また1匹いなくなり

 天気が荒れると庭池はアッという間に汚れる。

 過日、数日に渡って嵐みたいな風がピ~プ~ふき、とどめにジョボジョボと雨。

 おとなしい雨ならそうでないけど、風混じりの雨は少量ながらも土砂を池に流し込む。汚れの元になる。

 その上で、今度は快晴というより怪晴な空模様。猛暑な日差しに睡蓮はスイスイ葉を広げるけども、水温が一気に上昇で、これがヨロシクない。

 あったかい泥水と化して、ドンヨリ。

 しゃ~ない……。

 ポリバケツに金魚を避難させ、長靴はいて水替えだ。

 しかし数時間後、カルキが抜けた頃合いに水辺に寄ってみると、バケツの中の金魚が1匹、消えた。

 庭池中央界隈にバケツは浮かせていたから、猫が悪さをするワケがない。

 跳ねて庭池に戻ったかとも思って探ってみたけど、そうでない。

 では、鳥か?

 

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 ったくもう……。

 今年の庭池はどうも不安定。

 しゃ~ない……。

 またぞろに、近場のサカナヤに出向き、コメットを数匹買う。

 買い増す必然はないけれど、いささか口惜しいじゃないか。

 

 けども実は、ビッグマックを猛烈に食べたくなったんだ。

 サカナヤのお隣さんがマグドナルドだ。

 マクドナルドを食べたくなる衝動というのは、年に1度か2度やってくる病いみたいなもんだけど、いざ火がつくと、いてもたってもいられないというジャンキーのそれ同様、麻薬的ジャンクの魅惑と誘惑でいっぱいになっちまう。

 たまさか、その衝動が到来ゆえ……、次いでですがな、おサカナは。

 生き物の命とビッグマックを天秤にかけると、どっちが重いというようなコトは云いっこなし。

 むしろこの場合、両天秤のバランスが取れた振る舞いと思いたい。

 熱帯魚売り場の狭い水槽の中で数十匹ひしめいている中から、数匹とはいえ、やや広い庭池に移動させて、いわば救済したのだという勝手な思い込みと、一般常識的にはこの年齢でマクドナルドを渇望するか? という問いを不毛にさせる「若さだよ山チャ~ン」のアグレッシブなスタンス保持こそ大事、チッとも天秤のバランスは崩れてないじゃんか……、とそう納得しているのだった。

 いわば欲望の二重奏、その成就。

 5月にしては異例のフイの暑さゆえにフィーバーしちゃったか? いや、そうではあるまい。イチバンに悪いのはサカナヤとマクドナルドが隣接してるって~コトだろう。そうでなくば、コメット1匹を失ったゆえにの、コメット数匹とビッグマック2ケのお買い上げ……、には至らない。

 

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 と、締めくくればいいのだが、そうは問屋がおろしてくれなかった。

 サカナを自転車に搭載したまま、カギもかけず駐輪し、

ビッグマック、2つ」

 窓口の女の子に声弾ませたら、

朝マックの時間ですので、ビッグマック扱ってません」

 ガッピ~~ン

朝マックって、何時まで?」

「10時30分までです」

 時計を見るに10時12分……。

 18分も待機するなんて、出来っこない。いかにビックマックを渇望しているとはいえ、そも、待たされるのはビッグに嫌い。ましてやサカナ搭載の無施錠の自転車。

 マクドナルド・イコール・ビッグマックというのが我がマクドナルドへのスタンスだけど、ジッと我慢のお子ちゃまでもなく、されど手ぶらで退出も嫌な爺ィ……。

 結局、朝マック・メニューからチョイスで持ち帰り。

 ちっとも嬉しか~なかった、というのが本音と実態の某朝10時過ぎ。

 ビッグマックを食べていない以上はマクドナルドを食ったことにはならないワケで、それではまるで初デートにワクワクしてたら彼女は来ずに代理で妹がやって来たみたいな、絶妙かつ根本的に断固違~~うガックシなのだった。

 

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 で、買った金魚はといえば、庭池に入れるや、既にいるコメットらが新参をば追いかけ廻すのだ。

 オレらの縄張りだ~、と新入りをいじめるのだ。

 その執拗っさたらナイよ。追いに追ってお腹の辺りを突っつき、逃げるのをさらに追う。

 コメットという種類は柔和そうな見てくれに反し、かなり鼻息が荒い。

 1日経って観察するに、やられてる方は、早やウロコの一部が剥離し、あきらかに弱ってる。このままじゃ殺されてしまう……。

 やむにやまれず、1番の被害者(魚)らしきを救出し、ポリバケツに隔離だ。

 ホントはいじめてるヤツの方を隔離し、闘争本能をまぎらわせてからまた池に戻すのが良いらしいけど、眺めてみるに、どいつが1番の乱暴者なのか判らない。

 新参は新参で自衛のみかといえばそうでなく、古参が攻撃するならコチラもやっちゃうぜ、みたいな勢いで、どいつもこいつもが暴れん坊将軍、立場立ち位置によって被害者と加害者が入れ替わるようでもあるし、同胞愛憐れむ、というような気配は微塵もなし。

 1番の弱者を隔離してやったら、今度は次の弱者ねらって虎視眈々なアンバイ。はたして穏やかに皆さん仲良く群泳って~コトになるのかしら?

 かつてアイザックウォルトン卿は『釣魚大全』で釣師としての自身に向け、

Study , to be Quiet.

  自戒の念こめてそう呟いたけど、庭池の金魚どもにも適用しちゃえと、

「穏やかなることを学べ〜、学べ〜ッ」

 日本語訳リフレーン付きでもって囁きかけてみるのだったけど……、聞かんわな~、たぶん。

 

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土佐光信の絵

 昨年末の講演「岡山木材史」の中で、余談バナシに中世の刃物事情と調理について、桃太郎伝承とからめて触れた。

 主旋律としては、

「おじいさんが芝刈りに出かけた山は、誰の山なのか?」

 という我が問いと共演の大塚氏の答えだったけど、中世初期では刃物は高額な希少品だったし、いわゆる包丁が登場しているワケでもなく、家族の中、小刀が一本あるきりで、それを一家の主が保持し、大事なモノだから常に携帯をし、小笹を切るのも、魚を解体するのも、すべてその1本で主人が行っていたろう……、というハナシをちょっと繰り出した。

 で、その後も折を見ては調べてたのだけど、土佐光信の絵にその痕跡が見られて、いささかの感慨をわかせているのだった。

 

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 土佐光信は室町時代の中頃から戦国時代までを生きた絵師で、8代目将軍足利義政関連の文献によると、絵所預(えどころあずかり・宮廷の作画機関のトップ)50年も務め、最終的には従四位下という位についてるから、官僚的立ち位置で絵筆を取り続けた人と書いてもいい。

 日本画の流派の大きな派閥の1つ土佐派の本流を作った人といわれ、将軍家やら公家と密接な関係を持っていた。

 宮廷画家のトップとして50年も君臨しているのだから、ただの絵師じゃない。

 年譜経歴を眺めるに、かなりの策略家であり、たびたび自己主張を押し通すために他者を蹴散らすようなコトもやっていたようじゃあるけれど、国が南北朝に別れてケンカしている乱世な時代でもあって……、ファイティング・ポーズもまた必需でもあったろうか。

 官職としての絵師の立ち位置確保というか、その権力保持に相当なエネルギーを使っていたようで、そのあたり……、後世のボクには感触として好きになれない次第じゃあるけれど、剣の輝きでなく筆の閃きに自身をのせ続けた継続の強さの中、ともあれ画業は画業、傑作が幾つもある。

 

 眺めると、何枚かの絵で男の調理が描かれている。

 庶民の家庭内じゃなく、宮廷なり武家での調理場面ではあるけれど、見るに、なるほど、やはり包丁はない。小ぶりな刀で魚をさばいてる。

 菜箸を用いて素手では魚に触れず、右手の刀でさばいてく。

 当然にこれは専門職。光信が描く調理師はたいがいどこか炯々としてる。魚さばきの自信が垣間見えるんだ。

 

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            「千僧供の霊験」の一部 頴川美術館(兵庫県)蔵

 

 当時、まだ醤油はない。切り身は生姜酢や煎り酒(いりざけ・酒に梅干や鰹節をいれて煮詰めたもの)でもって味付ける。それで煮たか、あるいは刺身として食べるさいにからめたか……、この時期の食の光景はまだ鮮明になってはいないけど、ともあれ、やや短い刀1本で魚をさばく職人がいて、お給金を頂戴していたというコトはまちがいない。

 刀でさばく役と煮炊きの役は別人が担うという点も、おもしろい。

 鍋を煮る係の男は、たいがい老人っぽいのも特徴だ。下の絵の部分、一見、汚い爺さんだけど、煮物に関しては無類の味付け舌を持った人物であるはずだ。

 この爺さんの表情にもまた自信がうかがえる。

 

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              「如願尼の利生」の部分 東京国立博物館

 女性が調理に関わっていないのも特徴だ。

 庶民を描いた絵には、鍋の煮炊きで女性が作業しているのはあるけれども、刃物を使う調理作業は男性だ。

 刃物イコール男、なのでありますな、この当時。

 ま~、そのことを土佐光信の絵が証してくれてるワケだ。

 

 ですのでね……、この時代の物語らしきかの桃太郎はですね、ご承知の通り、川で拾った桃をおばあさんがカットすると坊やが中から出てくるんだけど……、より正しく「時代考証」をすると、おばあさんは刃物は使わず(使えず)、家長たるおじいさんが桃をカットしていなきゃ~~おかしいのだ。

 

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 1937年に刊行された大日本雄辯會講談社(現在の講談社『桃太郎』は、我が見解で見れば刃物の向きが極めて正しく、これを描いた斎藤五百枝(さいとう いおえ 1881-1966は鋭いな~と思わざるをえない。(本文を執筆した神話学者の村松武雄の指示だった可能性もあるけど、ただやはり、包丁はまだ存在しない。ナタのようなぶっ叩き式のモノはあったけど……)

 

 食物の切り分けというのは、食料の大小の配分を決めることでもあって、室町時代の当時、刃物を持ってる一家の主がそれを担うのがあたりまえで、転じて、「妻は夫に従うべし」というケッタイな生活慣習が今に残滓として伝わっているワケだ。

 いわば、起源の底流には1本の刃物が置かれてるという次第なんだ、な。

 

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 上は土佐光信の絵ではなく、「松崎天神絵巻」 (別府天満宮蔵)から。フイゴ職人宅の調理シーン。やはり家長が小刀で切り分けている。左のショボクレたヤングはフイゴ職人の弟子だそうな。木刀(?)のような刃物もどきで串を削っているよう見える。研いだ小刀はまだ持てないということか?

 中世の女性の生活を研究する保立道久は『中世の愛と従属』(平凡社)でこの絵を取り上げ、黒装束の女性が実はこの家のアルジ的存在と論証(肘をついてる長持ちが重要なんだ)されているけど、ここではその点に触れず、ただ刃物というのが男に属していたモノであった時代がかつてあった、というコトにのみ、以上触れた。

 

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 刃物とは関係ないけど、土佐光信の絵でボクが惹かれたのは下の1枚だ。

 

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              「屋根葺地蔵」の部分 東京国立博物館蔵  

 

 この4人の小僧と手伝い少年1人を眺めるに、土佐光信は瞬間を捉えているのじゃなく、家屋製作の何時間かを1枚の絵に入れ込んでいるよう思えて、これはメチャに、お・も・し・ろ・い。

 屋根の上にしゃがんで竹の骨組みを縛ってる坊主と、下から重しの石を投げ上げている少年とは同じ時間に、いない。

 同じ時間なら、投げ上げた石で上の人物がケガをする。一見は連動した動きに見せるけど、そうでない。

 とすれば、この絵には4人の小坊主がいるけど、実は4人ではなく、2人だった可能性だって、ある。

 2人の作業の様子を1枚の絵で見せちゃうと、4人が同時にいるみたいな時間重ねのオーバーラップを生じさせてるというワケだ。

 と、以上は……、やや小さな図版でこの絵を見たさいの感想だ。

 けどしかし、後に、やや大きな全集本を入手してあらためて眺めるに、少年は投げ上げているのではないと判明した。

 屋根の上の坊主が縄で石を上げているんだ、ね。

 2人の作業は連動していたワケ、ね。

 

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 よって結論。

 美術系の本は文庫サイズで眺めちゃ~いけねぇ。

 情報量が少な過ぎ。断固大きなサイズの本でなくっちゃ~、上記のような”誤読”が生じるんだ。

 

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               でっかい方がいい。

 

 次いでに云うと、右側で子に乳をふくませている女性も、おもしろい。

 一見、老婆だ。

 顔のシワといいオッパイの垂れっぷりといい、若くない。

 年取ってからの子か? それともホントの母親は左の薪を運んでる女性で、代理で、出ないけどオッパイ吸わせて子を馴染ませてるのか? などとついつい注視してしまうくらいインパクトが強い老婆だ。

 いや、実は老女でなく、今の眼にはおばあさんだけど、実は18歳くらいなのかもしれない。すでに16歳で1度出産したけど、それは生後すぐに死んじゃって、苦労を重ね……、などと空想するのも、イイもんだ。

 子をあやしつつ休息しているようでもあるからこの部分にタイトルをつけると「ローバの休日」だ。

 

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 しかしまた、ひょっとすると、中央の石の下の少年の実の母であり、少年は少年にみえてドッコい、実は左の薪を背負った女性と関係しちゃって、出来た子を実母があやしている……、かもしれないと思ってみるのも、イイもんだ。ま~、可能性は薄いけど。

 ともあれなにより、この絵には、奇妙なほどに軽快感があって、ある種の小気味よいリズム音がはねているように感じられてしかたない。

 小僧たちの姿には、家屋を建てる喜びみたいなものが充満しているんだ。

(とある地蔵のために雨除けの屋根を造って、そこを寺にしようとしているという図、です)

 

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 縄綯(な)いをやってる小僧の足と手の動きもいいが、視線を屋根の方に向けているのがダントツにいい。自分の作ってる縄(麻を撚り合わせているに違いない)がまもなく結わえとして使われるという希望的展望がこの視線の先にはあるワケで、土佐光信はただ観察的に描いているだけじゃないのがこれで判る。

 要は気分が描かれてるんだ。

 

 ま~、だいたい男子はモノを造るのが好きなのだし、その過程も愉しむというのはプラモデルに集約される組立の愉悦理論そのものですけど、この絵の小僧たちもまた、きっと、楽しかったに違いないとボクは想像し、一鑑賞者として楽しんだワケだ。

 だから当然に、描いてる途中の土佐光信もきっと、乱世の世渡りのいやらしい知略やら権威にアグラをかいていっそうにそれを固めるといった処世の術などは忘れ、楽しんだに違いないと想ったりもし。

 

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 余談ですが、土佐光信には娘があった。

 千代といい、自身も絵筆をとった。

 彼女はやがて狩野元信の妻になる。

 元信は光信の大和絵テーストではなく唐絵というカタチで、いっそ土佐家の画風とは反撥するスタイルの、いわばライバル関係として勃興していたけど、この結婚でもって、両者両派閥に交流が生じ、やがてその画風の混合成果として、千代の孫である狩野永徳の手で「洛中洛外図」といった傑作が生まれ、その描法は大ブームとなって江戸時代前期頃まで、似通う構図での町と群衆の動きをとらえた絵が続々描かれることになる。

 また、その群衆の中から部分を抽出しクローズアップというカタチでもって後には「浮世絵」が登場もする。

 今の美術界の評価する所では、千代はあくまでも狩野元信に嫁いだ女性という位置に置いてるようだが、絵画改革のキーワードとなる2つの大きな川というか、土佐派と狩野派、2つのでっかいブランドを結んだ重要な女性と思えるのだけど、あるいはその結婚には土佐光信の政治的戦略的魂胆があったかとも思えるし……

 

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          千代が描いたと伝わる源氏物語図扇 東京国立博物館

スペーススーツ

 夏を迎えるこのシーズン、だいぶんとサマー・モードになったとはいえまだ油断出来ないところがあって、昼と夜の気温差を想うと、お出かけ時に着るものをチョイ考えなきゃならないのが、面倒といえばメンドウ。

 白昼はよいとして、昼夜にまがたる外出となれば、Tシャツ枚では不安だし、かといって上着をつけたらつけたで暑かったりも、する。

 一昨日、我が宅に御前酒1本さげて訪ね寄ってくれた県北は蒜山の住人N君は、「朝はまだマイナス気温です~」ニヤリと笑ってた。

 そういう点でいわゆる宇宙服というのは四季が問われない性質なので、お出かけ時に躊躇が、ない。

 

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                フランクリンミントの模型

 

 ま~、あたりまえといえばあたりまえだけど、この服は地球上ではてんで役立たないシロモノの代名詞になるけど、いざ宇宙に出ると超絶にモードシーンのトップに躍り出る。なんといってもスーツなのである。

 かぐや姫とその従者たちは地球上の衣装のままに月に移動しちゃって平気なんだからカッコ良いったらありゃしないし、地球に縛られてはおりません……、大気依存症でない確固たる自信をみせつけてくれもするのだったけど、それのみ例外、多くの場合やはり、宇宙服がないとチョットしんどい外宇宙。上下揃いのスペーススーツは外せない。

 

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竹取物語 貼交屏風(はりまぜびょうぶ)」立教大学図書館蔵。江戸時代に制作された竹取物語絵の一部。月から使者の女官たちがかぐや姫を迎えに来たところ。

 

 宇宙服も研究レベルでは随分に発達し、いずれはボディ密着の、すなわち身体のラインが露骨に出ちゃうけども快適で動きやすいものが登場という予測もあるけど、現状はまだまだ従来通りの、いわば旧スタイルが主流。

 けども旧スタイルとはいえ、カタチとして意外と色褪せしないのは不思議。

 

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ジェミニ計画でのニール・アームストロング(1964撮影)と、同計画での初遊泳中のエド・ホワイト(1965年撮影)

 

 たとえば映画『2001年宇宙の旅』は1968年公開だから、もう51年も前の作品ながら、登場した宇宙服はほぼまったく色落ちせず、今もって現役の新鮮を保ってるのも不思議。ごく最近になってアクション・フィギュアとなって販売されたりもして勢いも落ちない。

 

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 逆に、最近の映画『オデッセイ』で火星に取り残されたマット・ディモンの宇宙服や、『インターステラー』のそれらですらが、『2001……』の延長上のカタチでしかなくって、ほとんど見栄えをおぼえなかったりもするのは、1960年代発の宇宙服スタイルがいかに抜きん出ていたかの証しとも、なろうね。

 もちろん抜きん出てるとはいえ、構造上、ヘルメットはボディ部にガッチリ接続だからヘッド部分は常に真正面しか向かず、着用の人はヘルメットの中でもって頭を動かすしかない。頭を動かせるだけのスペースが必要なデザインでしか、実用に耐えない。

 『インターステラー』ではロシアのスーツをモデルにしたと思われるし、ヘルメットは、頭の動きにあわせて多少は左右上下に可動するというカタチを見せてくれてはいたけど、サイズ的にはどうだろ? ちょっと窮屈っぽかった。

 

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   米国の小さな模型メーカーMARCO’S MINIATURESが販売のロシア宇宙服と米国のそれ。

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            GIジョーのシリーズ。マーキュリーカプセルと飛行士。

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             同じくGIジョーのシリーズ。バズ・オルドリンさん

 

 むろんに、『2001……』の宇宙服が当時のNASAの最新スーツの援用ではあることに間違いはないとしても、何やら普遍不変なるもののカタチが1950年代から60年代に生じて今に至ってるというところからまだまだ抜け出せないでいる「今」という時間を、ちょっと思わないではいられない。

 

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            フランクリン・ミント製 月面車とアポロスーツ

 

 比較するのは気の毒ながらTVシリーズ『謎の円盤UFO1970に登場の宇宙人がつけてた宇宙服なんぞは、はなっから色褪せ甚だしく、リング・チェーンのあしらいに、

「古ッルう~~

 当時ライブでTVを観ながらガックリだったけど、逆にそれは稀有なスペーススーツで、概ねで、実際のそれもSF映画のそれも皆な、ひどくは悪くなかったし、今も遜色減退していないから、ま~、宇宙服というカタチには、流行に左右されず、四季にも時世も関係なく、そういう諸要素が忍び寄れない性質が濃くコーティングされているんだろう。生存環境として馴染まない場所で着用するのだから、個々人のファッション気分なんぞは関係なしの有無を云わさない必然という気配が、宇宙服の描き方として要めなのじゃあろう。

 

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               『謎の円盤UFO』の宇宙人のスーツ

 

 ま~、だから逆にいえば、『謎の円盤UFO』の宇宙人の着衣は、そこに60年代末にパリ発のモード先端であったシャネルの「クラシックフラップバッグ」を筆頭にしたリング系アクセサリーを大胆に取り入れ、さらにこれまた当時大ヒットとなった「サファリ・ルック」なテーストを加味したばかりに、かえってオールドファッションじみた滑稽となったという悲喜劇な味わいとなっちまったと、やや同情的に眺めることもまた可能だろう。

 この衣装デザインはシルヴィア・アンダーソンさん。『サンダーバード』での衣装デザインは大成功だったし、敬愛している女性の1人じゃあるけれど、唯一の彼女の失敗がこのスペーススーツだったと思える。地球外からやって来た者に地球での流行りを取り入れちゃ〜イケナかった。

 

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     シャネルのクラシックフラップバッグ        60年代サファリ・ルック

 

 近頃のニュースで知ったけど、ISS国際宇宙ステーションで2人の女性飛行士による初めての船外作業が企画されたものの、女性にフィットする宇宙服が足りず、結局、企画は泡と消えました~とのこと。

 聞いてなんだかバカバカしいような、貧果な予算事情が透けちゃって悲しかったりもした。

グレート・ギャツビー』の主人公みたいにワードローブに着替えのシルク・シャツがズラリ並ぶはずもない宇宙ステーションながら、1着のゆとりさえない衣装実態に、残念というか、ヤヤ寒さをおぼえるのだった。冠婚葬祭用の夏服って、ゴメン、持ってないのよ〜とは別次元の問題と思えてしかたない。

 下写真。計画断念でメリル・ストリープが怒ったような顔のクリスティーナ女史。

 

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 さてと『2001年宇宙の旅』のスペーススーツ・フィギュア。MAFEX製のノンスケール(概ね1/12かな)フィギュア。

 良く出来ていて感心したけど、黒塗りのバイザーだけじゃつまらないし、価格が倍の2万円くらいになったとしても、これはやはり1/6にスケールアップで、バイザーの内側に人物のヘッドがあるという仕様で販売して欲しいもん、ダ。

 それに、いささか足が長すぎる。もうミリ詰めればよりリアルなものになったろうと、惜しむ。

 しかしこたび、模型たちに触りながら想ったけど、『2001年宇宙の旅』のラストシーンは、宇宙服という点のみでも象徴的だね~。かのスターチャイルドはもはやその宇宙服を必要としない”存在”なんだから。

 ま~、いまさらあらためて云うことでもないけど、たまたま別スケールの模型と写真撮ってて、フッと。

 

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百花繚乱 2019

 

 小庭の緑が濃くなり、鮮やかさに輪がかかり、花も満開。賑やかな饗宴にざわめいている。

 連休辺りで賑わいに速度がついた。むろん草花に連休はなかったし令和の慶事も関係なし。

 元号変更は実体として何かがリセットされたワケじゃないけど、季節の変わりは巨大でトータルなリセット。日差しと地温上昇を鋭敏に感じ取って植物たちは、ただもう我先にと背筋を伸ばすことに励んでる。

 

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 こういう活き活きを眺めると、ヒトのおろかしい行為の連打をチョイ忘れ、親和させられ、

「ガンバッて頂戴ねぇ」

 ちびっと眼を細める。

 やがて酷暑な季節になると、ジリジリ日差しに焼かれ、庭先に出るのもイヤな感じになるけれど、このシーズンはおだやかな気分でユッタリ漂う煙みたいに眺めていられる。有り難い。

 

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 豆はプリプリ肥え、イチゴは赤く色づいて、でも収穫前に小さな虫どもが齧ったり穴開けたりで、これはいささか哀しいけども色の鮮烈が好ましい。

 

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 ベニカナメモチの紅い葉が茶色く変色して盛大に落ち、緑の新葉に変わる時でもあるから、落ち穂拾いをしなくっちゃ~いけないのが面倒といえば面倒じゃあるけど、マイ・マザーをお風呂に入れたりの腰屈めの介護の面倒に比べりゃラク~なもんだ。

 ただ、庭池に張ったネットにからんだ葉は面倒なり。あんがい頑迷かつ頑強に抵抗するんで1枚1枚取り除くことになる……、だから概ねは放っておき、宙に浮いた風情をば無理して楽しみに変える。

 

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 界隈のランドマークの1つだったけど数年前の台風で倒壊して昇天してしまった棕櫚の、その根本部分は折れたままに放置しているが、今はそれにツタがからんで惨禍後の形骸を覆い隠し、ちょっとナウシカの世界を想ったりする。

 その傍らで2代目の棕櫚が葉を広げ、長期的展望でもって育ってやろうとの意思表示をチラリ見せている。頼もしい。

 

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 一画の繚乱。ポール・スミザー風のナチュラルを意図したものでなく、若干は間引いたものの、ここ数年に植えたのや、鳥の糞だかに混ざって着床した植物のアレコレが芽吹いて共存した結果が一種の調和をもたらしている。

 いや、正しくはやはり混乱なのじゃあろうけど、花々の色彩と形が混乱を突き抜けての調和したハーモニーを見せているという感じかしら……。名を掌握していない花もあって、お・も・し・ろ・い。

 

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 スミザーの云う通り、造りこまなくとも植物たちは勝手に育つ。もちろん、そこではある種の力関係もあり、根張りが早くて吸水力の高いヤツが成長もまた早いのじゃあろうけど、見た目の繚乱が眩い。

 蝶もやって来るんで平穏うららかなりという感じも醸され、これまた眼を細める。

 イタリアの小さな村にでも生まれ育ってりゃ、そこのユッタリ時間をうまく身体と心に沁ませた感性でもって庭先に椅子とテーブルを引き出して、午後の日差しと花々をワイン呑みつつ愉しむというコトになるのかもしれないけど、いかんせん、せわしない国に生まれ育った感性とすぐそばの道路からの人の視線も気になるし、いまだワイン瓶を持ち出したことはない。

 いや、飲みたいとは常々に想っちゃ~いるのだけど、そうするとどこかスノッブなエセっぽい匂いがたつ人物に見られるような気もして、実現にいたらない。

 いっそ生垣をより高くし、より繁茂させて道路からの視線を遮ってしまえば、とも思わないでもないけど、さてそうすると今度はどこかぁ~偏屈狭量な花いじりジジイになるようでもあり、

鎖国するワケでね~しなぁ」

 やはり実現にいたらない。

 庭をいじるというのは、自意識もまたいじられるというワケでござんショー。

 それに、ここはイタリアの小さな村じゃない。真似たって意味はない。JAPAN、OKAYAMA、という固有拡張子がついた地域での、のどかなイットキを味わうっきゃ~ない。

 

 

まごのて

 最近100円ショップで「孫の手」を買ってエラク重宝してるのだけど、「孫の手」を発明したヒトは、「世界の偉人100人」に選んであげても良かアンベ~なのじゃあるまいか。

 それっくらい威力絶大、かゆい所に手が届く逸品だ。ま~、文字通りにそう機能するのだからあらためて書くほどでないけど、そう云いつつ、片手に持って背中ポリポリ掻いてるのだ。

 滑らかな曲げ加工部分をTシャツの首の所から背に差し入れ、かろやかに上下運動させると背中大喜び。

ああぁ

 小さな呻きがプチプチ炸裂しもするのだった。

 もちろん四六時中背中が痒いワケはないけども、痒い時はダンコ痒いのだから、そのさいの「孫の手」は今どきの言葉で云うところの「神対応」のマジックリンなのだった。

 手は小さく、動きは上下運動にほぼ限定されて単調、横方向は苦手ながら、痒みの抑制と緩和に対する上下移動の指先の繊細は無類。

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 しかし、発明者は何故にマゴノテという名を与えたのか?

 「弟の手」でも「愛人の手」でも「ワイフ・ハンド」でも「夫の手」でもイイはずなんだが、「子」でなく「孫」と規定した所に作者の実事情がからんでるような気がしないでもない。

 アマゾンを一覧すると、おびただしい各種「孫の手」が売られているから驚く。国民の多数はよほど背中が痒いのだろう。ずいぶん豪華なのもあるし、SM系の小道具を連想しちゃうようなのもある。歯ブラシのような電動なものがないのも、お・も・し・ろ・い。

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 ブリタニカ百科事典には名の由来として、中国の伝説『神仙伝』に登場する麻姑 (まこ) という鳥のように爪の長い道教の仙女の名から転じたといわれる、と記してる。

 ある男が「その爪で背中を掻いてもらったら気持ちいいだろう」とこっそり思ったら、すぐに見抜かれ、罰が当たって何者か眼には見えないものにブッ叩かれる。ま~、それで麻姑が「マゴの手」となったというらしいが……、いささかコジツケたような感じが無きにしもあらず。

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      棒を持ってるがマゴノテじゃありません。仙界を行く舟の櫓(ろ)です。

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    この仙女さんは実は酒造りの名人で、舟の足元には酒の瓶があるんだ、呑んでみたいね。

 

 で、所変わって日本。下は『紫式部日記絵巻』の一部。

 皇子誕生を祝う祝賀パーティの後、右大臣の藤原顕光が酔って若い女官に言い寄り、扇で彼女を引き寄せようとしているというのがこの絵の解釈らしきだけども、見ようによっては、扇で彼女の背中を掻いてやってるよう見えなくもない。

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                   五島美術館


 そう思うと、女官の表情は言い寄られての恥じらいともいわれてるけど、十二単の上からとはいえ、掻かれて、うっとり顔に見えなくもない。

 眼を陶酔に細めきり、お多福ぎみの頬に朱がさしている処を見るに、恥じらいよりは悦楽の表情とボクには見えてしかたない。

 そも、背後から扇で彼女を引き寄せるというのはヤヤ無理っぽいのじゃなかろうか。

 背中ポリポリかきくけこで、要は、藤原顕光はこの女官を陥落させるのに成功したというわけだ……と、そのように解釈したって誰も困らないでしょうの『紫式部日記絵巻』。

 脇役でしかない人物絵ながら、事後の顛末というか、次に二人はどうなるの、進行形のドラマの暗示がふりかけてあるようで妙にひかれるのだった。

 扇で彼女を引き寄せ誘ってるのか、あるいは扇で背中を掻いてやって親しみの急接近なのか、どのみち深い男女関係に進むでしょうねぇ、の予測はつくにしても、絵としておもしろいコトに変わりない。

  余計ごとながら、十二単という装束は自分で自分の背中はまず搔けないだろなぁ、などとつまらないコトも想像出来ますし。

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 ちなみに藤原顕光(ふじわらのよりみつ)平安時代最大の無能な大臣と当時から云われ、従弟の藤原道長は「至愚之又至愚也」とまで書いてます。愚の骨頂だアイツはというコトですな。ま~、そんな人物ですから政治より性事な事情を紫式部はしっかり観察していたんでしょうヨ。

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 けどまた一方で日記で式部は、その無能な大臣に声をかけられチョット言い寄られたのを密かに自慢してるフシがあって、このあたり、おんな心、色は匂えど散りぬるを……、ですなぁ。

 

 装束といえば……2日になくなったピーター・メイヒューを想う。1977年の第1作からずっと彼はチューバッカの毛むくじゃらとして存在し、その毛むくじゃらが装束だったねぇ。思えばおかしな役回り、第1作のチャーミングな程にノーテンキなメダル授与式のシーンですら毛むくじゃらのままで何も履かず何も羽織ってないんだから、オモチロかった。

 メイヒューの名は判らずともチューバッカの名でその姿は鮮明であり続けた。

 幸いかな映画で繰り返し彼には会える。

 冥福を祈りつつも、May the Force be with you.

 

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令和の初日

 一昨日、祭日の柳川交差点界隈。

たま大明神」が設置されたテラス真下空間での初めてのイベント。我が眼で見る平成ファイナルのライブシーン。

 

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 ステージのトリとして登場の、我が良き友の歌声が清々しい。

 馴染んだ声に淡くなりつつも、けども雨の粒。おまけにズイブン肌寒い。

 この4月は、ボクが出向くイベントことごとく、前日も晴れ翌日も晴れるクセに……、当日オンリ~雨ダスた。

 

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 ライブ後、傘さして喫茶ダンケに移動。Kちゃん・Eっちゃん ☆ かしましシスターズと遭遇。ダンケ周辺でシスターズとなんだかよく遭遇するのは、天の采配? 御縁というものか。

 Kちゃんよりチョイと嬉しいギフトをもらう。

 

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 今日、令和の初日。

 平成天皇には、「おつかれさまでした」と申し上げ、ゆっくりとお過ごしあれと願うばかり。

 まだ若かりし頃、昭和天皇の代理として初めて沖縄に出向いたさい、眼前で火炎瓶を投げつけられもし1975年の糸満市ひめゆりの塔にて。投げようとした本人が転んでしまいオ~ゴトにならなかったけど、非常に危険な状況だった)、慰霊式典だったか何かの席にて汗にまみれ、スーツのYシャツをぐっしょり濡らされて緊張されている姿などが記録映像に残っているけど、おそらくその頃よりご自身の立ち位置を強く意識されたであろうと思う。

 そういうコトのイチイチを直かに発言出来ないという不自由さの中での今日までのお努めに、ただ感謝と慰労を申し上げたい。

 天皇交代を政治利用している政権の無暗な厚顔っぷりと比べても詮ないけど、そこの無念も押し殺さねばならない立場に強く御同情申し上げたい。令和の政治的運転っぷりの危なっかしさを一番に不安視されてらっしゃるのは平成天皇その人だろう、とも思える。

 改元は大きな出来事じゃあるけど、かといって騒ぎすぎ。

 思考停止な躁状態でただ令和の2字を追ったり、いきなり平成を回顧して社会の景観が変わったという風な気分は、ヨロシクない。

 社長交代で社名も変わりましたということで浮かれたりしないのと同様、静粛に受けとめ、皇室は自分にとって何だろうと真面目に思い返した方がいい。新旧の天皇もそうお思いじゃなかろうか? 

 

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 先日、とある会合の後の二次会にて、「タケノコの醤油バターいため」を食べる。

 これは初めて。

 湯がきしたものをお味噌とかで食べるというパターンに親しんできたけど、湯でアク抜きした後にやや厚切りにしてバターでいためるというのは未経験。見た目もタケノコを感じず、口にいれて初めて、アッ! なのだった。

 淡麗ではあるけど味幅がなかったタケノコめが、ふいに妖艶な別嬪さんに変じたようで、

「そっか~、この手があったか」

 風味の濃厚に、とても感心、かつ歓心したのだった。

 さらにワサビなりカラシをくわえたら、きっといっそう美味くなるに違いない。創意と工夫をこらせばタケノコ味覚も拡大するのだと、いささか嬉しくもあったし、タケノコ調理を規定化してしまってたと反省もチラリ。

 クックパッドなんぞで、調理法を知ることは出来るけど、日常そういうのは見ないし、考えてもいなかったから、良い意味で不意打ちをくらったようなアンバイ。タケノコを単独でフライパンに入れるという発想もボクにはなかったし。これは平成最後の2重マル。ミシュランっぽく書けば星5つ、☆☆☆☆☆

 

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              若鶏だかのお料理かと思ってしまった


 さてと、ありそうでないのが「重箱」の専門書。

 重箱というのはお祝いやら行楽弁当やらおせち料理容器としての、あの重ねた箱だけど、これに特化した本が、ない。食べ物の本の中に登場はしても、そのヒストリー詳細を記す本がない。

 ちょっとしたワケありで重箱のことを知りたくて、それで江戸時代や明治の頃の食べ物事情やら「しきたり」を書いた本を何冊か物色、探ってる。

 こういう探索は面白いけれど、ハズレ確率も大きく徒労多しで、な・ん・ぎ。

 文字通りに、重箱のスミをさぐる——、という次第が可笑しくもあるけど、知って、とある考察にそれを用立てるというコトにならないのが、な・ん・ぎ。

 といって、資料が出てこないままに想像ふくらませ過ぎで結論を導いちゃ、いわゆる捏造が生じてきもするから要注意。

 面倒だけど、コツコツ探すしかないな、こういうのは。

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 ちなみに重箱というのは、4段重ねがイチバンに上等らしい。ただ(四)の字が(死)と同音だから、それを「与の重」と言い換える。この辺りがいかにも言霊の国の心の佇まい。

 赤飯が入り鯛が入るのも縁起ゆえにの、心の佇まい。

 言霊も縁起もほとんど信仰レベルというか、無自覚な信仰そのものとして定着してるのは面白い。

 その傾向はたぶんさらに深化するだろう。ITだのAIだのの進捗と裏腹に、知足のバランス取りみたいに、いっそ迷信的迷妄の領域は拡大するだろう、とボクは予測してるけど、小さな箱にいっさいを収めて隔絶させる点はガラパゴスな島内そのものに見えるし、けどもそこに味が凝集され結露しているという点での豪奢の底深さという醍醐味もまた面白く、重箱には日本というカタチそのものが凝縮しているような気がしないでもない。

 いっそ、すこぶる良性な感性の熱量を感じるくらいに、重箱って、大事なポイントをついた存在じゃ~なかろうかと思ったりしている……、令和の初日。

 

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  根来塗呉須絵多角重箱(2段) ねごろぬり ごすえ たかくじゅうばこ、と読む。八角形だ。

神勝寺にいく

 

 雨天となった日、福山の神勝寺に出向く。

 1年ほど前、講演で御一緒いただいたN女子大の上田教授より、

「日本の建築家を1人あげるなら、藤森照信でしょう」

 魅力を聞かされた。

 その藤森作品の寺務所が神勝寺にあるのだった。それで気にはなっていたのだけど、たまさか、Yちゃんが神勝寺に行きたいと申うされたのが冬のさかり。

 行きたいベクトルがっちり合致。

 あったかくなった今がチャンス。天皇交代に託(かこ)つけた、やや意味不明な大型連休……。その人の波にのまれる前に行っちゃえという次第。

 しかし、チョイスした日に雨が降る……岡山神社音楽祭の雨天中止以来の雨、何でこのタイミングで降るのかしら、く・ち・お・し・や。

 

 広島県福山市へなら、いつもなら車でゴ~だけど、あえてこたびは新幹線。

 あっという間だから旅情に遠い。

 福山在住のオッ友達に松永駅まで迎えに来てもらい、車を出してもらいと、いわば送迎付きのラクチン・ツアー。

 福山駅まで迎えに来てもらってもよかったけど、なんだか電車旅情をも少し味わいたく、それで福山で乗り換え、2駅西の松永駅で下車。

 オッ友達がこの駅近くに住まってるというのも理由だけども、ともあれ雨の松永駅、そこから松永湾の巨大な貯木場をちょいと見学後、神勝寺へ。

 

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 このお寺は栄西臨済宗建仁寺派の禅寺というのが基本。だけど広い境内はワンダーランドっぽい。

 開山は1965年(昭和40)。ずいぶんに新しい。

 その新参がゆえ、供養主体の寺よりもヒトの集える場としての寺のカタチを考えて、努めて間口を広くにしたのだろう。古刹風味と現代アートを並列にし、寺空間をNOW先端に昇華すべく努めてらっしゃる、という意味でのワンダーランドだ。

 だからこの場合、テラクウカンじゃなくジクウカンと、ヤヤ気持ちを膨らませぎみにハツオンするが好かろう。

 一見、一望しただけで、相当な経費がかかってるんだろうと了解できる。

 その支出と収入の行方も気になるけど、そこは問うまい。造船関連の地元企業がスポンサー的な母体ともきくけど、自力でもって維持しているらしき風情の天晴こそが、ここは肝。

 

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 川池のある広大な庭。いやはや……、「広」と「大」の2字がピッタリの空間展開。

 庭。滝。点在の家屋。複数の見事な茶室。

 いささかアッケにとられ、

「あらま~」

「ほほ~」

「へぇ~」

 傘さしたまま、感嘆符のみが口からこぼれる。

 日本の茶の湯のスタート地点を整地して茶の専門書『喫茶養生記』を書いた栄西臨済宗だから、茶室があるのは、ま~、こじつけ的じゃ~あるけれど、悪くない。

 ここは歴史的ストーリーを味わう場所ではなく、日本のテーストを味わう場と思えばいい。それゆえのワンダーランドと思えばいい。

 

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             茶室「一来亭」。利休の一畳台目の想像復元家屋。

 

 ピカピカお天気での見学よりも、雨中の日本家屋の佇まいの方が、「イイじゃ~ん」、こじつけて自分を納得させもしつつ、広い空間に身を置くと、明治の廃仏毀釈を思わずにはいられない。

 それまで多くのお寺さんは広大な地所を持って、良くも悪くも権勢をもって光輪を輝かせてた。けど神道国家の道を明治政府が決めてお寺さん大打撃。土地を奪われ境内を狭められたばかりか暴徒によって仏像を壊されもした。

 だから、神勝寺の境内を歩いてるとその圧倒的広がりに、明治以前の寺の景観を思わずにいられなかった。郷愁としての明治以前をすこ~し味わった気分がわいた。

 

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                     寺務所「松堂」

 藤森照信が創った寺務所をはじめて直に眼にする。

 写真で見たよりはるかに、インパクトが高い。

 絶対的に新しくはない。新しくはないけど斬新だ。いささか矛盾する言い方だけど、佇まいの落ち着きに常に新鮮な風があたってる……、という感触があって、その感触がいつまでも消えそうでないという処から斬新という一語が明滅し続ける。

 

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 藤森照信作品は、屋根の上に木を植えて、住まいと自然を一体化させるのを特徴とするけど、この神勝寺でもそれが味わえる。

 植生したことで、いわば家が呼吸をしているんだ。

 銅葺き屋根に赤松を植えてるのは、神勝寺界隈に赤松林が多々あるかららしい。地域の自然形態を住まいに取り入れたというコトらしい。

 樹木は育つものだから当然に赤松の根も太く長くなっていくはず……。そこを思うと30年、50年先のこの寺務所がどのように木に覆いつくされるか、あるいは、そうはならずか……、興味深い。

 

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  アンコールワットの石の家屋はガジュマルの木が強靭にからんで蚕食にかかって浸透し、放置すれば200年先には人造は自然に駆逐されるであろう様相を見せているけど、その実証実験の先端を藤森作品には見るようで、お・も・し・ろ・い。

 ただこの神勝寺の家屋では屋根と樹木を明快に分けての造りのようで、必ずしも一体化してるという次第ではないようだ。

 けど……、家屋もまた自然に呑まれゆくものとの想定でこれが創られたとは思いたい。

 そうであるなら、ボクがいささか好感ぎみの宇宙的な醒めた眼差し、ユーゴーの小説『レ・ミゼラブル』的なものじゃない嗚呼無情な境地を体現の寺務所というコトになるだろう。家屋の風化という現象は衰退を意味するだけじゃ~ないとも、考えたいワケなのだ。

 

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※ ガジュマルは沖縄地方での名で、”カラマル”という意味合いらしい。さすがに赤松ではアンコールワットほどのコトにはならいけど根は浸透してくるはず。上写真は判りにくいでしょうが、寺務所屋根のテッペンに赤松があり、メンテナンス用の階段がしつらえられている。

 

 神勝寺はとにかく面積広大。岡山後楽園よりはるかに広い。高低差もバツグン。

 入口そばの寺務所・松堂で、

「境内最奥の荘厳堂まで徒歩15分です~」

 と聴いて、ヤヤあきれた。

 その境内広庭に飛び石みたいに、川あり伽藍あり茶室ありミュージアムな家屋あり、さらに湯殿ありと……、全体を見て歩くだけで時間が過ぎてく。

 

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                荘厳堂の庭

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 食事もとれる。 

 ちょうど昼時だ。

 坂道途中にある五観堂という処で、水車を眺めつつ、神勝寺うどん、というのを食べる。

 3枚組の器「持鉢」と雲水箸が、ここが寺だと否応もなく意識させ、ある種の気分を造ってもくれる。きっとこの場合、お味がヨロシイとかマズッっとかではなく、御食事を頂けることへの感謝気分を昂ぶらせなきゃ~いけないのだろう。

 薬味のみでお揚げも天麩羅もついてない1000円を超えるうどんを啜った経験はほとんどないけど、気分は禅だ、禅行だ、ありがたく頂戴をする。

 

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 修行僧は食の作法では音をたてずが要めらしいけど、四十九日の日はうどんを食べておかわり自由の上に、啜って音をたてさせるのが肝心とのこと。

 そこの由来と加減がよく判らないけど、ま~イイや。

 それなりにズババッ……、音をたてさせる。

 

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       雲水箸がうまく使えず、つい中腰になって1本つかんでる我が良き友。

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       ご飯も出る。うどんツユでチャチャッと流し込みつつ、お椀を綺麗にしていく。

 修行僧の食の光景でお馴染みのタクワンでもって、椀を拭くようにし、残さず平らげる……、そのタクワンを自分土産に買った。

 賞味期限の記述がジツにNOW、

「ぁ、こう来るか」

 ってな感じ。

 

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 飽和したお腹を抱え、さらに境内を歩く。

 今年初めに出向いた曹源寺の凛とした深閑を思い出す。

 同じ臨済宗の禅寺。

 けども、かたや境内の立ち入りは可能なれど閉じて観光化を拒むカタチ、かたや開きに開いてアートを加え風呂も食事も提供で観光化の最前線というカタチ。

 この相違もおもしろい。

 どちらが正統とか正解とか、どちらが良いというものでもなく、両者はコインの表裏であって、しかもどっちが表でどっちが裏とかいうのでもない。つかの間の探訪者は、ただもう見せられるカタチの中で浮遊すれば、いいだけのこと。

 

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 アートパヴィリオン「洸庭」。見事なしつらえ。

 宗教のための家屋じゃない。家屋そのものがアートであり、そこで展開するアレコレもまたアートでござい……、の施設。三内丸山遺跡の、あの大きな集会所(?)を彷彿させられもしたが、近場まで足を運ぶと、これが通常な家屋でないコトが即座に判る。

 

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 ここでアーチスト・名和晃平の作品を見る。というか体験をする。

 2重トビラの厳重な灯火管制。客席数1階部分2階部分あわせて僅か24席ほど。

 ミニ懐中電灯を渡され、案内されるままに館内に入り着座。

 完全な闇の溶出。

 やがておぼろな音とおぼろな光が登場し、眼前いっぱいに水面があるのが判ってくる。床上式のこの建物の中は水で満たされているワケだ。

 その水面に光が反映し、あわく踊り、ゆるやかに溶け、カタチのない形としての、水と闇と光が織りなす瞑想的時間に誘われる。

 これは例えば、ピンクフロイドの『エコーズ』あたりを聴く感覚に近いとも思うけど、歌詞があるワケはなく、カタチは最初から最後までその輪郭を顕わにせずで、固定イメージは与えられない。イメージを紡ぐのは観客の個々であって、だから一緒に眺めていても、たぶん、個々は違う情感を萌させたに違いない。

 なかなか面白い体験だった。

 

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              案内してくれた方

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                 筋肉痛になる前のワタシ

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荘厳堂のなが〜い階段。晴れていたら緑の向こうに四国が見えるというが、この階段で筋肉痛うまれる。

 

 夕刻。車で送られ、福山駅に。

 で、さよなら福山かといえばそうでない。

 駅前の「自由軒」にゴ~。

 

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 かつて出向いたさいはお休みで残念だったけど、こたびやっと入店。

 禁酒のお寺さんのカタキをとると云わんばかりにビールをグッパ~。

 3年ほど前、ジャズフェスの良きお仲間たちがここを訪ねたさいには、たまたま『孤独のグルメ』の原作者が取材中で、楽しげな記念写真をもらってチビっと悔しかったりもした。

 

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           久住さんとK.O君のツーショット

 

 そのカタキもとるぞと、淡白なもの、脂っぽいもの、炙ったもの、煮たもの、焼いたもの、アレにコレにと注文しては平らげる。

 お値段リーズナブル~な青色明朗会計もありがたい。

 寺の静かさと、この楽しい喧騒めいた繁華な「自由軒」との対比が、この日一番の収穫。

 

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