相似ましては ~シャーロックから2001~

英語の幼児語ではママのことをマミー(mommy)というけど、同じ発音ながら1文字違えばマミー(mummy-ミイラ)になるのは、可笑しい。
そのマミー、マイ・マザーの94回目のバースデーを、弟夫妻に弟の子ら複数と祝う。
これがファイナルになるかもしれないし、あと数回ミニなパーティができるか…、そこが判らないのが人生の綾 - 怪 - 危やなれど、長男たる当方としては、一種の覚悟は徐々に成形させている"つもり"じゃ〜あるけど…、あやかしい。



※ 宇宙から来た謎の光体をみいるマミーじゃなく…、ケーキのロウソクです。


孫との応対が彼女の最大の歓びらしきだから、パーティの主体は母と孫の団欒におき、当方どもは隣室で歓談す。
この夜はOH君のライブと重なって、これで都合3回連続、ヘルプに出向けていないが、ま〜しかたない。
倉敷のギャラリー「十露」で短期週末のみ開催のアート展に、年来の知友PUGLAND君が出品しているが、こちらも観賞に出向けず。
ま〜しかたない。身は1つ。
不義理は夜霧に似てモヤ〜、白々しく生じて前見えずなり。残念むねんでマミー優先の今週末。おまけにお彼岸で坊さんもやって来るんでお布施を用意だヤ〜ヤ〜やりくりテ〜ヘンだ。



※ 実際はこんなもの。暗所撮影でのiPhoneはロウソクの火をタイマツに変える名人なり。


さてと。
ちょいと前にKちゃんからプレゼントされて、ここで紹介した写真集『読む時間』に印象的な写真があって、しばし、デジャビュっぽい感覚に捕らわれて、
「何だったろ?」
浅く深く朦朧と思いだそうとしてたら入浴時にハタッと、ある映画が浮き上がったんでバスルームから出るや、あられもないカッコ〜でDVDを1枚取りだして眺めてみれば、
「あったあった」
喜んだのが数日前。


写真集の中の1枚。スペインの図書館の2階か3階部分。スペインの図書司書さんは服装自由なんだろうけど、日本だとこ〜はイカナイ。妙にカッコ良くってくすぐられた。(創元社刊・『読む時間』より)



映画『シャーロックホームズの素敵な挑戦』の1シーン。場所はウィーン。人物のサイズからこっちの方が天井が高いのが判る。この写真では判らないけど、これは2階部分。
ヨーロッパの古い図書館はこのように似た構造なのかしら? 書棚の相似がすなわち既視感だったわけだ。



この映画は80年代にTV放映されたさいはじめて観て、なかなか感心した一作。かなり前にDVDが販売されたけど高額ゆえ買えずじまい、去年だかにやや廉価になって再販されて、ホッ。奇妙味ともいうべき味わいあって、マル。
しか〜し、『シャーロックホームズの素敵な挑戦』という邦題は、いかん。ひどい。
原作も映画もタイトルは、『The Seven-Per-Cent Solution』。
直訳すれば「7パーセント溶液」と、ホームズが注射するコカイン濃度を示してるワケで…、どこをまさぐったって、
"素敵な挑戦"
なんかでない。
邦題はけっこうな比率でひどいのがあるけど、これはその最たるもの。
罵倒に価いする愚挙愚題。



この作品のホームズはコカイン依存の中毒が進行し、妄想と現実がゴッタ煮のひどい状態。
無実の老モリアーティ教授につきまとうという大変な症状を呈して、なのでワトソンが困り果て、かの『夢判断』のフロイト博士に相談してホームズをいわば当時の精神医療の最先端に送り込むという映画。
だから舞台はフロイトの住まうウィーンで、先に紹介の図書館のシーンはその市内でのひとこま。


ホームズにニコール・ウィリアムソン。
ワトソンはロバート・デュヴァル。
フロイトはアラン・アーキン。
モリアーティにローレンス・オリヴィエ。
ヒロインとしてヴァネッサ・レッドグレィヴ。
もうこれだけでご馳走5皿盛りだけど、壊れきったホームズがフロイドに反抗しつつもそれでも正常な自分に戻ろうと葛藤する物語展開がさらに好もしさを増加させてくれてる。ホームズもフロイド博士も名声とは裏腹にある意味で煙たがられた小数派。そのマイノリティ同士のせめぎあいと歯車のやがての合致が見事で、どこを掘じくったって"素敵"は出てこないが、名品。


何といっても脚本がグッド♡。
原作と脚本のニコラス・メイヤーは、元よりホームズのパスティーシュ小説を何冊も出してる人で、映画の脚本では、『タイム・アフター・タイム』、『スタートレック2 カーンの逆襲』など、壊れた男を描くのがずいぶんにうまいヒト。しかも、壊れていながら冷然とした品格をなくさないといった感じをキャラクターに盛ってくれるので、どの映画をみても不快がないの。



※ ワトソンとフロイド。


ホームズは自ら治癒にガンバルという態度を示さない。
ワトソンとフロイドにある意味騙され、翻弄され、その過程でいみじくも無自覚にも健全方向に是正されていくというアンバイで、偏屈頑強な男の心のヒダの微かな隙間に真水が注入されていくような、そこが見所にして美味しい部分。
ホームズはメイン・ディッシュの肉ながら、焼き方・味付けとしてのフロイトとワトソンが要め。香辛料たっぷりで濃味な役者に脚本の苦みソースがからみあっての極上テースト。


このストーリー運びとスペインの図書館の本棚は結びつきはないけど、けども写真集の図書館ショットと映画のシーンとが2艘の船になって、イメージがさらに別の船1艘を引き寄せてくれた。



2001年宇宙の旅』の高名なシーン。
HAL-9000のロジックボードをボーマン船長がジワジワ引っこ抜いていくシーン。



見ようによってはこの透明なボードは本のよう。またそれがズラ〜ッと並んだ配置は書棚のよう。
HAL-9000の頭脳と知識置き場としての本と棚は、相似るといってもイイのではなかろうか?
たいした意味はないけど、印象が結ばれ固まってしまった。



2018年現代のマナコで見ると、HAL-9000の頭脳部は収納スペースが大きくって、今のコンピュータのような縮小化がミクロ・レベルにまで進んだコンパクトなものでないから、
キューブリック監督の未来予測としてのコンピュータの姿はハズレ〜〜」
という見解を口にする方もあるようだけど、ノンノンノン…、透明な多数のボードを本にみたてれば、寓話的象徴という点でその姿は、ライブラリー(図書館=知識)そのもの、
キューブリックの意図、大正解!」
と、いえなくはないと思うがどうだろ。



そのようなメダマで眺めると、後半での、かのスターゲートのシーンにもその片鱗があるように見える。
乱舞し流れ過ぎていく光景の狭間、数瞬、イメージとしてのHAL-9000のそれのような、あるいは書棚のようなパターンが過ぎていく。
解釈の受け入れ度量が深いのが『2001年宇宙の旅』の最大ポイントだ、ね。
この映画に色褪せをおぼえたボクだけど…、いやいやどうして…、思わぬコトから、いまだまだまだ底が見えてないのを確認もした次第。



以下、近況として…。
また寒さはチョイと復帰した感じながら、数日前の陽気は別格でしたな。
毎シーズン、12月から4月初旬頃まで、庭池は放ったらかし、水換えしない。
金魚たちが冬眠中ゆえ、ソ〜ッと放置するのを常とした。
けども急峻な陽気。5月の気温とニュースも云い、事実、誘われて金魚も冬眠から醒めてしまった。
ま〜、それだけならイイけど同時に水温が上昇。一気に水が劣化し澱んでしまってる。目覚めた金魚たちも、
「いやだな〜」
って感じで尻尾をプリクラリ。



しゃ〜ない。ちょいと躊躇したものの、およそヒトツキ早い水換えをば実施。
徹底した水換えは変化が大き過ぎて体力が衰えてる金魚には辛いんで、あくまでも軽度に。
しかし3月半ばというに、Tシャツ1枚で作業して汗ばんだというのは、やはりおかしいというべきか。



けど、冬眠のメカニズムって不思議だね。
その期間中は水に変化を与えないのが肝心だ。氷が張ろうと放っておくのが逆に金魚に負担をかけないんだから自然の摂理は、不思議。
12月頃から食事せず、徐々に体温をさげ、呼吸もとてもゆっくりしたものに変えて、池底で数ヶ月をまどろむワケだ。
電気羊は夢をみたらしいが、金魚はどうだろう? 赤いベべが黒のベルベットに変わる悪夢にうなされはしなかったか?



などと水換えしつつ、しょ〜もないコトを思ったのが一昨日だ。
A・C・クラークの『2001年…』のノベライズでは、ディカバリー号内で"冬眠"している3人の科学者は夢を見ない…、てなことが書かれてたよう思うが、どうだっただろう? 今は再読する気がないんで、それはうっちゃっておこう。