サボテンだらけ

 

 飛鳥時代に入る直前、7世紀頃のモノと推定される中区賞田の唐人塚古墳。その界隈、20年ほど前までは、大きな石棺がおさまった巨石構造物として、在処がやや遠方からでも見えていたけど、近年に宅地化が進んで、存在が隠れ、薄れてしまっている。

 容赦ない宅地化と、行政によるこの墳墓保存の熱意のなさを、いささか残念に思ってはいたのだったけど、つい最近は、古墳のすぐそばすぐ手前に、熱帯性のサボテンなどを専門にした植物園が出来ている。

 企業経営じゃなく個人のものらしい。迷宮植物園と冠をつけた「バルタザール」という園名は……、17世紀のバロック建築家バルタザール・ノイマンが由来か? いや、あるいは、芥川龍之介の名訳でしられるA・フランスの『バルタザアル』から頂戴したのか、建立者(経営者)の“シュミ”が反映している感がなくもない。

 

 

 やや大きめの温室とパン焼工房が置かれ、いずれも白色。真新しい白が陽光に映えて瀟洒ではあるけど、古墳すぐそばという立地を思うと、やや異界めいた感もなきにしもあらず。

 某知人のご亭主殿は、この植物園について一言、「お金持ちの道楽」と切ってしまわれたけど、この国では珍しくって稀少らしきなサボテン系の種々を眺めると、

「道楽というか趣味というか、確かにその延長かもしれないけど、手入れと管理がメッチャ大変だろなぁ」

 こっそり感心もするんだった。

 

 スタッフだか奥さんだか、らしき方がアレコレ解説してくれ、

「とにかく湿気を嫌うんです」

 とのこと。

 なるほど、日本よりはるかに高温ながらメキシコ方面じゃ乾燥しきって汗は汗として流れず、たちまち蒸発という次第だけども、ここじゃ、そうはいかない。出向いた日も6月とは思えぬ暑さ。温室内もヒ~ト気味、たちまち額や首筋に汗が噴き出る。

 高温多湿の環境下での栽培のしんどさは、たぶん相当なものだろう。

 

 名を聞いたけど忘れた。これに触手のような長い枝が1つ付いて開花し、やがて……

 丸っこいカタチのままに落下し、風に吹かれて転げ、種をアチャコチャに堕としていく。西部劇の主人公の背景で埃っぽい風と共に転がってるヤツの、これは親戚かな?

 

 デザイナーが介入しているらしき体裁のいい同植物園のパンフレット。その一部分。ややピンと来ないキャッチコピーの難解さに、デザイン空回りの感もあるけど……。

   

 祇園用水が眼の前。アユモドキの保護地域でもあるから、界隈は、ま~、もうこれ以上は宅地化は進まないとも思うが……、どうだろ?

 

 いかんせん、針のような硬いトゲトゲ植物を当方好まないし、パン工房のパンのプライスが思ったものじゃ~なかったんで、買わず、早々に退散したけど、高温多湿な日本で種々アレコレのサボテン達を活かすのは、とにかく大変だろ~なぁ……、けど、趣味人には「大変こそが昂悦」みたいなトコロもあるんで、ヘンに心配しても意味がないな、きっと。

 道楽であれ趣味であれ、無料での公開だし、古墳を含めてその環境を思うと、やはり、普通の住宅になるよりは、こういう“施設”の方が景観批評の点数も甘くなるような、感じ。造られたからにはながく続いて欲しい。

 

 

 ところで……、これはボクだけのかな? サボテンみたいなトゲトゲなヤツを眼前にすると、なんだか無性に触ってみたくなる。

 で、

「痛ってッ」

 顔をしかめる。

 判りきったコトを、何故したがるんだろ?

 

 

 

おごるセンダンおどろくワタシ

 

 スィートアリッサムが小さな花をいっぱいつけて、小庭の一画、やや賑やか。

 和名では、庭薺と書いて「にわなずな」というらしいが、可憐さと名から来る印象がなんだかマッチしないような気が、しないでもない。

 英語のSweet Alyssumも、ピンとこない。

 Alyssumのモトの意味は「狂ったのを治す」というようなコトらしく、この花を狂犬病の治療に使っていたので、そんな名がついているそうだけど、スィートとつなげているので、なんだか微妙にヘンテコリンな感じが、これまた……、しないでもない。

 

 

 けど、そんなことよりも、花の名をおぼえられないのが、いけない。

 今はこうしてアリッサムとか書けるけど、ふだん、たいがい、名を思いだせない。近頃はヒトの名すらチョイチョィ忘れる方なんだから、ま~、しかたないけど。

 その昔、ディズニーのアニメーションに『101匹わんちゃん大行進』というのがあって、売れない作曲家がかっていたワンちゃんの行動で、ワンちゃんに伴侶、さらに作曲家にも伴侶が出来、さらに99匹もの子犬が一緒に住まうことになるというハッピ~な映画があったけど、99匹もの子犬の名前をおぼえるのは、さぞや大変だろう……、というか、はたしておぼえられるものなのか、かなり疑ッ問~ん。

 

       

 

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 今月8日に、庭中央で勝手に育ったセンダンの木を、大幅大胆、枝を切り、葉をカットして、坊主アタマのスッキリみたいな感じに剪定したのだけど……。

                  6月8日の剪定直後の写真

          ↓↓↓↓↓↓

                     昨日撮った写真

 

 剪定してまだ2週間とちょっとというのに、残した枝からワジャワジャ、葉が茂っている。

 下の方の枝はいっさいカットしたので、葉はおよそ2メートルを越える高さの所でモジャってる。

 そのため一見、涼やかな木陰が出来たような感もあるけど、しかし……、センダンの成長の早さにはホント、おどろく。

 自分の頭髪と比較するのもナンだけど、チッとばかし羨ましいというか、

「ワガハイの髪の毛ぇ~も、センダンみたいにスックスク伸びないかなぁ」

 有り得ない夢想を浮かせたりも、する。

 むろん次の瞬間には、そんな夢見心地を苦々しく思いつつ、あわせてセンダンのおごった葉っぱどもに鋭利な視線をそよがせて、

「いいになるなよ」

 すごんだりもするんだけど、ともあれ、センダンの成長の著しさには、完敗。

 7月8月と、さらに伸びちゃうのであろうな……。いっそ、その元気に乾杯だ。

 

 

 

 

 

 

声の狩人

 

 この前、久しぶりに店舗いならぶイオン岡山の中をブ~ラブラ歩いてみますに、マスク専門店が、あるのね……。時勢を思えば、ま~、そんな店も不思議じゃないけど、一方でようやく、マスクの呪縛から解放されるような流れが生じつつあるようで、それはそれでチビリ歓迎だ。

 誰かが書いてたけど、マスク着用がほぼ義務化された時でさえ感染増大が止まらなかったというコトは、結局はマスクをしていようが、いまいが、伝染る時にはうつってしまうという事実が逆にあぶり出されただけであって、効能ゼロではないにしろ、マスクは感染防止に大きく貢献する品物じゃ~ない……、というコトなのだろう。

 

       

戦前のマスクの広告。昭和の初期は黒いマスク。素材は革か布のどちらか。白いのは少なく、珍しかったそうな……

 とはいえ、だからといって、マスク着けずに外出は出来ない、ね〜。要は、気持ち、のモンダイなのだな。抑止力が薄いと知りつつも、気持ちがマスクばなれ、しないんだ。

 なので、30年くらい先の歴史書には、「マスクに翻弄された時代」と書かれるかもしれない。 

 

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戦争犯罪」という単語を容易に聴く今日この頃……、だからというワケでもないけど、アドルフ・アイヒマン関連の映画を数本、続けて観る。

 複数のそれら映画で、やっと、戦後ドイツの空気の一部を味わって、

「あらまっ」

 不明を恥じたり、した。

 戦後ただちにドイツ国民がオール反省モードに入ったワケじゃ~断じてなかった次第を、複数の映画があぶり出してくれ、

「あらま~っ」

 連続アラマ~を発し続けた次第。史実としての時系列をいままで意識していなかったゆえ、時に、ハシゴを一段踏み外したみたいなショックも、おぼえた。

 

 ヒトラーの側近諸氏に対する「ニュルンベルク裁判」によって死刑を含めた重刑の数々が決定してから、さらにイスラエルでの「アイヒマン裁判」までの間の5~6年、ドイツではどのような空気が流れていたか……、そのあたりの実情を知らされ、

「ニンゲン、やっかいなもんじゃねぇ」

 小嘆息させられもした。

 兵士になって戦わざるをえなくなった1市民の、その戦争責任、とりわけ犯罪とみなされる行為についての抽出と立証といった法的モロモロな施行とその制約なども含め、1本ごと、映画をたいらげてくウチ、

「ウムムム~……」

 嘆息でなく、言葉でなく、呻きしか出せない気分に浸ったりもするのだった。

シンドラーのリスト』を観終えて、もう2度とこの映画はみたくないと思ったような生々しい直線的な重さはないけれど、戦後ドイツの中に温存しているイヤラシイ部分とそこを何とかしたいと迫害にめげずガンバッタ人物らの姿は、垣間見えた。

「もう済んだこっちゃ~ないか、蒸し返すなよ」

 との見解と、

「いんや、なにも済んじゃ~ない」

 との境界の狭間で揺れてぶれる、侵略戦争があったゆえのアレやらコレやら。

 

 

 以下、観た映画の邦題(多くの邦題が陳腐でヨロシクないけど)。自分の記録用に列挙。アタマのABCは印象の濃さ。映画評ではないデス。

 

C ■ ミケランジェロの暗号 2013

A ■ ハンナ・アーレント  2013

A ■ 検事フリッツ・バウアー ナチスを追い詰めた男 2016

A ■ アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男 2016

A ■ 顔のないヒトラーたち  2016

B ■ アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告白 2017

C ■ コレクター 暴かれたナチスの真実 2017

C ■ コリーニ事件 2019

B ■ キーパー ある兵士の奇跡  2020

A ■ 否定と肯定 2021

 

 2010年半ばにこういう映画が多く創られているのは、当時やおら、ナチズムに傾倒する若者がドイツを含めたヨーロッパ圏で台頭したことへの、その不穏と不安が、レッド・アラートのように点燈したゆえなのだろう……。

  再鑑賞の価値ありと思えたのは、2013年の『ハンナ・アーレント』と2016年の3本など。『ハンナ・アーレント』は封切り時にシネマクレールで観たけど、その時はピンと来なかった。でも今回の再見で印象変化。

「顔のないヒトラーたち』は、この作品のみが、アイヒマン拘束のために、アウシュヴィッツでおぞましい生体実験を行っていた医師ヨーゼフ・メンゲルをあえて取り逃がし……、その捕縛優先順位がゆえの政治的駆け引きのさなか、メンゲルは逃げ延び、逃亡先のブラジルで生涯をまっとうするといった、むず痒い箇所にも触れていた。

“正義の行使”とて平坦でないワケで、その平らでない状況を『否定と肯定』では1996年に実際にあった英国での裁判を再現して、グイグイ見せてくれた。

 

 いずれの作品もドキュメンタリー的に史実を確実に追ったわけでなく、ドラマとしての創作がふくまれてはいるけど、その部分が、足長の音符と短い音符が当初は絡まずだったけど、徐々に双方が覚悟し納得し、やがて和音的な一種の落ち着きが煌めいてくるみたいな……、良性な何かを引き出す触媒として機能し、成功しているようにも思えた。

        

 実際のハンナ・アーレント(上写真)は、映画同様に常にシガレットを離さないヒトだったらしいが、本作観つつ、彼女がそれに火をつけるたび、こちらも吸いスイ吸いで観てしまった。

 けど、タバコの味より、アイヒマン裁判を直に見ての、かの感想文『エルサレムアイヒマン-悪の陳腐さについての報告』を発表した途端、誹謗と中傷と批判を一身に浴びた彼女の、けれども、へこまない心情、その強さ、勇気の抽出量……、などなど大きく羨望させられた。

 

      



 ちなみに、女史と同じ傍聴席で裁判を見聞したヒトに、開高健がいる。

 開高もまた同様、感想を記している。

 けど当時、こちら日本ではさほど話題にはならなかったようだ。

 戦争と政治のルポタージュを彼は当時幾つも書いているけど、書けど誰も踊らない状況にガックシ肩落とし、かつ自身がまのあたりにした数多の紛争の酷烈にジワジワ疲弊し、やがてヒトのいない荒涼の中での、釣りというホビーに身を傾かせ、“釣果としてのフィッシュを通して自分と世界を語る” という方向に足を向けた感がなくもないけど、イスラエルでの裁判目撃は彼にとってもヘビ~極まりない現実だったろう。

 開高は、「裁判ではなく劇だった……」と書き、その上で、アイヒマンを死刑にすべきではなかったとも綴り、文の結尾で、彼の文章では希有なことだけど、叫ぶような生々しい声をあげている。

 アンナ・アーレントが得た感触と同じく、ごくごく普通で平凡な男としか見えないニンゲンの中にある、おぞましい事実に、開高もまたひどく衝撃させられたには、違いない。たぶん……。

 

 

月の祭

 

 過日。グロス大塚まさじのライブ。

 もう5日経ってるけど、良い余韻が尾を引いている。5日経ってるから、もう書かなくていいかとも思ったけど、久しく味わってない良性な香気のようなもんが残り香めく漂うてるんで、自分宛のメモリーとして記しておく。

 

 まさじ氏のナマの歌声を最後に聴いたのは表町のキングサーモンだったから、かれこれ7~8年ぶり? いや、もっと前、10年以上の久々か? 

 お席には同じく久々の、顔幾つか。すぐ後ろの席にはこの前の禁酒会館でメチャいい感じだったIzumiちゃん。

 ふだんフォーク系の音楽は聴かないし、大塚まさじのCDも実は持ってはいない。

 けど、「月の祭」は良い曲だ。

 ナマで久々味わって、そうシミジミ。

 

 

 街で見上げる月と、里山っぽい田舎で見上げる月とでは、受ける印象、「風韻」が違う。

 氏の歌には月がけっこう出てくるけど、がぜんに後者のそれ。

 月は満ちたり欠けたりして、言葉では追いつけない性質の“魔法”をかけてくる。

 それゆえにヒトは昔っから月に魅せられている次第だけど、山里の上空では魔法効力がより高くなるような感じが、強い。

 たぶんに大塚まさじは、そのあたりの消息を歌に編み込んでいるのだろう。

 街からずいぶん距離があって、グーグルマップのストリート・ビュー記録の車さえ来ない、丹波篠山の限界集落にあえて住んでらっしゃるのも、深閑とした地表上空の、その月がもたらす魅惑ゆえのコトなんだろう……。

 難波界隈で70年代はシティ・ボーイのある意味で先端にいた人物が、月を含めた天体の運行に身をゆだね、急ぐでなく、ユルユル、スロ〜に生きる方法に辿り着いているらしき、その胸中の澄み具合などを、勝手に想像しつつライブに浸った。

 

故沢田としきが布に描いた「月の祭」。この絵を背景に唱われた「月の祭」はやはりダントツに良かアンバイ。照明のために月が太陽っぽく映ってしまってるけど、実際は柔らかい感触のサバ色の月が描かれてますですよ。

 

 ライブを一緒に堪能したwakameちゃんより差し入れの、ショウガ煮レバー。帰宅して速攻で、カラアゲと共に一部をチョウダイ。残りは翌日の晩のおかずとして食べちゃった (^_^;)

 

 ぁぁ、それにしても大塚氏のコテコテ関西弁での話術の巧み。それと歌とのコラボレーション妙味。吉本系のそれじゃなく、品良い関西落語を想起させられるみたいな旨味をたっぷり味わった。

 なワケで、コロナ禍でのここ2年ホドの閉塞が薄れ、頬が緩んでニッタリ。

 ライブは一期一会な旨味凝縮の筆頭に置いて良い音楽シ〜ンだけど、5日前のは、ここ数年に体感した中でもピカチュ〜の輝きだったと、思える。

 ジャスだのロックだのフォークだのの、つまんないジャンル分けはもはや差別でしかない……、とも痛感した5日前の、音楽な夜だった。

 

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 数日前、「はやぶさ2」が持ち帰った小惑星リュウグウの微少な砂や石に多量の水があるとの分析結果が報告されて、地球の海の生成に、こういった小惑星が大きく関係しているとの説を実証可能にする根拠の1つとして提示されたようで、

おっ!

 久々に「グッド・ニュース」の感触を味わえた。

 暗いニュースより明るい報道が、イイに決まってる。

かぐや」を思い出しもした。「かぐや」は初めてハイビジョン・カメラが導入され、14もの各種計測機器満載の探査機で、翁(おきな)と媼(おうな)の2機の子衛星も搭載したゴ~ジャス仕様、米国のアポロ・プロジェクト以後では最大規模の月探査だった。

 

 もう12年前のハナシになるけど、2010年3月に明石天文科学館が50周年のリニューアル・オープン。

 新造される空間「宇宙開拓室」に設置される10数点の展示模型の、その監修に前年より携わり、「かぐや」は金属の大型模型で展示というコトで、その模型を作る専門会社さん(全国のミュージアム関係ではあまりに高名なディスプレー会社  -  70年万国博覧会のさいに必要あって作られた会社)のための参考模型として、ペーパーモデルで同機を造って提出したりもした。

 模型を作るための模型ってヘンな感じだけど、カタチを掌握してもらうにはイチバンにイイ方法なんだ。

 

    

        かぐや本体を大きく上廻る太陽光パネルを可動できるよう工夫した……

 

 で、監修の仕事も終え、リニューアル・オープンして3ヶ月めに、同館から展示模型の話をしてチョ~ダイという依頼があって、200人ほどだったかしら、集まってくださった明石の「星の友の会」の方々の前でトークしたけど、ちょうどその頃合いで「はやぶさ」の劇的帰還がニュースの筆頭になっていて、「かぐや」はやや退色ぎみ……。

 同館でも急ごしらえで大型プラズマ・ディスプレーを設置し、JAXA提供の「はやぶさ」の映像資料を展開して、皆さんの注目のマト。

「ぁれれ、アポロやかぐやが目立たなくなったわいねぇ」

 チョイとばつが悪いというか、トンビにアブラゲさらわれたみたいな感もなくはなかったけど、ま~、それゆえ逆に「かぐや」のことが自分の中では印象されもした。

はやぶさ」も「はやぶさ2」も宇宙から地球への帰還という劇的展開があり、「かぐや」はその華やかさの影に入ってしまったわけだけど、ま~、致し方ないね。

 けど、「かぐや」はかぐやで劇的ではあったんだ、ぞ。

 打ち上げられ運営されたのは、2007年から2009年までだったけど、そのファイナルは、月面衝突だ。

 あえて月に落下させ、衝突させることで、月の、いわば骨密度を計測するという大任だった。

 月は地球と構造が違い、ギュ~ギュ~に岩石やらが詰まっていないらしく、なので衝撃をあたえると、中身空洞のお寺の鐘のように、ボゥ~ンンンンン……、いつまでも長く共振するようなのだ。

 月の内部に大きな洞穴が幾つもあるのか、全体で締まりがヨロシクないのか、ともあれ、大地の密度が濃くないんだな。

 実はこれは問題で、今後将来、とっても重い宇宙船なんぞが着陸したさい、その自重で大地が崩れ、船が“沈む”可能性だってアルわけだ……。

 その探求のために「かぐや」は犠牲というか、衝突し、貴重なデータを産んで、果てた。

 地球生まれながら、かの『竹取物語』のかぐや姫同様、’’月に還った’’ワケで、2つの「はやぶさ」みたいなハッピーエンドでない、形としてはアンハッピーだけども、やはりハッピーに属するみたいな、絶妙な悲喜劇抱き合わせの感触の余韻を、僕はそれで……、好いた方。

 探査のその成果よりも、月に向けてのイメージとして、本ブログのタイトルじゃ~ないけれど、「月のひつじ」やら「月のウサギ」といった詩情が、好きっぽいタチ。

 なので、この前の大塚まさじの歌に月がでるたび、

「ム~~ン、ウフフ」

 ひそかに北叟笑んでも、いたのでした。

      製作検討用に作った模型。分離しているのが子衛星の「翁-おきな」に「媼-おうな」

 

謎の樹木

 

 数年前、庭の中央にあったユスラウメが、フクロミ病という桃系の樹木のみが感染するらしいヤッカイなのにかかり、以後、それなりの対応をして様子をみたものの、結局、根治させるコトが出来ず、あきらめて、木を抜いた。

 ユスラウメに申し訳ない気分が逆巻いたけど、どうしようもなく、敗北を味わう以外なかった。

 

 

 で、抜いてるさい気がついたんだけど、いつのまにやら傍らで、何かが勝手に伸びていた……。上写真の赤丸部分の白っぽい棒状がそれ。

 何じゃろな?

 鳥が糞をし、それに混ざった種だか何だかが定着したらしきなのだけど、どんなモノが育つのかチョイっと興味もあって、放置して早や……、2年になる。

 

                  2020年5月14日撮影

             2022年5月の様子。巧みに枝を茂らせ上空に伸びてる

 

 やたら育ちが早いのだ。

 冬場は落葉し、つまんないガイコツ姿になるけど、4月の半ば頃より芽をふき、枝を広げ、たちまち葉を茂らせる。

 幹も太り、樹高も高い。当初の草のような感触は失せて木になりつつある。

 草だと思ったモノが木へと変貌していくのを間近に見たのはコレが初めてかな。草と木の領域違いを初めて知らされた。

 

 

 なんせ小庭のど真ん中という立地。廻りの、苗木で植えてまだ数年のレモンやブルーベリーや、その他なんやかんやが一切、この謎の樹木の傘に入っちゃって、

「陽当たり、悪いよ~」

 お嘆きのようなのである。

 

 それでやっと、この“ふってわいた”樹木の名を知るべく、晩ご飯時に、iPadで「植木ペディア」を開き、落葉樹の項目・ア行から順次順番にしらみつぶし、1つ1つ、名を追ったのだった。

 で、3日だか4日め、

「あっ、コレじゃ~ん!」

 見つけたんだ、正体を。

 

 センダン、だ。

 栴檀、と書く。

 ことわざに、「栴檀は双葉より芳し」というのがあるけど、そのセンダンだ。

 もっとも、これは、良い香りのするビャクダンのことで、ウチの庭に勝手に育ちつつあるのとは違うみたい。

 同じ系列なのだけど、文字通りのダン違い、良い香りなし。

 一昨年あたりから、夏になると、やたらセミが取りついて、ミ~ンミンミン、賑やかになってたけど、そのコトも記されてる。

 セミが好むらしい。

 

 

 で、読みすすめて、たまげた。

 成長が著しく、放っておけば樹高30メートルを越える大木になるという。

 庭木には適さない、とも書いてある。

 

   

                 樹木ペディアに載る写真

 アヘアヘ……。

 30メートルともなれば、幹だってメッチャ太いだろう……。

 小庭が全部、センダン1本に占有されちまう。個人的野望色が強いプーチンウクライナ侵攻に、似ていなくもない。

 しかし、彼と違うのは、これはあくまでも鳥が種子だかを運んで来て、それで定着しようとしているワケなんだから、むげにするのも何だしね……、一気に切り倒し、根を引っこ抜くのも、気がひける。

 どうしたもんかしら。

 庭木に適さないけど、枝葉が涼しげな緑陰をつくるから、西洋式公園では時として使われてもいるらしい。下にベンチなんぞ置いて涼める場所にするらしい。

 なるほど、でっかい公園であるなら、日陰をつくるセンダンは植樹選択の候補じゃあろう。

 けどウチは、チッとそうでない。

 そんな次第あって、上に伸びず横に拡がらずを考慮し、大幅大胆に剪定。

 ノコでゴリゴリ、ハサミでチョキチョキ。

 

  

 

 

 この夏はこの状態で、様子見というコトで、しのいでみよう……。

 結論の先送りとも云えるけど、いきおい抹殺はなかろうとも思って。

 

 

須我神社

 

 木曜の昼下がり、観る予定になかった『シン・ウルトラマン』を観る。

 この映画は、この映画に何を求め、何を見いだしたいのか? で個々の評価が最初っから決まってるような感じ、有り。

 当方の眼には、長澤まさみの演技力は判るものの演出凡庸。おまけに、ウルトラマンの魅力より彼女の太腿の魅惑が勝ってるようじゃ~、イケナイのでは。

 いっそ『シン・ナガサワマサミ』とタイトルした方がスッキリのような気がスペシュ~ム。

 

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 土曜。

 島根県雲南市の須我神社へ、行く。(ついさっき帰ってきてコレ書いている次第)

 かねてより出向きたかった場所。

 なにしろ、日本で最初のお宮だ。

 

 

 八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を

 

 『日本書記』にも『古事記』にも載る高名な歌。

 ヤマタノオロチをやっつけた須佐之男(スサノヲノミコト)稲田姫(別称クシナダヒメ)と一緒になって同地に「須賀宮」という住まいを造り、そこでこの判じ物みたいな和歌を詠んだ、その「須賀宮」が、今の須我神社という。

 

 そこそこ距離もあり、周辺にさほどの見所もなく、何ぞの次いでにチョット行ってきましたぁ~というワケにいかない場所だったから今まで出向けなかったのだけど、Nakatsukasa君とKosakaちゃんが一緒にゴ~しよう、ハンドルは任せろ、というコトで、ようやく実現。

 

                   急斜な階段の上の拝殿

 上記の高名な歌(つまごみは、妻を籠もらすと直訳できるから、共に住まって新生児の誕生を待つというような意味だろう)ゆえに、出雲という国名はここが起源でもあり、また和歌という形式の、日本語活用の起元もココ……、というような、日本のスタート地点の1つ、あるいは、その混沌の幕開けの地かもしれないというような気分をホンワカ浮かせつつ、雲南市の山間の地へ向かったのだった。

 

                       本殿

 むろんスサノヲのヤマタノオロチ退治は、天皇家が生成されるはるか前の大王時代の、その伝承というより、天皇家を装飾する創作バナシだろうから、片目つむって、それを愉しむという感の方が濃ゆいけど……、姉のアマテラスが怒って天の岩戸に引きこもる程に、攻めに攻めた勢いあるスサノヲが新妻のために垣根を造って守りに入ってる、その転向というか落ち着きというか、気分の変わりと立ち位置の変遷、定着しようとする意志が、なかなか印象深い。

 

 同神社から車で40分ほどの所には、天が淵という所があって、お馴染みのヤマタノオロチは、そこに生息していたという。

 8つの頭の怪物はスサノヲに酒を呑まされ、酩酊のさなか、彼にやっつけられてしまい、そのシッポの中から、天皇家に伝わる三種の神器の1つ、天叢雲剣(アメノムラカミノツルギ)が出て来るワケだけど、そんな壮大なファンタジーめいた話が創作された大昔の諸事情が、ここに在ったのか……、などと大真面目に思いはしないんだけど、自分の映画初体験であった『日本誕生』(1959年)の、三船敏郎演じる堂々としたスサノヲの姿とヤマタノオロチのおぞましい姿をば思い出し、

「ぁぁあ、この辺りが舞台だったのね」

 感慨を深めたりもするのだった。

 

     



 同映画には津山東(今はない)で接したけど、なんせ小学生にもなっていない5歳の幼年だ。

 あまりの怖さに泣きだし、結局、マイ・マザ~に抱かれてロビーに出て、「お~、ヨシヨシ」と慰められたりしたようだけど、不思議なもんで、1番に怖かったそのヤマタノオロチと三船スサノヲのシーンはよく覚えてる。

 なのでたぶん、泣き出して外に出されたのは、その直後なのだろう……。切られたシッポの大量の鮮血、その赤色の中から、ピカピカに光る剣が取り出される辺りの描写が、童子にはトラウマ的衝撃なヴィジュアルだったワケだ。

 

 ま~、はるか後年に、盟友のKuyama殿下より同映画のDVDを頂戴して、再見。

「ぁ、あンれ~? こんなもんだったのねぇ」

 トラウマは霧がはれるような勢いで消えちまい、それはそれでチビッと残念な感じもなくはなかったにしろ、ともあれ、ヤマタノオロチとスサノヲとクシナダヒメ……、そのオリジナル舞台の場所をよ~やく訪ねることが出来、当然に嬉しかった。

 

 

 土曜の出雲方面は晴天で、「八雲立つ」ほどの雲はなかったけど、その歌の背景には、近隣の活火山である三瓶山が『古事記』の頃はまだ活動していて、日々、噴煙だか水蒸気があがり、それを「八雲立つ」と詠んだ可能性はどうかしら? などと勝手な空想をしたりもしたのだった。

(三瓶山は3800年前に爆発的大噴火して山体が崩壊し、以後も地震などを繰り返している。『古事記』の頃はどうだったろ? 大噴火後も久しく噴煙があったんじゃなかろうか阿蘇山みたいに)

 

 須我神社から宍道湖松江市は距離にして20Kmほど。岡山からの眼では遠方だけど、須我神社の眼からすれば宍道湖は直近だがや。

 美味いモノ探して日々メンタマをキョロキョロさせてるKosakaちゃんとNakatsukasa君の眼力を信じるまま、某所で食事。

 

 

 旅の愉しみは、イノイチバンに食べ物だね~。ホッホッホ。

 神話の深みより食の旨味だわさ。こたびは宍道湖一望のふじな亭で鯛めし。

 

 

 須我神社で売っていた「御守護」の長寿箸。

 天然木使用で高価かと思ったら、500円。

 物価高の世にあって、これは安すぎ……。

 

 

 

2週連続でライブ

 

 先日の土曜。

 快晴。心地良い風。

 禁酒会館でライブ観覧。

 

 

 ホンワカ楽しく、鋭角と鈍角が混ざりあったまろやか味。ついこの前に城下公会堂で眺めたIZUMI FUZIWARAがやはりカッコ良く眼に映えて、心地良し。

 ま~、もっとも、禁酒会館だ……。

 オチャケの類いは提供されない場所なんで、お腹の底では「我慢」の2文字がうずくまって、

「呑みつつなら、もっと愉しいのにニャァ~」

 小さな不満をゴロゴロ明滅させてもいるのだった。

  けどもイットキ程にコロナだから……、の飲食禁止じゃ〜ない状況になっているから、フード・コーナーもありで、美味しくヤキトリをいただけた。

 ぁぁ、でもやはり呑みたいや。

 なので当然、ライブ終演後は馴染んだBARへ直行。

 

 

 禁酒会館中庭ステージは良い環境ながら、背後石垣の樹木がいささか、気になる。

 とりわけ石垣の上の端っこで大きくなってる樹木。

 かなり危なっかし状況になっているような感、濃厚。いずれこの大木は、養生なくば石垣を壊して中庭に落ちるだろう……。そうならないコトを願う。

 ま~、ともあれ、2週連続で愉しいライブを味わえ、よかったよかった。

 TAKAちゃんやIZUMIちゃん、KUROSE御大に多謝。