この前の新聞・この次のテレビ

 

 先日火曜の山陽新聞に亜公園の記事が載って、ホッとした。

 取材はもう数ヶ月前に終わってた。

 でもコロナ禍で、市民生活に影響ありのアレやコレがあって、掲載が確定しつつも土壇場で延期というのが、2回続いていたのだった。

(明治時代の、こういう昔話的な文化情報は至急性が薄いので、どうしても後回しになりがちね)

 2回めドタキャンは先週土曜で、印刷される数時間前に紙面変更だったらしい。前日に非常事態宣言の延期が決まって、その関連記事が急遽に優先され、土曜発のこちらの記事はまたまた見合わせとなったわけなんだから、コロナめ~~。

 

 ま~、これ以上は延ばせないと判断してくれたのかしら、6月1日火曜に載ったという次第。

 やれやれ……。

 安堵しつつ、紙上のボクは冬服だぁ。

 

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     毎度ながら、写真データをSunaちゃんが送ってきてくれた。助かる〜

 

 取材から掲載までの、アッという間に過ぎた時間を思わないでもない。

 常に、何が起きるか判らないのがこの世の中……。

 亜公園のことを顧みると、その辺りの消息が知れる。

 開園して3カ月めの巨大台風(明治25年)。

 翌年、それを上廻る台風の再来。死者も多数(明治26年)。

 亜公園そのものは、旭川のすぐそばという立地ながらも高台(天神山というくらいだもんね)ゆえ難を逃れたけど、岡山平野はほぼ水没。市内はテンヤワンヤなのだったから亜公園とてノンキに営業出来たわけもない。

 

 さてと次の月曜、6月7日の午後4時50分から。

 RSK山陽放送の情報番組『チャンネルロック』に、出没予定。

 すでに録画収録済み。

 むろん、亜公園のハナシをば。

 かつて亜公園があった場所に、いま、山陽放送の新社屋。

 でもって、この6月7日から本格運用ということらしく、そのモニュメントというか、ヒストリーというか、130年ほど昔のこの場所を紹介という次第。

 記念すべきな新たな場所での放送開始日ゆえ、こちらヤヤ至急性ありという感じ、ね。

 

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 亜公園にあった7階建ての塔・集成閣の高さを味わうべく、新社屋の電波塔にも登った(収録の一環として)。

 およそ70メートル。明治時代の木造集成閣の倍の高さ。しかも天神山ゆえ周辺より小高い場所……。

 屋上のアンテナ部(金甲山に向いて電波を放射。いわゆる地上波。金甲山アンテナがこれを受信しあまねく放送をお届けという仕組み)までは急斜な金属階段があるきりで、下は丸見え。

 一般人はおろか同局の職員とて上がらないというか、上がれない電波塔。その屋上部は強風を考慮して床が金網のみの場所もあり……。

 

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 正直なハナシ、冷や汗怒濤。足竦みっぱなし。風に身体は揺れ、立ってらんないワケで~。上記写真、見上げて足が竦むわけはないけど、いざこの塔の最上部に登るとねぇ、足ガックガクに硬直。(屋上の白く抜けてる部分は金網のみ……。わたし、登ったもののアンテナ支柱(右側)にへばりついて動けず……)

 ま~、収録はたっぷり数時間が費やされたけど、番組では5分ほどかな? 

 RSK山陽放送を受信出来るエリアの方で、お時間がありますれば、ご笑覧あれ。月曜の夕刻です。

 

 

5月の映画よもやま

 amazonがMGMを買収したというニュースを聞いて、

「いいのかなぁ?」

 やや複雑な気分がなくはないのだった。

 あれこれの買い物で恩恵はかなり大きいけれど、万人に向けての映画というものを、amazonの客のためだけの“モノ”にされても困ると危惧したワケで。

 買い物客の会員化に向けての取り込みの方便として映画を使わないよう願いたいもんだけど……、amazonamazonによるamazonのためのmovieじゃ~、よろしくない。

 この先の動向に期待と不安が交錯する。

 さてと、5月に観た映画たち。

 

『アノン』ANON  2018  米国・ドイツ・英国の合作  amazon Prime

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 AmazonのPrimeで観る。

 この監督はどの作品でもは舞台となる場所が少なく、シーンが限定された低予算っぽい空気感を纏いながら、モダンな描写がうまい。

 反面、高名な役者さんを起用するんで、そこのバランスもちょい面白い。結局は低予算映画の作り手じゃ~ないわけだ。『ガタカ』もそうだった。

 その舞台装置がこの作品ではいよいよ洗練味が増し、単純にいえばスタイリッシュに決めちゃってる。ごく一般的通念なら階段の踊り場でしかないような空間を会議室に見立てたりもして、視座と発想が新鮮。

 ま~、オシャレなんだね、監督のアンドリュー・ニコルは。

 人間の脳内記憶と視覚情報が徹底的デジタル活用で抽出され、権力者はそれを共有でき、当然に管理できる近未来でのハナシ。

 犯罪における被害者と加害者の見た情景が記録されているので、加害者は嘘をつけないから犯罪抑止になるという次第ながら、そうは問屋が卸さない。

 なかなか興味深かったけど、かなりな無理もある描写もあって、グッドとバッドが交錯する。

 クライヴ・オーエンとアマンダ・サイフリッドのセックス・シーンでの、クライヴの腰の活用がなかなかヨイ。その生身の人間リアルと視覚情報としてのデジタライズのバランスが、はたしてどうか……、というところを観るべきな映画だったな。

 

天空の城ラピュタ1986  Blu-ray

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  久々に観る。あえて云うことなしの名作。

 宮崎作品に共通する雲の描写を堪能。宮崎駿と雲……、ここポイントね。

 

風の谷のナウシカ1984 DVD

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  これまた久々。

 厚くて重厚で色々な色彩に変化する雲の描写が素晴らしい。

 ユパが怒りに我を忘れたナウシカとトルメキア兵の間に入り、ナウシカの剣で出血しつつ、双方をいさめるシーンは何度観ても溜息がでる。

 出血をナウシカに見せまいとサッとマントで隠すが、既に彼女はユパの流血を知っているワケで、彼女は彼女でそれで衝撃を受けている。クシャナも身を挺したユパの諫言に矛をおさめる。数秒のシーンながら3層多重な心理描写の配分が素晴らしい。

 こたび自分の持っているDVDがコメンテーター音声バージョン入りであることに初めて気づく。

 庵野秀明が解説してた。

 その解説を聞くに、なるほど庵野が優れた人材であることは了解できる。アニメーション表現という技法についての彼の熱情と感覚には感服した。

 けども、なにか……、宮崎とはまったく別な感性のヒトのような感触が濃い。正直、好感しないのだ……

 なので解説音声でこの映画を観るのはやめた。

 と、それにしても、マスクなしでは生存出来ない腐海の大気とマスク姿のナウシカ……を連想しないではないが、はるか以前、この映画を初めて観たさいには、ナウシカよりも腐海の描写というか、その浄化能力にかなり衝撃させられたのを思い出す。

 ただ、そのサイクルが人のサイクルと違うわけで、この映画はそこは描かれない。宮崎駿はそこの消息はコミックス版で描く。人の一生と腐海の循環のあまりの速度の違いにどう対処するか……。結論はないながら、ナウシカのその後は興味深い。映画版を凌駕するコミックス版こそが名作と思われるのは、その深淵にまで宮崎が足を踏み入れて「人としてのナウシカを描こう」とした一点にあるんだろう。

 

ハウルの動く城 2004 DVD

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 こちらも久々。なんだか宮崎駿月間みたいだけど、キムタクを嫌いでないんでイイのだ、何度観ても。

 

『シルバラード』 Silverado   1985  DVD

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 80年代に撮られた数少ない西部劇。2年に1度くらい見返したくなる。

 悪しきヤカラと良きヤカラの配分が昔の西部劇同様に明白で、その上で主役を4人と複数にし、人間関係の幅をワイドにしちゃってる。

 脚本と監督がローレンス・カスダン(『スターウォーズ/帝国の逆襲』や『レイダース /失われた聖櫃』脚本。近年では『ハン・ソロ/スターウォーズ・ストーリー』の脚本と製作総指揮)。

 かなりの傑作だと思う。

 この当時はまだ無名だったケビン・コスナーのはしゃいだ演技を含め、スコット・グレン、ケヴィン・クラインダニー・グローヴァージョン・クリーズリンダ・ハント、ブライアン・デネビー……、とボク好みな役者の揃い踏み。

 で、2年に1度の観たいモードになって、久々に拝見。

 コメディ味のコスナーにクライン。シリアス味のグレン。主役4人の1人で西部劇という範疇では初となる黒人男優のグローヴァーの重量さ……、いずれもイイぞ、ハマッてる。

 なにより、ブライアン・デネビーの悪漢がヨロシイね。

 この悪者あっての4人の活躍だぁ。知恵あり権力あり腕っぷしも良好で、この悪漢の笑顔が圧巻だ。こういう悪いヤツが出る映画はたいがい面白くなる。彼こそが円の中心。いわば黒い点、ブラックホールとして中央に彼が置かれ、4人の主人公はこの悪者の外周を廻る惑星みたいなもんだけど、それが次第にブラックホールの磁場に引かれて物語のクライマックスが生じる。

 さぁ、どうなる?

 当然、最後に悪者は滅びちゃう……

 その過程を大いに楽しめる仕掛け満載ゆえ、何度観ても、お・も・ち・ろ・い、んだなぁ。

 

『ポリー my love Along Came Polly 2004   amazon Prime

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  主役がベン・スティラーなんだからツマラナイわけがない。しかも故フィリップ・シーモア・ホフマンも出てる。

 新婚早々に結婚が破綻したマジメ男と、かつての同級生だった奔放な女性とのラブ・コメディ。

 こういうのも、時にいいね。ただま~、いささか軽るすぎで、も・の・た・り・な・い。

 

千利休 本覺坊遺文』 1989  DVD

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  この作品も定期的に観たくなる1本。未だBlu-ray化されないのが残念。

 かつて利休の側近だった本覺坊。そのストイックな暮らしを奥田瑛二が見事に演じきって、観るたび感嘆する。

 雪に覆われて身を切る冷気の中、小さな庵の外へ素足に雪駄で出て水を汲むあたりの深閑と、彼の凜とした様子が好き。

 その庵に久々訪ねてくる織田有楽斎。演じる萬屋錦之介がまた素晴らしくいい。彼が茶をたてるシーンでの所作はパーフェクト。カタチとしての茶の湯の映像として、たぶん最高にして最良の数分なのじゃないかしら。

 意外や、利休を演じる三船敏郎……、あんまり印象されない。どっしり構えすぎているよう見受けられ、利休を演じた役者としては、この熊井啓作品の三船ではなく、勅使河原宏監督『利休』での三國連太郎がはるかにいい。というか、ほぼ最高と思える。

 ま~、しかし、三船以外がみんな良いので文句の声は小さい。

 もちろん、その三船とて、この映画では霊的存在として本覺坊の前に登場するというカタチゆえ、あえて人間っぽくでなく、本覺坊の幻視の中での理想化された像として出ているという事での演技なのかもしれず、そうであるなら、どっしり構えすぎているという評はあたらなくなる。

 その辺りのこちらの見立てが、観るたびに少し揺らぐのも、映画の愉しみだわさ。まっ、だから繰り返し観るワケだ。

 

ヘイル、シーザー! HAIL,CAESAR!  2016  amazon Prime

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 実在した大プロデューサー、エディ・マニックスをモチーフにしたコメディ。

 映写技師の女性が首に巻いたスカーフが映写機にからまって落命しそうになる所は、女流舞踏家のイサドラ・ダンカンの悲惨な死を彷彿させられ、ちょいとドキッとした。

 双子の記者を演じるティルダ・スワンソンがいい味出してる。一方でスカーレット・ヨハンソンはどうかなぁ? モデルとなったエスター・ウィリアムズにはかなり遠いような……。

 けどま~、映画への愛に満ちた映画として好感。再見の価値ありとみた。

 

『居眠り磐音』 2019  amazon Prime

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 松坂桃季やら奥田瑛二柄本明山本浩二などなど、数多のいい役者でいっぱいだけど、これ映画? 

 説明過多で予定調和のTVドラマにしか過ぎず、役者たちの熱演が気の毒。監督の本木克英は『超高速!参勤交代』で上手いと思ったけど、こりゃ駄作。途中で観るのヤメた。 

 

国士無双1986(製作実年は1982) amazon Prime

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 1932年の無声映画でナンセンス時代劇の傑作と名高い『國士無双』のリメイク作品。中井貴一原田美枝子フランキー堺原日出子笠智衆火野正平岡本信人江波杏子中村嘉葎雄……。

 奇妙な味わいが良い。その核となる中井貴一扮した”にせの伊勢伊勢守”が何者だか知れないところが特によく、登場時、どこから来た? と問われて空を指すあたり、なんだか宇宙人っぽくもあって妙な笑いもこみ上がる。中井は能面みたいに終始表情を変えず、けれどその行動は実にヒュ~マニスト、善意に充ちているという妙な演出をうまくこなしてる。歌舞伎やら人形浄瑠璃までが動員され、違和をおぼえつつもシュールでもあって、今月観た印象深い映画としては上位ランクな1本だった。

 

パンク侍、斬られて候 2018 DVD

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 監督・石井岳龍(聰亙)の時代劇での考証というか、舞台セット作りは実にうまい。リアルがひと味違う。製作予算規模ではたぶん本作よりも経費がかかっているだろうと思える『超高速!参勤交代』やらやらよりも、光景のリアルがはるかに優っている。巻頭の峠の茶店っぽいシーンの、その茶屋の佇まいなんぞは、絶品、申し分がない。

 その上でのハチャでメチャ・ファンキーな、いやいやパンキーな展開。

 コンラッドの原作をよくよく昇華あるいは消化してコッポラが『地獄の黙示録』としたように、石井は町田康原作を、キッチュで下品な狂乱と狂瀾の端境の中、日本というクニとヒトを見据えた地獄の黙示録を創り上げている……、ようにも思える。

 話はいたってタンジュン。はなっから結末も読めたけど、そのタンジュンなコトどもをフクザツに見せているだけの、いわば「見かけのカラさわぎの世の中」をば、この映画では戯画的に描いて、そのテーストがよろしいね。

 同監督の『五条霊戦記 GOJOE』でカッコ良く義経を演じた浅野忠信が一転、すっ飛んだメイクでフンドシ1本、素肌を晒し、弾けた演技で笑わせてくれた。

 今月観た映画中、ダントツで1位かしらん、ゴムの金槌じゃなく金属金槌でカッツ~ンな強靱なインパクト。

ワクチン1回め

 

 まったく親切でないコロナワクチン予約サイト。

 1回目予約に次いで即行で2回目予約も淡々と出来ないケッタイな仕様。おそらくは出来るハズなのだろうけど、激烈に判りにくく、腹立つコトしきり……。

 ともあれ、どうにか1回めを予約し、行きつけの医院にて接種。

 2回目予約は、この医院で直にとれない仕組み。

 帰宅後、予約サイトの「マイページ」を開くものの、にっちもさっちもいかずで、結局、市の「コールセンター」に電話。

 即座にはつながらずでブ~ブ~ながら、5度目くらいでつながり、かなり親切な対応でどうにか2回目の予約完了。

 とはいえ、いきつけ医院は既に満杯。近場の医院や病院もダメ。2回目は概ね3週間めがメドで1カ月や2カ月先じゃダメなんだから、焦るがな……。

 という次第で、提示されたいささか遠方の耳鼻咽喉科に1つ空きがあるというので、そこに決まる。        

 ちなみに1回目で出向いた医院も電話鳴りっぱなしで、事務員さんが、「コールセンターにおかけください」といった意味のことを繰り返してた……。

 同医院は当初は直接に電話での受け付けオッケ~だったらしいけど、対応に追いまくられ、直接受付を中止したようだ。でも、電話ひっきりなし。

 

 ともかくも、判りにくいのだよ予約の仕組みが……。

 この先、大勢の人が苦労を強いられる事だろうと思う。

 デジタル庁というのが出来たけど、予約1つスムーズに出来ないようでは、お先真っ暗。

 結局は電話によるマン・ツ~・マンの予約がイチバンにヨサゲ。なかなかつながらないだろうけど、ネット予約で生じるストレスよりは、まし。大手マスコミはいずれも大規模接種会場の混雑やらに眼を向けてるけど、これも変。たぶん65歳越えた記者がいないゆえにの「我が身のコト」としての情報の持ち合わせの無さと、それへの想像力の欠落かしら。会場に行く前段階で多くの老人が躓いている……。

 

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 地元のS新聞ネット版も、上の通り、トラブルなしと報じているけど、これも俯瞰図としての鳥の眼。

 鳥の眼には各家屋内に住まってる高齢ピープルが個々人でナンギし難渋した姿カタチといったミクロなものが見えてない。結局は統計的報道でしかなく、後々の「歴史の断面」となるリアルな記録がなされているとは云いがたい……。

 

 この記事を書く前に、某BARのママちゃまと電話でおしゃべりして、思わず苦笑したのだけど、そも今回のワクチンは2回摂取が大前提なんだから、予約とて、2回分の日程確保を一気に決めるのがアタリマエなのじゃ〜なかろうか。

「小学生でも判るようなコト……」

 ママの一声に、

「そうだそうだ〜っ」

 苦笑しつつ喝采

 

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 で、ワクチンだけど、意外やイガイ、痛くなかった

 針が刺さる痛みはあるものの、微か。

 むしろ月1回やってる血液検査の採血の方が6倍ほど、痛いわい。

 

 帰宅後4時間ほど経って徐々に、注射した場所に、机の角にぶつけた時のような鈍い痛みが出てくる。

 12時間後くらいに、今度は筋肉痛みたいな感じになり、腕を上げたり曲げたりがヤッカイに。

 よって、まだの人は、間違っても利き腕にうたないようにご忠告。重いもの、持てないぞ。

 ベッドに横になると寝具にあたって痛く、寝返りが苦痛。

 要は、この未知なるワクチン溶液が体内に入ったことで身体が、

「なんか変なもの、入ってきた……」

 警戒してるんだね。その結果としての腕の痛みなのかも。

 でも、さらに時間が経つと、

「ぁ、そういう性質の液なのねっ」

 身体が親和してくる。

 身体の1機能として、新たに、コロナウィルスへの抗生を生じさせようとしているワケだ。

 注射された翌日、24時間を経過して、次第に筋肉痛めいたのが遠ざかってくのを我が身に感じる。

 腕を45度あげると痛かったのが、70度くらいはあげられ、緩和しつつあるんだなぁと、やや、ホッとする。

 2晩経過でほぼ痛みは、さようなら。

 

 来月に2回目を接種して、ひとまずの終止符……。

 ファイザー製ワクチンの効能は、概ねで6カ月だそうな。

 その先は判らず、現在進行形で調査しているというのが現状らしいから、毎年、注射しなきゃいけないような感じがけっこう、濃ゆい。

 終止符じゃなくって、こたびは、マル1つ打って、行替えした程度かも。

 

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     オークションに出ていた昔の販促グッズらしき前掛け。意外なほど安い値段で落札されてた。

 

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 ぅぅうう〜〜む。何だろね、これは……。

 日本に向けての発言ではないんだろうけど、〇〇のために犠牲をという発想がすでにペケじゃないでしょか。

 新幹線のために「犠牲を」………… ありえない。

 お祭りのために「犠牲を」………… ありえない。

 五輪のために「犠牲を」 ………… ありえないし、犠牲を必要な祭典は採点不能な無用。コロナ騒動収束後にやるべきもんでしょ〜に、まさに、小学生でも判るようなコトだと思うけど、ねっ。

緊急事態宣言発令中

 タイトルの通り、ここ岡山は、今そういう状況。

 すぐ近くのスポーツ広場は、早朝からゲートボールのジジババで賑わうけれど、閉めきられ、ワンちゃん連れたヒトがいる程度。誰ぁ~れもいないから飼い主はリードを外し、ワンちゃんハシャイで駈け廻る。

「なるほど、宣言下なのだね」

 と、そんな光景を見遣って、ぼんやり思うんだった。

 ヒトの流れをとにかく抑止するというのが目的なんだから、ジジババのお楽しみが奪われるコトになりはするが、ま~、しかたない。

 一方でそのスポーツ広場の側面では、祇園用水の末端というべき水路をば、たえず水が流れてる。コロナウイルスがお水に溶けて活性化するようなモノでなくて、よかった。

 

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 明日、個人的には、1回目のワクチンを注射される。

 副作用の事も含め、なにかと不安ながら、ま~、これもしゃ~ない。流れのまま……。

 

 前回の記述を読んだジャズフェスのビシバシ事務局長が即行でモシモシくれて、

「1回目の予約が完了した時点で2回目の摂取日も決まるのよ。だから、そこは心配しなくともいいわよ」

 彼女は医療関係者だから、そのあたりの知識豊富。

 流れを教えてくれて、めちゃに、あ・り・が・た・かっ・た。

 こういうモシモシは不安気分和らぎ、た・す・か・る。 激烈に感謝。

 で、昨日、またモシモシもらい、

「ちょっと情報が違ってた……。岡山市の場合、個人医院等を含め、接種場所それぞれで2回目の対応にばらつきがあるようよ」

 とのこと。

 なるほどね~。薄らボンヤリとこの国の、急ごしらえな政策の実態がみえる。摂取される側もする側も、皆な、困惑の色が濃ゆいんだ。

 

 と、それにしても……、よくよく流されっぱなしの1年越えでは、なかろうか。

 緊急事態宣言下では、部活もダメで運動会もペケ。

 一方で9週ほど経つと、国外から11万ものピープル(選手と関係者で8~9万・報道関係者が2~3万)を迎えて大運動会という逆流……。

 こたびの急ごしらえの65歳オーバー向け接種(地域によっては75歳からで、これも丸投げ政策の歪み)も、詰めの甘さに煮やされるばかりで……、変テコな流れに翻弄されっぱなし。

 宝島社の特大な新聞広告(11日の朝日や読売新聞などに掲載)も、そのあたりの消息を突いている。

 

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           このフレーズ、言い得て妙。

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 コロナ禍での、Do it yourself……。業者に頼らず自分で住まいのリフォーム中。なかなか面白いが、大変。

 壁に石膏ボードを取りつける作業が、思ったよりハード。柱やら梁の合間の壁のサイズを測り、ボードをカットして取りつける工程。

 仏間の壁は容易だったけど、階段部分がやたらに面倒。

 台形やらやや三角形やらとカタチ色々な上にさほど広くないゆえ、工作しにくい。

 面が大きいと自ずと石膏ボードもでかくなり、重いのもナンギ。

 カットのたび、微細で大量の白い削りカスが出るんで、あたり白々。掃除も必需……。

 

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          せんい壁に薬剤塗布して下地を作った頃合いに映した写真

 

 ボード取りつけ    ボード同士の隙間のパテ埋め   → ヤスリがけて面を均一  、という流れのさなか。この後で壁紙を貼る。

 という次第ゆえ、作業はチャチャッとは終わらない。

 仏間は作業場と化し、仏壇もドア閉じて休業中……。

 

 ま~、いいさ。

 1日の作業は数時間ながら、いずれ確実に終わるし、なんせ「緊急事態宣言」のさなかだ、どこへも行けやしないんだから、ユルユル、悠々とやろう。

 我が国政府は勇気をだしてオリンピック断念を「宣言」し、開催経費を各家庭に均等振り分け支給して、人流抑制と経済回転を考慮した、

「おうちにとどまる間に家をリフォームしようゴ~ゴ~計画」

 とか、

「Go to Home キャンペーン」

 とかな前向き政策をやるべしだと思ったりもするんだけどね~、

「捨てぃ・ホーム」

 じゃないんだわよ、このさいは。

 リフォームって、あんがいモロモロな道具が必要だし、素材も必要だし、けっこうな経済活性だよコレは。旅行やらモノ食ったりのただの消費じゃなく、文字通りに“建築的”消費でもあるしぃ……。

 まっ、今の政府にゃ「馬の耳に念仏」か「耳に湯豆腐」、硬直しきって聞く耳もなしだろうけど、かつてこの国の政府は、戦艦大和を沖縄の砂浜に乗り上げさせ、そこで砲台として固定し、米軍撃退-本土防衛というメチャでアホ~なことをやろうとしたけど、なにやら今のオリンピック、その延長線のようなムボ~感が拭えないのがヨロシクない、なぁ。

 ヨロシクはない、と判ってるはずなのに突き進んでしまう非建築構造が、ふ・し・ぎ。きっとこの国の政治実態は「途上国」なのだろう。

御伽は遠くなりにけり

 5日前、ワクチン接種の予約を岡山県の予約サイトで行ったのだけど、判りにくいコトこの上なかった。

 トップページが下写真の通り、ゴチャゴチャゴニョゴニョ文字の羅列。直感的に判るというカタチにはるかに遠い。

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 しかも、ログインすると直ぐに「旧パスワード」と「新パスワード」の記入を求められる。

 さっき入力したばかりの生年月日パスワードのことを「旧パスワード」といきなり云われても、それが何を指しているのか、意味も説明もないから、

「へっ?」

 となり、不明瞭のままに新たなパスワードを入れて、そこをクリアすると、また今度は、そのパスワードでの認容を求められる。

 で、さらに予約ページでは、複数申し込み可能らしきなのだけど、数字は「1」しか入力できない。

「なんじゃ~これはっ」

 悪態つきつつ、イジイジしつつ、なんとか操作を続け、今月21日に1回目の接種というコトが決まったけど、2回目予約の仕方が判らない……。

 駄目サイトの典型といってよいのじゃなかろうか。

 まずゼッタイ、70代、80代の方々にはハードルが高すぎ。65歳オーバーなピープルを対象としてるワケだけど、まったく最悪

 予約確認のメールがくるわけでなく、

「ホンマにこれで予約出来たの?」

 いきどおりつつ、不安の焦燥にかられるんだった。

 フォーマットは全国共通なのかな? 結局は新聞が報じた通り、コールセンターなんぞに直接に電話するヒトだらけで、それも繋がらないから、該当の病院に直かに出かけ、ドタバタな混乱を招いて、コロナ禍の上の災禍……。

 知人のS夫妻は、わかりにくいネット予約をあきらめ、旦那が朝8時に近場のかかりつけのS医院に出向いたら早や20人もヒトが並び、S氏が1回目の予約を取って外に出たら50人くらいの長蛇になりにけり。

 この9月1日より「デジタル庁」なる名前からしてドンクサイのが発足するけど、前途は明るくないっぽい。

 

      〇〇-〇〇-〇〇-〇〇-〇〇-〇〇-〇〇-〇〇-〇〇-〇〇

 

 さてさて。

 すこぶる熱心に音楽を聴く……、という方ではないけれど、日常概ね、部屋では常に音楽が鳴っている。

 それでも、ジョン・レノン、加藤和彦デヴィッド・ボウイ大滝詠一の訃報に直面したさいは、いずれも、その後数年、彼らの歌声を聴くことが出来なかった。

 ショックが大きく、聴く耳をなくした。

 ミュージシャンが亡くなった直後にはそのCDがかなり売れるようだけど、当方はそこが不可解……。

 

 ま~、しかし、数年経てば、どっかの時点で蘇生気分が上昇、愛しみも増量で聴くようにはなるんだけど、なぜか大滝詠一のアルバムは久しく今に至るまで聴いてなかった。

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 彼が没したのは2013年末だから、8年ぶりに聴くことになる。

 途端、炎があがった。「LONG VACATION」の5曲めだっけ、「我が心のピンボール」のイントロに身震いさえし、

「やっぱ、いいねぇ!」

 気持ちが豊かに晴れて、アルバム「NIAGARA TRIANGLE」やら「NIAGARA TRIANGLE VOL.2」やらを久々、次々に聴いては、復旧のノロシに接している自分に気づきもするんだった。

 何100回聴いたかしれない「ナイアガラ音頭」のコギミヨサに、

「やっぱ、これこれっ」

 知らず身体ウキウキのせちゃって腰揺すらせ、ぇえいモドカシイわいスピーカーからヘッドフォンに切り替え、鼓膜ビリビリなサウンド注入。

 

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 近頃、日に1~2回は耳にしているのがJorja Chalmersのアルバム「HUMAN AGAIN」。

 彼女の姿はずっと前から知っていた。

 ブライアン・フェリーの公演時、サックスとキーボード、時にクラリネットをも担当し、ソロのシーンではフロントに立ち、かなりカッコ好い。ひどく派手というわけでなく、しかし、奇妙なほどに存在が際立つヒト。

 

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 1982年にシドニーに生まれて同地の音楽院で学んだそうだけど、英国に渡ってから頭角し、フェリーのバックについた。

 そんな彼女が自身でプロデュースし、2019年後半になって出したアルバムがこれ。英語版ウィキペディアによれば、楽器はすべて彼女が演奏し多重録音したようだ。

 

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 Jorjaはジョルジャと書けばいいか? Chalmersはチャールマーズかチャーマーズか? 

 大滝詠一の一連の“ナイアガラ”が「明」なら、ジョルジャは「暗」かしら?

 けども、デカダンなダークでなく、早朝の静かな湖の光景に接するような澄明さに充ちた「暗」で、それがなかなか好いアンバイ。

 アンビエントというようなジャンルに入るのだろうけど、まっ、そこはどうでもいい。奇妙に居心地が好い「暗」で、潜り込むようであり、同時に浮き上がってくようでもあり……、なのだ。

 なにより彼女の歌声が、一種の楽器のように楽曲に溶け込んでいるのがヨロシイ。

 そんなわけで近頃よく、聴いている。

 LPからCDにと買い換えた大滝詠一の「EACH TIME」や「Niagara Moon」とのローテーションで聴く。

 よって「明暗コンビネーション」と勝手に称してる。どちらも耳が喜んでいる。

 

        〇〇-〇〇-〇〇-〇〇-〇〇-〇〇-〇〇-〇〇-〇〇-〇〇

 

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 一部の部屋や階段廊下の壁のリフォーム作業をしつつ、その合間、休憩がてら、近頃、ペラペラめくっている本がこれ。

 けっこう売れているそうだ。

 そりゃそうだろう、今まで『鳥獣戯画』を扱った本はたくさんあったけど、ここまで至れりつくせりな解説本は、なかったよう思える。

 

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 で、この頃、眠る前に読んでるのが「御伽草紙」。

 こたび読んだのは、その中の一篇『蛤之草紙』。

 ずいぶんと前に一度読んでるけど、再読するに、誤読した部分が幾つかあって、

「おや? そうだっかぃ」

 ちょっとベロ出しつつに読了。

 この室町時代に書かれたらしき物語は、珍しくも舞台が日本でない。

 印度だ。

 しかし挿絵はしっかり日本だ……。

 

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 基本として仏教的説話ながら、釣り上げたハマグリから美女が現れるのがヨロシイなぁ。

 しかし、はるか以前に読んださいは、

「ハマグリと美女……、サイズが合わんな」

 腑に落ちなかったのだけど、こちらが腑抜けてた。ハマグリがでっかくなる部分、

舟の内へ投げ入れて、また釣を垂れければ、かの蛤、にはかに大きになりにけり

 このわずかの説明を読めていなかった。すまんスマン。

 主人公の漁師は老いた母親の介護をしつつ生活している中年独身なのだけど、美女は彼にくっついてきて、あれこれと彼に買い物をさせる。

 機(ハタ)織りの材料を買わせるんだよ。

 で、

この家は、はたばり狭く、織れまじく候ふ。そばに機屋を造りてたび給へ

  ハタを織る部屋が必要といいだし、アトリエというか工房を作らせ、あげく、作業中を覗いちゃ~いかん、と男に命じる。

 どこからともなく作業助手の女性まで連れてきた美女。

 それら一切を容認した男とその老いた母。

 やがてハタが織れ、男は町で売るよういわれ、市場に出てみる。

 でも売れない。

 ションボリしつつ帰りがけ、33人の家臣を連れた老人に声かけられ、持ってた織物を見せる。

近ごろ珍しき布かな。われ買わん

 と老人はいい、彼を自宅に招く。

 とんでもない御殿。そこで供されたお酒の絶品の味。

 

 一種の女難劇に見せかけながら、実はそうでなく、ハマグリ美人も老人も神さんで、貧乏で親孝行でしかも女性に不審を抱かぬこの男に、やがて幸いがやって来るという物語。

竹取物語」や「鶴の恩返し」に通底したエピソードの数々で編まれてるわけだけど、自分が実は神さんだということを男に告げて美女が家を出て天に昇って行く「かぐや姫」的ラストで、あんがい男があっさりと事態を受け入れてしまうところが、妙に不思議で、そこに変な余韻あり。

 室町時代にこの物語を聞いたヒトは、そういう余韻よりも、

「やっぱ、善行が大事じゃねっ」

 健全素直にその功徳を受け入れたに違いないような気がしないでもない。

 

 主人公は老いた母親のために魚を捕ろうとして海に出ている。が、どういう次第か同じハマグリが3回も鉤にかかり、そのたびに、ハマグリを捨てるのだけど、そこは今とは違うなっ。

 いまや高級食材のハマグリも、室町の時代にゃ、掃いて捨てる程度の貝だったというコトが、この記述でおぼろに判る。老いた母親の夕食として食べさせるに価いしないわけだ。

 明治時代頃までは北海道のニシンが、大量に水揚げされる廉価な肥料材料(畑の土壌改善に使った)でしかなかったのに、今や生息数減少、高級なグルメ魚になったみたいに。

 

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 ぁあ、ところで今から食べようとしてるもの……。

 1本丸ごと、挟んで食べようかと。

 当然に、魚肉ソーセージの赤い包みを開いたとて、中から美女は出てこない。ましてマーガリンロールからも。

 御伽は遠くなりにけり

 

     〇〇-〇〇-〇〇-〇〇-〇〇-〇〇-〇〇-〇〇-〇〇-〇〇

 

 この25・26日に開催予定だった古市福子さんの「朗読会」が中止になった。

 コロナ禍ゆえ、わざわざ従来の会場をより広い天神山文化プラザに変え、たっぷりのソーシャルディスタンスを考慮しての2年ぶりのイベントだったのだけど、『まん延防止措置』で県の施設たる文化プラザも封鎖……。ガッチョ〜ン。

 ざ・ん・ね・ん・しごく・すごく・がっくり

石膏ボードを買う

 

 連休終わりの日、kosakaちゃんが高知の土佐小夏をもってきてくれた。

 ありがたや。

 御礼とばかりに近場のコメダ珈琲へ誘う。彼は電気系の専門家なのでココぞとばかり、DIYでの器具取りつけについてアレコレ質問繰り出し、階段の上下のスイッチは三路回路のものでないとイケナイとか……、初歩を教えてもらったりで、果物にくわえて工作知識も学んで、こちらホックホク。

 しかし、kosakaちゃんと会う時は、いつも雨になるというのが、お・か・し・い。

 

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 翌日。

 でっかい車を持っている柔道家のS君と久しぶりに会合、ホームセンターに石膏ボードを買いに駆ける。

 前日と打って変わり夏のような日差し。暑さを数ヶ月ぶりに体感。

 石膏ボードは規格があってというか、壁の下地材なんだから自ずとサイズがでっかく、当然にMINIでは運べない。

 

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         積み込みまで手伝ってくれた、実に新設なDIYコーナーの主任さん。

 

 柔道家の車で運んだのは24枚。ゲキ重い。

 何に使う?

 我が宅の傷んだ壁のリフォームがため。

 経年でボロくなって剥離ぎみな綿壁(70年代頃までは主流だったけど今やほぼ絶滅種)部分に石膏ボードを取りつけ、新たに壁紙を貼って一新しようという魂胆。

 

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 綿壁。主材料は綿でその中にキラキラ光るもんがはいってる。これが経年で老朽しポロポロ剥離するから困ったもんだ

 

 柔道家とはしょっちゅう電話で話したりしてるんで、なぁ~んとも思ってなかったけど、彼いわく、直にこうして会ったのは6年ぶりになるという。

「へっ? そうなの?」

 意外さに眼をパチクリしたけど、ま~ま~、あんがい、そんなもんだろう。

 という次第で、石膏ボードを我が宅に運び入れたあと、2人でメシを喰いにいく。

 

 柔道家は、

「な~な~、いま、もう21世紀の21年めじゃ~ないすか、なんか未来って~感じないっすよねぇ」

「ましてウイルスでオタオタさせられて、大昔に戻ったみたい」

 おかれた現状に不平を述べるのだった。

 そこで当方は、それなり年長者らしく、

「ま~ま~、今は夜明け前と思い給え。永遠にコロナ禍であろうワケはない。ウイズコロナ何てぇ造語でごまかしちゃ~イカン。この先は、明っかるいぞっ」

 根拠のない言質でもって、ウィルス騒動後の希望的社会像を提示するんだった。

 その明っかる~い社会では、ワクチンは錠剤で年に1度、各家庭に確実に届けられ、飲めば1年効果が持続する。むろん国が支給だ。

 よって薬局やらスーパーではマスクや消毒薬売り場が縮小され、チョイっとスッキリしてる。

 ほいで例のオリンピックは、これは発祥の地ギリシャに固定され、開催国を決めるというような事から解放され、甲子園やウィンブルドンみたいになっている。財政破綻ギリシャは4年に1度お金がはいるコトになり、4年に1度ホテルやらが大幅値上げでコレはコレであらたな大問題だけど~。

 などと妄想半分混ぜつつ、浜寿司の握りを頬張る。しゃべるたびアクリルの防護板がジャマでしかたなかったけど。

 

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 で。

 買った石膏ボードは玄関内に置き、以後、壁の基礎調整中。剥離ぎみの綿壁に専用液を塗布し、硬化させるという作業をば黙々。

 

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 これをやっておかないと石膏ボードで覆っても、内部で剥離が進行し、表層は綺麗っぽいけど、めくっちゃえばヒデブ〜、みたいなアンバランスなので……、ボードの切り貼り&クロス貼りは、まだちょっと先。

 しばし玄関先が狭くて不自由なりだけど、しっかたない。

 

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洛中洛外図 舟木本

 

 本屋さんに自分の本(共著です)が積まれているのは……、嬉しいような不安なような、妙な感じをおぼえる。売れて欲しいけど、一方で、いつまでも積んであって欲しいような、充ちと欠けが一緒になってユラユラする。

 過去、何度か模型本の出版を味わってるけど、こたびはやや趣きが違う。岡山という一地域の、それも明治時代の事を書いた本なので、高知や新潟や福井の本屋に並ぶことはないだろう。

 それゆえ余計に、何かしら気がかり。

 

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 さてと、以下、違う本のハナシ。

 

 過日。

 届いた本はヤッタラ縦長なのだった。

「あっれ~?」

 咄嗟に訝しんだけど、次の瞬間には氷解し、

「あっ、そ~きたかぁ」

 なのだった。

 

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        ほかの類似大型本との比較。図抜けて背が高く……、本棚に収まらない

  

 要するに、屏風だ。

 厚めの紙を用いて屏風の姿をそのままに、本仕立てにしたというワケなのだ。なかなか、気がきいている。

 裏面に、六曲一双のカタチをそのまま25%に縮小した、と書いてある。

 初版が出たのは2010年で、東京国立博物館凸版印刷とが当時では最高水準の印刷技術でもって、”本仕立て”にしたようだ。

 

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 しかし……、やはり縮小は縮小だ。

 迫力の75%分は入っておらず、25%出力での静音可動といったところか。

 よって、あくまでも擬似的に楽しむっきゃ~、ない。

 眺めるこちら側ニンゲン・サイズを縮めなきゃ~、しっかたない。

 

 舟木本は、豊臣秀吉時代の京都を描いてる。

 自分としてはより古い、室町時代のカタチが見える上杉本(信長が謙信に贈ったもの)がイチバン好みなので、チョイっと残念でもあるけど、屏風のカタチをシミュレーション的に味わえるという点では、ありがたい。

 以前にも書いたことだけど、1隻の高さは当時の成人男性より高い1.7メートル前後あり、幅は3.5メートルもある。これが2枚なんだから、この「洛中洛外図」を眺めるには7メートル超えのスペースが必要だ。

 信長が「上杉本」を謙信に贈ったさいも、上杉謙信宅にそれだけの大きな部屋があるということを前提にしているわけだ。互いに権力者なのだから、それっくらいの部屋を持ってるのはアッタリマエだけど、逆に思えば、屏風でもって権力者のスケールも計れるようなところがあって、そこを思うとヤヤ面白い。

 端から端まで絵を眺めた謙信が、ほぼ7メートルをユルユルと移動したことは間違い、ない。

 酒が動力源だったらしき彼ゆえ、きっとおそらく……、片手に杯を持ち、チビチビ舐めつつ、京都洛中洛外の斬新を眺め入っては、疼くような都への憧憬を深め、同時にまた、そういう疼きを喚起させる絵を送ってきた信長に、

「いけ好かんやっちゃなぁ」 

 ムカッとしたり、イラッとしていたかも……、しれない。

 

 舟木本を描いたのは、岩佐又兵衛

 戦国時代から江戸時代初期にかけての人。1578天正6年)に産まれ1650(慶安3年)に没している。

 信長の息子・織田信雄の近習小姓として仕え、主に画業をやっていたらしい。大坂夏の陣の前、短期間京都にいて、この京都時代に本作「洛中洛外図」を造ったらしい。36歳か37歳頃ということになる。

 滋賀の舟木家が持っていたので、それで舟木本といわれる。

 又兵衛は40代になって福井藩主に招かれ、今の福井市に移住。その後、2代目将軍・秀忠の招きだかで江戸に移住し、徳川家光の娘の婚礼調度品などの製作なんぞもやったらしい。あちこちを点々とした生涯だが、いまやその舟木本が国宝(2016年指定)になってるというコトを当然に本人は知らない。

 

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               岩佐又兵衛 自画像 MOA美術館蔵

 

 この自画像はなかなか味わい深い。

 テーブルにコーヒーミルとトースターが置かれているように見えるが、むろん、そんなワケはない。

 額の広さとハゲた頭。憂いある山羊のような眼差し。この憂愁な目線に思慮深さを感じられるが、同時に孤独な感も伝わってくる。

 彼の父親である村重は信長の家臣だったけど、謀反を企て失敗。信長にテッテ的にやられる。一族はその家臣の家族をも含めて皆、殺されてしまう。

 けどもその時まだ2歳だった又兵衛のみが救出され(乳母が抱えて逃走したらしい)石山本願寺(当時は信長と敵対する巨大勢力)に保護された。そんな理由あって性を母方の岩佐にした。(村重本人は逃走を繰り返して最後は出家、52歳で没す)

 その後アレありコレありして、一転、信長の息子だった信雄の近習として仕え、豊臣政権となった世の中を眺め、さらに徳川政権への移行をも体感しているわけで……、大波の連打の中を生きたような人だった。常に権力者の近場にい、その意向で絵を描いてた。

 だから晩年になっての自画像が奇妙なほどに、味わい深い。

 

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 多くの修羅を見たであろうに、眼に殺伐がなく、山羊のように柔和で、なので一種の不思議を誘うんだ。

「洛中洛外図」を描いた36歳頃は既に豊臣家は滅んでる。その滅んだ豊臣の全盛期の京都を、彼はどういう気持ちで描いていたか、そこも興味深い。

 おびただしい数の人を彼は描き込んでいる。屏風の中には2500人を越える人物がいる。(国立博物館によれば2728人だそうで)それぞれが個性を持って描かれ、1人1人を抜き出してみれば、いずれもが大きなドラマを抱えていたであろうと察せられもする。アートであると同時に当時の克明な記録とも思えば、国宝に価するのは当然だろう。どんな気持ちを抱えて描いていたか……、そこがこの屏風を眺める時の、要めの1つだなぁ。

 

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 左隻第二扇に描かれた祇園祭の光景(部分)。雅びな今の行列と違い、参加者はそれぞれ好き勝手放題な衣装を着けて大いに“かぶき”、舞い狂ってた。それを見るための観覧席もある。

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 同じく祇園祭の部分。南蛮人が行列参加と思いきや、実はコスプレ。しかも複数でもって主従関係まで演出したチームプレー。おそらくは、あえて踊らず、ただ粛々と威厳をもってナリキッテ歩くことで、彼らなりの“カブくこと”の昂揚を味わっているのだろう。なかなかの強者たち。

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 同じく祇園祭の部分。この南蛮人もどきもコスプレーヤー。こちらははしゃいで踊ってる。左の武者コスプレ野郎はきっと友達だろう、互いに自己主張を譲らずでチームプレーの域に達してない。そばでオバサン笑ってる。

 

 祇園祭はこの当時、疫病退散を祈願祈念する巨大な祭で「祇園会」といい、身分に関係なく誰でも参加できた。大勢が集合すればするほど、そこにエネルギーが充満する。

 疫病コロナウイルスじゃなく疫痢や赤痢をその充満したチカラでうっちゃってしまおうと、した。

 ハチャでメチャな、いわばエネルギーの大発散の場所だったのが祇園祭。なので毎年、規模のでかいケンカも起きて死者が出た。

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 又兵衛は、信長に惨殺された母親や一族を反面教師にしてか、テッテ的に権力者の近場に立ち、その懐にあえて飛び込み、けれど決して時流に流されず、政治的渦中には足を踏み入れず、ただ絵筆1つでもって、生きた時代の光景を切り取ってみせるという”偉業”を成しちゃった感が、濃ゆい。

 織田家に向け、あるいはその後の権力の頂点にいる者に向け、絵でもって拮抗し、存在を知らしめ、いわば画業において1人の大名級の存在となって父母の仇をとったと、そう解釈するのはヤヤ大袈裟か。

 

 その偉業の25%縮小をば、虫眼鏡(メガネ仕様)で眺めてる今日のわたし。

 コロナ禍、こういう“鑑賞”時間が増えちゃってる。

 これって、いいこと? いいや。

 じゃ悪いこと? いいや。

 でも、はるか昔の京都での、「祇園会」での喧噪を屏風の中(一部分ですが)に見て、疫病を恐れ抗ってる人達の気分と、今の我らの鬱屈気分がリンクしていたり、あるいはリンク切れちゃってるとか、モロモロ思えたり出来て、そこは、マルっ。

 

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