速度の遅い台風。三重や和歌山では被害が出ているようだけど、こちら岡山はこれを書いている朝5時半は静か……。
小庭の木々が緩い風に揺れているのを横目に、ピンクフロイドの『吹けよ風、叫べよ嵐』を聴き、
「なんかベタだなぁ」
苦笑する。
明日になれば台風は過ぎて、また暑さがやって来るんだろう。束の間のアクセントとしての『吹けよ風、叫べよ嵐』。
まっ、大きな被害が出ないのを祈るっきゃ~ない。
朝から陽射しが強烈だった過日には坊さんがやって来て、座り、読経し、チョイっと談笑し、お茶のんで、お布施フトコロにいれ、帰ってった。
仕出しが届き、近親者で会食し、なんとなくこれで夏が終わるみたいな感じがなくはなかった。
お盆は季節の区切り、ッポイ……。
思えば子供の頃は、
「盆になったら、もう川に行ってはいけません」
と厳しく云いつけられ、じっさい、お盆あたりから吉井川の水温(子供時代の津山。姫新線の高架橋の下で毎年泳いでた)は急速に下がっていたもんだ。
でも、今は違うなぁ。
四季のメリとハリはもうグッド・オールデイズな郷愁カテゴリーに入った感が濃厚。
国連のグテーレス事務局長は、うまいコト云ったもんだ。
「地球沸騰の時代が来た……」
温暖化というコトバがいかにもナマぬるいものに聞こえ、大変なコトになっている現状を短くも印象的に警句した。
地球がヒトのもたらす弊害に抗い、懸命に制御しようと務めているけど、ニンゲン側が溢れさせるアレコレに負け、ネを上げているという感じ。ネを上げつつも奮闘していると、ガイア仮説を拡大解釈したようなコトが云えなくもない。
風はなぜ吹く?
という問いの答えは、
「大気がその分布を均一にして安定を求めている姿」
というのが正解だと思うけど、強い嵐も、豪雨なんぞも、それゆえの、その安定化ゆえの地球の喘ぎなのだろう。
–––– そう思うコト多し。
台風や気温上昇も含めて、喘ぎは、時々刻々よりハードになる。
岡山は白桃の産地じゃあるけど、気候変動の影響をうけ、成熟期が極度に前進したり後退したり、イチバンに深刻なのは果肉障害が増加しているというようなコトになっているらしい。
スーパーや百貨店では夏の果実の華やかな筆頭として店頭に並んでるけど、白桃農家は戦々恐々しているらしい。
お盆の慣習行事なんぞは、このさき、どうなるんだろう?
やがて40度超えが日常になって、湿度もアップップ~の中、坊さん着物の襟やら背中を汗でグッショリ濡らしつつ、
「阿弥陀さんのおかげ……」
などと講話し続けられるんかしら?
つい数日前のお墓は、強烈に暑いというかゲキ熱だった。
メダマ焼きが即座に出来るほどのアツアツの墓石。
そこに置かれている骨壺……。
いずれ我が身のコトながら、とても、やだなあ。
と想うと、こちらも喘ぎたくなる程な……、ざしずせゾっとな近未来のオ・ボ・ン。
とかとか書いてる内に、『吹けよ風、叫べよ嵐』が終わっちまった。
どないしょ? もう一度、聴こうか。
いや、音楽やめて、窓外の風を視(み)た方がいいな。
今はほぼふいてないけど。