令和の初日

 一昨日、祭日の柳川交差点界隈。

たま大明神」が設置されたテラス真下空間での初めてのイベント。我が眼で見る平成ファイナルのライブシーン。

 

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 ステージのトリとして登場の、我が良き友の歌声が清々しい。

 馴染んだ声に淡くなりつつも、けども雨の粒。おまけにズイブン肌寒い。

 この4月は、ボクが出向くイベントことごとく、前日も晴れ翌日も晴れるクセに……、当日オンリ~雨ダスた。

 

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 ライブ後、傘さして喫茶ダンケに移動。Kちゃん・Eっちゃん ☆ かしましシスターズと遭遇。ダンケ周辺でシスターズとなんだかよく遭遇するのは、天の采配? 御縁というものか。

 Kちゃんよりチョイと嬉しいギフトをもらう。

 

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 今日、令和の初日。

 平成天皇には、「おつかれさまでした」と申し上げ、ゆっくりとお過ごしあれと願うばかり。

 まだ若かりし頃、昭和天皇の代理として初めて沖縄に出向いたさい、眼前で火炎瓶を投げつけられもし1975年の糸満市ひめゆりの塔にて。投げようとした本人が転んでしまいオ~ゴトにならなかったけど、非常に危険な状況だった)、慰霊式典だったか何かの席にて汗にまみれ、スーツのYシャツをぐっしょり濡らされて緊張されている姿などが記録映像に残っているけど、おそらくその頃よりご自身の立ち位置を強く意識されたであろうと思う。

 そういうコトのイチイチを直かに発言出来ないという不自由さの中での今日までのお努めに、ただ感謝と慰労を申し上げたい。

 天皇交代を政治利用している政権の無暗な厚顔っぷりと比べても詮ないけど、そこの無念も押し殺さねばならない立場に強く御同情申し上げたい。令和の政治的運転っぷりの危なっかしさを一番に不安視されてらっしゃるのは平成天皇その人だろう、とも思える。

 改元は大きな出来事じゃあるけど、かといって騒ぎすぎ。

 思考停止な躁状態でただ令和の2字を追ったり、いきなり平成を回顧して社会の景観が変わったという風な気分は、ヨロシクない。

 社長交代で社名も変わりましたということで浮かれたりしないのと同様、静粛に受けとめ、皇室は自分にとって何だろうと真面目に思い返した方がいい。新旧の天皇もそうお思いじゃなかろうか? 

 

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 先日、とある会合の後の二次会にて、「タケノコの醤油バターいため」を食べる。

 これは初めて。

 湯がきしたものをお味噌とかで食べるというパターンに親しんできたけど、湯でアク抜きした後にやや厚切りにしてバターでいためるというのは未経験。見た目もタケノコを感じず、口にいれて初めて、アッ! なのだった。

 淡麗ではあるけど味幅がなかったタケノコめが、ふいに妖艶な別嬪さんに変じたようで、

「そっか~、この手があったか」

 風味の濃厚に、とても感心、かつ歓心したのだった。

 さらにワサビなりカラシをくわえたら、きっといっそう美味くなるに違いない。創意と工夫をこらせばタケノコ味覚も拡大するのだと、いささか嬉しくもあったし、タケノコ調理を規定化してしまってたと反省もチラリ。

 クックパッドなんぞで、調理法を知ることは出来るけど、日常そういうのは見ないし、考えてもいなかったから、良い意味で不意打ちをくらったようなアンバイ。タケノコを単独でフライパンに入れるという発想もボクにはなかったし。これは平成最後の2重マル。ミシュランっぽく書けば星5つ、☆☆☆☆☆

 

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              若鶏だかのお料理かと思ってしまった


 さてと、ありそうでないのが「重箱」の専門書。

 重箱というのはお祝いやら行楽弁当やらおせち料理容器としての、あの重ねた箱だけど、これに特化した本が、ない。食べ物の本の中に登場はしても、そのヒストリー詳細を記す本がない。

 ちょっとしたワケありで重箱のことを知りたくて、それで江戸時代や明治の頃の食べ物事情やら「しきたり」を書いた本を何冊か物色、探ってる。

 こういう探索は面白いけれど、ハズレ確率も大きく徒労多しで、な・ん・ぎ。

 文字通りに、重箱のスミをさぐる——、という次第が可笑しくもあるけど、知って、とある考察にそれを用立てるというコトにならないのが、な・ん・ぎ。

 といって、資料が出てこないままに想像ふくらませ過ぎで結論を導いちゃ、いわゆる捏造が生じてきもするから要注意。

 面倒だけど、コツコツ探すしかないな、こういうのは。

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 ちなみに重箱というのは、4段重ねがイチバンに上等らしい。ただ(四)の字が(死)と同音だから、それを「与の重」と言い換える。この辺りがいかにも言霊の国の心の佇まい。

 赤飯が入り鯛が入るのも縁起ゆえにの、心の佇まい。

 言霊も縁起もほとんど信仰レベルというか、無自覚な信仰そのものとして定着してるのは面白い。

 その傾向はたぶんさらに深化するだろう。ITだのAIだのの進捗と裏腹に、知足のバランス取りみたいに、いっそ迷信的迷妄の領域は拡大するだろう、とボクは予測してるけど、小さな箱にいっさいを収めて隔絶させる点はガラパゴスな島内そのものに見えるし、けどもそこに味が凝集され結露しているという点での豪奢の底深さという醍醐味もまた面白く、重箱には日本というカタチそのものが凝縮しているような気がしないでもない。

 いっそ、すこぶる良性な感性の熱量を感じるくらいに、重箱って、大事なポイントをついた存在じゃ~なかろうかと思ったりしている……、令和の初日。

 

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  根来塗呉須絵多角重箱(2段) ねごろぬり ごすえ たかくじゅうばこ、と読む。八角形だ。