スロ〜な列車にしておくれ

日曜に、誘われてたお花見パーティを急遽に断って、福山の西の端っこの松永に行って来たのだけど…。
福山在住の友達が入院したとのことなので、そりゃ大変と花見の誘惑を振り切って車で出向き、松永駅前の病院を訪ねて、思ったより元気そ〜な友達に少しホッとして、
「それにしても、駅前なのにずいぶん閑散としてるんだな〜」
な、感想をのべたよ。
すると友達は、
「この町はもう死んでレラ…」
苦笑まじりに呟いた。
路地は狭く入り混んでいるし、家屋は密集しているし、町としてそれなりの規模ながら、でも人の往来が少なくて駅前商店街はシャッターがほぼ全て降りてるし… なのだ。
かつては松永市だったけど福山市と合併。
以来、ジンワリと何事かが後退して今に至るようで、老人の比率だけが高いそうな。

それで思い出したわい。
今から30年くらい先の日本は、確実に、人口の1/3が65歳以上のジジとババの国になるということ。
というコトは… この松永のような状態が日本のアチャラにもコチャラにも出現するんだなぁ… 茫漠と思わされた。
古い看板、古い建物、人の気配が薄い鄙(ひな)びた感じは、ただ入院患者の見舞いにやって来ただけのボクには、懐かしいような旅情をおぼえてしまって、
「このすたれた感じがイイじゃ〜〜ん」
とか、思わず云ってしまうのではあったけど、日本全国津々浦々が、勢いよく放水されたホースの水が、元栓を閉められて、徐々に勢いをなくして終いにゃ、チョロチョロ、ポツンポツンになってくようなコトにホントになっちまうんだな〜と、シミジ〜ミ、実感はさせられた。
が、やはり一方では、この松永駅前の閑散ゆえの全体の速度がもたらすスローな感触が、ボクには、やはり良さげな感じとして映る。
「狭いニッポン、そんなに急いでどこへ行く」という標語だかが過去にあったけども、来たる高齢な社会を思えば、今から歩調をばゆるめて、そこへシンクロしちゃってもイイような感覚にくるまれる。
あくせく必死にお金を稼いでも、一向に幸福の度合いが増さない、この国の方向の根本を司馬遼太郎じゃないけれど、ホントに変えないとシンドさばかりが堆積しちゃうぞと危惧させられて、さて… そうなると、9兆円も使って東京〜名古屋の間を50分のリニア列車(車輪がないんで列車じゃないな)を駆けさせるだなんて云われても… 要らんわな〜。
要らん。
要らん。
これから先、要るのは… たとえば、食堂車でしょ。
9兆円使うなら、スローライフなカタチの創成に向けるべきでしょ?
鉄道という移動装置と高齢な人々(ボクも当然そこに入る。30年先に生きてりゃ90に近いヨーダじじいだぜ)が使いたいのは… たぶん、じゃなくってゼッタイにリニアの速度じゃなくって、旅の道中でのユッタリでしょう。
違いますかな?

食堂車があるというコトはユックリな速度で目的地までケッコ〜時間がかかるというコトでもあるのだけど、さ。
それで良いのじゃないかしら?
今のJRで食堂車といえば、トワイライトエクスプレスただ1つでしょ?
かなりな豪奢。
これを書くために今調べてみたら、フランス料理フルコースで夕食代12000円だ。
選択の余地なしの12000円。(乗車券やらは別途だよ)
ま〜、それはそれで1回は堪能して見たいもんだけども、もっと廉価で食事出来つつ、スローな列車の運行がホントはこれからは必要なのじゃないかしら? と思うワケ。
大阪・北海道間といった長距離だけじゃなく、全般に。
もちろん、運賃も廉価であって欲しいぞな。
青春18切符じゃなくって、老春68切符とか、回春75切符なんて〜名はダメだし、老人だから優待というコトもしないでいいけども、とにかく、廉価で鉄道を、それもユックリとした運行とサービスのある列車を…。
上記の通り、お金稼ぎの補助装置としての鉄道じゃ〜なくって、人生をエンジョイする補助器機としての鉄道が欲しいのだな。
出発点と目的点を瞬時に結ぶんじゃなくって、その過程と経過をもたっぷり堪能するの。
だから食堂車。
そういった未来作りも、イイんでは、ないでしょうか。
家屋はいっぱい建ってるのに閑散とした老人の町と化した福山の西で、なんか、そんなコトを考えちゃったわ。

※ 上の写真:明治時代の初期の食堂車