     蒸気外輪フリゲート艦ボーハタン。食材などは補給艦である3隻の帆走船に積んでいる。

 もちろん現在はそんなベロンベロン交際は無いとは思うけど、「社交」と「外交」のバランスは、さて、どうだろ?

 大手の新聞もなんだか「おもてなし」ばかりに注視しているようでもあって、外交ベタは政府のみならずの問題のような感がしないではない……

 ロン・ヤスと呼び合う仲になったと錯覚した中曽根某や、ロシアや米国のトップと友達関係になってると盲信してる現在の首相ご同様に、「社交と外交」の取り違えが、気がかり。

 

 大阪G20サミットの全体会合の席上、首相は「令和」の意味を『美しい調和』だと彼独特の曲解節でいい、「本サミットでも美しい調和を実現したい」とモノ申されたそうだけど、この美辞麗句と行動は一致しなかった。

 隣国の大統領とは会談もせず、そりゃ確かに腹立たしい思いにさせられてはいるものの、サミットが終わって大統領が帰国するや「嫌がらせ制裁」そのものの禁輸措置を発表だなんて……、一国のトップがせっかくの機会をスネた顔して過ごして話もせずでは、何がための経済会議たるサミットだか? それでいてプレゼントの品々は隣国にもキッチリ渡しているんだから、ア~ンバランス。

 禁輸措置は我が国のモノを売れないということでもあって、結局は誰もが判るブーメラン、被害は国内に及ぶ。短期的な金銭損益だけでなく、長い眼で見る両国好感の感度に決定的な瑕疵を刻むとも思え、おもてなし転じてロクデナシとならぬかと、ハラハラさせられる。

 

 食卓を囲んでの『梅花点々』には、食べつつの歓談と論争が意味されるような感も、ある。

 盛大にしゃべりあうがゆえにテーブル上にアレコレこぼれちゃったみたいなニュアンスが含まれている。

 その話がまとまったかどうかはいざ知らず、そういったテーブルが設けられ、双方が開襟して議論をたたかわせ、結果『梅花点々』なアンバイになったという次第が、たぶんに好ましいのだけどね。

 

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「百川」(百川楼とも)は、徳川家治が第10代の将軍だった頃17641772に店ができ、以後100年を超えて幕末期日本の文化を支えた名店であったにも関わらず、なぜか明治初年1868に閉店。高級料亭としての歴史を自ら閉じている。

 その潔さの背景に何があったのだろう? 

 一説では、幕府倒壊でペリーらの歓待費が入金されなかったともいうが、倒壊は14年後だから、ちょっと信じがたい……。幕府御用達という格ゆえに、あえて徳川家の命運に殉じたか? 

 落語の「百川」はここが舞台。シャキシャキの江戸っ子弁が地方出の男の方言と異種接近遭遇、「四神剣(シジンケン)」と「主人家(シュジンケ)」との言葉のイントネーション取り違えから次々連鎖、江戸っ子が大いに振り廻される痛快ドタバタな噺。六代めの圓生が笑わせてくれた。

 この噺の成立時期は不明だけど、拡大解釈して聴くと、幕末時の西洋人とのコミュニケーションの難しさと滑稽をお笑いにしているような感じがしないでもない。

 

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          江戸末期と明治の初めの料理事情を知る本2冊。