雷神蕎麦 -亜公園の屋台-

 コロナ・ウィルスに侵食されて以来、ナンギを背負わされている飲食店を思わないではいられない。ブレ続ける政策に翻弄されっぱなしが、不憫。

 誰もが今なにかにしがみつきたい気分だけど、政治指導者にスガれないのが、痛々しい。

 昨年1月15〜16日が日本での感染スタートだから、今、ちょうど1年。気兼ねなく、躊躇もなく飲食店で食べて笑顔しちゃえる日は、さて、いつになるやら……。

  

 年明けて、ペーパーモデルを1つ、創った。

 明治の亜公園での「食の光景」を再現してもヨロシイなと思い起こし、それで作図し、工作したというワケだ。

 創ったのは、担ぎ屋台。

 蕎麦の店。

 うどんも商うというカタチも有りだけど、あえて、蕎麦専門で、お酒も扱うと想定。

 

f:id:yoshibey0219:20210110201356j:plain

 

 亜公園内に屋台が出ていた、という資料は今のところ、ない。

 しかしながら、あってもおかしくないと常々考えてた。

 お江戸の時代から続く「屋台文化」は明治になっていっそう闊達になっている。

 神社などでの祭事同様、賑わい創成の1つとして、期間限定、初春や秋なんぞには、屋台はほぼ確実に登場したろうと思っている。

 

f:id:yoshibey0219:20210111040504j:plain

                 亜公園・集成閣の手前にての想像復元……

 

 なので創作だ。史実に基づかない。

 が、それもいいのだ。

 創作するコトで史実に近寄れるとも思ってるから。

 ただ、この場合とて、「歴史を都合よく解釈しちゃう」のは、いけない。

 軸足は常に実証主義におく。

 

 この屋台は「雷神蕎麦」という。

 菅原道真を念頭に置いた亜公園の、そのテーマ・パークとしての方向性を他店同様に、名に適用した。

 亜公園内小庭園付近で営業という形態だ。

 

f:id:yoshibey0219:20210112180653j:plain

 

 当時の屋台は、資料があるようでアンガイと少ないが、概ねでカタチは決まってる。

 基礎のフォーマットは江戸時代に固まり、そのバリエーションが多岐に渡って明治に続いてる。

 

f:id:yoshibey0219:20210110200127j:plain


 イザベラ・バードが明治11年に描いた屋台。1軒の店がニンゲンの肩に乗って移動するんだからイザベラさんはビックラこいたろう。彼女の描写は驚くほどに克明。1級資料といってよい。

 

f:id:yoshibey0219:20210110200256j:plain

 

 同じく1級資料。エドワード・S・モースが明治15年頃に撮影した屋台。屋根のないカタチだが、なかなかに凝った造りでらっしゃる。わけても「義経」の看板部分は秀逸。五条の橋での弁慶との遭遇らしきが描かれた絵がその上にあって、イメージ作りがこまかい。貝塚の発見で高名なモース先生は、こんな所にも着目していて、さ・す・が。

 奇しくもイザベラさんが描いたと同様、この屋台でも引き出し1つを開け2つの塔屋に板を渡してる。作業効率のアップというか、システム化された形状がここに垣間見える。

 両店ともに風鈴を吊っている。かけ蕎麦だけの「夜鷹そば」のチープな店じゃなく、オアゲとかの具をのっける店ですよ~、という江戸時代以来の屋台シンボルだ。

 

    

         f:id:yoshibey0219:20210112052929j:plain

              江戸時代の書籍の挿絵

f:id:yoshibey0219:20210111185126j:plain

 絵草紙「忠臣蔵前世幕無(ちゅうしんぐらぜんぜのまくなし)」の挿絵。右に担ぎ屋台。やはり風鈴が描き込まれている。中央は甘酒売り。

 

 担ぎ屋台の床面積は、概ねで畳一枚ほどのサイズ。

 高さは2メートルあるかないか。幅は人の肩幅程度。

 まことにコンパクトながら、1軒の店なんだから素晴らしい。

 しかも移動が前提だ。

 たぶん、世界に類例なきな独立移動小店舗の白眉、日本が大いに誇っていいカタチだ。なのでイザベラさんもモースさんも、そこに眼を向けたワケなのだ。

 

f:id:yoshibey0219:20210107224540j:plain

               指の先ほどの小さな小物たち……
 

 創るにあたり、チョイっと調べた。

 一杯の蕎麦は二八の16文が江戸時代後期の相場。

 明治4年に通貨は円になるけど同年で5厘。

 亜公園が出来る明治中頃では1銭〜1銭5厘くらい。今でいえば、200〜250円くらいか……

 一日に50杯売れたら、250×5012500円。

 当時、大工の日当が安くて10000(今の換算ね)くらい、野菜の行商が50008000円くらいらしいから、客次第で屋台は高収入になる。

 そこで亜公園の中という限定された場所を想定すると、当然に娯楽施設なのだから人は多い。当時の岡山市内で一番の繁華地だ。

 昼食時、夕食時。ピーク2つを思えば、はたして50杯だけか? ヘタすると100杯を越える可能性がある。

 蕎麦の玉もその分用意しなきゃ〜いかん。

 さ~、そうなると、小さな屋台に100玉もの蕎麦を収納出来るのか? という問題が出てくる。

 

f:id:yoshibey0219:20210107194216j:plain

 それで……、当時の概ねの屋台よりは備品数が多い店というカタチを考え、さらには、この店のオーナーは、亜公園近くの上之町だか石関町だか弓之町あたりに住まい、夜に蕎麦を捏ね、打ち、刻み、翌日営業分の100玉を越える数を揃えている……、というような生活スタイルも考えた。

 仕込みはあくまで自宅でだ。

 

 明治26年刊の職業一覧『岡山鏡』によれば、うどんと蕎麦を扱っている方が1名、中之町にいる。「煮売屋」の欄には亜公園近隣として、上之町・中之町・下之町で5名(あるいは5軒)、石関町で3名、弓之町には10名(10軒)が記載されている。通常、屋台は煮売に分類される。

 この資料から、その内の誰かが「雷神蕎麦」をやっている……、と設定した。

(弓之町に煮売屋が多いのは県庁のすぐそばだからだ。庁舎勤務者の昼食需要が大きい)

 

 亜公園オーナー片山儀太郎との契約で、店は毎日撤去せずともよく、園内のどこか雨のあたらない家屋そばに撤収するのみであるなら、これは随分に助かる。仕込んだ蕎麦とツユ、酒、炭なんぞを営業前に運び込むだけてオッケ~という次第だ。

 なので、この「雷神蕎麦」には、2つ、煮鍋を装備させてみた。

 

f:id:yoshibey0219:20210110010129j:plain

   f:id:yoshibey0219:20210108080758j:plain

          下段が炭箱。2段目は穴があいていて鍋をセットする。


 通常、このカタチでの屋台は、煮炊きの炭箱(火鉢)は1つっきりなんだけど、あえてツイン仕様だ。

 1つで蕎麦を湯がき、1つで蕎麦つゆや燗酒を温っためるという、ゴ~ジャスかつファーストフードの本領発揮の先進スタイル……

 ま~、その分、せわしないはずだけど、せわしなさはそのまま収入だ。

 という次第で、一般的屋台より備品が多い。

 

f:id:yoshibey0219:20210111040758j:plain


 蕎麦などを収納する引き出し箱は、屋台とは別個にあるというカタチ……

 資料がないので決定的とはいえないけど、当時の屋台にほぼなかったと思われる丼の簡易洗浄用の桶もある。(当時は使用後に布巾で拭う程度だったと思われる)

 

 ま~ま~、ともあれ、亜公園内で営業していたという想像の元での「雷神蕎麦」。

 基本形は深川江戸資料館にある原寸復元の「風鈴蕎麦」を踏襲。4段棚を5棚に変えたり、若干のアレンジをくわえた。

 

      f:id:yoshibey0219:20210110202304j:plain

             浮世絵。落合芳幾画『江戸砂子々供遊』


 市松模様の障子や屋根(紙だよ)。これは江戸時代の中頃、初代佐野川市松(さのがわいちまつ 17221762中村座での歌舞伎「心中万年草」で着けた白と黒のチェッカー文様の袴がスタートだ。

 それまでにない斬新だったんで、たちまちブームになった。江戸のブームは流行通信としての浮世絵に描かれ、たちまち日本中、チェッカーチェッカーに、なっちゃった。

 着物の図柄やら、屋台の障子やらやら……。

 

                                   f:id:yoshibey0219:20210111194033j:plain

               石川豊信描くチェッカーな帯

 

f:id:yoshibey0219:20210110200813j:plain

 

 この流行でもって「市松模様」といわれるワケだが、「雷神蕎麦」もそれをそっくり踏襲だ。明治の屋台ゆえ、チェッカー障子はやや復古調という次第……

 

f:id:yoshibey0219:20210111195101j:plain

 看板部分はロウソクが灯されてたはずだから、LEDの「ゆらぎ灯」でも入れたら良かったか……

 

             f:id:yoshibey0219:20210110200507j:plain


 上は歌川国貞17861865が描いた浮世絵「當穐八幡祭(できあきやわたまつり)(太田美術館蔵)。

 この屋根も紙製チェッカーだ。雨天では営業する気がないらしい。ま~、このあたり、実に江戸っ子らしい気風が知れ、好感。

 (唐傘のように油紙を使ってるなら、濡れてもオッケ〜だな)

 ちなみに、「二八そば」の文字下のグニャグニャした部分は、

「うんとん」

 と、読む。当時はうどんをそう書いた。この店は蕎麦とうどん両方扱ってるワケね。

 

 で、店のおやじ。

 国貞描いた重ね着とポーズをそのまま模倣。(完全立体じゃないけど5つのパーツで構成し、折り曲げ加工なんぞで立体にみせている。眼鏡のみ2021年仕様)

 

      f:id:yoshibey0219:20210110222335j:plain

 

 と、ま~、こんな次第での蕎麦屋台。工作しつつ、燃えてる炭のままに移動したのかしら? 湯をきったり丼洗ったりでけっこう地面が濡れるだろな? 障子も熱や湯気で傷みが早いか? 食べ残しの場合どうするんだ? あれこれ現実のコトとして空想しちゃったりもしてけっこう……、学習しちゃいましたよ。

 もっとも、これを担ぎたいとは思わない。重さに耐えかね5メートルも歩めないと確実にいえる軟弱ひ弱、空想の中の「雷神蕎麦」のオヤジの肩と足腰の屈強にただもう羨望するだけなのだった。

 

 f:id:yoshibey0219:20210108172816j:plain

    

   f:id:yoshibey0219:20210114123219j:plain

 「雷神蕎麦」模型フルセット。屋台部全高18㎝。手前の桶たちは食器洗いの簡易セットのつまり……。

 

新年10日め

 3日前、高齢の親族1人が没してしまった。

 コロナウィルスとは関係なく、心筋梗塞。おそらくは温度差によるものだったろう。

 残念このうえない次第ながら、葬儀に出られない……。

 多数の集いは今は回避しなきゃいけない。出向きたい気は強靱ながらウィルス蔓延はなはだしいから、行くに行けず、なので葬儀はごくごく近親者のみで執り行うという次第。

 

 葬儀社や仕出し屋さんや花屋さんなどなど……、葬儀に伴うアレコレには、思えばけっこうな人がたずさわる。

 仕出し屋で例えるなら、50名前後の宴席1つがなくなったワケで、ダメージはでかい。

 葬式という不幸の上にさらなる不幸が重なるみたいなもんで、なるほど、経済への影響がこんな所にも顔を出している。

 エドガー・アラン・ポーは『赤い死の仮面』で、感染症からの回避を模索して城に閉じこもった人々が、束の間の安穏の中でパーティーを催し、その賑わいのさなかに、発病者が出てジ・エンド、という次第を描いてまことに秀逸、まことに怖かったけど、さすがに経済への言及まではやってない。

 

 結局こたびは、親族同士で電話で連絡しあい、香典の額やら電報の件など、可能な限りの気持ちを遺族に伝えるという事しか出来なく、まこと心残り……。

 しかたないが、しかたない

 言葉遊びめいたガックリ気分を味わうしか、何も出来ない。

 こちらとて、こたび没した方とほぼ同年齢のマザーを抱えた身。1つの覚悟のみが徐々に輪郭線を濃くしてく……。

 

 なくなった親族は、とある地域では誰もが知る呉服商を営み、かつては店の2階で琴の教室なんぞもやって、和のテーストを地域に広めてたようだけど、はるか後年、当方がジャズフェスの運営に関わるようになって、その仲間のKusano君と雑談してるさなか、

「うちのおふくろ、昔、琴の教室に通ってましたよ~ん」

 というハナシになって、

「えっ? どこの?」

「○○○○のY呉服店ですがっ」

 思わぬ接近遭遇、人と人のつながりの妙味を知らされ、互いに、

「へっ?」

「ええ~っ!」

 楽しい思いになったコトがあるけど、こたびのウィルス騒動はそんな人同士のつながりまでを揺さぶってくれる……。

 

 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––

 

 Kちゃんのメールで、福本清三さんがこの元旦に亡くなったのを知る。『ラスト サムライ』のボブだ。

 我が親族といいボブといい……、良き武者が去っていくのは淋しい。

 

 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––

 

 毎年の今ごろはK夫妻との新年茶話会をやり、マジな話、バカな話、アレコレ喋って1年の基点、ここよりスタートだぁ! と決めてるけど、こたびはそうもいかずで中止だ。

 けども昨日、こっそり車でやって来たK氏は、郵便受けに、毎年恒例のオリジナルの「星のカレンダー」を置いてくれてた。

 彼は大型望遠鏡で星を追う人、クールなナイスガイ。

「ぁぁ、なんて素晴らしいお年玉ッ」

 サンキュ~サンキュ~と、夜になってモシモシし、しばし、あれこれ電話歓談。

 笑い声や 心地よし

 

 

 

新年5日め

 年が明けて早や数日。

 昨日。

 朝日新聞が、面白いニュースを報じてた。

 光秀本人は信長攻めに参加しておらず、8㎞ほど後方の鳥羽京都市南部)でもって戦果朗報を待っていたという新たな事実が古文書から出てきた……、という次第だ。

 ま~、かねてよりその説はあったものの、光秀のそばにいる上級家臣の家から、事をしたためた文章が出てきたというんだから、これ、かなり信憑性が高い。

 

 なんで今ごろ、この時期に、そんなニュースがニュースとして記事になったのか、そこは不可思議な感がなくもないけど、ともあれ本当なら、幾つかの定説がひっくり変えるんで、ま~ま~、そこが、

「へ~!」

 ってな感慨を沸き上がらせる。

 

  f:id:yoshibey0219:20210104035716j:plain

 

 ボクちゃんが主張してきた事がこれでアジャパ~になっちまったぁ、とうな垂れるセンセもいるこっちゃろうし、逆に発奮、そんなこたぁ~ない、その文献こそ怪しいや、と吠え出すセンセもいるかもしれない。

 ともあれ、盛大に声を発するがいい。異論反論もまた建築的で面白いし、そうでなくっちゃ~いけねっ。

 信長が早朝に不意打ちされてやられちゃった事実は事実としてあるワケで、そこへのロードマップがガラリと変わるかもしれずで……、興味深い。兵の数が数万でなく、2千人余りというのも頷ける。

 

 閻魔大王的な巨大な存在を討ち取るべく、しかし光秀本人は本能寺に行かずというのは、どんな心境だったろう?

 不安の焦燥に駆られるまま、「朗報はまだか? それともアカンかったかっ」ヤキモキして落ち着かなかったであろう事は想像できるし、明智家トップとしてオタオタしちゃ~いけねぇ、じっと堪えて不動の姿勢で座してなきゃ~とガンバッたかも知れないし、54歳の彼の悶々はどんなもんだったかしら。

「撃ちてし止まん」

 と念じているものの、心の隅っこじゃ~、

「バカなこと、しちまったかなぁ」

 ブレの振幅が次第に大きくなっていってたかもしれないし。

 

 ま~ま~、ともあれ、決断と実行と確実についてくる結果

 自身の軍団を派遣させている頃合い、光秀の顔はずっと青ざめていたには違いない。

 で、「やりましたぁ!」の第一報が届いたさいには、心脈数があがって、顔がにわかに上気もしたろう。

 が、次の瞬間には、事象の巨大さに、また蒼白っぽい顔に戻ってこわばってたんじゃなかろうか。その先に敗北があるとは思ってはいないものの、逆に血が冷えるような感じではなかったか?

 なかなか刺激的な朝日新聞のニュースではありんした、な。

 

 たぶん、今年もまた、アレコレと刺激に満ちたニュースが届くんだろうねっ。

 で、ビックリしたり怒ったり湿ったり……、の1年が続くんだろねぇ。

 まっ、そんなもんだ。

 我ら川面を流れ翻弄されるばっかりの、木の葉って~感じかいね。

 けど、流されつつもアチャラコチャラの景観はしっかり眺めまっせぇ、ってね。

 

 

 

さいなら2020

 

 妙なアンバイの年末年始。

 とはいえ、まいとし、三箇日は基本としてどこにも行かずなので、べつだん困らない。

 普段は自室ベッドで食事しているマイ・マザ~をば別室にいざない、3日間は共に食事というのを繰り返してるだけなんで、騒動の影響は薄い。

 元旦夕刻か2日め夕刻になると弟夫妻とその子供たち全部で7人が、ハイホ~ヘイホ~ ♫ とやって来て、老いたるマザ~は孫来訪で大いに喜び庭駆け廻りはしないけど、顔をほころばす。

 ま~、さすがにこの正月、一気に7名ご来訪は、マザ~の年齢を思うと1粒のウィルスがもたらす危なっかしさを意識しないワケでなく、

「弟よ、来るなら、分散でなっ」

 言明してるから、騒動の影響がゼロというワケでもない。

 (1粒で感染するものなら……、分散とて、さほど意味ないけどねっ)

 

 ともあれ、慌てようが騒ごうがうずくまっていようが、否が応でも2020は終わる。

 個々人であれ国歌であれ争ってばかりでヤッカイな生き物が我々だけど、「ゆくとし・くるとし」だけは皆~んな受け入れて共通共同。

 ワタシの家は、2021は迎えません

 とか、

 ワタシ達の国は、2020に踏みとどまります

 という反抗も英断もベラボ~も、まったくないんだから、思えばこの一点、ちょっと不思議な感じがしなくもない。

 呼吸が欠かせないように、年が変わるのもまた要め、欠かせないんだねぇ。

「せ~の~!」

 のかけ声いっせい全国津々浦々で、2021迎撃バリケード封鎖って~コト、安物のSF映画にもないもんねぇ。

 

f:id:yoshibey0219:20201229081343j:plain

 

 ま~、理屈はともあれ、こちら、年明ければ元旦早朝から熱燗、だぁ。

 小さな行為だけど、デッカイ、た・の・し・み。

 チョコっとした杯は小さいけんど我がハイにゃ、大きなキックいっぱ~つ。

 小原の庄助さんは朝寝朝酒朝湯をくりかえし、そ~れで寝床つ~ぶしたぁワケだけど、こちらあくまで3日限定。

 庄助さんに較べ、けっこ~自己管理しちゃってるというか、小心者というか、ま~ま~、されど、

「新年いらっしゃ~い」

 祝宴としての熱燗とっくり、チャカポコちゃかぽこで、次いでカマボコ入った雑煮だよ~。

 

f:id:yoshibey0219:20201229081309j:plain


 準備万端。新年はウィルス騒動がさらにエライことになる予感があるけど、せめて3日間、何ぁ~んもかも忘れ、大停滞しましちゃお。

 

   –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––

 

2020年 - バッドなハイライト 

  コロナ禍- 某ミュージアムでの展示縮小と講演の中止

  コロナ禍- ジャズフェスの中止

  コロナ禍- 某社の新企画案の頓挫

  コロナ禍- 同窓会や新年会を含めアレコレなイベント中止の連打

  MINIの冷却装置部分のシャフト破損という希有な珍事

   おまけに、ウィルス騒動で物流混乱の英国からいまだパーツが届かず……

  春、夏、秋……、同じ本を3回もAmazonに注文しちまったこと

  工作道具と模型でテンコ盛りになってる複数の部屋を2020もまた、整理整頓できなかったこと

 

    –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––

 

2020年 - グッドなハイライト

   マック環境更新とその後の快適(ま~、逆に不便になった点もあるけど)

  山陽放送新館-能楽堂での講演とその後の諸々

  図書館で稀覯本扱いの某書を某氏より贈られたこと

  大事な人の手術の成功と復帰

  あと幾つか諸々。それら点みたいな小さな良き粒々を線でつないでくと、なカタチにならんかなぁ

 

   –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––

 

2020年に観たイチバンの映像

   1980年代前半のものか……。ドラムのハナ肇を筆頭に超越エンターテインメントもすごいけど、ベースの犬塚弘松重豊にソックリなのも可笑しくて。いや、その逆、松重が似てるんだ(犬塚氏は90越えて存命。静岡の老人ホームみたいなところでお過ごしのようだけど引退してるワケじゃないのも素晴らしい) 

ともあれ「芸能」の深度極まるタモリクレージー・キャッツの凄み

 

 

   –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––

 

2021年期待のフィルム

    編集次第で『レット・イットビー』の暗鬱っぽい塩味にでも、甘みたっぷりにでも操作出来るというトコロを、確認したく

 


2021年8月27日(金)世界同時劇場公開!

 

クリスマスのトナカイ

 

 映画『かもめ食堂』には片桐はいり精肉店に立ち寄るシーンがあって、店主が彼女に勧めるのがトナカイのお肉だった、ね~。

 片桐扮したミドリさんは、おにぎりの具材として買う。

 フィンランドではジビエではなく、定番の肉として扱われているようで、チョイっとそそられる。 

 サンタクロース発祥の同国ではソリを引かせてプレゼントをお届けもするけど、そのお肉もしっかり食べちゃってるワケで、なかなか頼もしい。

 缶詰はごくあたりまえに売ってるらしいし、国内線の機内食では調理されたのが出てくるそうな。

 きっと美味いに違いないのだろうけど、食べたことは、ない。

 

f:id:yoshibey0219:20201223190230j:plain

                  映画『かもめ食堂』より

 

 北海道の幌延町、ほろのべ トナカイ観光牧場では限定販売物としてトナカイの缶詰があって、大和煮や味噌煮といった和風テーストになってるらしきだけど、3缶セットで1万円とのことで……、とても買えないわ。

 それに、せっかくのトナカイだも~ん、和のテーストじゃなくって、あちゃらっぽい味付けがいいなぁ……、などと買いもしないのに云っちゃ~いけないなッ。

 

 しかし顧みるに、トナカイという生き物を直に見た記憶が、ない。

 動物園で見たおぼえがない。

 ひょっとすると園内にいたかも知れないけれど、記憶に残らないような”展示物”でしかなかったんだろうか。

 逆に、ヤギがいたのはよくおぼえている。津山の動物園にいた。

 ヤギなんて、どこにでもいるような存在(昭和30〜40年代の話)だったので、わざわざ檻の中にいれてあるのが奇異だった。それで覚えてる。

 トナカイはヤギに較べて大きいし、オスもメスも立派なツノを頭上にかかげて、ヤギと較べようもなく目立つはずだし、幼少時にはアチャコチャ県外の動物園にも連れていかれてるけど、ともかく記憶にござんせん。

 すまんねトナカイ。

 

f:id:yoshibey0219:20201222073352j:plain

                  ネットで拾った画像……

 

 なのでこのクリスマス、

「味わわせてよ、トナカイのお肉300グラムほど」

 サンタクロースに願わなくもないのだ。

 けど、子供対応にせわしない老いたサンタが同年代らしき当方にお肉持って駆けてくるハズはなく、ま~、あきらるっきゃ~ない降誕祭の夜。

「肉は自分で買ぅたんさい」

 ちなみに英語のChristmas、あるいはX’masは、フィンランド語ではJoilu(ヨゥル)と云うんだって、昼でも。

 

f:id:yoshibey0219:20201223233931j:plain                   映画『かもめ食堂』より。

フィンランドイッタラ社(iittala)のブランド「ARABIA」のこのお皿(24h Avec)も、日本にイッタラの直営店ができたり通販で買えたりと、便利っちゃ〜ベンリになったにゃ〜。3000円ほどだよ。

f:id:yoshibey0219:20201222073427j:plain

         映画『かもめ食堂』より。満員御礼のお昼時。めでたしめでたし。

 

 こんなごく普通の光景までが今は歓迎されないわけで、さすがのサンタクロースとても、めでたしとはいかず、天をあおいで溜息か。

 サンタも苦労す……、万事休すなメリ〜クリスマス。

 おまけに、よりによってイブの夕刻に、「桜問題」のすっきりに遠い言質をプレゼントさせられたコチラとしては……、

「トナカイよ、今宵の仕事が終わったら、ABEンちの玄関先にウ●チしてけよ。嫌悪の証しとして300グラムほど」

 そう密かに願わなくも、ない。

 

   –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––

 

 暗いだけのクリスマスも何だ……。

 我がイブの夕げ。仲間の考平君手作りのワインをば頂戴す。

 

f:id:yoshibey0219:20201224204549j:plain

 20㎏ものブドウをば買い込んでの自家製。その1本。

 防腐剤も何も添加しない真のワイン。めちゃんこにふくよか、ブドウの美味み濃縮の煌めき。

 幸少なき1年にあって、この赤は2020年度イチバンの不羈(ふき)の澄明。

 ロマネ・コンティに価いする旨さとありがたさ、と称して良し。

 1本丸ごとイッキにたいらげて貯まった憂さをば緩和。

 

 

 

新聞取材


f:id:yoshibey0219:20201218035713j:plain

 

 雪印のこれ。なが~く「ロクピー」と思い、そうよんでた。

 けど正しくは、「ロッピー」だそうな。よ〜く見ると、丸いパッケージの側面にも小さな文字で、そう印刷されている。

 あらま~。

 しかも、『6P』は6つの断片としての「ピース」と思い込んでたけど、6分割の「ポーション」だという。

 そうなのかぁ、知らんかったなモ~。

 でも、いいや。

 いまさら改める気、なし。「ロクピー」と呼び続けても味に不具合なし。

 

       ––––––––––––––––––––○▃○––––––––––––––––––––––––

 

 過日また、山陽新聞社の取材。

『表町ものがたり 岡山学ふるさと再発見』という連載が朝刊ではじまり、その3回目のための取材。

 3回目は、新年早々に掲載予定だそうで……、尋ねられるままに明治時代のことをおしゃべりし、記者さんへの予備知識用にと知ってる範疇でさらに口を動かす。

 むろん、知らないことはしゃべれない。当然にハナシを創作してもいけない。

 埋もれつつある史実のみをピックアップ。

 

 明治は、江戸時代に比べて情報伝達も速く広範になり、感染症がどこかで出たとなれば、かなりの速度でニュースが伝わるようになっている。それゆえ逆に、怯えも深まった。

 赤痢コレラスペイン風邪が生活圏の傍らにうずくまり、ニンゲン社会をひっくり返そうと虎視眈々……、今よりはるかに危なかっしい時代でもあった。

 とはいえ、くじけちゃいられませんわいねぇ。

 

     ––––––––––––––––––––○▃○––––––––––––––––––––––––

 

 亜公園があった頃、現在のオランダ通りはストリートじゃなくって、お城の堀に面した土手だった。

 この内堀を「映像」としてイメージするのは、かなり難しい。

 

f:id:yoshibey0219:20201217190710j:plain


 現在の城下交差点付近はすべて水没。エクセルホテルも水の中。シンフォニーホールも半分水没で、強いていえば「水の都」っぽいビジュアルになる。

 なんせ、この内堀部分は城郭最大の規模、シンフォニー・ホールが丸ごと2つ入ってなおスペース有りという面積なんだから、想像が容易でない

 もちろん当時、桃太郎通りという大きな道もない。

 そんな巨大なお堀のすぐそばに、亜公園はあったわけだ。

 

f:id:yoshibey0219:20201217191055j:plain

 

 なので亜公園南端(現在のオリエント美術館との境界ふきん)から眺めりゃ、旭川と直結しただだっ広い水面が眼前に拡がっていて、そこにサギやら水鳥やらがピョ~ピョ~と飛んできたりするのが否応もなく見えるんだった。

 明治よりはるか昔の宇喜多家がここに城を置いた頃からのもの、城の守りとしてのお堀なんだから、でかく、広く、深い

 きっと、大きく育った亀やら鯉やら鰻やらが潜んでいたろう。

 立地とその流れを思うに、ここは汽水域にあたるので、ひょっとするとハゼやボラ(今でも後楽園付近にいたりする)、カレイやゲタもいたかもしれない。

 むろん、その向こうには城の石垣が幾重と連なって、幾何学っぽい面構成を見せている。水中の石垣にはモクズガニ(モズクガ二が通用しているけどコレまちがい)がたくさん生息していたろう。

 

 埋め立ては、亜公園が営業しているさなか、明治30年から42年にかけてだ。

 なんと12

 ずいぶん年数がかかってるのは、当時の岡山県の財政事情にもよろうけど、あまりの広大に土木工事が難航したというのが実情だったろう。

 重機はない。ひたすらの手作業。土砂を入れても入れても、一向に埋まらない。そも、敵の侵略を拒む装置としての堀なんだから人間が立って歩けるような浅いもんじゃ~ない。溺れる深さと幅がなきゃ、意味もない。

 作業従事者は、来る日も来る日も砂やら土を放り込んでは辟易した気分を募らせ、

「今日の作業終わったら、とりあえず、菅梅楼でイッパイやっか」

 憂さ晴らしに亜公園の料亭「菅梅楼」にしけ込み、芸妓を呼んで、唄わせ踊らせ、まだ物足りなくって、

「やってらんね~ ほ~れほれ♫」

 てめ~達で即興の唄を作っちゃ~、吠たえるように赤ら顔の口から声を絞り出していたかも……、しれないのだ。

 これはもちろん想像だ。確証はない。

 

f:id:yoshibey0219:20201212084607j:plain

亜公園南端にあった料亭「菅梅楼」の想像復元模型。3階の眺望室みたいな部屋からは水をたたえた内堀がよく見えたはず……

 

 以上のようなアンバイを経過して、今の城下(しろした)あたりの景観が出来ている。

 12年にわたる埋め立てで地域のカタチは激変した。

 かつて土手であった箇所は道になり、埋め立てられた場所は分譲され、やがて商店ミッシリ集合な所へと変じて大転換。

 はるか後年になってオランダ通りというストリートになる。

 楠本イネさんにとっては忌まわしい記憶の場所ゆえ、ほぼゼッタイ喜ばないはずだけど……、彼女が没したのは明治36年、埋め立てはまだ途上で、亜公園は営業中でもあった(翌37年に閉園)

   f:id:yoshibey0219:20201218063134j:plain

 

 上之町を含む表町筋の大店は、明治となって商売の基盤を失っている。販売先の池田家と城勤めの武家というのがいなくなったんだからアガッタリ。

武家はその対面を維持するために、盆暮れの贈り物、仲間内の祝儀、上司への配慮、部下への心遣い……、常に出費が収入を上回っているのが実情で表町筋の呉服屋や反物屋などなどへの未払いも多々あったようだ)

 やむなくも看板をおろし、地所を売って出てったり、家屋を小さく間仕切って、貸し出したりもした。

 そこへ新たな商売をはじめようと意気込む若者たちが入居してきて、表町筋も一変していく。

 御用達っぽい澄まし顔の商いは失せ、創意工夫ある若い人による若い町にと変わっていく。例えば笠岡方面からやって来た北村長太郎がそうだ。

 彼は細謹舎という本屋兼出版社を起業し、亜公園事業にも出版というカタチで参加していく。

(上之町、中之町、下之町、栄町など8町を総括りにした『表八ケ町』という名は、明治36年の亜公園での「誓文払いクジ引き会」で登場する)

 

                                 f:id:yoshibey0219:20201219083713j:plain

 細謹舎が亜公園内で販売した本。これを持って集成閣に登れば景観のほとんどを説明してくれる……、いわば観光ガイドのさきがけ本。国会図書館

 

 その転換時を生きてた方々(亜公園経営の片山儀太郎を含め)の、眼に映った情景、そのさいの気分……、なんぞをあらためて味わい知りたい、追体験したいと思ってるんだけど、さ~、さ~、そのあたりの我が気分を若い記者嬢にどこまで伝えられたかは、かなり……、心もとない。

 

 ともあれ年明けて、山陽新聞に、亜公園がらみの記事が載ってたら、

「あ、これだな」

 ニッカリ笑って眼をお通しください。

 

なんだかつまらなくもないが

 過日、飲食伴うごく小さな集い。

 4人までとか、5人までとか、こういうミニ・サイズなイベント出席にまで、気をつかい、気がねし、うしろめたい感触まで付録でくっついてくる現状の悶々……。

 一種の覚悟を含んだ自衛を個々人が常に意識しなきゃ~いけないのが口惜しや。

 

f:id:yoshibey0219:20201212195216j:plain

 

「はたらけどはたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る」

 

 啄木の『一握りの砂』のこの貧窮は、そのまま今のウィルス騒動で竦まざるをえないわたし達を指しているような感がしなくもない。わけても最前線の医師や看護師や介護職の人達。彼らもまた、ジッと手を見る、グッタリなり……、に違いない。

 いずれ騒動は過去形のものになろうけど、今はウィルスを追いやるどころか、こっちが、ホウキでタンスの隅に追いやられたチリみたいな気がしてくるのを……、ジッとこらえてるのが哀しや。

  

      ___________○△□_____________

 

  自分がほぼ昔人間に属してしまったぞ……、と思ってしまったのは、野口さん搭乗のクルードラゴンのコクピットやら彼らが着けた宇宙服なんぞを、ニュース映像で見たさいだな。

 宇宙船のコクピットというのは、スイッチやら警告灯やらの類いが、搭乗者の前や左右や天井にまで並んで、ランプが赤や青や黄に点滅したりしてるのが、「それっぽく」て良かったのだ。

 そのメカメカっとしたミッシリ凝縮が、なんだか複雑な宇宙船の操縦をそのまま暗示していて、それゆえ妙に落ち着くような感じすら、おぼえていたのだった。

 

  f:id:yoshibey0219:20201212044717j:plain
             スペースシャトルコクピット部分

 

 が、クルードラゴンのそれを見るに、およそ宇宙に出て行くとは思えぬ“軽快”さ。

 モニター兼タッチパネルのスクリーンが3つ、宙づりになったきり。アトラクションのシミュレーション装置みたい。

 そりゃもちろん、iPhoneだのiPadだので、やや面倒っぽいゲームなんぞも、指をうごかすだけでかなり自在に操作できるのを判っちゃいるけど……、宇宙船までがそのようなカタチになっているというのは……、どうも、感触として

「つまらんなぁ」

 なのだ。

 

f:id:yoshibey0219:20201207172748j:plain

                 3モニターのみ photo:NASA

f:id:yoshibey0219:20201207172622j:plain

          がらんとした船内。中央の黒い宙づりが上写真の3モニター部分

 

 おまけに、その3つのスクリーンと僅かなボタンスイッチ以外調度品がほとんどなくって、妙にスカ〜としちゃって、いけすかない。

 そりゃもちろん、これが地上基地と宇宙ステーションを結ぶだけの交通運輸であって、月まで行く必要などはない装備とは判っているけれど、献血の待合室みたい感じが、なくはない。

 さらにくわえて、野口さん達が着ている宇宙服がカッコ良くない。

 わけても、園芸用の長靴にしか見えない黒いシューズが野暮っぽさを増長させていて、60年代前期頃に創られた安物のSF映画のビジュアルに遭遇したようで、いただけない。

 

f:id:yoshibey0219:20201207173007j:plain
                   飛行士たちの長靴

 

 むろん、もはや、山ほどのスイッチや警告灯は必要ないだろう。いっさい全て、タッチパネルの中で了解されて操作も完了するという最新、宇宙服と宇宙靴も最先端。必然あってのカタチなのじゃ~あろう。

 けど、いかんせん、こちらの感覚は最新じゃ~ない。

 ビジュアルとして、物足りなさすぎて、逆におちつかないのだった。

 だからま~、昔人間なのだ。感覚を切り替えるコトが出来ない。

 とはいえ、べつだん、それでイイのですがね……。

 

f:id:yoshibey0219:20201207171901j:plain

    『スタートレック』、エンタープライズの司令室。シンプルといえばシンプルか

f:id:yoshibey0219:20170330231722j:plain
     ミレニアム・ファルコン。デアゴスティーニ版模型を大改装したもの

 

 この先のSF映画に出てくる宇宙船なんぞもやはりホンモノのクルードラゴンに準じて、簡易シンプル、スクリーンっぽいのが主人公らの前にポツンとあるきり……、というコトになるんかしら?

 そうであるなら、おもしろくないなぁ。アポロ世代の悲哀と括ってしまうワケにはいかない、これは“見た目からくる感覚”の問題なので、容易にゃ親和できないのだ。

 要は、宇宙船の船内とても、既に「特別な場所」ではなくなって、日常の延長程度な「普通にある場所」みたいなカタチへと進んでるという次第なんだろう。

 イーロン・マスク率いる新興ベンチャー企業が、NASA御用達といった感もあったロッキードボーイングなど巨大企業に打ち勝ったのは、そのあたりの感覚の違いによるモノ創りへの視線なのだろう。“抵抗感”があるくらい視点なり視線を変えることが、飛翔をもたらすポイントなのかも、ですな。

 

      ___________○△□_____________

 

 ま〜、そういったニュアンスで巻頭の話に戻ると……、「旅にでよう」や「メシ食いにいこう」キャンペーンに固執しちゃった揚げ句にコース外れの迷走やってる政治リーダー達は、タコ焼きの回転みたいに目の玉ヒックリ返して世間見直した方がいいねぇ。ようやく腰あげてキャンペーン休止は決めたようだけど、実施は2週間も先。その間は無策? さらに、その次の一手があるのやらないのやらも判らんし〜で 不安継続中。頼りにならんというコトだけが明白じゃ〜いかんのですがっ。