ジョジョ・ラビット

   

 映画『ジョジョ・ラビット』は、いささか珍しいタイプの破壊力ある傑作だった。

 巻頭での、ナチス政権がもたらしてくれるであろう明るい未来を信じて熱狂するドイツ国民の記録映像とビートルズのドイツ語版『抱きしめたい』の取り合わせにめんくらい、けどもオモシロイ試みだな、なるほど、ヒットラーに向けての愛とて、かつて本当にあったワケで、そこにラブ・ソングを介在させておかしくないや……、次の展開はいかにと期待したものの、冗長なギャグめいたシーンの連打にヤヤ退屈をおぼえ、途中まで観て、そのまま放置していたのだけど、去年10月だったかプチパインのY子さんが、

「観たか?」

 問うてきて、こちらが全部観ていないと判ると、ふくよかモナリザ的な謎の笑みを浮かべて口を閉じたので、

「おやっ?!」

 と思った次第。彼女が微笑のさいは要注意だ。

 帰宅して、あらためて全編とおし観た。

 微笑の謎が解けた。当方も喜色した。

 で、以後、再見するコト複数回。

   

 この映画、スカーレット・ヨハンソン演じる母親の不幸あたりから味が染み出しはじめる。

 鍋が煮えだすんだ。冷めて硬い素材たちが、ニンジン、ポテト、オニオンたちが自身の味を発揮しつつ、合唱をはじめるんだ。

 法外な黒雲のようなユーモアと激痛めいた真面目が2つの車輪となって駆け続け、周辺の影響でヒットラーを教祖的に仰ぐ10歳の少年と、少年宅の屋根裏に隠れ住む16歳くらいの少女とが、1つのお鍋の中で煮たって……、驚くべきな結末部分へと至る。

 

 ごく個人的にはナチス将校役のサム・ロックウェルと身長2mのゲジュタポ役のS・マーチャントの、辛辣と滑稽スットボケ共存の面白さにも眼を奪われたが、主題を際立たせる重要な役回り。

 

 最終シーン、リルケ詩編が英文で出て、その背後でかのシンガーのかの象徴的な曲がドイツ語で流れる。

 日本語字幕は、リルケを訳して出てくるけど、背景曲の日本語訳は出てこない。

 

 Let everything happen to you

Beauty and terror

Just keep going

No feeling is final.

      -Rainer Maria Rilke

すべてを体験せよ

美しさも怖さも

活き続けよ

絶望が最後じゃない

        -リルケ 

 

 この4行はリルケの3部構成の大作『時禱書』、「Go to the Limits of Your Longing(直訳すれば「憧れの限界へ)」の後半部の引用だとおもう。

 岩波文庫リルケ詩集』で翻訳を探したが、全13行(英語版では)と短い作品ながら本書では割愛されているようだ。残念。

       

 映画での詩の活用は……、リルケが悪いわけはないけども、実は、この一点が激烈に惜しい、とボクはおもうんだ。

 おそらくは、映画化にさいして原作者との取り決め、ないしは原作者の要望として映画のラストをその文字で括れという次第があったように思えるがこと字幕に関しては、むしろ、いっそ、流れる曲、ドイツ語で唄われるその歌詞を訳して見せるべきだったと、強く思う。

 

 それを日本語として書けば、こうなる。

僕が王になり 

君は女王になる

誰もそいつらを追い出せないけど

そいつらを打ち負かせる 1日だけなら

僕たちはヒーローになれる 1日だけなら

 

僕は思い出せる

壁際に立つ

頭の上で銃声が鳴り響く

何事もなかったように僕たちはキスする

恥ずべきはそいつらだ

僕たちは永遠に打ち負かせる

僕たちはヒーローになれる 1日だけなら

 

 ほぼまちがいなく、監督を務めヒットラー役も演じたダイカ・ワイティティは、クリスティーン・ルーネンスの原作「Caging Skies」(翻訳本は出ていない)を映像として膨らませたさい、リルケ詩編のそれではなく、かの歌の意味するところと歴史的背景を中心に置いて映画を組み立てたに違いない。

 あの歌、ありき。

 いっさい、そこに持っていくがための展開だったよう、思える。

 彼は原作をうまく捏ねて団子にし、ブラックペパーじゃなくブラックユーモアとスラップスティックな辛みをたっぷりまぶしたストーリーに組み立てなおし、そのうえであの結末に持ってった。

 映画化の根底には、1987年の、ベルリンの壁の前でのあの時のライブが監督の脳裏にあったろう……、思える。いや、確実にそうだろう。

(やたらと、“あの”と書いてるのはネタバレとなるのを警戒してのコトだよ)

 圧巻のラストといっていい。

 街頭に出た少年と少女がゆっくりゆっくり身体を揺らせ、リズムとなり、やがて表情が緩んだ途端、画面は暗転し、かの曲が大きなボリュームで流れる。 

 この演出にギャフ~ン。一気に涙腺を破壊された。

 子供を中心に据えた反戦映画程度に思って見始めたのが、大きなマチガイ。

 何より主役の少年と少女がダントツに良く、まるでこの2人はこの映画のために生まれてきたんじゃないか? と訝しむホド素晴らしい。

 その起用の上での話の流れ。ラストのドイツ少年とユダヤ少女2人のみのセッションの凝縮。

 少年の中の転換と溶解、少女の中の困惑と怒りと次に来る許しの姿勢の萌芽。

 それを2人の身体の揺らぎで見せた演出の超絶な冴え……

 で、あの曲のガツ~ン!

 構えていたこちらのミットにまったく予期しなかった剛速球が飛んできた、その驚愕と狼狽。

 こういう手法もあったかぁ! かろうじてミットに収めると同時に嬉々させられ、一気に感涙。涙でベベチャになった頬っぺを拭うんだった。

 ま~、何度観ても、このラストであったかい涙がこぼれちまって、それはそれで困ったもんだけども、受け入れるということの大事をこの映画でも諭され、過日に買ったまま未封切りのBlu-rayベルリン・天使の詩』をそろそろ観なくてはとも思ったりしつつも、主役の2人のラストシーンでの笑顔に永遠の乾杯だ。

 

 未翻訳の原作はおよそコメディには遠いシリアスな内容で、結末もまったく違って暗く閉じられるようで……、なので、映画はあくまでもインスパイアされての成果ということになろうけど、これはこれで翻訳版がでれば読んではみたい。

 ぁ、いや、たぶん、映画とは異なると思えば、手にしても……、読まないような気がしないでもないが。

      

 

 

1月のおわり

 

 元旦初日からのひどいグラグラでなくなった方の冥福を祈りつつも、この1月が終わる。

 2日には羽田での瀬戸際脱出劇。

 数分遅れたら、えらい惨状となったのはマチガイなく、必然として「奇跡的」という語が生じたのも、ま~判らないではない。

 思えば、「ハドソン川の奇跡」もそうだった。

 実際の事件は2009年の1月15日だ。羽田同様、同じ1月だった。

 不時着水ゆえ火の恐怖でなく、こちらは水没の恐怖。真冬の水温氷点下ではヒトは長くは持たないんだけど、機長の巧みな着水とその後の誘導、近隣の船の駆けつけが功を奏した。(機体は着水して1時間弱で完全水没)

 ハドソン川の件は後に映画化されたけど、こたびの羽田もやがて映画だかになるのか? いや少なくとも日本映画は造られないな。もう一方の震災地に飛ぼうとした飛行機があまりに気の毒。

 ギリギリ瀬戸際でセーフだったという意味では、派閥パーティによる集団ネコババ行為での起訴をまぬがれた自民党醜悪議員諸氏の、「やれやれ、ほっ」といったズ~ズ~しいのもそうなんだろう。

 もちろん、祝福に価いしない。

 労せずして秘密収入を得て、ばれても尚、ナンだカンだと言いつくろってる連中が政治の中枢を担っているブザマをマノアタリにすれば、フランスや英国や米国なら国会取り巻いた大規模デモやら暴動が起きてあたりまえだけども、ニッポンはそうならないのが不思議。

 どこか……、我々は犠牲の儀の字に似た「蟻」と書く、集団でありつつ黙々しきった生き物っぽい。

 皆なで一押しすれば腐敗連中など容易に退場させられるとも思えるけど、近頃の日本共産党がごとく身内批判にエネルギー費やして昨日までの友を糾弾排除といった、小さく内向きに集団化してしまっちゃ~、グラグラした大地同様に不安定。お伽噺の門とて開かない。

 

 年末から新年にかけて、amazon primeが「ハリー・ポッター」シリーズ全8話を一挙配信したので、順おって観たんだけど、だんだん退屈になってったのは、こちらの感性が劣化しているゆえかしら? 

 3話までは映画館で観たけど、以後の作品は接していなかった。

 成長物語。3人の主役たちも子供から大人へ声変わりし、容貌も変化してと、そこはそれなりにヨロシイのだけども、同時に、コドモ→オトナへの移行が哀しく眼に映えたのも事実。

 大昔に読んだ「鉄腕アトム」第1話の天馬博士の悲哀を思いだしもした。

 天馬博士は亡くなった子供の代用としてアトムを創ったものの、背丈も伸びないアトムに苛立ってアトムを虐めてしまう次第ながら、グローイングアップの、受け入れ、あるいは拒絶、というようなコトが映画を観つつ常に明滅し、それが余計にハリー・ポッターの御伽に没頭できない足枷になったような気がしないでもなかった1月。

 

 過日にイトメン本社で買った「キャベツラーメン」が、珍しさも加わって、美味しかった。

 キャベツをメインにもってきた英断がキララっと光って秀逸。さらにキャベツ切って増量させ、ムキエビなど入れて、はんなりとした塩味を愉しんだ。

 次に出向いたさいにまた買うつもりながら、やはり「チャンポンめん」の旨味にまでは昇っていなくって、そこらあたりがイトメン社の課題だな……、小生意気な評論家みたいなコトを云いつつも、アイ・ラブ・イトメンに変わりなし。

 

 1月半ばに届いた、1970年当時の万国博覧会グッズ

 純然たる置き物で会場内で売られていたらしい。例によってオークションでの競り落とし。

 経年で外周金属フレームのメッキが剥離しかけていて、応急処置でビニール被せて保護したけど、中身は大丈夫。丸い青色の透明プラスチックが中のオブジェを浮き立たせてヨイ効果を出している。

 金ピカの大阪城と金銀にメッキされた太陽の塔が、安っぽいながらも大阪スーベニアンなテーストを醸し、1970年当時、お財布からお金出して、ついコレを買ってしまった方はきっと関西圏のヒトじゃなかったろうとヒッソリ想い、さらに54年後の今、私のところにやってきたゴエンを思ったり。

 会場でこれを買ったのが当時40代か50代くらいの人物と思えば、その方が亡くなって家財道具が親族の手で処分され……、それで古道具屋経由でオークションに出品されていたのかもと空想するワケだ。

 モノはモノを云わないけどモノガタリを秘める。

 

 秋に葉を落としたカリンが、すでに芽吹いている。

 寒い日もあれど長続きしない。やはり温暖化ゆえか?

 新芽が出るのは一見は喜ばしいけども、早く芽吹くと、生理障害を起こして病気になりがちだそうな……。2月はどんな気温となりますやら?

 

 それにしても能登半島壊滅的打撃……。

 観光資源も漁業も生活もメチャになってしまった深刻度合いの深さに衝撃されたまま、かの高名な一語「地の塩」ではないけども、近所のスーパーの応援セールで北陸方面のモノを買ったりするしかなかった1月ながら、続々更新される諸々なニュースの量に押されて、現在進行形の苦痛であるハズなのに、亡くなった方の四十九日もまだ済んでいないというのに、早や風化が進行しているようにも思えたり。

 

 ヴィム・ベンダースの『PERFECT DAYS』をシネマクレールで見終え、たかちゃんの店で吞みつつ夕食をとってるうちに、やたら『ベルリン・天使の詩』を観たくなる。

 “受け入れる”という一語とその行為がたえず明滅し、起承転結の物語ではなく、静かな力強さみたいなものを心が欲しがっている。

 たしかDVDがあったはずと帰宅後に書棚を探したけど見つからない。

 探すのをやめたら出てくるかもと一夜置いてみたけど、出てこない。

 なので翌々日にBlu-ray買ったけど、チャチャッと観るような映画じゃないんで、こちらの気分とピタリ符合した頃合いを待つことに、する。

 その代わりと云っちゃ~なんだけど、『PERFECT DAYS』で石川さゆりの横でギター伴奏していたあがた森魚のアルバムを連続で聴き、引いて満ち、満ちては退く、彼の海の波間に漂う。

 あがたは昨年11月末頃に「海洋憧憬映画週間」(仮題)という新アルバムのリリースを予定し、ご本人と当方のやりとりの中、その内の一曲をサンプルとして頂戴してもおり、期待を濃くしていたけれど、別アルバムに差し替えられ、1月になって販売を開始している。

 そのあたりの彼の心境の変化変遷をたどる必要はないけども、いみじくも結果としては、日本海側と太平洋側の相異はあれど、寒々として荒れた海洋光景のジャケットが、能登半島津波を含む震災とかぶさって……、この1月というヒトツキの流れをいっそう印象づけてくれた。

 

 

天下の御意見番

 

 昨日24日より30円も値上がって480円になっちまったビッグマックを頬ばり、ビール(発泡酒ですが)で流しこみながら、昔の東映映画を眺めるんだった。

 30代の頃からマクドナルドに行けば、ビッグマック2つを買う。

 いまだにこれが揺るがない。

 ご飯の類いは、ときに茶碗1つ分も食べられないホドに食が細っているけど、ビッグマックのみ、2ケ平らげられる。元気なのかそうでないのかよく判らんが、いいのだ、気にしない。

 気にすべきは、値上げだな……。毎日食べるワケもなく、せ~ぜ~2週に1回程度ながら、2022年10月に390円から410円になり、さらに450円になり、こたび480円。

 こんなトントン拍子、好かんなぁ〜。

 この値上げ連打の中でパッケージも去年10月に変更になってるけど、下写真の以前のもの方がよかったような気がしないではない。以前の方がビッグマックらしい迫力があったよう思え、なぜに文字を小さくしちゃったのかと訝しむ。

 

 で、東映映画。

 1962年作の『天下の御意見番』。

 日本映画の黄金期時代の作品。豪華にして絢爛。充実して活き活きとし、こういうのを眺めつつビッグマックを頬ばると、うまさまでが増量されるようで、30円値上げされた分を映像が取り戻してくれるような感もなくはない。

 ぁ、2ケだから60円だな。2022年のネダンで較べると180円分だな……。

 

    

 

 Blu-rayでなくDVDどまりの画質が残念ながら、ま~、いいのだ。

 ギドギドせず、ベタベタせず、刀は抜かれても血液らしきは描写されず、大勢のビッグ・スターが、驚くほどに贅沢に造られたセットの中で振る舞う演技を、ただもう見蕩れてりゃイイという娯楽黄金。

 馴染まない武家言葉でセリフの1/3くらいはよく判らないんだけども、そこも逆に醍醐味。

 

 いまどき造られる時代劇には、茶坊主なんぞは1人たりとも出て来ないけど、この映画ではしっかり描写され、上級武家の生態が垣間見えるんだから、たまらない。

 前々回に記した後楽園での池田家殿さんの生活でも、実は茶坊主が殿さんを支えている。

 格と身分による差別的社会であったにせよ、その格と身分をどう際立たせ、どう日常化させていたのか……、そのあたりの消息が茶坊主という「職」、役職名を「御茶道」というんだけど、チラチラ見えて、おもしろい。

          江戸城内のあちこちに灯りの蝋燭を配置する茶坊主の皆様

 

 幼い頃より茶を学び、所作を体得し、帯刀せず、剃髪ゆえに"坊主"ながらも歴とした武士階級の者たち(僧じゃない)。

 かれらが茶の湯の手配、来客接待、案内、屋敷内の蝋燭の点火と消火、手紙の届け、諸事万端なんでもこなした。

 茶事のみならず、秘書のようにふるまい、常にトップクラスの方々と接するから、禄はさほどでないけど階級は高いという、そこいらの武士を軽く凌駕する影響力ももった。

 茶坊主もピラミッド構造の組織なので位が高いのは1部のヒトね。秀吉と利休の関係がより合理的組織的に再整備されたのが江戸時代だったと思えばいい。

 

 茶坊主は、商家の次男坊らを武士階級に昇進させる裏口通用門でもあって、たとえば、赤穂浪士の討ち入りで惨死した吉良家の“被害者”の中には、吉良家出入りの茶商の次男坊で当時15歳くらいで吉良邸宅に住み込みで働いていた坊主少年もいる。

 襲撃事件なくば、彼はもう数年経てば、武家の次女とかと婚姻し、晴れて武士階級の“家柄”となってメデタシメデタシだったのだろうが、そうは問屋が卸してくれなくってアジャパ~、実に気の毒なのだった。

 

 以上は2017年、7年ほど前にも書いていて、自身読み返すに、『天下の御意見番』にも触れてるなぁ。なのでこたび、7年ぶりに、この映画を観たワケじゃね。

 ま~、何年ぶりでもいい。繰り返し観られるだけの絢爛でこの映画は塗られ、鮮度を保っている。いや、鮮度を増している。

 もうこんな大がかりなセットや多数の出演者を使った潤沢な映画は造れないからね。なんぼCGを駆使しようが、62年前のこの醍醐味はリメークしようがない。

 上写真は月形竜之介演じる大久保彦左衛門が朝に顔を洗うシーン。それだけのためにこのビッグなセット……、ビッグマック2つの経費でないのは顕らかで、こんな何でもないシーンで彦左衛門というヒトのカタチをチラリと見せる演出が結局は映画の厚みとなってるんだから、無駄に経費を費やしているわけじゃない。チャンと朝靄もかかってる。

 

 木村功演じる大久保彦左衛門の次男が花魁と遊ぶシーンでは、花魁太夫を中心に振袖新造(15歳くらいの遊女見習い・太夫の助手の役割)多数、さらには禿(かむろ・オカッパ頭で雑用係の10歳前後の子供)が5〜6名ほどチャ~ンと配置され、さらに槍手(やりて・マネージャー的役割)女性も描かれていて、かつての絢爛っぷり、かつての遊郭での上下関係やらが、偲ばれもする。

 

 脚本は黒澤映画でお馴染みの小国秀雄。徳川家光の時代に徳川幕府が“安定”した史実や、大久保彦左衛門がタライに乗って登城した講談話などからストーリーを着想したと思える。

 物語は寛永5年の新年1月2日、三代将軍家光の元へ賀正の挨拶に来た旗本の行列と外様大名の行列のぶつかりに始まり、彦左衛門を中心に置いて、格式と階級の狭間での武家プライドが描かれる。

 今のメダマでみりゃ、実に馬鹿馬鹿しい内紛劇じゃ~あるけど、当事者ら全員にとって馬鹿馬鹿しくはない事態ではあって、それで右往左往のドタバタがはじまるという、まことに馬鹿馬鹿しい次第が、映画的におもしろい。

 

 町民の一心太助が出てきたりと史実には遠い映画だけども、旗本VS外様大名の格差解消に家光が遂に強権をふるい、

「祖父家康や父秀忠は外様諸侯を客分としてもてなしたが、自分は生まれながらの将軍の身。よって外様大名諸氏も我が臣下に過ぎない。次の正月よりはこちらから祝儀をお配りすることも廃する。また諸侯全て1年ごとに江戸に住まうこと。参勤の費用は自分で出せ。文句あるなら我が旗本のチカラでねじ伏す」

 といった意味の宣誓をして、一強独裁の道を確固とした結末部分は、今の北朝鮮や中国を見るがごとしで必ずしも面白く楽しいワケもないんだけども、娯楽作品として眺めきれば、最近の映画では表現されない諸々が映され、そこがま~、価値ありという次第。

 

 デビューしたての北大路欣也が驚くほどに美しい将軍・徳川家光を演じ、茶をたて、市川右太衛門扮する水戸頼房にふるまうが、かすかに、けども明らかに、右太衛門はぞんざい粗略に茶を受ける。

 ほんの束の間、通り過ぎるだけのシーンながら、初の親子共演。照れもあったかも知れないけど、眺めていて微笑ましい。

 一方で、一心太助を演じた新人の松方弘樹が出てくるシーンがことごとく、硬い演技を隠そうと空元気だしてるのが痛々しくヨロシクなかったりもするけど、ま~、しゃ~ない。

 

 上は、大久保彦左衛門宅での家来やら中間やら足軽やら、御台所仕事の飯炊きや縫い子たち全員登場のシーン。当時、主人と家来の会食はありえないけど、いささか上級クラスの武士1人の体面がためにこれっくらいのヒトが関わっているという次第を証す場面。

 けどもナンだねぇ……、ナンギだなぁ、身分社会は。

 このシーンでは一同平服のみで彦左衛門に言葉を発しない、というか話せないんではねぇ。天下の御意見番を自称の大久保彦左衛門もとどのつまりは階級制度に疑問を持って意見するワケでもないというのが、ま〜、おかしかったねぇ。

たつの経由で姫路の もう1つの城へ

 

 たつの市に向かい、イトメン本社の直売所に入る。訪ねるのは2回目。

 岡山市内では売っていない同社のインスタント・ラーメンを買う。

 

 

 イトメンの「チャンポンめん」に初めて接したのは高校生の頃で、以後50年ほど、ず~っと交際している。

 ず~っと、といっても大阪で学生だった頃は交際が切れてた。

 阿倍野界隈、近鉄南大阪線界隈では売っていなかったよう記憶する。

 入手しやすかったのはハウスの「シャンメンたまごめん」だったな……。たしか40円以下とダントツに安くって、ビンボ~学生には救世主的インスタント。少年マガジンに連載中だった松本零士男おいどん」を読みつつ下宿の小さな部屋ですすり、主人公のトホホっぷりと当方のトホホっぽさを苦々しく重ねつつ、毎度お汁まで全部平らげたもんだ。

 でも帰岡して「チャンポンめん」に再会し、以後はず~っとね、大きな浮気なし。

 

 

 だからこたびも複数の違うインスタントを買ったけど、たぶん、「チャンポンめん」を越えるモノではないだろう。

 舌は強情な保守主義に徹してる。でも、当方が久しく好感寄せるイトメン社の、その他製品を買うことを反対したりはしない。舌先三寸のところで黙ってる。

 ま~、近頃はさほどインスタントラーメンを食べなくって、2週に1ケ食べる程度なので、複数買ったけど消費はいつになるのやら判らんけどね……、キッチンにインスタントの在庫がないと落ち着かないんで、同じ置いておくならイトメン製品がイイなぁという次第で、わざわざ本社に買いだしだ~。

 

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 小雨の中、龍野城のすぐ近く、たつの市街を一望できる場所にある聚遠亭(しゅうえんてい)に行く。

 龍野藩の藩主・脇坂家のかつての上屋敷

「御涼所(おすずみしょ)」を中心に、「浮堂」や「楽庵」といった茶室が配置され、冬場ではなく紅葉の秋に訪ねたら、さぞや良かアンバイな景観を愉しめるだろうとも思ったけど、御涼所の三十畳敷きの広い部屋での盛大な茶会などを空想し、江戸時代のここの殿さんが、自慢の茶器を招待客に見せてエツにいってる様子をアタマに浮かべたり、した。

 

 脇坂家は徳川家綱の時代、寛文12年(1701)に龍野に入り、以後明治に至るまで延々に代を継いできたから、小藩とはいえ、たぶん、そこそこの茶器も集積させていたろうと思え、

「この器はな、ひい爺さんの先々代が江戸城ナンとかの間で将軍様よりもろ〜たもんやでぇ、ウフフ」

 ってな風に自慢顔でホッペを緩ませているのを想像し、広言したって、お咎めなしの昨今がヤヤ嬉しい。

 

  

        質素ながら風雅な聚遠亭の静かな佇まい。浮堂が良い感じで見蕩れた……

 

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 相生方向に引き返し、道の駅「あいおい白龍城」に入る。

 白龍はペーロンと読む。

 海辺にあって、何度も立ち寄ってるけど食事したコトはなかった。

 えきそばで高名なまねき食品が運営しているレストランがここにあって、えきそばの上に相生産のカキをのっけたのがある。オマケでカキ飯もついている。

 海ぎわの席に座り、それを頂戴す。

  

 夏には味わえないシーズンもの。暖冬ぎみでこの冬はカキの身が小ぶりらしいが、プリップリッとし、えきそばの味と上手く合体していた。

 

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 食後、姫路に向けて駆け、太陽公園に行く。

 かねてより、チビッと興味があって、どんなアンバイかしらん? とは思ってたので、このさいだ……

 こたびは男3人のミニ旅ゆえ、メルヘンぽ~い場所は如何なもんかという気もなくはなかったけど、訪ねたことがない施設ゆえに、まずは見てみなくっちゃ~何ぁ~にもいえないワケで。

 

 

 で、入場料1500円でモノレールみたいなので山頂へ上がってくんだけど、

「あいや~~」

 近づくに連れてドンドン大きく見えてくるのでチョット畏怖した。

 

  

  

 ノイシュバンシュタイン城を模し、1/3程度にまとめた白鳥城は、1/3規模とはいえひたすらデッカイ。

 

 中は7階の層があって、まずは4階にあがり、5、6、7階を見学後に3階におりて、そこから四方を城壁で囲んだ中庭見学、さらに下におりて別の庭見学という順になっていて、トリックアートを含め、アレやコレやソレやらの展示室多数。

 とはいえ、驚くような展示物はなし。トリックアートでチョイっと遊ぶ程度。

 

 

 城を出て、モノレールで下山し、「石のエリア」へ。

 石をテーマとしてはいるのだけど、感じとしてはゴッチャ煮のチャンコ鍋、それも常軌いっしたデッカイ鍋。

 凱旋門をくぐるや、モアイ像多数が並び、被さるようにインカやアステカといった方面の石のアレコレが大量ボリュームで配置される。ボリビア太陽の門をくぐれば遠方に紫禁城やら中国山西省の双塔寺1/1レプリカが見える。

 

「なんじゃぁ、ココは……

 男3人、絶句し、苦笑し、呆れかえり、

「ケケケっ」

 不明な哄笑を漏らす。

       天安門的な広場を歩いて向こうの紫禁城へ行くのは、雨ゆえ、ヤヤつらい

        広大過ぎの上に雨天。双塔寺のかなり手前で足を止め、その先は見学断念

 

 眺めみれば、すべてが「場違い」の匂いをたてているような感じが、なくはない。

 映画のセットは時にチープなものがあるけれど、「映画」という主語があるから意味をしっかり持っているが、ここには主語らしきがみあたらない。

 個々はしっかり造り込まれてはいるけれど、得られる感触の中に、

「なんだか、やたらに虚しいぜ」

 って~な空疎が混ざってくる。

 

 

 宏大な地所を埋め尽くす膨大な石のアレコレに、莫大なお金が注がれているのは一目瞭然でその物量大作戦には感嘆あるのみながら、出てくる気分は、

「けっきょく、何なの?」

 灰色のモヤモヤ。

 モノはモノの背景となるヒストリーがあって初めて「モノガタレ」る存在となるが、ここではそれが欠落している。大量に設置されながら、逆になぁ~にもない……、という奇妙感。

 

 が、いささか感じいったのもある。

 兵馬俑1/1スケール展開の巨大なイミテーション……。この規模には感嘆させられた。

 ここではイミテーションが徹底され、徹底したがゆえに、中国の本物リアルがヴァーチャル的に浮き上がりつつあるような気迫と気配があって、

「まいった……」

 降参せざるをえなかった。照明はいっさいなしで自然光のみというのもイイ。

 

  

            1/1原寸による巨大模型。3人共々、感嘆あるのみ……

 

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 腕がもげちゃった巨大埴輪にいささかの哀愁をおぼえつつ、そこからテクテク園内をおよそ1Km歩いて引き返し、退出……。

 総じて顧みると、感覚が無くなって量とて推し量れない虚無を味わえたし、一方で兵馬俑の原寸再現に、「あっ」とも驚かされ、雨に濡れ、広大過ぎて足は棒になるしと……、気分はさがったりあがったりと賑やかだった。

 愉快体験としか云いようがない。つい拍手したくなるほどの異界っぷりが、お・も・し・ろ・く、もあった。

    

 

 経営母体は社会福祉法人で、パークに沿って、というか、パークと大きな老人ホームや介護施設をうまく共存させている。

(パーク来訪の我々は万里の長城を模した全長2キロメートルに及ぶ石の道を歩き、介護施設関連への家族やらスタッフやらとは一定の距離を保つ仕掛けになっている)

 おそらく施設には、かなりの方が入所されているんだろう。身体不自由して毎日眺めるこのパークの光景はどう映えているのだろう? 

 尋ね聴くワケにもいかないけど、イチゲンさんの当方には異界でも、入所している方にとっては、桃源郷めいたカタチなんだろか? そこのところ……、不明。

 得体のない空虚もおぼえたけど、スタッフはいずれの方も親切で丁寧で気持ちがいい。雨天でない時にもう1度くらいは再訪してもイイかとも、ちょびっとおもったけど、車に戻るや、

「さぁ、晩ごはんはどこで何を食べようか?」

 早や気分は移ろっているんだった。

 

後楽園の昔

 

 車屋さんのF氏がやって来たので、しばしカーポートで立ち話。

 F氏は英国車を整備して30年のベテランだけども、

「電気の車社会になってしまえば今の整備士は絶滅種になるでしょうなぁ……

 嘆いてる次第ではなく、しゃ~ないコトだと時代の移ろいのコトを云う。

 

 暮れの31日にひょっこり来てくれた九州の若き友(2人めの孫が出来たけど)も、想えばそっくり同じコトを云ってたなぁ。

 こちらはイタリア車専門で整備をやってやはり30年のベテラン。

「自分の世代は大丈夫でしょうが、10年先は様相が変わってるでしょうねぇ」

 危機感というより諦観として、この先の車整備事業を見詰めてた。

 FIAT500も、昨年でもってガソリン車としての製造に終止符がうたれ、電気自動車としてのFIAT500eに移行している……

  10年はまだしも、20年先の路上では、ガソリン車はほぼ駆けていないアンバイになってるんだろうけどねぇ、

「電気自動車って、オモシロイ乗り物かしら?」

 とのクエスチョンには、当方含め3人とも、

「面白くないっしょ~」

 で、一致なのが、お・も・し・ろ・い、わいねぇ。

 もちろん、それもやがて忘れられるんだろう。

 電気自動車しか知らない世代が主流になると、「ガソリン者? どこがイイの、そんなモノ」ってなコトに変じてしまうのも自明。

 西部開拓の時代、荒れた大地を見事な手綱さばきで幌馬車やら駅馬車をドライブさせてた連中が、長距離ラクラクのガソリンで動く大型のグレイハウンド・バスの出現で淘汰されていったのと同じく、転換期ゆえの痛みある……、悲哀だ。

  

 我が宅で九州からの若き友達と。FIATを知り尽くしている彼が岡山在住ならなぁと想わないではないが、ま~、しかたなかんべぇ (^_^;)

 

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 過日の新年会ケン同窓会で祇園用水の話が出たさいに、当方次いでゆえ、後楽園が世界でも希有な、バビロンのそれに匹敵する「空中庭園」だったコトを告げたけど、これはちょっと説明を濃くしないと意味が通じないハナシだ。

 園内を流れる川や池は、すぐそばの旭川より高さにして4メートほど上にある。

 水は上には上がらない。

 では、どうやって?

 その仕掛けは現在は使われていないけども、55年ほど前まではそれが機能していた。

 どうなっていたかといえば、要は長大な長さを持った導水路による『サイフォンの原理』の素敵な使用例だったんだ。

     

 後楽園の中を流れる川や池は、6キロメートルも離れた岡山市中区祇園の取水口から始まる。

 遠大なこの導水(水路)、祇園の取水口と後楽園附近とでは4~5メートルの高低差がある。

 この高低差が要め。

      

 旭川より4メートル程高く盛りあげられている後楽園の地表に川を現出させているのが、まさにサイフォンの原理、旭川の流れとは別途に、祇園から流れる水路は旭川の流れの下に設けられた「水箱管」に導かれて、祇園の取水口と同じ高さにまで水はあがってくるワケだ。

 後楽園は、まったく驚きモモノキの設計に基づいた「空中庭園」なのでした。

 

 残念にも、55年ほど前にこの機能は停止され、現在はポンプによって揚水されている。

 停止理由は、昭和30年代に龍ノ口山のふもとに旭川知的障害者施設)関連で養豚場が出来て、その汚水が後楽園に流れ入るかもしれない。豚の糞まみれの水を天下の後楽園に流すとは何事か……、というバカげた言説による。匂いもあるし、市内最大の観光ポイントで汚染水による赤痢とかコレラが出ては困るといったようなアンバイ。

 岡山県史に残る超絶に愚かしい結末、と思える。

      

 ホントは「幻想庭園」どころじゃない世界に冠たる「空中庭園」で、観光資源としても大きなコトなんだけど、なんででしょ? 上記の顛末ゆえか、後楽園を紹介する多くの本は本来の導水路のコトに触れず、管理者の岡山県も江戸時代のこの素晴らしい造園術のことをアピールしない……

 日本三大名園の1つと云われたのは、水を引き揚げて運営したそのトータルな形であった筈で、今はその屋台骨となる空中構造を失せさせてポンプ機器で揚げてるだけの、悪しくいえば、ありきたりの庭園だ。

               上写真2枚:岡山後楽園のHPより

 

 以上は5年ほど前に記したコチラの記事を参照くださればと思うけど、で、今回書くのは、江戸時代の後楽園(当時は御後園という名)はどう活用されていたかというコトなんだ。

 早いハナシ、大袈裟にくくって云えば、後楽園は池田家代々の殿さんが、江戸で恥をかかないための、徳川家やら他大名やらの前で恥をかかないための、「茶の湯」の練習場なのだった。

 

 戦乱もなく泰平となった江戸期の全国の殿さんは、江戸城での徳川家や諸大名の前でどう振る舞えるかでその「格」が評されるという次第で、わけても「茶の湯」は大きすぎる程のキーポイントだ。

 ごく仔細な所作までが、他藩の殿さんや官僚に影で品評され、それで人格までが上がったり下がったりする、まったくつまらない格差社会が江戸時代という時代の核にある……。綱吉時代に起きた赤穂事件も格差を過剰に意識せざるを得なかった諸事情に根ッコの先端があったんだろう。

 

 という次第で眺め見ると、後楽園内に幾つもの茶室があるのも納得できる。「茶の湯」は場数を踏んだ方がよい。陰口云われぬよう、1に練習、2に練習。場所を変え、雰囲気変えての練習も大切だ~ね。

 所作に限らず、使う道具、飾る草木の知識など、研鑽を積みに積み上げる。岡山の殿さんは自身のエ~格好を見せるために常に鍛錬していたワケだ、後楽園で。

 で、練習を積んでいくとどうなるかと云えば、「茶の湯」のことが大好きにもなる……。慣れは自信につながり、自信は人格を固めつつ、いっそうの求道として「茶の湯ワールド」に邁進させる。

    

 たとえば5代目藩主の池田治政は、経費抑制のためとして、後楽園内に芝生を敷いて維持管理費の節約に努めた殿さんというのが今に伝わっているけども、『大名庭園の利用の研究』(神原邦男著)によれば、彼は天明元年1781)の5月6日に江戸から帰るや、翌日より6月の終わり頃まで毎日、後楽園にて茶会をやり続ける。さらに家老達の茶事稽古にも同席して「茶の湯」どっぷりの日々を送って、とてものこと、経費を抑えた人物という姿に遠い。(招待客への連絡やらセッティングのため藩内には「茶事専門」の課がある。他藩もそうだったろう)

 

 歴史本では、後楽園は岡山城の東側からの敵防衛が目的という記述が通り相場だけど、それは極く極く初めのハナシに過ぎず、江戸期全般で眺めみると、「殿さんの茶道実践訓練場」というのが正鵠だろう。

 プラスして、「能」の練習場でもある。

茶の湯」と「能舞」は殿さんが殿さんであるための必修課目。

 現存している後楽園内の能舞台は1つだけど、江戸中期には複数あったようで、訓練つんで、やがてメチャにそれが好きになるコトもあったろうさ。

 実際、池田綱政(後楽園の原型はこのヒトの治政時にできあがる)は、側室と寝るより自ら舞うのに夢中になったらしきで、でもしっかり70人くらいの子供も作ってるけど……、お抱えの能役者を多数抱えて、彼らは大坂や江戸に住んで、綱政さんが岡山に戻ると岡山入りするコトになっていて、その旅費やら歓待の茶会やらで経費も甚大。

 こうなって来るともう政治家でもなく、性事で夜更かしよりも、踊りにフィーバーしちゃったダンサーっぽくって、江戸時代の妙チキリンを知る1つの好例といえなくもないし、庶民文化とは二極化正反対ながらも、絢爛にして洗練の文化圏を造った髄と見えなくもない。

 

 ともあれど……、かつて後楽園は、見事な設計によって6キロメートルも離れた水源と結ばれた「空中庭園」だったというデッカイ事実は覚えておくべきポイントだし、強くアピールすべきコトのような気がしていけない。

 本来の姿カタチを復活させるべきとも想う。

 祇園からの水路は市街地に近づくと埋設されて姿こそ見えないけれども、後楽園すぐそばまで繋がっていて、今は虚しい排水と化してプラザホテルの南でダバダバダバ、365日刻々、旭川にながされ捨てられている。

       

大きすぎ……

 

 中区国府市場の天満屋ハピッシュすぐそば、マグロ料理専門店「Kurofune」で、小学校の同級生たちと会う。

 新年会かねた同窓会。3年ぶりかと思ってたけど4年ぶりだと幹事の堀君がいう。

 べつだん懐かしくもなく、心おどるワケもないけど、コロナにかかったヤツはいてもコロナで落命したのはいなくって、その点のみ、幸いというか、

「や~や~」

「よ~よ~」

 互い互いの顔をば眺めあい、北叟笑む。スペイン界隈ではまたマスクの着用義務づけが取り沙汰される程に変種ウィルスが台頭しているらしく、コロナ禍というより最近は、

コロナ期

 を生き延びてる感もチラリ。

 

 

 かつての同級生たち……。実年齢より10歳ほど老けているヤツもいる。顔カタチ以上に、しゃべる内容が後期高齢者がごとくで、本物のお爺さんっぽい。

 が、彼が蓄えている地域の昔の話には、耳を傾けるる価値が存分にあり、時にメモを取ろうかと思わされる。

 祇園用水から分岐した多数の細い支流が、ただの用水路ではなく、個々に名がついていて、彼はそれらを諳んじているだけでなく、○○川では○○という魚の生息数が多く、□□川では△▲という魚が多かった……、

「ザリガニは3〜4匹採ってきて、煮て喰ようたな」

「ドロっぽくないのか?」

「ヤ〜モトは転向してきたから知らんじゃろ〜が、昔の水路はどこも綺麗じゃから、ザリガネも臭みがなかったでっ」

 などなど、貴重な過去の語り部に相応するハナシの数々。

 要は古老の風格、良い時間を堆積させた男の声なのだ。

 

 

 それで、『ターミネーター:ニュー・フェイト』のシュワルツェネッガーとリンダ・ハミルトンを想い浮かべた。

 老人映画だと一部で不評のようだけど、当方、あんがいと好いてる作品だ。シュワルツェネッガーにあのサングラスを着けさせなかった演出やらに、カッコつけるよりは老体ムチうって励む勢いがにじみ出ていて、いいのだ。老いて尚も反逆姿勢揺るがずのハミルトン演じるサラ・コナーのブレない気概が、いいのだ。

 

 余談はさておき、一方で、実年齢より若い女子も、いる。

 女子というのも何だけど、ま~、小学校の同窓会なので「ジョシ」でいいのだ。

 熟女に化身して尚も鮮烈を保って華やぎがある。小学生時代にはなかった妖艶含みの深みと謎めいた魅惑を肩先に携えて安定し、な~かなかにヨロシイのではなかろうか。

 その女子らに囲まれるカタチで着座し、旨い酒に美味いマグロのアレコレを味わう。舌の上で溶けてくトロの絶妙に官能の芯が悶える。

能登半島への自衛隊派遣、あまりに遅いし、規模も小さ過ぎ。あのオトコ、ほんとにダメなやっちゃ」

「役に立たんなぁ」

「じゃろ~ッ」

 1人が云うと他女子も大いに頷き、この国の政治トップの頼りなさを盛大に腐(クサ)す。

 腹立ち度80パーセント以上の波乗りめいたアングリー具合に、つい、酒がすすむ。

 1人の女子が「これは苦手」と云って皿が廻り、マグロのカルパッチョ2人前を食べる。よいよいヨイのハングリー。

 

 

 この店に入ったのは初めてで、なんでこんなトコロでマグロ料理専門店なの? とも訝しんだけど、近々に磨屋町だかに2号店をかまえるらしい。

 景気いいなぁ。

 

 

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 ヤフーオークションに、1970年万国博覧会のシンボルマークをうまく活用したいささか珍しいと思える灰皿が出品されていたので、入札し、競り勝つ。

 で、届いたのを見て、

「あらまっ」

 大きさに困惑した。

 想定した2倍は……、ある。

 

 1970年頃は、このようなデッカイ灰皿がまかり通っていたんだねぇ。

 と、それにしても、このデッカイのを博覧会会場で買って持ち帰ったヒトは、よほどのスモーカーか、あるは散髪屋だかが家業で、その待合室に置きたかったんだろうか? 60~70年代頃は散髪屋さんは町内の寄り合い所でもあって、シガレット吸い吸い将棋をうってる中高年者がいたからなぁ……。

 高さだけで12センチもあるから、なんぼ吸ってもたっぷり納まる。

 

 ま~、そんなことよりも、これを入手しちゃった当方だ。

 デカ過ぎでかえって灰皿として使えない。上部の金属部分が容易に外せるから、飴玉でも入れるかと思ったけども日常それほど飴の類いを必要としない。

 お菓子も食べないので使えない。

 花を活けるのも馬鹿馬鹿しい。

 飾っておくのはもっと馬鹿っぽい。

 木彫り風味な造りが「民芸品」っぽく、今となっては気恥ずかしい。

 コレクションでなく、実使用を考えて入札しちまったけど……、でかいゆえ、タハハ、よ、用途がない。

 ちゅ~ワケで本日ただいまは無造作に転がし置いて、

「余計なもの、買っちまったかな」

 後悔がアタマをもたげるのを懸命にこらえ、1970年万国博覧会頃の喫煙状況を知る、サブカルチャーとしての1つの見本……、と文化史的メダマであえて眺めてる。

 

 

 1970年万国博覧会では会場内にて、あるいは会場外でも、おびただしい量の公認グッズが販売されたらしきだけども、今に至ってもその全貌は知れない。それらを一同に紹介する書籍も出ていない。

 土産物としてのそれらグッズ達を眺めれば(おそらくイチバンに多かったのは記念メダルの類いと思えるが)、1970年の日本のカタチが、経済効果やら心理効果やらやらが、ほのかに見えるような気がしないではないんだけども、ね〜。

 アーカイブされぬままに、川面を流れる木の葉のように、記憶が失われていくのがとても、ザ・ン・ネ・ン、なり。

 

 ちなみに、ケンタッキーフライドチキンの日本でのスタートは万国博覧会アメリカ館内だ。試験的に運営された小さなコーナーだったそうな。

 なんと当時の額面で1日の売り上げが280万円もあったそうで、その旨、KFCのホームページにも記載されている。

 カーネル・サンダーズはこの勢いに気をよくし、日本各地での出店を決めたそうで、となれば、70年万博は Kurofune の入港ゲートだったワケだね。

   

 写真はKFCのHP より。日本人スタッフ達と記念撮影のカーネル・サンダーズさん(中央)。

 この写真は万博会場ではなく2年後の青山店オープン時か銀座店の前で撮影されたと思われる。アメリカン・サイズの背丈のある若い男子を採用してるね。カーネルさんは1980年に没したけど、店に行けば会えるね、そっくり人形に。

 

 

四御神の大神神社

 

 元旦早々の石川県での大地震……

 なんかねぇ、妙だったの。

 

 

 毎年元日は朝からおせち摘まみつつ日本酒を吞むのを常としているんで、2024年最初の朝もユルユルと吞んでたのだけど、お雑煮も食べて、さぁ~昼寝と思いつつ、チラリ庭先を見たら、雀がね……

 

  

 

 別段に雀が珍しいワケではないけれど、このような光景は初めて見たワケだ。

 一見はただエサを探して路上をついばんでるだけのように見えるけども、少なくとも我が庭先では初めての光景ゆえ、

「うん? 何? へんだなぁ」

 と、異変っぽかったんでIPhoneで動画を撮った次第。

 飛来して金木犀にとまり、用心したあげくで小さな池で瞬間的に水を飲んだりというコトはあっても、セ~ゼ~が1~2羽なんでね、変だなぁ~と思ったワケ。

 

 で、数時間お昼寝した後、異変が伝搬したのかどうか知らんが、フイに近場の神社へ参る気になったワケだ。

 歩いて1.3kmのところに大神神社(おうがじんしゃ)というのがあるんだ。

 そこへ向けて歩き出したのが3時55分。

 能登方面を襲った地震は4時10分だ。

 ちょうど、神社の鳥居のところまで歩いた時だったねぇ。

 岡山では震度3くらいだったみたいだけど、体感なし。

  

 

 この鳥居から、さらに真っ直ぐ歩いて700mほどのところ(写真の背後、龍ノ口山の裾)に神社はあって、今でこそささやかで小さな、四御(しのごぜ)という地域の氏神なんだけども、遠い昔には、この大神神社があるゆえに四御神という地域名がついたくらいのデッカい規模だったのが、この神社なのだった。

 ボクが中学生の頃は、鳥居をくぐるカタチでの道だったけど、宅地化で車が通れる道が望まれ、今や鳥居は道際にあるというヘンテコなアンバイになってる。

 

 1000年以上前の平安時代に書かれた『延喜式』の「神名帳」によれば、備前国では26の座(神社)が選定されていて、中でも大神神社は奉幣する神さんが4柱もある規模のでっかい神社で、当時の国家(奈良の平安京)からは、普通の神社に較べて4倍の供え物が届くという社格なのだった。

 大神神社は龍ノ口山の東の麓にあり、西の麓、賞田というところに国府(県庁的なもの)があったゆえ、相応の規模ある神社として成立していたんだろう。1000年前には瀬戸内海と結んだ水路が神社前を通って国府に至っていたともいう。今も賞田廃寺跡前にささやかな水路があってホタルが出るけども、過去は大きな規模の水路だったのだろうと想像する……。

 

 

 最初の鳥居が700mも離れたところにあるのは、その昔はそこから神社の境内だったという証しだ。かつては驚くほど宏大だったワケだね。

 今は宅地化が進んで何やらポツンと鳥居が立ってるだけだけど、当時は1町7反をかる~く越える荘園を抱える神社だったらしい。要は多数の百姓がこの神社の“配下”、米の生産をおこなっていたんだろう。律令国家の典型例だ。

 なので、昔からこの地域に住んでる方々は伝統的に今もお米を奉納する習慣がある……

 

 

 米粒が散乱しているのは雀や近所のネコのせいだろう、たぶん。

 そんな次第ゆえに、4つの神が御られるというので四御(しのごぜ)という地名となり、今となっては難読な上に、意味を知らないヒトの方が多いという次第でござんすなぁ。

 


 ま~、その辺りの次第はさておき、ともあれ、雀に触発されたかどうかも不明ながら、往復2.6km、近隣に住まって初めて、徒歩で出向いてお参りしてウチに帰ったら、大地震のニュース……

「あら、ま~、大変……

 雀の異変と地震を結ぶことは出来ないけれども、妙なアンバイな2024年元日では……、ありました。

 

 ま~、翌日2日には、駅伝が賑やかに開催され、当方も馴染んだ店で馴染んだ仲間との新年会で、不穏の2024年の出立とはいえ、笑いつつ珍味をついばんでいたけどねぇ。

 かたや新年を迎えたばかりの真っ只中での激震、生死の境……。かたや駅伝のにぎやか、新年会での初笑い……。さらには羽田での炎上旅客機からの劇的脱出とそうでなかった海上保安庁の乗員さん達の明暗……。

 

 

 不毛な無駄遣いでしかない来年の万国博覧会を止め、経費やら建築関連者を被災地に廻して、半年で取り壊す円形の屋根より家屋倒壊の方々に屋根を……、といった意見が出てるらしいけど、まったく大いに賛同。

 けれど、そうはならないであろうアンバランスの悲喜こもごも。

 Like a Rolling Stone

 転がる石でしかないヒトの身の置き所を意識させられた、この年明けですなぁ。

 

 

 米国での著作権法に伴い、この1月1日でもって初代のミッキーマウスがパプリックドメインとなったね。白い手袋のない初代ミッキーは著作権がきれ、自在に使っていいというワケだけど、ミッキーというかウォルト・ディズニーには敬意をはらい続けたい、な。