追想の戦車プラモデル

昔々、美少年だった頃、扁桃腺の手術で入院したさい、隣りのベッドに寝ていた子がプラモデルを瞬時に組み立てたのを見て、いささかの驚きと疑問をもったコトをいまもよく覚えている。
その子はボクが入院する前からそこに居て、ボクが退院した後もそこにいたから、扁桃腺の手術以外の何かの病気であったのだろうが、名も顔も実は記憶していない。
某日、その父親だか親族めく人物が彼にお見舞いの品として持ってきたのが、戦車のプラモデルで、ボクは少しの羨ましさをおぼえつつ、ちょっと寝返りをうって視線をそらせたんだけど… 次に彼を見ると、戦車はもう出来上がっていたのだった。
ものの10分と経っていなかった筈で、むろん、病室のベッドの上ゆえ、塗装なんぞは出来ようもなく、少年はランナーからもぎり取ったパーツをドンドン組み上げてフィニッシュに至ったというだけのコトなんだけど、その速度にボクは驚いたのだった。
スナップオンの簡易キットではなく、パーツ数もそこそこにある戦車だ。いくらなんでも10分以内というのは、ボクにはとうてい有りようもない時間であったので、
「!」
の次に、
「?」
が浮いたのであった。
ボクの工作速度が遅いというワケではない。
どこに奇異をおぼえたかといえば、だいたい、幼少のみぎりより、お楽しみはジックリと味わうというのが我がタチでありクセであり方針であったゆえ、お楽しみのさいたるプラモ作りをば、たったの10分で行なっちゃうのは、ボクにはイケナイことなのであった。
お食事ともなれば一番に美味しいと思われるモノを最後の最後に食べるコトが前提不可欠であり、川での水泳(昭和30年代の津山・吉井川)となれば、即効で水に入るコトをせず、あえて、ジリジリと陽を浴びて肌をこがしつつ準備体操なんぞをジックリとやって汗をたらふくかき、お水のありがたみをより増加させるべく自身を焦らしてノチにおもむろにドボン… でなくっちゃイカンな性分であったから、とりわけ、大好きな模型工作ではこの性癖を果敢に発揮したもんだ。
隣りのベッド少年が10分の戦車模型を、ボクなら10日は愉しめる。
パッケージを眺めるだけで一日は愉しめる。
パーツを眺めているだけで一日は愉しめる。
この二日の間で、見たコトはない本物のそれと眼の前にあるプラモ戦車とのギャップを埋めていくのだ。実寸がスケールダウンして手中におさまっていく… この愉悦。
早く工作をはじめたいという欲求と、工作し終えたらどんなに素敵な戦車となるんだろう、あの部分はちょっと改造したいな、その部分はこう手を加えちゃろ〜… などなどなど、茫漠たる夢想の中で自身と戦車を置いて対峙させる楽しさったら、ないのである。
眼を閉じると、その戦車に乗っかってる自分が見えてくる。キュルキュルとキャタピラの音をたてて泥田を駈け、森に入って、深閑として鬱蒼とした平地に戦車を止めて小休止しちゃってる自分を思ったりもする。
たかが模型なれど、その模型にそこまでの思いを乗せなくなくちゃイカンのである。
でもって、疼くような、火照るような、もうこれ以上は我慢デキヘンな思いが体内で充満しきったトコロで、やっと自身を解放して… 作り出す。
こうでなくっちゃ、プラモ作りとはボクにはいえないのだった。
粘着質なタチではない。
そうじゃなく、より愉しもうという思いが常に上位にあるのだ。
だから、10分で作っちゃイカン。
なワケあって、このお隣のベッド少年とは友達になれなかったんだ。ウマもソリも合わないなと直感したのだね。
だからでしょうか、ナ。今もって、おぼろにパジャマ姿は垣間見えるけれど、思い出の中のこの少年には顔がない。
でも、顔はないけれど、世の中にはそうやって即効で模型を作っちゃう御仁もあるんだなァの驚愕だけは、濃く、残る。
子供の頃であったゆえ、子供は皆な同じと思っていた。
その画一を10分少年が砕いたんだ。
それで、ボクは少し大人になった。
哀しいような気持ちも含めて、同じ少年とはいえ、違うものなのだなァと、未知の領域があるコトを知らされた。