完全ではないにしろ腰の痛みが消えつつあり、日常の生活が戻ってきた。
嬉しいね。
どうかしたハズミでズッキ~ンとくるし、同じ姿勢のままだと痺れてもくるから、まだ通院は継続中。擦られたり温められたり……。
当然に腰を屈める庭作業などもってのホカじゃあるけれど、庭池では腰痛など知らんプリで睡蓮に花1つ。
夜明けと共に花びらが開き、昼前10時頃には閉じて明日にそなえてる。開きっぱなしの花に較べ、この水中花は運動量が大きい。
睡蓮はずいぶん大昔からある植物のようだけど、それで、フッと古代を思ったりもするのだった。腰痛がらみで、「医」の字が生まれた過程を考えるんだった。
どれっくらいの古代なんだか漠然ながら、まだ文字が文字として確定的には存在せず、呪術が活きてた頃だな……。
場所は中国大陸。国家という形がまだ生まれない頃。稲作とかはまだなくって狩猟採集でもって日々をおくってる地域というか集落ごとに、巫師やら呪術師みたいなのがいて、ま~、これが医者でもあるわけだ。
あたりはずれが、当然にあったと思える。良い呪術師とさほどでない呪術師だね。
良くない呪術師はブツクサ吠えて叫び声をあげるなり、何かを火にくべて祈祷する程度。
良い呪術師は奇声めいた祈祷を唱えるけども、同時に、ながい経験から積んだ知見でもって、どこぞで摘んだハッパの汁を患部に塗ったりする。
それでひどくかぶれちゃう事もあろうし、かえって悪化させたという事もあろうけど「塗り薬」だか「湿布作用あるもの」がそこに登場のワケだから、場合により回復が早かったろう。当然に施した呪術師は腕の良いヒトということになってく。
だから、そういう人物がいる部族というか集落と、そうでなく口角泡を飛ばし、吠たえるだけの呪術師がいる集落では自ずと『幸福度』も違ってたろう……。地域格差みたいなものが呪術師の腕でだいぶんと違ってたろうねぇ。
ま~、いまだって、「アソコの医院はいいよ」とか、「あの病院だけはやめとけ」とか、風の便りみたいな評価が存在してるから、上記もあながち空想の産物でしかないとは言いきれないでしょ。
馴染みな「医」の字は、「醫」を簡略にしたものだけど、現在わたし達が使ってる「医」は、なんで「矢」が囲われているのか?
これを象形から漢字に変わっていく過程を図示すると、こうなる。
白川静の字源辞典『字統』と、氏の考察たっぷりの別書数冊を参考にさせていただきつつ、「醫」の字を腑分けし、解体してみよう。
太古の中国では、祈祷呪術のさいに 矢 を射たり投げたりした。
ヒトのチカラでは及ばない強靭な道具としての矢は、当初から道具の最前衛であると同時に祭事に必需なモノでもあったようで、矢という存在そのものが獲物の収奪のみでなく、「魔」や「邪」な事象に対抗出来うるアイテム、そしてそのことを象徴するアイコンとして重宝されたようだ。
「破邪」するという意味合いが込められ、ここから「邪魔をする」が転用されていく。
だから当初では「邪魔をするな」と云えば、”邪悪を封じようとしているのを妨げるな”という意味で使った。
今はそこが逆転してますなぁ、「邪魔」という単語そのものに邪気含みの厄介ゴトという風に意味合いが変わってらぁ。
「魔」には当然に「病魔」も含まれる。というより「病魔」は恐るべきものの筆頭にあったといっていい。矢はそれに対抗する霊的神聖を持つモノの筆頭にあった。
その弓矢のカタチが象形されていき、意味ある文字となってったわけだ。
中国に入った仏教はこの矢を有効に活用し、やがてそれが日本に入るや、「破魔矢」となって今に伝わり神社もお寺も概ね共通の魔除けグッズとして定着していく。鬼門の方角を封じ「魔」の侵入をさまたげる小道具として定着する。
「殳」。シュともツエボコとも読む。
基本は投げ槍や杖矛(ジョウボウ − 武具にもなる杖)のイメージというが、白川静はその形に直接には似ていなく、むしろ、そのカタチに付加された呪飾、すなわち、「咒」(ノロウ)に通じる、呪術をおこなう者を指している可能性ありという風にとらえてらっしゃるようだ。
「酉」は、酒器や酒壺を意味する。トリとかミノルと読む。
「氵」(サンズイ)をくわえるとオチャケになる。
さんずいは、液体、水の滴りが意味され、「海」だの「波」だの「沖」だのに使われたのと同様、しずくとしてのイメージ。
これが「酉」にくっついて、やがて「酒」という字が定着する。
酒は呪術を含む祭事で使われるとても大事な構成要素。矢が「魔」を封じ、時に困難を克服し切り開くものの象徴であるなら、酒はその魂の慰撫を司るものであったろう。
図の通り、矢と酒は囲われている。
「匚」はホウ(ハウ)と読まれ、ハコとも読まれる。
「匿」(トク)という同型の字はカクマウとも読む。これは場所が暗示される。呪術もまた「秘匿な場所」にて、祈祷なり巫舞が行われる。
右側が空いているのは、巫術師以外の者をそこに入れることを意味する。「医」の場合、患者を入れるというコトであろう。囲ってはいても閉じきってはいないんだね。この囲いの中で病魔と対峙し、退散させるワケだ。
と、以上を踏まえたら、この字の出生の秘密を知ったようで、どことはなく愛情がわく。
で、その上で、白川先生の字源探求にさらに加えて云うなら、「醫」は、特定の場所、医療行為を行う場所を指す漢字なのであって、医療行為そのものよりも、まずはその場所としての位置づけを表わしているというコトがわかる。
なるほどね。なので、垣根で囲った場所を指す「院」と組み合わせた「醫院」は実によく考えられた2文字単語というコトになりますな。「院」によって「醫」を強化し、
さらには酒屋じゃないぜココは、と主張幅も厚くしてるのだった。
ただ、山本醫院と書いても、これがヤブなのか名医なのかは判らない。山本が治療行為をやってる場所があるというコトを告げているだけなのだからね。ま~、そこが「醫」の字の小さな弱点でもありましょうや。
けども、太古の時代は部族や集落ごとにヒトは拘束されていたろうし、その集団に属していないととてものこと生きていけなかったであろうから、呪術師なり巫師を自ら選ぶということは、まず出来なかったろう。
だから、出生場所によって当たり外れがあったろうと、推測できるんだ。
その点、今は醫師をこちらの意思で選択出来るんだから、この1点はわりと進歩してるね~。
こたびの突然の腰痛は、そうやって選ぶよりは、今一刻でも早く診てチョ~という切羽詰まったものだったから、1番近場の病院に出向いた次第ですが……、ま~、ヤブ先生でなかったことは幸いでごんした、な。
と、以上を考えてさらにもう1つ積み上げるなら、カコイとヤとサケの組み合わせで「医」の原型が出来たということは、組み合わせる以前、すでにカコイとヤとサケを示す象形が流通し、認知されてなきゃ~いけないわけだ。そうでないとまったく意味がわかんないもの。
組み合わさって、いわゆる字画が増えていくには相当な時間がかかってるんだろうな……。
そう思うと、漢字の1つ1つに時間がたっぷり染み込んでるような気がしてきて、な~かなかおろそかに出来ないなぁ、でもって、
酒はいつ外されたんだろう?
とか、妙に感心させられるのだった。
でもって、昔においては「醫」の字1つで事足りた”医療”だったけど、今はこれではまったく舌足らずで、「外科」だの「内科」だの「歯科」だの「耳鼻科」だの、内容を知らせる”補完語”が必需なんだねぇ。
「あんた病気です、治しましょうね」
じゃ~済まないワケで、「醫」が「医」と簡略になった反面、「外科」1つとっても、消化器外科、呼吸器外科、心臓血管外科、甲状腺外科、小児外科……、などと細分化されてって、
「窓口、違いますよ~」
時代が進むというコトはややこしくなるというコトでもあるんですな。
めんどくさいですね〜。
呪術1つで治してもらえる方が、気持ちラクなような……。
参照させていただいた白川先生の著作