去年3月は、眼の手術をしたり、ユスラウメを抜いてレモンに換えたり、倉敷のギャラリーに出向いて友人の作品をば鑑賞したり、した。
コロナ禍、観光客がほぼ誰もいない美観地区をそれはそれで愉しんだけど、今はどうなんだろ? やはり閑散としているんだろうか?
たしか去年の3月時点じゃ「コロナ渦」という表現はまだ登場していなかったよう記憶するし、ワクチン開発とて、いつになるやらという感触だったような。
で、こうして1年が経過。去年3月には思いもしなかったトタン屋根の塗装なんぞをやり終え、一息いれたりしてる。
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レモンは冬に凍え、葉が枯れてしまったけど、たぶんダイジョウブ。直に新たな芽をふいてくれるだろう……、と期待する。
一方で室内退避させているパッションフルーツは、この冬、24時間ほぼ空調を入れっぱなしの部屋ゆえに、葉を落とすこともなく、およそ40~50㎝ばかり枝を伸ばしてる。
ま、そんなもんだ。
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日曜の午後、庭池の水を換える。
去年の10月頃から放ったらかし。さすがにドンヨリ濁り、まだ冬ごもり中の睡蓮なんぞもイイ気分じゃないだろう。何種類かの鳥たちの水飲み場でもある。
近年はウグイスも来る。ウグイスはメジロに似るけど目元が白くないんで区別がつくんだホ〜ホケキョ〜。
金魚(コメット)はその10月頃からず~~っと家の中、水槽暮らし。やや頻繁に水換えし、水温もヒーターで常時18度。
18度というのは金魚がもっとも好む温度。ニンゲンにはやや冷たい感なれど金魚には良か心持ち。
ともあれ、魚のいない庭池の水を抜き、軽く洗い、また水入れ。
これで水中に生きるグリーン、睡蓮もチョイっとはホッとしてくれるかな。
水換え作業のあと、ご近所のタケちゃん差し入れのアイスキャンディーをば、口にふくんでホッ。
赤城乳業の「かじるアイス」。おっ、これ旨いじゃん。
ニタリ頬ゆるませる。感謝。
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明日、11日。
3.11……。
あれから10年が経つ。
10年前の11日は、夕刻から芝居を見に出向いた。しかし出かける直前までTVで見ていたライブ中継映像の凄まじさが網膜に焼きついて気がのらず、芝居は哀しいほどに非力だった……。
見終えた後、芝居の主催者K君にその旨を正直に告げたのだけど、今は多少違う気持ちでいる。
非力だったのは、自然がもたらした驚異と芝居の創造とをゴッタ煮にした、こちらの拙陋(せつろう)な狭量。
津波は地震がもたらした歪みのバランスを取ろうとする文字通りの自然のふるまい。巨大な災いになって激しい痛苦がもたらされたけど、あえて云えば呪わしくはない。
呪わしいのは、広島・長崎・3基のメルトダウンと、地球上で唯一、5つもの「悪害」を体験した国だというに、いまだ、原子力を生活基盤の要めに置こうとしているこの10年の歩み。
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先日、夢に五代目の古今亭志ん生が出てきて、一席やった。
出てきたといっても、やってるのはボクなんだけど、神様の役とインタビュー役を交互に噺して、これがけっこ~面白い。
インタビュア~が神さんにあれこれ尋ね、いちいちそれに神さんが答えるという流れ。
前方の暗がりの中に複数の人がいて、そこからどっと笑いがあがるから、たまんない。
単語の語源に関してを面白ろ可笑しくしゃべって笑いをとってるんだけど、オチ(いわゆるサゲね)がない。
それで、
「おい、いつまでやらせるんだよ~?」
インタビュア~に云うと、インタビュア~も困惑ぎみ、
「いやだって、コレ、お師匠の噺なんで」
結局とまらない。
なかなか爽快な一人相撲の愉快が続き、かなり愉しめた。
しかし、夢というのはホントにケッタイ。メカニズムが判らん。
なんでボクは志ん生を演じたんだろうか。先月に、枝雀のは2つばかり聴いて笑ったけど、志ん生御大のは聴いてないしぃ……。
わ・か・ら・ん
志ん生師匠 コップ酒呑んで談笑の図 手前はおでんか?