12月の映画よもやま -マトリックスとYouTube-

 土曜午後、封切り2日めの『マトリックス レザレクションズ』をメルパ岡山で観る。

 実のところ、シリーズとしての『マトリックス』にさほど好感しているワケでもない。

 第1作めは、もう22年が経過したものの、いまだ目映い光輝を放ってるけど、後の2作は、う~~む、というのが感想。なので第1作めだけで完了し、後はま~、オマケのような感触をなが〜く持っていた。

 

 が、その22年ぶりに4作めが出て、死んじゃったハズのキアヌ演じるネモとキャリー・アン・モス演じるトリニティーがカムバックというのが気にはなり。

 という次第で映画館に足をば運び、それも……、マイ・マザ~が没しちゃったんで介護から解放されたという都合とも相まってるんで、連続で、字幕版と吹き替え版を観ちゃうのだった。チョイっと、持てる時間に余裕が出来たワケだね。

 連続といっても、昔のように、そのまま席に居座れるワケじゃ〜ないんで、字幕版を終えたらいったんチケット売り場に出て、チケットをまた買うという次第だけど。

 

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 ほいで観た結果として、

「あらま~、わるくないじゃん」

 悪態つくようなトコロがなく、いっそ、監督の努力が垣間見えて、丸のハンコを1つ押していいかもと思ったわいね。

 最初の『マトリックス』が1999年。で、22年経っての今回の『マトリックス・レザレクションズ』、その時間ギャップを感じさせない構成に眼をひらかされた。

 というよりも、必然として意識されるであろう役者達の経年(トシをとってるよね)を逆に活かした脚本と演出構成に、

「へ~」

 監督ラナ・ウォシャウスキーの”存在のでかさ”を、スクリーン眺めつつ感じさせられるのだった。

 仮想現実という土台を踏まえた上での、諸々の展開構成……、おそらく撮影に至るまでの脚本執筆時、ラナ監督は難渋し、胃がいたむような苦悶を抱えたろう、思う。

 けど、彼女は苦悶に沈まず、書き上げ、糸を紡ぎきった……。

 かつての3部作でもって1つの完結した円を描いたであろうに、その円をさらなる円環に紡ぎ直した20数年かけての奮闘馬力に、こちら感服、敬意じみた感慨を抱いたのだった。

 

 衝撃だった22年前の映像表現を越えるものじゃ~ないし、さほど大きな感動もないし、過去3部作を観ていないと理解できない部分もあるけれど、22年前の作品を22年後にうまく合致させ、そこの違和を消去させているという点で、今回のは「見応えアリ」という感触を受けた次第。

 メルパ岡山の席に座った直後は、ま~、せいぜい45点くらいの作品やろなと思ってたけど、字幕版と吹き替え版両方を観終えて、64点くらいは計上してもイイかしら……、評価アップなのだった。

 

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 その得点アップを後押ししてるのは、キャリー・アン・モスだろな。

 キアヌを演技上手とボクは思ったこともないけど、劇中の彼女は子供3人を持つ女性として登場し、その年齢ゆえの深みと幅を巧く演技し、どこか軽々とキアヌを越えている。

 過去作品のようなハデなアクションはもはや難しい年齢に達した役者としてのキャリー・アン・モスを補助すべく、仮想現実の物語という利点を最大限活かして、格闘シーンを若い女優さんにクロスオーバーさせた監督ラナの構成力もピッカピカしてた。

 逆に、64点にとどめたのは……、近頃のアメリカン・ヒーローものの集団格闘やら、続々わいてくるっぽいゾンビを描いた映画たちと同じ土俵に本作のアクション・シーンを置いちゃったトコロかなぁ。

 22年前の『マトリックス』は時代の先にあったけど、こたびのは、時代の中……、それが残念に思えて、36点ほど、値引きしちゃった。 

 

     ○●-○●-○●-○●-○●-○●-○●-○●-○●-○●-○●-○●

 

 YouTubeでみた、ブライアン・フェリーの2020年3月13日の公演映像。

 コチラでも記した通り、世界ツアーのスタートとして本公演は、でっかいステージとして開催されたけど、直後、コロナウイルスの大拡散。

 渡航禁止でツアーはすべて中止。それで参加ミュージシャン達の1年分の仕事が吹っ飛んだ。

 なので救済を目的に、同公演のライブCDを出し、収益配当にあてているワケなのだ。

 

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           Bryan Ferry - London Royal Albert Hall - 2020/03/13

 

 この映像はむろんオフィシャルなものじゃない。観客席からの映像だ。しかもステージの上手背後からのもの。良いポジションとは云いがたい。

 しかし、観客席(アリーナ側)が常に映っているんで、レアな映像という点ではポイントが高い。様子がよく判る。

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 イッチャン高額であろう最前列あたりの観客すべて、どう見たって、若くない。

 50代~70歳代という感じが濃厚。

 ま~、そういうコトなのだ……

 ブライアン・フェリーであろうとも、時代を抱えているワケなのであって、最前列席界隈に2030代のオーディエンスは持てないのだね。

 そのあたりの実情がよ~く判って、いたく感慨させられるんだった。

 

 ロンドン最大の劇場ロイヤル・アルバート・ホールは、観客席数7000

 いま建立中の岡山シン市民会館というか文化創造劇場が2000ちょっとの席というから、桁違い……

 ステージ側面はおろか背後にも席がある。(円形劇場ゆえ)

 さらに当日券(立ち見)として1200人分が用意される。これはステージ真後ろを含む、高さが15メートルをかる~く越える場所(だから天井桟敷という)なんだけど、この映像を眺めると、そこも埋まっているのが判って、

「あらま~ッ」

 感嘆されられもする。

 

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            天井桟敷の立ち見の皆さんも、やはり中年だらけ

 

 フェリーは7000のヒトを呼べるミュージシャンという次第ながら、2030代といった世代のヒトの姿は少ないわけで、それで感嘆が感慨に変わる……

 身に沁みてくる。

 が、ひたぶるにうら悲し、とはならない。

「ま~、そんなもんだ」

 と否応もなく納得もするのだった。

 フェリーがROXY MUSICだった頃の、70年代末からのリスナーというかフアンが、フェリーと 共に年を重ねている だけのハナシ。

 

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 したがって我が手元にあるライブCDで聴こえるワ~ワ~・キャ~キャ~・ワオ~! の歓声は、概ね平均60歳越えたくらいな方々の歓喜の声なのだニャ。

 

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 なのでこういうYouTube映像は、ありがたいような、迷惑のような、不可解な妙味があって、

『陽は昇り陽は沈む』

 を否応もなく意識させられるんだった。

 否定でなく肯定として、我れ思う・故に・我れもまた、という感慨が濃厚スープとして喉元をゆるゆる通過するんだった。

 若い人がいなくってもカマワン構わん。映像の観客席を眺めるに、

「されど我れ大いに愉しむ」

 の空気に満ちていて、オ~、同胞たちよッ、結局、ニヤリ北叟笑んだワケなのだ。

 

  

             CD未収録の曲も見聞き出来て、イイのだけど……

 

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                  別の当日のYouTube画像

 

 2001年のROXY MUSIC再結成のツアーを、東京国際フォーラムで観覧したさいは、ちょっと空席があって残念に思ったけど、バックにクリス・スペディングもいて、いいアンバイなライブだった。もっともその頃はスペディングもスリムな体型だったけど、こたびの映像の中の彼はお腹の肉もたっぷりな体型で、これはこれで、ま~、微笑むっきゃ~ない。サックスはわたしが大好きなジョルジャ・チャルマース。

河原亭 + 蕎麦

 

 柔道家と宇甘川沿いの県道・高梁御津線を駆け、御津紙工(みつ・しとり)の河原亭へ行く。

 市内から離れたのどかな山間のそこが、なぜ北区に入るのか、広域過ぎるんじゃなかろうかその区分……、と訝しみつつも、周辺静かで心地良い。

 江戸時代のでっかい庄屋たる河原亭の佇まい良し。

 

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 かつて昔、束ねたお百姓たちにどう河原家の代々当主が接していたかは知るよしもないけど、だいたい庄屋というのは一言でくくれない性質を帯びる。

 当時の身分制度にあっては百姓に属しつつも、名主年寄という位をもって支配階級の側にいる。

 地域で大きな顔ができ、その仕事も自宅内でおこない、かつ世襲するという次第もあって、住まいが豪奢になるのも、ま~、判らないではない。あちゃらこちゃらの古刹同様、家屋の堅牢さは見事としか云いようがない。

 

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 そのうえ、高台に河原亭はあるから見晴らしが良くって、ジャブジャブと雨が降る日なんかは、広い縁側界隈から”下界”をば眺め、田んぼでズブ濡れで働いている近隣のお百姓を眼にいれつつ、ゆったり煙管を吸ってる大庄屋さんの悠々を想像でき、ほのかな羨ましさをおぼえないワケでもない。

 

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 長屋門 ↑。ここの構えはけっこう大きいから、たぶん江戸時代にゃ、門番をかねた使用人を住まわせていたろう。

 L字型に構築されたこの長屋は母屋側の内側には漆喰を使ってるけど、石垣の上の外側は板張り。百姓身分では外を漆喰で覆えない。そんなやらしいキマリが江戸時代にはあったから、かつて当時は、その仕様で、当家の格式が判るというようなモンだった。

(現在は白の本漆喰で塗られているけど、江戸期では藁の成分が多くて黄ばんだ色になる土佐漆喰で’内側は造られていたはず。母屋の裏側の壁面にその片鱗が窺える)

 鎖国して国を閉じちゃって以後、幕府の政治エネルギーはひたすら身分階級の分別に向かい、統治の根幹とした。それがこんな地方の山中の庄屋の家屋にまで痕跡として残ってる。

 

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 長屋門からの外景色↑。勾配による景観のパノラマ的展開が見事。ここに住まえば日々、

「この景色ぜんぶ俺のもの」

 と、優越気分が湧いて来るだろうとも思えた……。

 

 けど一方で庄屋は、上司たる郡代(郡奉行をいう - その下には郷目付(ごうめつけ)、代官、手代、といった事務官僚がいて、庄屋はその下に置かれ、いわば現場監督として位置される。郡代は天神山の郡会所にいる。郡会所は明治になって医学校になり、さらに亜公園となる)の前では、絹の羽織を複数枚持ってるのだけど、けっして身に着けず、郡会所の役人たちへの盆暮れの付け届け怠らず、平身低頭、いわばA面とB面の顔を常にもたざるを得ない立場であって、その鬱屈も、チビリとは感じるのだった。

 まして河原家は、江戸時代以前は地方豪族の有能な家臣であったらしく、それなりの勢力を持っていたはずで、それが江戸時代には戦国の世はすでに昔と、身分さげられ、かろうじて庄屋という位を保ちえたというあたりに、代々の労苦がしのばれる。

 長屋の半分ほどを改装して設けられた資料館の展示物を眺めるに、養蚕の道具が一式置かれてた。

 庄屋ながら、その長屋内で蚕を育て、糸も紡いでいたのだろう。

 米の生産数がおちても年貢は年貢として納めなきゃいけない。その場合の補助としての生糸だったろうか……、物証として、同家の苦労が垣間見える。

 

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 母屋は天保10年に建ち(建て替えか?)、2階建て離れ屋敷は明治に造られたとか。母屋と離れの奥に倉が4つある。

 倉と倉の間に屋根のある大きな井戸もあって、今現在も水が貯まってた。高台の上の井戸だから、かなり深いはず……。

 

 紙工シトリと読めるヒトは少ない。わたしだって読めない。お江戸の時代、このあたりは紙を加工(主として鼻紙)する農家が多かったそうな。それでお江戸の昔っから、このあたりを紙工という。

 宇甘川の冷たい水が役立ったわけで、庄屋はそんな半農半紙(そんな語はないけど)の地域民を束ねる役を担っていた。同家の倉は年貢米やら生産された鼻紙を集めて保管する場所だったのだろう。

 

 河原亭は今は地域の文化財として大事にされ、無料で見学出来るし、蕎麦も食べられる。

 ただし蕎麦は数量限定、それも20食程度(?)という商売っけのなさ。

 それがマルなのかペケなのだかはよくは判らないけど、金儲けじゃない範疇での来訪者への有料サービスと思えば、ゆるやかにマルと判断してもいいか……。

 だから、蕎麦喰いを目的にここを訪ねると、時に、

「すんません、品切れでございます」

 ガックリを味わうというペケも並列する。

 (訪ねたさいも、数組のカップルやグループが母屋内に座して蕎麦をいただいてた)

 幸いかな、今回はここで食べることを予定しない。

 

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 蕎麦の厨房横にバラン(葉蘭)が植わってた。これウチにも欲しいな。スーパーで買った680円の鮨六貫の安物パックをこの葉にのせりゃ~、1050円くらいな鮨に見えはしないか、見栄はれる……。

 

 見学終え、さらに北上。

 吉備中央町の品野屋。道の駅・円城の背後にポツンとある蕎麦屋

 

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 品野屋は実は旧店名。今は「吉備の国野菜村」という農業生産法人が運営しているらしい。それで大きな暖簾というかノボリで、めだつ店名看板をチョイっと隠してる。

 ま~、経営が誰であれ、運営者を食べたいワケじゃない。蕎麦が卓上に登るなら文句はない。

 そも当方、蕎麦の味に通じてるワケでもなく、この日たまさか、蕎麦を食べたいモードのスイッチがオンになってるだけのこと。

 

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 ちゅ~ワケで、味わった。

 柔道家は500gのメガ盛りを3分42秒でたいらげ、ビール呑みつつノタノタ喰らうコチラをしみじみ眺めてた。

 こういうバヤイは、いそがない。鷲掴んだのをスパスパッとすするでなく、いっそユルユル、2~3本をチュルルっと品良く運んで、同行者を焦らすのがいい。旨味が増す。

 更科の粘度、藪の硬いコシに風味、ともに歯ごたえよく、美味かった。

 イチバンによろしかろうと思うのは、まずは燗酒でおなかを熱くさせ、それからスパパパっ、だと思うけど、壁のメニューに日本酒がみあたらなかった。 

 

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 道の駅・円城では白菜を山ほど売ってた。買われた白菜は概ね、鍋に投入されるんだろう。キムチ鍋とかに。

 残念、たまたま家に在庫があるんで買わなかったけど、この白菜の行列を写真におさめてるオジサンが複数いた。

 珍しいか?

 うん、たぶん……。

 自分も準じた。

 

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亜公園がらみで本2冊

 

 過日、30年越えのつきあいとなるK歯科医のもと、口をあけての治療中、

土偶を読む、読んだ?」

 と問われ、

「ぁぁ~」

 と答える。

 否定しているワケだけど、口あけたまま、ぅう~ん、とは云いにくいのだ。

 というか……、云えない。ウソだと思うならやってみんちゃい。

 母音としての“あ”は出るけど、“う”は出ないのにゃ。

 

 その時は思い出せなかったけど、『土偶を読む』は、かつて買ってもイイかなと思っていた1冊で、けどもそのまま忘れてた本だった。

 なので翌日、買って読む。

 

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 おやおや、あんがい面白い。既に5版となってるから、売れてもいるわけだ。土偶に興味を抱くヒトが多いのかしら?

 ま~、土偶に濃く興味がないヒトであれ、内容がセンセーショナルだから、必然に売れてるのかもしれない。

 従来にない発想と仮説を、その専門ではない著者が研究した成果が本書で、インパクトが強いし説得+納得させられもする。

 専門でないヒトが専門家をかる~く凌駕して新たな地平を見せた、というトコロが素晴らしい。

 土偶で何を表現しようとしていたか、太古の昔のヒトにとっての大事なモノ、あるいは生活に密接したモノとの関係性を新たな視点で新たな領域でもって開陳してくれている。

 

 おそらく、その筋の専門家には嫌われ、煙たがられる……、のじゃなかろうか。いわゆる“学会”では無視される可能性も高い。

 当方が亜公園のことを調べはじめ、講演でもって徐々にその成果を披露しはじめた頃も、そんな空気が漂ってた。

 イノベーダーとして扱われず、むしろアウト・スペースからのインベーダー。ヤッカイ扱い。

 本書の成果が果実としてどう実を結ぶかに、だから興味がある。

 良い本を思い出させてくれたKに、感謝。

 

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 亜公園を創った片山儀太郎には3人の子供があり、そのうち三男の寿太郎(ひさたろう)は若くして亡くなった。(大正4年没)

 儀太郎夫妻はどれほど悲しんだか……。

 その寿太郎は慶応大学を出て、社会鍋運動に参加していたという。

 これは珍しいというか、当時、希有に属する“行き方”だったよう、思える。むろん、今もそうで……、「社会鍋」という存在を多くの方は知らないであろうとも、思う。

 

 キリスト教プロテスタントの1派、救世軍(Salvation Army)が世界中ではじめた慈善事業で、クリスマスなど年末に行う募金活動などをいう。

 募金をいれてもらうために鉄鍋(クリスマス・ケトル)を使うから、日本では“社会鍋”という名で定着した。

 

 日本におけるその福祉事業、社会鍋についてを調べると、山室軍平という明治時代の人物がその基点にあることがすぐに判る。

 幸いかな、『山室軍平』という本がある。

 

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 教会活動とはいえ軍隊にみたて、イデタチも……、今の眼でみると滑稽で、なにやらくすぐったい感じもあるのだけど、同書を読んでいると、やがてくすぐったくは、なくなる。

 極めて真摯、大真面目、かつ清廉。

 明治半ばの日本で動き出したこの奉仕活動は、マイノリティ~そのものだったろうし、誤解もされたろうと思われる。

 

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         大正15年撮影の山室軍平氏。救世軍の制服だ……

 

 実際に山室は仏教を含む他宗教から非難され、白眼視され、逮捕されてもいる。街頭での歌舞音曲が禁止されていた明治にあって、彼らがその活動で賛美歌を街中で歌ったことで3日間、拘留されたりもした。

 なので苦労が多かった。自らの利益を求めないので貧窮にあえぎもした。

 

 意外なことに、山室と岡山は極めて関係が深い。

 岡山県哲多郡に彼は生まれ、東京に出て、印刷工をしつつ同志社に学んだ。

 同志社大学新島襄同志社英学校として設立、キリスト教主義教育を核とする。

 それで山室はキリスト教信者になった。

 東京に出て8年が過ぎ、「夏期伝導」として岡山の備中高梁に来た。高梁には熱心な信者が少数ながらもいて、その頃に教会堂が建っている(現在は高梁市重要文化財。建立当時は周囲から冷遇され、明治17年7月には礼拝中に群衆が殺到、石やヘビやカエルを投げ込まれ、ドアを叩き壊されたりして迫害をうけている)。

 山室が高梁のそこを訪ねたのは、その「耶蘇退治事件」があった5年後だ。

 

 そこで山室は、順正女学校(現在の県立高梁高校と吉備国際大学)の創設者で校長の福西志計子(しげこ・生まれた家の隣家が山田方谷宅で彼女は漢字などの基礎学習を方谷に学ぶ)と知りあった。年長の福西は、極貧ながら熱情の燃えようがハンパでない山室を心配し、どこぞの資産家の婿養子にでもなって身を落ち着かせてはどうかと提案もしてくれた。

 岡山市で、石井十次にも会った。

 

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 石井はご存じ、岡山孤児院を立ち上げた慈善家だ。医学校を落っこちた後、孤児救済の道を歩んだ。存在が大きい。(山室より7歳年長)

 石井とて裕福でない。互いに辿る道はヤヤ違うけども、福祉事業、奉仕事業に向けてのエネルギーは甚大。

 2人は生涯の大親友となる。そんな縁もあってか、地方都市岡山での社会鍋活動(総じてキリスト教の浸透)は全国一の規模でもあったようだ。

 

 さて一方、片山寿太郎はといえば、その当時、岡山でも有数なリッチな家を出自とする青年だ。

 なぜに彼が奉仕運動に参加していったか……、そこに当方は興味を持つ。

 哀しいかな彼は20代半ばで没す。

 片山家にも伝承が少ない。

 ま~、それゆえ余計、気になっている。

 なワケで『山室軍平』を読み、理解の外周を少しでも縮めようとしている。

 亜公園という施設探求に関していえば、これは外伝的要素が滲んでくるけど、知っておきたい”史実”ではあろうと思っている。

 寿太郎は三男。兄として、信三郎と辰二の2人がいる。辰二は長命だったけど子に恵まれず、長男たる信三郎のみが儀太郎の血脈を後世に残した……。

 その信三郎の次女が片山家を相続することになり、婿養子にS・Mが入る。(血縁の方もおられるゆえ、ここではあえて頭文字で紹介するに留める)

 彼は上記した高梁の、順正高等女学校の教員である。

 没した三男・寿太郎は、社会鍋活動という一点で山室軍平と接点があったはずで、さらには、奇妙なカタチで高梁市という場所も一致してくる……。

 そのあたりで興味の度合いがいっそう深まる。突飛に跳躍してケッタイな仮説をたてたくはないけど、妙な符合があって、ひっかかる。

 まっ、そんな次第で同書のページを興味深くめくっている。同書に寿太郎の名は出てこないけど、山室の極く近くに彼がいたであろうコトはマチガイないだろう。

 短い生涯の最後のあたりで寿太郎さんは社会貢献の道を選択し進んでった。その重みをしっかりとした重量として感じたくページをめくってる。

 おそらくは父親の儀太郎もそうであったろうと……、思うゆえ。

 

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 亜公園内のプロムナード部分。

 幼い頃の寿太郎はきっと父親の儀太郎に連れられて、亜公園を歩いたはず。園内の玩具屋で足をとめ、アレコレのオモチャに眼を輝かせつつも、傍らの父に、欲しいと申し出るかどうか、ハートをせつなく揺さぶられたろう、きっと。

 

 

 

 

 

葬儀から1週間

 

 おととい夕刻、滝のようにアラレが降ったのには驚いたなぁ~。

 ちょうど下校時、自転車の中学生たちがグッショ濡れの雨アラレ。近頃の子供らは少々の雨じゃ傘もささないけど、さすがこれには顔を歪めてたなぁ。

 5分ほどで打ち止めになったけど、粒がでかいや、大きな音がしたわけだ。

 

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 マザ〜没して1週間。まったく、高速というか光速って感じ。

 アレありコレありで、ほぼ連日に訪問者もあって、何かと気ぜわしい。

 かといってオール・タイム忙しいワケもない。

 くわえて、過去10年ほどの、マザ~の様子を窺ったり、早朝3時だの7時頃のオシモの処置やらお食事などの日常化していた行事遂行のクセが、まだ抜けない。

 そういう時間が来ると、マザ~が気がかりになり……、次の瞬間、

「ぁ、もう、いなんだ」

 苦笑する。

 

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 壁紙を変えようと、先月20日の午後に始めた階段踊り場の作業。以後そのまま放置せざるをえなかったけど、2週間ぶり再開。

 

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 およそ15㎡の剥離に数日。格闘というホドでもないけど感触としてはそれが適語な作業。

 しっかり固着しているから広範囲はめくれず、チビチビ~チビチビ~と剥がしてった。アリの歩み。手がだるい。

 

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 ついでに壁のスイッチ取り替え。

 3路と片切。用途の違う2つのスイッチゆえ、電気工事に詳しいkosakaちゃんに密かに相談、適材とその加工方法を教えてもらっての作業。

 

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 下地処理に半日。

 乾燥した翌日にサンドペーパーで表面ならし。

 微粉末で着衣も床もマッキィ~ロ。こういうパウダー状のホコリ・ゴミがいちばんにヤッカイ。掃除機のフィルターが目詰まりするしぃ~。知らず踏んづけアチャコチャに足跡を残したりぃ~。雑巾必需。

 

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 壁紙屋本舗に発注した新たな壁紙は、30mのロール。

 重いので階下で必要分をカット。

 貼る。

 

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                 自己演出の足長カベガミ爺ぃ……

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 フチ周り処理にジョイントコークを塗布で終了。

 作業ついで、棚もホワイトに代える。

 

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 オフホワイトの壁。マッシロケで何もないのを、しばし愉しんだ後、油彩やらアクリルのタブローをかけ、ギャラリー化を演出。70年代の合田佐和子風に……。

 

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  1986年製のMacintosh Plusを添えてみたけど、ちょっと、そぐわんなぁ……。

 

 人造した空間というか、壁を、何かで埋めたいというのはニンゲンの癖なんだろなぁ。大昔の古墳もそれを物語ってる。

 

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 ついでに階段部分にもタブローをかける。

 

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 これで踊り場と階段付近の作業は終了したが、さて……、ふって沸いたように出現した空き部屋、1階のマザ~の部屋。

 既に介護ベッドや酸素の機器は介護業者さんが撤去してくれ、急場しのぎで和テーブルを置いている。

 

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                仏間からマザ〜の部屋をみる

 

 10年を超える歳月、マザ~が寝ていたから、畳も傷んで古ぼけ、壁も沁みが出て古ぼけ、あれこれ取っ替えなきゃいけない。

 いっそ畳を外し、床を大改装しようか……、面倒だけどなぁ……、などと茫漠と考えるも、どう使うか、確固としない。

 おびただしく増殖中の本の置き場にしようかとも思うけど、陽当たり良好な部屋ゆえ、なんぞ他の使用法があるような気がする。

 かといって、今度は当方が老後の渋茶をすする部屋というワケにもいかないでしょ、いきなりは。

 明快な目的がみいだせない。

 早めにマザ~の部屋だった痕跡を消去したい気持ちと、その逆の、相反する気持ちがオデコをぶつけあい、ユ~ラユラ揺れる今日この頃。

 ま~、それでいいのだ。「急がババ回れ」って云うじゃないか。

 予定外の師走だなぁ、と実感中。

 

 予定外といえば、オミクロン株もそうだな。御みくじロ~ンみたいなワケわかんない語感があって、それなりに馴染みよいけど、これ、どうなんだろ? 

 騒ぐほどではない変異じゃなかろうかしら、と予想するけど……、ま~、希望的観察だなコレは。

 コロナウイルスに匂いがあればイイのにね。

 10粒ほど揃うと独特なイヤ~な臭気を放って気づかせてくれるとか。悪性が増すほどに匂いもきつくなるとか……。

 ま~、そんな発想は陳腐ハナモゲラ、真に強靱なウィルスならきっとより静かに浸透してくるハズ。あなおそろしや。

マザ~に感謝 + 11月の映画よもやま

 

 マイ・マザ~、没す。

 98歳。

 要介護5。良いケアマネージャーや訪問介護の方々に恵まれていたものの、この前の月蝕の夜を境にヨロシクない状態におちてった。

 満月やら月蝕のさいには死が近寄る、というようなハナシもありはするが、天体の引力作用と死生の関係を科学が証明したワケもなく、この場合もそこは不明、たまたまそ~なっちゃったというだけなのかも知れないけれど、ともあれ顧みるに、その夜にマザ~の身体変化が起きたコトだけは、確かだった。

 ま~、それでも何とか年は越すであろうと予測していたのだけど……、甘かった。

 高知に出向いた翌々日、金曜の朝9時、急変。ちょうど医師の定時訪問とかさなった。眠ったまま、ロウソクが静かに消えていくようなファイナル、だった。

 安らかな死、とはこういうカタチか……、苦悶の声なく苦痛の動きなく、ただいつもの通り首をかしげ、眠ったまま、逝った。

 だからしばし、事態を受け入れがたかった。

 

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 そこからドタバタ……。

 土曜に通夜。日曜に葬儀。

 コロナが沈静化しているものの、親族の95%が市外・県外に住まうから諸々考え、あえて死去と葬儀は告げず、我が弟とその子らだけの家族葬

 参列者わずか6名。式場も葬儀場も施設スタッフの方が多いという、身内が極度に少ないおくりとなったけど、弟の子供たちが棺内に花をそえてくれた。

 

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 映画『影武者』がごとく、喪を秘して三年……、なんて~コトはない。火葬後の昨日、おもだった親族に電話、死と葬儀を知らさなかったことを詫びる。

 

 通夜の直前、おそらくは2008年の映画『おくりびと』の影響なのだろう、こたび初めて、納棺師なる存在が前面に出てきて、マザ~の最後となる入浴から化粧に着付け(自宅にて介護の方々がそれをやってくれていたから、だから2度目のエンジェルメイクだな)を、つぶさに見られるというカタチにいささか感慨した。

 マザ~が生前に袖を通すコトなく、しつけ糸が随所にある着物をば用意したのだけど、それを若い2名の納棺師さんが見事に帯を結んで着せてくれたのには、おどろいた。

おくりびと』は封切り時、倉敷イオンシネマの満員状態で、それも最前列席、見上げながら左右映像の全体を把握するしかない悪しき状態で視聴したのだけど、美化され過ぎじゃないかしらと訝しみつつも、その仕事に関してをクローズアップした意義は高いな、とも思ったもんだった……。

 それが、13年後のおととい、その姿カタチをまのあたりに見、かつ、葬儀費用の内訳明細中に額面として記載あるのを知って、

「あっ」

「うっ」

 ありがたさと同時に、こちらの薄いお財布がいっそう薄くなるのも、知らされた。

 

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     新造された岡山東山葬儀場には喫煙所があった。これはこれで良い配慮だろう……

 

 父親をなくすより母親をうしなった時の方が重い……、とか昔から聞いてたけど、なるほどその通りと、いわざるをえない。

 感謝という単語が背中あたりでウロウロしている。

 産んでくれてありがとう……、とかいった感情を芯にしての気分。没した直後ゆえ、まだ、その単語の落ち着きは悪いけど、いずれ背中のどこかにしっかり定着はするんだろう。

 

 陽が昇って、陽が沈む。そんなあたりまえの日常(自宅介護の日々を含めて)の一部が欠けてしまった。

 マザ~が日々を過ごした部屋が突然に空虚になり、部屋もまた精彩をなくした。

 そこの暖房のスイッチをもう押さなくていいのだ、オシメ交換もなく食事を運ばなくてもいいのだ、

ラクになったなぁ」

 などとバカなジョークをいいつつも、そういうコトをいうしかない虚ろが寂寥を刺激し、あんまり、ヨロシクない。

 けどもま~、前向きに考えなきゃいかん。

 原野の風倒木が大地の大きな養分になるように、木はうしなわれたが土を肥やすように、マザ~の死もまた、我が体内に何かを植えたはず。

 ……何が植わったかを知るには、その萌芽を待つしかないけども。

 

 と、以上を記しながらも、実は25%ほどの領域では、いまだマザ~の、その死の実感が固着していない。白い骨の砕片となった骨壺を持ち帰っても25%ほどの実感のなさがデ~ンと居座っている。

 なんだかフ~ワリしたボンヤリっぽい感触が、拭えないんだな……。

 いっそむしろ、10月末の記事に書いているけど、『007/ノータイム・トゥ・ダイ』の結末の方が……、「死」の実感が濃くってショックだった。

 

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「そりゃ、ないぜ~」

 観た直後、娯楽映画でもって鬱屈気分を味わう不愉快に、大いに憤慨したけど、こうしてマザ~の死に直面すると余計に、この映画が残念映画に堕ちちゃってると……、いわざるを得ないんだった。

『007/スペクター』のハッピーな最終シーンを思えば、ダニエル版はそこで打ち止めしといて欲しかったなっ。こちとらいまだ、喪に服す気分にもならないワケで。

『ノータイム・トゥ・ダイ』の最大の失敗は、ダニエル版007を007の枠から一歩も外へ出してやらなかったコトだろう。

 スパイ稼業をやめて一児のパパになるという大英断すらをも選択させなかった冷暗が、本作をダメにしちゃったと思う。

 要は、彼ジェームズ・ボンドに第2の人生を歩ませようとしなかった映画製作者の狭窄がペケなんだ、と今、濃ゆ~くおもってる。

 

 

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          遠い昔日、3歳の私とマザ〜宏子。感謝。

 

 

 

昨日、高知でホンワカ

 

 高知県土佐町の久礼へ。

 kosakaちゃん、nakatsukasaちゃん、3名でGO。

 こちゃらの多忙が一段落した頃合いを考慮してのお誘い。

 ありがてぇ~なぁ。

 ご両名とは、7月ツアー以来だな。

 その時は、真庭市の国道で豪雨に遭い、車からわずか数メートルの至近にカミナリ直撃を目撃で、音と光の激烈に、

「キャ~キャ~」

 と大騒ぎしたけど、こたびはカミナリなし。出だしは快晴。

 高速をおり、朝の8時に坂出のうどん店で、朝うどんツルツルツル。

 

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 その辺りのうどん店はどこも朝6時半くらいからの営業

 讃岐富士を眺める絶好ポイントじゃあるけど観光地でもなく、勤めに出た直後の方々がツルツルやってサッサと職場に向かっちゃう。

  そんな方々の中に混ざってツ~ルツル。

 

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 大歩危小歩危を通過し、また高速にのった頃より、ごく少量の雨。

 目指すはいつもの黒潮本陣の黒潮工房。

 今回なんどめなのか、もう忘れたけど、出向くたび、眼と舌が悦ぶ。

 とくに、舌。

 

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 あまたの食べ物の中、鰹のたたきが最大の苦手だったけど、唯一、喉を通過したのが黒潮工房、ワラ焼のたたき

 以後、訪れるたび、舌が馴染み、親和し、悦び……、前回出向いたさいは2人前食べたかった程。

 11月末の最後の戻り鰹。

 脂がのった豊穣で豊満の美味。こたびは2切れ増量してもらい、ペロリ。

 

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 くわえてカマスのひらきの炭焼。

 

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 土佐の海を一望しつつの食事。青の豊穣。ときおりの小雨。その雨と雲の動きに連動して変化する青色もまた極上の美味。

 なのでビールも旨いや、気分もイイや。

 

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 小粒ほど甘みが濃いという山北みかん。自分用の土産も買って、車中はウトロウトロと居眠り。

 終日、コロナ忘れてホンワカ過ごす

 

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壁紙と格闘開始

 本日(20日)は講演というか、トークショー

 とはいえ開演は午後7時だから、日中は空いてる。

 その時間をば使って、自宅2階の踊り場の壁紙を剥がしにかかる。

 ついさっきまで、その作業をやり、ブライアン・フェリーのライブ・アルバム『ROYAL ALBERT HALL 2020』を聴きながら、これを書く。

 

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  アルバートホールでの公演を皮切りにワールド・ツアー予定だったけど、直後、コロナ禍のロックダウン。全ツアー中止となった次第ゆえ、バックミュージシャンたちの救援を目的として、そのホールでのライブをアルバム化したもの。フェリーも既に76歳……、音域が狭まってる。パンチもない。けどそこをバックミュージシャン達がフルにカバー。その後方支援にのっかり、あえて無理せず、自身の細った声域を最大に活かした枯淡な歌唱が魅惑。「草原の枯れゆくさまもまた美しや」とジンワリ沁み込んでくる。

 

 春頃より、コロナ禍でのDIYリフォーム作業をやり、階段を含め1階の諸々なリニューアル作業は終えている。

 コロナ騒動がなきゃ、やらなかったであろうDIY。思わぬ副産物。今聴いてるフェリーのアルバムもコロナゆえの副産物……。きっと世界中、そんな By-Product だらけなんだろう。

 

 1階の複数の部屋壁面は、綿壁→剥離→石膏ボード取りつけ→壁紙、というけっこ~大変な進行だった。シロ~ト作業なのでプロの眼でみりゃ、

「ぎゃ~!」

 じゃあろうけど、イイのだ。住んでる家を住んでる本人が汗流しつつ、つっつく愉しさも味わった。

 

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 2階は、いつでもイイやと思ってたけど、階段部分が新規な匂いをたてると、そのつきあたりである2階踊り場の変色や傷みがヘンに目立ってくる。10年を共に過ごした愛猫がひっかいたキズもあちゃらこちゃら。

 日々その新旧が眼にはいるから……、さすが気になる。

 なので作業をはじめた次第。2階は、壁紙→剥離→地板調整→壁紙。貼り替えがメイン。

 

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 20~30年前に職人さんが貼った壁紙だ。

 丁寧な仕事っぷりに感心ながらも、経年劣化がすすみ、やたら、剥がしにくい。

 剥がし用のスクレーバーでジワジワ、コツコツ。アリの歩み。

 

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 やり始めて直ぐに、

「こりゃ時間、かかるぞ~」

 剥がし予定の踊り場4面の壁をば眺め、暗礁に乗り上げた船にのっかってる気分アリアリになるんだけど……、岩礁突破で進めるっきゃ~ない。

 2時間強、壁に取り付いて、1つの面の半分くらい。

 本日はここまで。

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 下地の合板が剥き出しになって、数10年前にゃ石膏ボードはまだなかったのね……、時代の流れを感じつつも、剥離中ゆえ、ボロ家な風情極まりない。

 まっ、しゃ~ない。

 今夜の講演終えたら、しばしこの壁紙剥がしに邁進という次第だな。

 

 さてとそろそろ、着替えて出かけなきゃ。

 講演終えたら、BARに直行。

 もちろん、た・の・し・く・の・む・ぞ