キムチ十景

 

 前回記事で登場の、庭池で阻害され危うく落命するところだった1匹のコメットは、その後、小さな水槽で養生生活をおくってる。

 単身の1部屋住居の窮屈は気の毒じゃあるけど、庭池で他のやつらに追っかけられてストレス爆裂ヘトヘトよりは、ま~、いいだろう。

 実際、早や、回復ぎみな姿を見せ、弱々しさが失せつつある。

 ここでしっかり食事させ、庭池の連中よりチョイと身体を大きくしてやろうとも思う。そうすれば、庭池に戻したさい、その体躯でもって逆に今度はイジメる側に廻れるのじゃないかしら……、とも思ったり。

 コメットは食事量によっては25cmを越えるデカサになったりもするらしい。であるなら、庭池のコメットたちは日に2回、ミニ水槽の1匹には日に5回……、摂取量をば調整してみよう。

 ただ、このコメットは赤色部分がとても少なく白地部分が圧倒的に多い。庭池の中でもその白が光ってシルバーに近く、妙に目立ってた。アルビノは同族から虐められる可能性が高いともいうから、さてこの先、どうやって過ごさせようか、思案進行形……。

 

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  (レイアウトはあくまでサナトリウムとしての暫定。も少し経てばもうチョット工夫しよう)

 

 

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 久しく食べていなかったモノに接すると、急に花が咲くみたいな驚きと新鮮があって忘れがたい。ついクセになる。繰り返してそれを味わいたくなるワケだ。

 自分の舌をバカの1つおぼえと云っちゃ~何だけど、この数週はキムチにはまってしまった。

 本場から届いたとか、「ぼくでんキムチ本舗」の高いやつじゃなく、そこいらのスーパーで売ってるお手頃ネダンのパックのやつです。

 で、せっかくの繰り返しモードに入ったので、いろいろ組み合わせた。以下はその感想というか雑記。

 

 子供の頃はキムチという名は聞かず、「朝鮮漬け」の名が通っていた。けども食べたことはなかったよう思う。

 キムチが日本に根をおろし出すのは意外にも最近、1980年代後半の激辛ブームあたりらしい。気がつくと浸透していたというアンバイ。

 一説では、桃屋1975年(昭和50)に販売をはじめた「桃屋キムチの素」が発火点という。そうであるなら20歳を過ぎてからボクはキムチを初めて食べたということになる。

 おやま~、そんなもんだっけ?

 歴史という眼差しで見るとアンガイに浅いんだね。ま~、アサヅケともいうからな。

 

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 しかし、唐辛子が朝鮮半島には存在せず、その伝来を探っていけば、ポルトガル経由で日本に入っていたのを秀吉の朝鮮出兵でお隣の国に持ち込んだという説が有力筋の1つというのは、おもしろい……

 食品としてではなく戦場での気付薬のような扱いであったり、凍えた大地に草履履きの苦痛緩和に足の指先や踵に塗ったりの薬用として持ち込んだという。

 攻めたことで今もって責められちゃ~いるけど、この伝来話がホントなら、

「あらま~」

 ちょっと立ち止まって感心し、その後のかの国での食品への転化、キムチ創造時の工夫の鬩(せめ)ぎを思わないでもない。

 

■■ キムチとカレーライス part.1

 

 これは論争になる組み合わせだろうし、結論に至らない性質の取っ組み合いになろうコトも判っているのだけど、さて、あなたはこの組み合わせや如何に?

「駄目です」と答えるヒトはキムチをあくまでも漬物として見ている。ラッキョウ福神漬けと同じくに添え物として見てらっしゃる。

 かたや一方、この組み合わせを美味いと判定するヒトはキムチを具材と見てる。

 だから既にして論点がズレちゃってるのだから、取っ組み合っても意味はない。

 こういうズレた争いが昨今いろいろな局面で見られてそこそこメンドウだけど、具材と決めてしまえば量的緩和でもってキムチたっぷりノッけてきむちイイ。

 

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 私の場合、ノッけた後、一口いただくごとに食べる部分のみ混ぜあわせる。

 途端にカレー辛味とキムチ辛味の2層の辛味を同時進行で味わえ、旨味幅はそれに2乗しますな。

 使ったのはEっちゃんからもらったレトルト。アロエの小鉢とブツブツ交換したさいの1品。

 大漁というくらいだからお肉系でない。ないけどケッコウ美味かった。それにキムチを加えたことで、「美味さ」を「旨さ」に取っ換えたワケですな。

 

■■ キムチと永谷園

 

 ご飯に粉末茶漬けとキムチをのせあげ、熱い湯を注いでいただく。

 これは一言で論評できる。

 塩分 と・り・す・ぎ

 しかもキムチの一人勝ち。

 

 

■■ キムチとミルク

 

 なにより語感の相性がいいですが、そんなコトはどうでもいい。

 冷蔵庫でよ~く冷やしたキムチに、沸騰寸前まで追い込んだアッチアチのミルクを注ぐ。

 ミルク冷たいのは意味なし。あくまでアッチアチの白いの。

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 穏やかできめ細かい顔をしたミルクは、あんがい頑強。キムチの白菜に徹底してからんで浸透し、ケンカをふっかけ、そのホット加減にキムチたじたじしつつも応戦につとめる。

 しかし、この応戦が手際よく、死守すべきは死守し、放棄すべくは放棄して、あくまで白旗をかかげない。

 その争いのさなかに分け入るようにしてササッと口に運ぶのがヨロシイ。決着のつけようのない膠着状態を状態のままに味わうのが、ヨロシイ。

 ミルクの熱さが冷たくお澄まししたキムチの酸味と辛味を中和し、キムチはキムチでミルクのミルキ~っぽさを消す。

 問題となるのは、これはオカズか、酒の肴か、オヤツか……、3方向に引き裂かれるようなアンバイながら、結果として、どこにも定着しない悲哀があること。

 だから2年に1度あるかないかでイイ。

 

■■ キムチとトンカツ

 

 ソースの代わりとしてキムチをのせる。

 トンカツの味わいは味わいのままに、キムチはキムチのままに、意外やこれは争わない。

 だから、つまらない。

 食は時に素材通しの争いによって地味が増量するワケで、その点でこの勝負は勝負にならない。ポークチャップのような親和の気配すらない。

 が、豚の側は勝ったと思い決めた節がある。豚勝と言い張る。

 ちなみにトンカツは、お醤油に辛子を混ぜたのにチョットつけて食べると最高にサイコで旨さダントツです……、と思ってるけど、どうです?

 

■■ キムチとカレーライス part.2

 

 3パックほど入って「業務用」とか書かれてる安いレトルト・カレー。具がほとんど見当たらない。その中辛のヤツとキムチ。

 前夜のオカズだったトンカツの残りを添え、苦笑しつつゴージャスを装う。

 

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 トンカツはさておき、このビーフ系組み合わせではレトルトとキムチが互いの辛味を相殺しあい、ちょいと不思議なまろやかな辛味となった。辛味が1本化されたワケだ。しかもマイルドに。

「ほ~、そう来るか」

 意外さに舌が微笑んだ。

 お互いを打ち消し合う協調でもって両者の長所が別次元の滋味に変じているワケだ。辛さ一途ではなく、どこまでもまろやかな風味に変じたのが素晴らしい。ゆるやかな甘みもある。

 ここで両者は妥協せず、あくまでも激しくぶつかったとは思える。粒子加速器でもってビームから衝突エネルギーを得るみたいに、その正面衝突でもってA+B=Cではなく、いきおいDなりFなりが生じるように、両者自身もがビックリの変化。これはやはり素晴らしい。

 塊としての具材がさほど見当たらないのが、この味覚の1本化に向けてへの助成となっているのも好ましい。

 

■■ キムチとご飯

 

 あたりまえ過ぎで誰も話さない。

 しかし、本当はこの組み合わせこそが大いに論じられるべきで、ご飯の美味さを引き出しているのがキムチなのか、キムチはご飯によって引き立てられたか、そこの見極めこそがツボだろうに、いまだ精査されず正しく講じ合わされた形跡がない。

 磯自慢にご飯、梅干しにご飯なら、和のテーストの1語で足りる場合もあるが、キムチはやや違う。

 意外とご飯の熱さ加減は関係なく、キムチの辛味量もさることながら、これにはお腹の減り具合が関数として大きく作用する。それによって刺激幅が変わってくる。旨味の飛翔具合が違ってくる。

 そこの消息を数式で顕せるならイグノート賞の候補になるでしょうよ、きっと。

 けれど、ただもうご飯とキムチというだけの食は……、つまらない。やはりそこにオカズが介在しないとイケナイような気がしないでもない。生物の多様性が地球を芳醇にしたように、ヒトの食も多様なオカズではじめて旨味の輪が拡大するとするなら、キムチはご飯とオカズの真ん中で仁王立ちの「魔界転生」のスイッチめく存在じゃなとも薄々。

 

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■■ キムチと味噌汁

 

 仲が良い。ただし1つ椀の中に共存しない。味噌汁は椀にありキムチは小皿にあって初めて仲の良さがしれる。棲み分けという。

 共々に塩分高めが弱点ながら、その高めの眺望合致は長所たりうる。東洋は辛い味と再考させてもくれ、高血圧な激昂にもきっと直結する。

 

■■ キムチとミシン

 

 食えない。縫えない。

 しかしキムチの本場のお国では、食卓にハサミがあり、白菜キムチなんぞは葉1枚そっくりが出てくるのでチョキチョキして食べるらしい。

 本場のお国に行ったことがないんで真相は知らんけど、少なくとも『孤独のグルメ』で本場のお国に出張したゴロ~ちゃんは、2軒の店でそうしてた。

 

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 食卓にハサミか……、ふ~む、と首かしげる次第ながら本場がそうであるなら、大いに尊重しなきゃいけない。文化事情が違うんだと、ハサミとキムチは切り離しちゃ~いけない。たとえハサミが切り離しの道具であろうと、関係は切っちゃいけない。

 

■■ キムチとボンカレー

 

 カレーとの相性話3つめ。ボクはカレーとキムチの組み合わせがどうやら好きらしい。

 ほぼ普遍的に国内どこでも入手可能の、この取り合わせ。中辛ボンちゃんで試してみますに、いつものことながら松山容子の顔が浮く。

 キムチに顔はないがボンカレーには顔がある。その顔が淡い味付けとなってボンカレーのボディを支えてる。

 それでキムチ劣勢。萎縮しないけどヤヤおとなしい。気兼ねめいた気配を感じる。ちなみに試したのは吉野家のキムチ。

 

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 なるほど、吉野家の配慮がこれで見えた。自社の牛丼を引き立てるがゆえに創られたであろうキムチの位置が、ボンカレーにもまたピタリと来るんだ。

 吉野家のキムチは単品じゃ~辛みがちだけど、組み合わせでもって、気の利く従者と化すわけだ。

 むろんそれはババ抜きトランプに向けてメチャにシッポを振ったアベコッペ犬のような隷属じゃなく、対等の立ち居地にのった上での慎ましさというもん、だろう。

 なので吉野家キムチと大塚ボンカレーの場合は、具材にしてよし、添え物福神漬の位置に置くもよし、フトコロが、ふ・か・い。

 

■■ キムチとスイカ

 

 まだ見合ったことがない。しかしスイカに塩をふりかけて食べるのをベストと思い決めてる当方としては、塩分投下という点ではキムチも合うのじゃないかと密かに思う。

 むろん、ふりかけられないから、スイカの横手に置いて交互に味わうというカタチになるけど、シーズンが来たら、1度やってみようとは思う。

 

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 想像するにキムチのクセがスイカのスナオに勝るような気がするけど、はたしてどうか? 夏本番のこれは楽しみとしよう。

 とはいえ、そうまでしてキムチを食べる必要はないねっ。

 あと数日も経てば、この刺激性の強いのから離れ、はんなりな甘みある「ひしお」あたりを恋慕するんじゃなかろうか。

 

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