百花繚乱 2019

 

 小庭の緑が濃くなり、鮮やかさに輪がかかり、花も満開。賑やかな饗宴にざわめいている。

 連休辺りで賑わいに速度がついた。むろん草花に連休はなかったし令和の慶事も関係なし。

 元号変更は実体として何かがリセットされたワケじゃないけど、季節の変わりは巨大でトータルなリセット。日差しと地温上昇を鋭敏に感じ取って植物たちは、ただもう我先にと背筋を伸ばすことに励んでる。

 

f:id:yoshibey0219:20190510194738j:plain


 こういう活き活きを眺めると、ヒトのおろかしい行為の連打をチョイ忘れ、親和させられ、

「ガンバッて頂戴ねぇ」

 ちびっと眼を細める。

 やがて酷暑な季節になると、ジリジリ日差しに焼かれ、庭先に出るのもイヤな感じになるけれど、このシーズンはおだやかな気分でユッタリ漂う煙みたいに眺めていられる。有り難い。

 

f:id:yoshibey0219:20190510194807j:plain


 豆はプリプリ肥え、イチゴは赤く色づいて、でも収穫前に小さな虫どもが齧ったり穴開けたりで、これはいささか哀しいけども色の鮮烈が好ましい。

 

f:id:yoshibey0219:20190510194832j:plain


 ベニカナメモチの紅い葉が茶色く変色して盛大に落ち、緑の新葉に変わる時でもあるから、落ち穂拾いをしなくっちゃ~いけないのが面倒といえば面倒じゃあるけど、マイ・マザーをお風呂に入れたりの腰屈めの介護の面倒に比べりゃラク~なもんだ。

 ただ、庭池に張ったネットにからんだ葉は面倒なり。あんがい頑迷かつ頑強に抵抗するんで1枚1枚取り除くことになる……、だから概ねは放っておき、宙に浮いた風情をば無理して楽しみに変える。

 

f:id:yoshibey0219:20190510194905j:plain


 界隈のランドマークの1つだったけど数年前の台風で倒壊して昇天してしまった棕櫚の、その根本部分は折れたままに放置しているが、今はそれにツタがからんで惨禍後の形骸を覆い隠し、ちょっとナウシカの世界を想ったりする。

 その傍らで2代目の棕櫚が葉を広げ、長期的展望でもって育ってやろうとの意思表示をチラリ見せている。頼もしい。

 

f:id:yoshibey0219:20190510194933j:plain

f:id:yoshibey0219:20190510195012j:plain


 一画の繚乱。ポール・スミザー風のナチュラルを意図したものでなく、若干は間引いたものの、ここ数年に植えたのや、鳥の糞だかに混ざって着床した植物のアレコレが芽吹いて共存した結果が一種の調和をもたらしている。

 いや、正しくはやはり混乱なのじゃあろうけど、花々の色彩と形が混乱を突き抜けての調和したハーモニーを見せているという感じかしら……。名を掌握していない花もあって、お・も・し・ろ・い。

 

f:id:yoshibey0219:20190510194702j:plain


 スミザーの云う通り、造りこまなくとも植物たちは勝手に育つ。もちろん、そこではある種の力関係もあり、根張りが早くて吸水力の高いヤツが成長もまた早いのじゃあろうけど、見た目の繚乱が眩い。

 蝶もやって来るんで平穏うららかなりという感じも醸され、これまた眼を細める。

 イタリアの小さな村にでも生まれ育ってりゃ、そこのユッタリ時間をうまく身体と心に沁ませた感性でもって庭先に椅子とテーブルを引き出して、午後の日差しと花々をワイン呑みつつ愉しむというコトになるのかもしれないけど、いかんせん、せわしない国に生まれ育った感性とすぐそばの道路からの人の視線も気になるし、いまだワイン瓶を持ち出したことはない。

 いや、飲みたいとは常々に想っちゃ~いるのだけど、そうするとどこかスノッブなエセっぽい匂いがたつ人物に見られるような気もして、実現にいたらない。

 いっそ生垣をより高くし、より繁茂させて道路からの視線を遮ってしまえば、とも思わないでもないけど、さてそうすると今度はどこかぁ~偏屈狭量な花いじりジジイになるようでもあり、

鎖国するワケでね~しなぁ」

 やはり実現にいたらない。

 庭をいじるというのは、自意識もまたいじられるというワケでござんショー。

 それに、ここはイタリアの小さな村じゃない。真似たって意味はない。JAPAN、OKAYAMA、という固有拡張子がついた地域での、のどかなイットキを味わうっきゃ~ない。