月見橋


後楽園と岡山城を結ぶ位置にある月見橋
戦後に作られ、以来、ずっと銀色だ。
赤でも茶でも黒でもなく、銀色だ。
後楽園の樹木やら城の風情に、この銀色がはたして似合っているのかどうか… 意見が分かれるところなれども、建立いらい銀色なんだから仕方ない。
知れ渡っていないのが残念だけども、この銀色な鉄骨の月見橋は映画に出てる。
東宝映画「フランケンシュタイ対地底怪獣バラゴン」に。
1965年に封切られた。
監督は「ゴジラ」の本多猪四郎


撮影はその前年。
岡山市内のカットは5カットある。
昭和39年(1964年)の岡山駅前天満屋前や街全体が出てくるから、怪獣はさておき… 極めて貴重な映像だ。
月見橋もその1つ。
映画は、大戦中の日本軍がドイツからUボートで秘密裏に"怪物"を輸入して、これを戦局の切り札として目論んだものの… 敗戦。
およそ10数年が経過して、隠蔽されたまま広島の某所にあった"怪物"がでっかくなって研究所を抜け出す… というカタチでスタートする。
この"怪物"がフランケンシュタインだ。
身長は20mを越えている。これが広島から陸路、関西方面へと向かう。
それで、岡山が登場する。
実際は、映画の中でフランケンシュタインは岡山には登場しない。
登場しないけど、怪物が来るというので、警戒区域になって、市民が逃げ惑うというカタチで岡山は描かれる。
月見橋を大勢の人が叫喚しつつ逃げる…。
そんなシーンだ。
今は郊外型の大型複合映画館が全盛で、市内中心部にある映画館は壊滅に近い状況だけども、昭和の時代は岡山では福武観光というのが館主としてガンバッテた。
福武観光は今はメルパといい、駅前と、天満屋横のビルの5階に東宝系の上映館をもってらっしゃるが、昭和の時代は駅前にも複数の館を持ち、5館に東宝があるビルそのもののオーナーでもあった。
ビル地階にもセントラル劇場という館があって1階では喫茶店もやってた。
警察の広報車がゆっくりと走って市民に避難勧告をアナウンスしてるシーンに、この福武ジョリービルも出てくる。
茶店も映っていて、ガラス窓に書かれたメニューの内容やネダンが、今見返すと、時代の移ろいを感じさせてくれる。
そのシーンのあとに月見橋が出る。
東宝・福武観光、そして岡山市の協力のもと、当時結成されたばかりの「岡山映画鑑賞会」の人達が逃げる群衆役として登場したようである。

実はかなり大掛かりな撮影。
橋の上は4〜5人が逃げてるけど、月見ヤグラの旭川の土手ではたくさんの人が走っていて、かなりの人が動員されているのが判る。
この辺りの当時のロケ詳細をまだ誰も研究探査していないのが、残念だ。
橋上を駆けてる方々を、いまDVDなりで観ると、20代末か30代前半といった感がある。
なので、ロケに参加し、映画に登場する方々はいずれも、もう… 80歳を越えた年齢になっていると思われる。
一方で、橋のカタチ、色は、今と同じだ…。
ただ、背景となる月見櫓(ツキミヤグラ・城の一部ね)の周辺が今とは様相が違う。
今は樹木が当時に比べてはるかに大きく育ってる。
という次第があるので… ボクはこの銀色の鉄骨橋に愛着をもっている。
自動車は通さない。あくまでも人と自転車のみが通る橋。
この橋は岡山県が管理しているのだけど、映画に使われたよ〜、というコトをなんでアピールしないのか常に不思議に思ってる。
アピールしたからといって、観光客が増すわけはないけれど、訪れた方々にちょっとでも『知ってもらう』という方策、サービスがあっていいよ〜に思う。
あんがいキッチリ、しっかり映し出されてる。
ボクが県なり市の観光課の人なら… この映画は外さないよ。
どってコトもない小さくて細い橋ながらも、映画の中で"活き"続けてるのだから、そこいらの橋とは違うのだ。
そこでロケがあり、チャンと使われ、今もそこにあるというのが要(かなめ)だ。
だいたい、名前がいいじゃんか。
月見橋、だよ。
風情がありますわ。
満月の夜には月の銀と橋の銀とが共鳴するのだよ…。
そう思うと、銀は銀でイイじゃない〜〜、な感想がわく。

ちなみに映画の撮影カメラはずいぶんと広角なレンズを用いてるのだけど、橋のかなり岡山城寄りの場所に設置されたようだ。
ここに掲載のスチール写真を元にして位置を確認してみるのも、面白いかも。